序章4
「まだ着かないの? もう大分歩いているけど」
足が痛むのか律は眉間にしわを寄せ。オーブが人型となり、トナネグの村の森とは別の遠くの森へと律を運んだ。月と星の明かりを頼りに二人が歩き続けて数時間はたった。
「湖はもうすぐダ。しかし、乙女が会うかは分からなイ。オマエ次第ダ。」
後ろを振り返ることなく答え、歩き続ける。月がさらに傾いて足の痛みも限界に達したとき、律の目の前を歩いていたオーブがさっと横によけた。すると視界一杯に、澄んだ湖が神秘的に輝いていた。
「・・・・・・」
茫然とした様子で息をのむ律を見つめる目が2つ。
「こんばんは。可愛らしい勇者候補のお方」
声のした方へ振り向くと、ふわりとした笑顔の女性が律を見つめていた。姿は人間にそっくりだが、女性の体には少し距離があってもよく分かるおかしな点があった。
「ねえ、あれは剣を持っているというよりも刺さってるように見えるけど」
女性のちょうど心臓あたりを斜めに貫く剣。それなのに痛がる様子も見せないことに驚いてオーブに小声で耳打ちする。彼も少し目を見開いて頷いた。
女性がゆっくりとこちらに近づいてくる。
「気にしないで。私は痛みを感じないから。こうやって持っておくのが安全で確実なの」
ふわふわとした笑顔が月明りでいっそう幻想的に見える。
「ごめんなさい、失礼なことを言ってしまって。改めて初めまして私は」
「知ってるわ。そろそろ来ると思っていたの。でもあなた、まだ覚悟が足りないわ」
抜けるかしら。そういって女性は律のほほに触れた。その手を放すことなく、目だけでちらりとオーブを見てすぐにそらした。
「まあ、物は試しで一回やってみる?この剣は意思が明確ならどんな災厄も祓うけれど、そうでなければ不幸を呼ぶの。あなたにはまだ迷いがあるように見えるけど、それは剣が判断するわ」
そう言って女性は背を向けて屈み柄を見せた。引いてごらんと背を揺らす。律は見えない力に誘われるように柄に手をかけ力を込めた。
「律、返事をシロ。大丈夫カ」
うっすらと目を開けると、オーブが体をゆすっていた。木を背にして座り込んでいるようで、律は痛そうに頭を押さえた。何回か瞬くと視界がはっきりし、オーブの心配そうな顔と女性の変わらぬ笑顔が見えた。
「何があったんですか」
「抜けないだけでなく、拒絶されてしまったの。まだふさわしくないみたい。今日はもう別のことをしましょう。あなたは何も知らないみたいだもの、いろいろ教えてあげるわ」
そう言っていつの間にか近づいていた女性に腕を取られる。立ち上がらせようとしてくれたその手をオーブが叩き落とした。
「オマエ何をしタ。たちの悪い種族メ」
律をしっかりと抱きかかえオーブがにらみつける。私は何にもしてないと変わらぬ笑顔で女性が答える。
「彼女と二人で話がしたいの。地底に落ちたものが邪魔しないで。律、あなたと話したいわ」
律は頷きオーブから離れる。引き戻そうとする手を振り払う。笑顔が絶えない女性に少し寒さを感じたものの、魅かれるように近づいた。
「いい子ね」
律を腕の中に閉じ込め頬ずりする。そしてそのまま湖の方へと誘導する。オーブの口が動くが声が出ない。焦っている彼をぼんやりと認識しているものの、律は促されるままに歩く。
「疑わないのはあなたの美点で欠点よ。危ないわ」
突然湖から水しぶきが上がり二人を襲う。霞がかかっていた頭が水で冴えわたり、息苦しさにもがく。
「ふふっ。ちゃんと全部教えてあげるけど今日はもう遅いわ。道が決まったら私の名を呼んでちょうだい。エレインと」
もがいても水は絡みついてくる。オーブが近づこうとしているのが見える。二人とも水の中にいるのに彼女の声がはっきりと聞こえて、そうして律は意識を失った。
「彼女に何も教えてないのね《十字路の悪魔》。人は行き来できない世界だけど、私もあなたも違うでしょ。何も知らないふりをしているのはなぜかしら」
いかにも楽しそうに言うこの女が、というよりこの種族がオーブはあまり好きではない。水の精というものは慈悲深い顔をして残酷なことをやってのける。オーブは無言で律が消えたあたりを見つめている。
「そんな顔をしなくてもちゃんとベッドに送り届けたわ。久方ぶりの勇者候補ですもの、やっとこの世界も動き出す、無下には扱いません」
「魔王が何を仕掛けてくるカ、オマエ知っているんだロ」
やっと話したオーブの言葉にエレインは小さくうなずいて、問題ないわといった。
「前の方も、その前の方も、歴代全員乗り越えた。代わり映えのない筋ですもの、今回も大丈夫。これまでと違って女の子なのは気になるけれど、些細なことでしょう」
にっこりと笑う彼女に、オーブはふんと鼻を鳴らした。これ以上話すつもりはないと、その背に隠れた漆黒の羽を広げる。エレインはまぶしいものでも見るように目を細めた。
「2,3日で来るわ」
声のほうに見向きもせず若い悪魔は飛び立った。それの方角は律が居る方ではない。過保護ねえ、とつぶやいて水の精は自分の湖へと帰った。
窓からこぼれる日差しと鳥の鳴き声で、律ははっと目を覚ました。太陽はいつもより高く上がっていて、寝過ごしたことを示している。朝食の準備をしなければとあわてて起き上がると、ごとりと音を立てて厚手の本がベッドから落ちた。拾い上げてみてみると、表にも中身にも何も書いていなかった。首をひねりながらそれを机に置き、律は思い出したように急いで身支度を整えると階段を駆け下りた。
「すみません、寝坊してしまって」
「ああ、おはよう。気にすることはない、今日はワシが張り切って作ったよ」
テーブルの上にはもう朝食の用意がされており、律は申し訳ないと思うも一緒に食べた。
今日も家事を終えると、律は鍛錬場へと向かった。あの本も気にはなったが、行く前に見ても白紙のままだった。オーブも帰ってきておらず、昨日剣が抜けなかったこともあってとりあえず体を動かそうと思ったのだ。
「リツ、今日セテはいないよ」
顔見知りになった少年がそう伝えてくれた。何かあったのかと尋ねると、人と会う約束があるらしいと教えてくれた。まだセテ意外とは仲が良くないし、この場所には女性もいないのでどうしたものかと悩む。少年が今日は一緒に組まないかと誘ってくれたとき、律の頭にこつ、と何かが当たった。
大丈夫かと聞く少年に大丈夫だと返し、投げられたであろう方を向く。すると、遠くにぬいぐるみ姿のオーブが手招きしているのが見えた。用事を思い出したから今日は帰ると少年に告げ、律はオーブのもとへ向かった。
「体は異常ないカ」
「ええ。昨日は一体どうなったの? 目覚めたらもう帰っていたけど」
「湖の乙女が飛ばしたのサ、清い水があるところになら送れるんダ。本があったと思うが持ってるカ? あれに大体書いてあル」
あの本が白紙だったと言うと、水にぬらせば読めると答えた。オーブを腕に抱えて帰宅し、さっそく水をかけてみる。表紙には[異界から来た勇者候補の方への説明書]と書かれていた。次のページにも水をかけ読み進める。要約すると次のようなことが書かれていた。
[この世界には魔王アリスレイが君臨しており、人民は彼の王が支配する魔物に気を付けながら機嫌を損ねないように生活している。旅をしながら魔塔を攻略したり、魔物退治で稼いだりする者もおり、中には魔王の支配から逃れるため戦っている者もいる。勇者となるには湖の乙女から剣を受け取り己の魂と合わせる必要がある。その剣で魔王を倒せば世界に平和は戻り、勇者はどんな願いでも一つ叶えることができる。]
「すっごいふわふわした事しか書いてないんだけど」
ばしっとオーブをたたいて律は言った。歴史や習俗、地図などもあるものの、説明書という割には内容が薄い。
「ゲームですらもっと設定が凝ってるわよ」
ぎゅむっとオーブを握りしめる。バタバタともがき、律の手から抜け出したオーブが「俺に当たるナ」と言った。
「昨日の夜から情報収集してきたガ、オマエが湖の乙女と接触したことは知られているようダ。気をつけロ」
「ええっ。結局剣も抜けなかったのに、どうしろっていうのよ」
がっくりと肩を落とす。
「俺を肌身離さず持っとくことだナ。多少は守れル」
「多少って……」
律は頭を抱えてしまった。




