第三章4
「なんで……」
火の精霊の力を借りて放った魔法なのに、無傷で防がれたことに呆然とする。魔王はウィルの言葉を気にも留めず、先ほどと同じように話しかけた。
「僕はね、この世界を良くしたいんだ。シナリオの通りになんてさせはしない」
「シナリオ?」
律が聞き返すと、そこで初めて魔王は表情を変えた。驚きではなくて、本心から憐れむような表情だった。
「そうだよね。勇者じゃあ知らないよね。でも、僕がやろうとしていることは君のためにもなるんだよ」
「私を殺すことが?」
聞きながら刀を構えて律は走る。魔王は動こうともしなかった。刀の刃が彼に当たろうとしたその時、刃はぴたりと動きを止めた。律はさっと後ろに跳び退いて眉をひそめる。見ていたオーブが無数のナイフを取り出して魔王に向けて放つと、ウィルも新しい魔法を発動させた。
「律、後ろにいロ」
オーブが律を背にかばうと同時に二度目の爆発が起きた。土煙が晴れた先には、無傷で立つ魔王アリスレイと見知った顔があった。
「エレイン! なんで……」
律の疑問は当然だった。なぜなら魔王の周囲には、彼を守るために張ったとしか思えない水の膜があったからだ。その上エレインは魔王の背中に抱き着いている。
「ごめんなさい、律」
彼女は申し訳なさそうに言うが、その目は魔王だけを見つめている。熱っぽく、愛しさを前面に出した視線は逸らされることがない。
「私、律のことも好きだけど、この身のすべてをレイに捧げてしまっているから」
エレインの言葉に合わせて、周りを漂っていた水が増えていく。四人は荒々しく波打つ水からじりじりと距離を取り、オーブのナイフが突き刺さっている辺りに自然と集まった。
「彼の変革に協力しないわけにはいかないのよ」
エレインが指を鳴らすと、いくつもの水の玉が律たちの方へ向かってきた。それ以外にも、床を覆う水が四人の方へと向かってくる。それらの攻撃を、一歩前に進み出たオーブが防いだ。散らばらせたナイフで描いた陣から〖隔壁〗を発生させる。
「ちょっと! どうするのよ!」
突然劣勢に立たされたことで、アルクは焦ったらしい。律の肩をつかみ激しく揺さぶる。しかし律も激しく混乱していて返事をすることができない。あまりにも強く押したので、律の体が陣の外へ出そうになる。
「動くナ!!」
今までに聞いたことのないほどの強さでオーブが怒鳴る。苦しそうに前を見つめたまま、律を中央へ引き戻す。今は辛うじて持っているが、〖隔壁〗の守りも長くは続きそうにない。
「ウィル! 防御魔法は使えないのカッ」
エレインの悲しげな瞳と不釣り合いな口元を睨みつけながら、オーブが手を貸すように求める。ウィルははっとして盾の呪文を唱えるが、時間稼ぎになるかも怪しい。なにせウィルの魔法は、エイデンの加護を受けたときから火の性質を帯びるようになったからだ。火は水に負ける。先ほど爆発を防がれたのも、魔王がエレインに守られていることが理由だ。
オーブがエレインを罵り、ウィルが必死に呪文を使い、アルクは呆然としている。その中で律は、ウィアベルの言葉を思い出していた。そして、自分が相談しなかった所為で三人を巻き込んでしまったと思い、顔から血の気が引いていく。
「ちがう。今考えるのはどうやって助かるかよ」
真っ青な顔で今にも倒れそうになりながら、律は首を振った。そして勇者の剣を見つめる。これが自分の力の源だと強く握りしめる。先ほどはなぜか使えなかったけれど、信じて振るうしかないと決めて律は前に出ようとした。
「動くなって言ってるだロ!」
「でも、何かしないと」
律の方を振り向いてオーブが引き留める。歯切れの悪い言葉で律が答えると、周りの温度が一気に下がったような感覚が四人を襲った。
「よそ見していいのかしら」
ガラスが割れるような音の後、大量の水が流れ込んでくる。目をそらしたことでオーブの力が不安定になったようだ。水が足元から渦を巻いて登ってきて、あっという間に律を覆った。
「あらあら。悪魔が契約者を守れないなんてねぇ」
水の中で息苦しそうにもがく律に何もできないでいるオーブを見て、エレインは呆れたように笑った。水はオーブたちを拘束し、彼らの力を無効化している。エレインはオーブから目をそらし、律のことを残念そうに見つめた。
「エレイン。早くしろ」
「ええ。律が勇者でなければよかったのにね……」
エレインがゆっくりと手を握っていくと、それに合わせて律の周りの水が凝縮されていく。魔王はそれを黙っていていたが、不意に水がはじけ飛んだ。オーブたちの拘束も緩み、お面のようだった魔王の眉が動く。
急に息ができるようになって咳き込む律の腕を小さな手が引く。その小さな存在を目にしたオーブは、アルクとウィルの手を取って律の方へと動いた。
「黒いの。チョット手を貸して。アタシだけじゃ飛ばせないワ」
小さな存在がオーブにも手を伸ばす。
「いけないっ」
エレインが慌てて水を動かすが、すでにオーブはたどり着いていた。
〈つむじ風〉+〖消失〗
激しい風圧で水が四散する。飛沫で消えた視界が晴れたとき、そこにはもう誰もいなかった。
律たちは木の床に投げ出された。律が咳き込みながらも態勢を整え辺りを見ると、壁や天井に穴が開いた古い小屋の中にいることがわかった。さらに視線をめぐらして、自分を助けた存在を確認する。
「ウィアベル。ありがとう」
小屋の中央に浮いていたウィアベルにお礼を言うと、彼女は少し笑ってすぐに表情を引き締めた。
「もう一度飛ぶわよ。そんなに離れてないから」
力を貸してね、とウィアベルがオーブに手を伸ばす。オーブはその手をすぐに取らなかった。
「オマエどういうつもりだ」
「どうもこうもないわよう。リツったらアタシの言うこと聞かないんだもの。心配で助けに来たの」
早くして、とウィアベルはもう一度手を突き出す。オーブは驚いた様子で律にちらりと視線をやった。しかし、律は目を伏せて合わせようとしなかった。続いて他の二人を見ると、ウィルが何とも言えない顔をしていた。
遠くの方から大きな音が近づいてくるのが聞こえる。アルクが肩を揺らして恐る恐る窓の外を見る。オーブにはそれが木々を飲み込む濁流の音だと分かった。しぶしぶ手を差し出しウィアベルに重ねる。
「あとで説明してもらうからナ」
とげのある言い方だった。律の周りの空気が重くなる。そんな様子を気にすることもなく、ウィアベルは全員に光る粉をかけた。
ばきばきと木を薙ぎ倒す音が律の耳にも聞こえた。吸った空気に水の臭いを感じた瞬間、ぐるりと視界が回り五人は移動した。




