第二章8
オーブの耳は、かき分けられていく枝の音を感じ取った。道を見つめ続ける律の袖をくいっと引き、音が近づいてくる方を示す。聞いていたよりも早い少年王子の帰還を、心の中でほんの少しだけ称賛した。
人の耳でも聞こえるほど音が大きくなり、ウィルが姿を現した。彼はりりしい顔をしていて、見つめる律に会釈すると儀式を取り仕切る魔法使いの方へ向いた。そして小さく何事かを言うと、辺りは炎に包まれた。もちろんそれはすぐに消されたが、代わりに今度は歓声に包まれることになった。
「よくやった、ウィル」
国王は誇らしさと安堵を瞳に浮かべてウィルの肩に手を置いた。王妃はそっとハンカチで目の端をぬぐっている。
「父上。お話しした通り僕は勇者様についていきます」
「本気だったか」
肩に置かれた手をゆっくりと下ろしてウィルは言い切った。国王は目を丸くしたものの、仕方がないというように頭を振った。王妃もつらそうな表情ではあるが頷き、二人は律の方へと歩みを進める。
「どうぞよろしくお願いします」
二人に頭を下げられ律はうろたえた。
「危険は重々承知しています。あの子も責任をとれる年です。心が強くなったウィルは、見事に精霊の加護を得ました。きっとお役に立てるはず」
連れて行ってやってほしいと紡がれる言葉を聞いて、律はどうしていいか分からなかった。アルクの時も断ったが、彼女は自分より年上で経験もあったため結局受け入れた。しかしウィルは自分より年下で、病み上がりでもある。人間が増えて果たして自分は守り切れるだろうかと、律は不安に思った。
「わかっタ。連れて行こウ」
律が動揺している間にオーブが肯定の言葉を吐いた。驚いた律は振り返り、自分のはるか下にある目を睨みつけた。
「ああいった目をした人間の心はそう変わらン。それにオマエは自分一人で抱え込む癖をどうにかするべきダ」
「ありがとうございますオーブさん」
律がオーブの言葉に返すよりも早く、ウィルが間に入った。そしてそのまま律にも丁寧に謝辞を述べ、出立の準備を指示しに行ってしまった。国王夫妻も頭を下げ城に戻りはじめ、律はその場に立ち尽くした。
「どうして……」
儀式についてきていた人々が遠くに離れてから律は口を開いた。彼女の声は焦りを含んでいて覇気がなかった。
「なんで連れて行くなんて返事をしたの! 私は何とも言ってないのに!」
隣にいたオーブの体を強く押して律は怒鳴った。オーブは少しよろめいたが気にした風もなく、再度理由を淡々と述べた。
「それにオマエ、一人だと寂しいだロ」
一人で抱え込むとか考え込むとかいろいろ理由を言われた中で、この一言が最も律を怒らせた。
「そんなわけないでしょう!! それに、それに、どうせあなたはついて来るんだから一人じゃないわ」
叫んだあと律は唇を噛んだ。この、今は少年の姿をしている悪魔はいったい何を考えているのだろう。
「精霊は気に入ったものを加護すル。神も悪魔モ、人でないものはそうやって力を貸ス」
いくつか例外はあるがナ、と言ってオーブは律を抱きしめた。小さな腕はぎりぎり背中にまわっている。
「俺はオマエが大好きダ。オマエが本当に望むことヲ、叶えたいと思っていル」
優しく言い聞かせるようにオーブはそう言った。律はしばらく抱きしめられたままでいたが、オーブがまわした腕を解いてゆっくりと離れた。
「城に戻ろウ。予定通り明日には立つだロ」
言葉とともに差し出された手を律は取らなかった。頷くとそのまま一人で城の方へ歩き始める。オーブは隣に並んで歩きながら、暗い道の先に明かりを灯していった。
次の日の早朝、律は日課になっていた鍛錬を再開した。城の庭に降りて体を動かしていると、かすかに人の声が聞こえてきた。気になってそちらに足を向けると、ウィルが呪文を唱えていた。地面にはいくつか陣が描かれていて、彼も練習しているのだということがわかる。
「おはようございます。いつもそうしているのですか?」
意を決して律は声をかけた。ウィルは肩をびくっと震わせて振り向いた。相手が律だと分かると、ふにゃりと相好を崩して笑った。
「おはようございます。いつも朝やるんです。僕は隠す魔法が得意だから、こっそり練習すれば見つからないんですよ」
そう言ってほほ笑むと、また別の魔法を使い始める。この場所を見ていると、もう何年もウィルが真面目に鍛錬していることがわかった。昨日今日でできるような跡ではない。
「昨日の儀式、成功おめでとうございます」
ウィルが一息ついたところで、改めて声をかけた。一晩経って律は落ち着いていた。決まったことはどうしようもない。
「改めて一緒に来てくれますか?」
律の問いかけにウィルは間髪を入れずに頷いた。互いにお礼を言い合って握手をする。そしてもう一度自己紹介をしあった。
二人は連れ立って朝食の席に赴いた。仲良く談笑する二人を見て、周りは安堵の表情を浮かべる。
「リーツっ。ウィル王子もおはよう。これからよろしくねぇ」
にこやかに手を振りながら近づいてきたアルクに挨拶を返す。そうして三人で話しながら席に着き、食事を始めた。
朝食を終え、律たちは準備を済ませてウィルを待つ。いつ帰れるかはわからないのだ、話が尽きるまで時間を取ってあげたい。シルベに案内された部屋にはすでに転送陣が敷かれており、起動させるための魔法使いたちが控えていた。
「魔王の治める地に直接送ることはできません。ですのでジョウテンまで飛ばします。それからこちらの袋をお持ちください。見た目より中は広くなっていまして、必要と思われるものを入れております」
シルベから説明を受け、お礼とともに袋を受け取る。それとほぼ同時に扉が開き、ウィルがやって来た。律、オーブ、アルク、ウィルの四人は陣の中央に進む。
「ご武運を」
シルベの合図で魔法使いたちが呪文を唱え始めると、この国に来た時と同じように体が浮いた。地面に足がついたとき、四人は栄えている街を見下ろせる小高い丘の上に立っていた。




