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第四章3

 訓練を初めて一月が経とうとしていた。律もウィルも順調に身体能力が向上している。しかし魔法の訓練と剣術の訓練とは異なる進み具合となっていた。ウィルは順調に精度を上げ、威力を徐々に上げて扱える攻撃を増やしていた。オーブやハシスと魔法をかけあうなどして、実戦での対応力も上げている。

 対して律は、いつまでたっても自分の刀固有の能力が分からないままだった。シマキと戦った時、ウィルの魔法を防いだ時、これらの経験から魔法を無効化する能力ではないかと考えたのだがどうも違うようだ。このままでは実戦形式での練習ができない。

 オーブは律に何も言わなかった。むしろ気遣ってか接触を避ける節があった。事実ウィルのことで忙しくしているのは口実のように見えた。

 「リツ、ちょっと話しましょう」

 瞑想中の律の肩に手を置きディナが話しかける。焦りで上の空になっているのを見抜いているようだ。目を開けると、微笑んだディナと後ろにあるテーブルが目に入る。湯気の立ったカップも二つ置かれている。

 「すみません。何から何までお世話になっているのに」

 「気にしないでくつろいで。気負うと分かるものも分からなくなるわ」

 どうぞ、とお菓子も勧められる。軽く手を合わせて口に運んだ。

 「レイの剣は相手の隙に必ず当たる剣だった。彼がそれに気が付いたのは旅も終わりのころよ。それまで彼は、ふぇんしんぐ、とやらで鍛えた自分の腕が良いのだと思っていたの」

 「それは、実戦が私には少ないから能力判断ができないということでしょうか」

 ディナは首を振った。

 「大切なのは実戦よりも、己の精神との対話。剣の能力は勇者の性格に大きく左右されるから」

 カップに口をつけて一口含む。そうしてディナはつづけた。

 「今日までの瞑想であなたは自分と対峙した。けれど上手くいってない。それなら振り返った自分を、第三者に話してみるのをお勧めするわ」

 言葉を口に出して耳で聞けばまた印象は変わるのだと言う。ただ聞くだけで意見を求められない限りは言わないから話してみないかと誘われる。

 「ここに来たきっかけからでもいいですか?」

 ディナが静かに頷く。律は藁にも縋る気持ちで話し始めた。オーブを助けたお礼に願いを一つ叶えると言われたこと。素敵な恋をしたかったのに、オーブのミスでここに来たこと。帰るためには魔王を倒す必要があると言われ、それをオーブは手伝うこと。ぽつりぽつりと律は言葉を紡いだ。

 「こうして今に至ります。時間がかかりましたね。幼いころのことはもっとかかりそうですが、聞いてくれますか」

 「もちろん。続けてちょうだい」

 安心したように律は一つ深呼吸をして、記憶をたどっていく。

 「私の両親は教育熱心な人で、期待に応えるため勉強も運動も器楽も声楽も絵画もマナーも踊りも、様々なことをこなしてきました。学校でも模範生であるように、品行方正であるように常に行動してきました。私はそう望んでいた。完璧でありたかった」

 すこし早口で律は自分のことを語り始める。

 「瞑想に入る前、嬉しいこと悲しいこと、いろいろ思い出すといいと言いましたよね。嬉しかったのはたくさんの賞をいただいたこと、悲しかったのは犬が死んだこと。楽しかったことは読書、辛かったのは……」

 どんどんと早くなっていく言葉は突然途切れた。律は迷子のように瞳を揺らし、組んだ指をせわしなく結んだりほどいたりする。そうして一度ぎゅっと目を閉じると、途方に暮れたようにつぶやいた。

 「言葉にできません」

 ディナは落ち着いた声でなぜ、と言った。

 「瞑想中はいろいろと思い出していたのに、今、話そうとしたらすべて零れていくんです。犬って何の犬でしょう。好きな本のタイトルは? 家族の名前、も、出てこない」

 目を開けた律は怯えたように震えている。目にはじわりと涙も浮かんでいる。

 「魔王城に行く前に、アルバムを見つけたんです。中を見たのにそれも思い出せない……」

 時の流れで記憶が風化したのではないとディナは悟った。これはただ事ではない。

 「ごめんなさいね。ちょっと記憶を覗かせてもらってもいいかしら」

 本人が思い出せずとも、頭の中に記録は残っている。律が頷いたので、左手を自分の額に右手を律の額に当てる。呪文を唱え景色が見えたと思った瞬間、はじけるような衝撃を指先に感じた。思わず引いた右手の指には小さな水ぶくれができている。

 「分かったわ、リツ。あなたは自分と話す前に、あの精霊と話さなくては」

 「どういうことですか」

 「ああ、あなたはアクマと言ったわね。何の意図があって記憶を隠しているのか知らないけれど、それが邪魔になっているの。とりあえずここでお茶をしていて。少し尋ねてくるから」

 ディナはそう言って急ぎ足で離れていく。律は目を見開いたまま椅子に根が生えたように座っていた。



 「何の用ダ」

 木にもたれかかり腕を組んだオーブはウィルの様子を見ながら言った。今彼はハシスと稽古をしており、オーブの出番はない。ディナは頑なに自分を見ようとしない悪魔の目の前に立った。

 「リツの記憶を戻してちょうだい。このままでは精神に悪影響を与えるわ」

 「律には必要なことダ。鮮明に思い出せば動けなくなル」

 オーブは遠くを見つめながら答えた。ディナが問いを発した瞬間から周りの空気が重くなる。

 「ならその理由を彼女に説明して。前にも後ろにも進めないわ」

 「オマエなら剣の能力が分かっているだろウ。教えてやればいイ。それで進めル」

 強い圧力に屈することなくさらに問えば、意図的に会話をずらされた。そこまでして隠さなければならない記憶なのだろうか。ディナはそれを探るための力を持ち合わせていなかった。最強の魔法使いと呼ばれても、世界を渡ることができるこの悪魔の足元にも及ばない。

 「剣の能力の話をするなら、あなただって分かっているはずよ。あなたからは言わないの?」

 あえてずらされた会話に乗った。案の定オーブは律が決めることだと返す。

 「だったらわたくしも教えられないわ」

 律の記憶の霞を取り払えと迫ると、オーブは返事をせずに歩き始める。

 「何がリツのためなの! 彼女はとても困っているわ」

 「思い出したら困るでは済まなイ」

 オーブはウィルたちに休憩すると伝えると、足早に家へと戻っていく。律と鉢合わせないようにわざわざ裏庭に回ろうとしているようだ。

 「頑固者っ」

 去っていく背中に呟く。面と向かっては言えなかった。追いかけることもできなかった。肩をつかもうとした手は空中で縫い止められたように制止する。

 今は弱々しくとも万全な状態なら自分では抑えられないと思う。制限を受けてなお底が知れない力量をディナは恐ろしく感じた。


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