夜待ち姫の塔
私の短編=駄作の認識で構いません
フィナ王国の首都アカザにある大聖堂には、街と王城を呪いから守る聖女が住んでいる。今年十七歳になる花雪は、その聖女だ。
「お嬢様。お召し物を用意いたしました」
聖女の服装は決まっている。聖衣だが、花雪にとってはただの普段着でしかない。
「ねえ、カレン。私が聖衣以外を身につけることはできるのかしら?」
歳の近い侍女に尋ねてみると、彼女は答えにくそうに視線を彷徨わせ、首を横に振った。
「そうよね」
悪いことを言ったと花雪は後悔する。
花雪は王女なのに、聖女としての人生を強いられている。それに関しては禁句だった。花雪が哀れだからだ。
「ですが、これは清らかなお嬢様に一番お似合いです」
随分評価されているものだと花雪は思う。
だが、花雪とカレンはお互いを高く評価し合うほど仲が良い。花雪は街と王を守らなければならない張りつめた日常を送っているが、カレンにだけは心を許せた。
「今日もお美しいですね」
膝丈まであるかという花雪の長い黒髪を、丁寧に梳きながらカレンはそう言う。
「黒髪なんか賞賛していると、仲間はずれにされるわよ」
皮肉めいた口調で言えば、もうされていますと返ってくる。カレンは若くして王女の侍女という座についたため、嫉妬の対象だった。それだけでなく、珍しい黒髪を持つおかしな姫君の世話役だ。自然と敬遠された。
「…」
「…様…お嬢様! もう終わりましたよ?」
「え? あ、ありがとう」
考え事をしていたせいでカレンが髪を梳き終わったことにも気付いていなかったようだ。
「大丈夫ですか?」
「ええ」
「しっかりしてくださいね? 朝食後には新しい侍従と会うんですから」
「新しい、侍従?」
そんなこと聞いていないとばかりに首を傾げる主を見、やれやれとカレンは溜息をつく。
「私は言いましたよ。次々辞めていくから今回こそは長続きしてほしいものです」
「ああ…」
言われて納得する。侍従は侍女の部下だ。だからカレンはこの状況が不満なのだ。
(前の人とは、話したこともなかったわね)
街に出ることも許されていない聖女の生活では友人などできない。親しくなろうと思ったのに、髪と立場のせいで辞めていった誰ともも仲良くなれていない。
(仕方ない、か。聖女に友人は不要だし)
一人で街と王を守る。それが、古から続く聖女の仕事であり、役目であり、義務。
「ゆっくり召し上がってください」
がらんとした食堂には花雪とカレン以外の人間はいない。花雪の他に聖女はいないし、使用人も少ない。側にいるのも侍女だけだと決まっているから、広々とした空間に二人でいるのはやはり寂しかった。
「昔の聖女は国民と接することにも規制がなかったようです。この食堂は、友人や賓客をもてなすための場所だったとか」
カレンの解説を聞き、
「聖女が国民と面会してはいけない、なんて規則、誰が作ったのかしら」
不満を漏らすが、堂々と父親にそう言う気にはなれない。
「…ある意味、私は幸せかもしれないわ。生贄と変わらない「聖女」が友人をつくったら、死ぬとき悲しくて仕方ないでしょうから」
なんとはなしに呟いた台詞だったが、カレンは痛ましそうな表情を浮かべ、何かを言おうと花雪を見つめる。
そのときだった。
バンッ! と扉が開き、青年と壮年の男が転がるように食堂に入ってきた。二人はしばらくもみ合っていたが、青年がもう一人の方を床に抑え込み、後ろ手を掴んで決着がついたようだ。
「ショーにしては度が過ぎていますね」
カレンは怒っているらしい。その証拠に、声が真冬の小川の水に似た冷たさを持っているのだ。花雪は肩をすくめた。つい、自分が怒られているような感覚に陥ってしまった。
青年は男を取り押さえたまま、畏まった様子で言った。
「お騒がせして申し訳ありません。自分は本日より花雪殿下に侍従としてお仕えする者です。面会を待っていたところ、出された紅茶に毒物を混入されたので犯人と思しき男を取り押さえました」
花雪は取り押さえられている男の方に視線をやる。聖堂の使用人全員の顔を把握していたが、彼は知らなかった。
「貴方の身分も含めて、一連の出来事を真実だと証明できますか」
「はい」
青年はカレンの問いに答え、胸元から鎖に繋がった銀の板を取り出す。男の手を掴んだままカレンに近づき、それを見せた。
「これは、陛下直属騎士団の身分証明板ですね。紋章も本物のようですし…」
「毒は警護をやったときに慣らされました」
警護を担当したことがあるということはそれなりに地位の高い騎士なのだろう。
「貴方、名前は?」
「名無しです。この板にもそう書いてあるじゃないですか。さ、これで俺の証明ができたでしょう?」
目の前に立って自分を庇っているカレンの横から青年の証明板を覗く。本人の言ったように名前の欄には『名無しにつき不記載』と彫られていた。
「採用の際に騎士団長から貴方の話を聞いていました。本人のようですね」
「そうと分かればこいつをしょっ引いてください。殿下にも危害を加えるつもりでしたよ、きっと」
青年はこっそり様子を窺う花雪ににこりと微笑んだ。見つかっていたのか、と花雪はカレンの背中に隠れた。
その後、カレンが呼んできた使用人に男は連行されていった。食欲が失せた花雪は朝食を残した。それから自室に戻って、ハーブティーを飲んだ。
「では、改めて自己紹介をします。元国王陛下直属騎士団所属の者です。戦闘にそこまで自信がなかったのでここで働けることを光栄に思っております」
嘘だと花雪は思った。先程の様子からして、戦闘が苦手なようには見えなかった。
「なにとぞよろしくお願いします」
跪いた青年は、とろけるような笑みを浮かべ、椅子に座る花雪の右手の甲に口づけを落とす。忠誠の証や挨拶の類だった。
(怖い…)
嫌悪のような、恐怖のような感情が映った瞳で青年を見つめる。花雪は閉鎖された空間で育ったため、古株の使用人以外、異性を苦手として生きてきたのだ。
「お嬢様も少しは異性に慣れた方がいいと思って採用しました。顔も良いし、彼なら平気でしょう。貴方もお嬢様の男嫌いを和らげてください。素で接すれば親しみやすいかも…」
前半は花雪に、後半は青年に向けられた言葉に、
「無理よ」
「はいっ!」
声はそろったが、思いはそろわなかった。
確かに青年の容姿はいい。溌剌とした新緑の瞳。細く通った鼻筋。端正な顔立ち。鍛えられた体つき。二十歳前後の若々しい雰囲気。それでもやはり、駄目だった。
「そんなに怯えないでくださいよ、姫さん」
困ったようなその顔は、子犬のようで、思わず罪悪感を抱いてしまう。
「俺、危害を加えるつもりなんてさらさらないので安心してください。街を守ってくれている人にそんなことできないですから」
嫌悪感がぶわっ、と心の底から湧き出る。自分が聖女としてしか見てもらえないことはわかっていたが、改めて突きつけられると不快だった。
「俺も姫さんと同じで人間です。怖がらなくて大丈夫です」
「…」
…先程の嫌悪感が少し薄れた。「聖女」という存在ではなく、「人間」として見てもらうと、少し嬉しかった。だが口から出た言葉は、
「そうね。変わり者同士仲良くしましょう」
「…!」
「お嬢様!」
まだ心の中に嫌な思いが残っていたので意地悪くそう言ってやると、カレンが叱るように声を上げた。
青年の髪は、珍しい色をしていた。鮮やかに存在を主張する、真っ赤な炎の色だった。
青年と出会った翌日、花雪の目覚めは最悪だった。
(どうしてあんなことを言ってしまったのかしら)
『変わり者同士、仲良くしましょう』
髪の色にコンプレックスを抱く花雪にとって、あの言葉は自分の傷をえぐっているようなものでもあり、嫌な気持ちを人になすりつけるというよくない行為だった。
ただ、真っ直ぐ見つめてくる青年の瞳と明るさが嫌だった。自分にない物が羨ましくて、眩しくて、心を奪われるのが悔しくて。
(悪いことを言ってしまったわ。謝らないと)
後悔でずきずきと痛む頭を抱えていると、「もうお目覚めですか」と言ってカレンが部屋に入ってきた。
「おはよう、カレン」
「おはようございます」
カレンは微笑をたたえて挨拶し、テキパキと洗顔と着替えの準備をすませた。
「お嬢様、顔を洗ったら…」
「今日は一人でやるわ。朝食は、部屋に運んで。全部終わったら図書館で過ごすわ。…あと、その前に、彼に謝る」
俯いた花雪のごにょごにょした宣言に、
「ちゃんと謝る気になったようですね。その姿勢、私は買います。何か困ることがあったら私に言ってください。お手伝いします」
「ありがとう」
カレンはお辞儀をすると静かに退室した。
花雪が一人で身の回りのことをやるのは始めてで、顔を洗い終えただけですっかり朝食が冷めてしまった。
「ふぅ…」
なんとか全てをやり切ると、部屋を出た。
(一人で部屋に出たの、いつぶりかしら)
聖女の生活は不服だが、周りの人間に支えられているのだと実感した。
さて、青年の元へ向かおう、と思ったところで、彼の居場所が分からないことに気付く。
(うっかりしていたわ…今日は、無理かも)
決意をして早々に諦めた花雪は、のろのろした足取りで大聖堂内の図書室へ向かった。
図書室には、聖女が国のために命を捧げることがいかに重要かを説く文献しかない、と言っても過言ではない。それでも、数少ない物語を読んでいるときだけは役目を忘れられた。
そびえ立つ、重厚な扉は少し怖い。長身の男性を目の前にしたときのようだった。だが、中にあるのは本だと己に言い聞かせ、取っ手に手をかける。
「あれ?」
扉を開けると、青年と目があった。
「姫さ…」
「…」
バタン、と勢いよく扉をしめ、もたれかかって開かないようにする。
「ちょ、姫さん! 何するんですか!」
油断した花雪は忘れていた。図書室は使用人も利用できるということを。
(こんなところでいきなり男の人と会うなんて…でも、会いたいと思っっていたわけだし…)
仕方なく…もとい恐る恐る扉を開けると、青年のほっとした瞳と視線がかち合った。
「姫さん…!」
青年はいきなり土下座した。
「え、え、えぇぇっ?」
いきなりのことに花雪は狼狽える。
「昨日は失礼なこと言ってすみませんでした!」
「え? それは…私の方……」
「いや、俺は確かに悪いこと言いました」
その声は、本当に後悔している人間が発するものだった。
「聖女について調べてわかったんですけど、聖女ってただ街を守るだけじゃなかったんですね。なのに、『街を守ってくれる人』なんて気軽に言っちゃって…」
花雪は顔を覆った。長い付き合いのカレンを除いて、自分のことをそこまで考えてくれた人はいなかった。だから、青年の言葉が嬉しくて、顔を見られるのが恥ずかしくて、顔を隠してしまった。
「ありがとう…」
本当に小さな声だったが、花雪は礼を述べる。
「私のこと、ちゃんと考えてくれて、ありがとう。それと…昨日は失礼なことを言ってしまって、本当にごめんなさい。私が言われたら絶対嫌な気持ちになるもの。今はとても後悔していて…ごめんなさい」
深々と謝る聖女と土下座する侍従。二人は真面目な顔をしていたが、しばらくするとどちらともなく笑い出した。
「姫さん、もういいですよ。俺が変わり者なのは事実だし。それに、言われたとき、嬉しかったんです」
「え?」
「皮肉だってわかったのに、仲良くしようって言われたことがすごく嬉しくて…」
照れたように笑い、青年は立ち上がった。
「こう言ってすぐなれるもんでもないですが、言います。姫さん、仲良くしましょう!」
差し伸べられた手は、剣だこのある「男性の手」だった。正直に言うとまだ少し怖かったが、彼となら、握手できそうな気がした。
そろりと手を出すと、力強く握られる。
「よかった。もっと怖がられると思ってましたよ」
心を見透かされているようで、少し恥ずかしい。
「ごめんなさい。貴方がどうとかいうことではないの」
「なんとなくわかりますよ。それに、これから慣れていったらいいことですから」
これから慣れていけばいい。その言葉がとても嬉しい。今までは、互いに関わらなかったこともあり『これから』がある相手などいなかった。けれど、この青年なら。
「俺、聖女について調べたんですけど、詳しい説明してもらえませんか?」
「喜んで」
花雪は図書館の中に入った。
二人は片隅に設置された席に腰掛け、テーブルに書物を広げた。
「これが一番詳しく書いてあるわ」
花雪はもう何度も呼んだ本を朗読する。内容は、聖女の成り立ちだった。
醜い姿の大魔女を、アカザの民は迫害した。嘆き悲しみ怒った魔女は、自分を醜いと罵った者の命を、自分とは正反対の存在として美しい形で終わらせようと考えた。そして「きょうせい凶星」をアカザにかけた。
凶星は、数年に一度、夜に「星」を落下させるという呪い。人の命を狙うための呪いだ。いくら美しくても星が落ちれば街全体に被害が及ぶだろう。
そこでアカザは聖女を捧げた。呪いに対抗できる体質の娘を聖女とし、星が落ちてくれば彼女達に命と引き替えに街を守らせる。
大聖堂は、聖女が不自由なく暮らせるようにと造られた。だが、花雪にとって大聖堂は美しく快適な檻でしかない。皆が憧れる聖衣も、ただ重くて白い、まとわりつくだけの代物だ。
「今まで星が落ちたという記録はないけれど、もしそんなことがあれば、聖女は大聖堂の最上階の部屋で祈りを捧げることになるわ。命を燃やすほど力を使って」
解説が終わると、青年は溜息をついた。
「街ではよる夜待ち姫なんて呼ばれてるのに、実際はもっとブラックな話なんですね」
「夜待ち姫?」
聞いたことのない単語に花雪は首を傾げる。
「姫さんのあだ名ですよ。いつも夜を待つ姫君、って。夜でも大聖堂の窓から明かりが見えるでしょう?」
それはただ凶星がいつ落ちてもいいように遅くまで起きているだけだし、緊急事態が発生した場合にすぐ動けるように明かりをともしているだけだ。
「それにしても、陛下はどうして実の娘を生け贄みたいにするんですか?」
誰も聞かなかったことをよく、ずばりと言ってくれるものだ。だが、花雪は好ましく感じる。踏み込んでまで自分と関わろうとしてくれていることが嬉しかった。
「お母様は異世界の巫女だったらしいわ。陛下の戴冠式中に迷い込んできて、自分のことから国のことまで全く知らなかったから国に保護された。その後、陛下と恋に落ちて結婚」
母親から聞いたこの話を、花雪はよく覚えていた。
「でも陛下は独占欲が強すぎた。娘が生まれて妻の愛情が自分以外へ向くと知って、私を聖女にしたの。お母様が異界から来た不思議な人間だから娘にも不思議な力が備わっているはず、って。最初は娘を追いやる言い訳だったけれど、適正があったから私は聖女になったの」
「酷いですね」
青年はポツリと呟く。
「そう? 私は当たり前だからどうとか思わないな。お母様と話すのも会うのも無理。陛下に疎まれるのは一生。それが当然なの」
悲しくはあったが、仕方ないことだった。
「…もっと、不満だ、不服だ、悲しい、悔しい、って足掻かないと駄目ですよ……!」
それをただ当然と受け止めてきた花雪にとって、彼の意見は新鮮だった。けれど、好ましいとも思えず気まずい空気が流れる。
「手紙書いたらどうですか?」
口を切ったのは青年だった。
「手紙だったら、届くかもしれませんよ」
「そう、ね」
検閲されて捨てられる可能性があったが、
部屋に戻ると、手紙を書き始めた。だが、いざとなると何を伝えたいかわかななくなり、その日は筆を置いた。
翌日、花雪は青年を食堂に招いた。
「昔はここに友人を招いたそうよ」と花雪が言うと、青年は嬉しそうに笑った。
「貴方のことを教えてほしいの。友人…になる人のことは知っておきたいから」
まだ友人と名乗れるほど仲良くはなれていない。だから、こうやって親しくなっていけばいいと花雪は考えた。
「姫さん、面白いですね」
「そう?」
首を傾げていると、青年は話を始める。
「名前はなし。好きな物は本と林檎ですね」
「…どうして名前がないの?」
問いかけてくる花雪に苦笑し、それでも答える。
「十歳の頃に母が死んで、会ったこともない父に引き取られてやっと教えられたんです。自分が愛人の子供だったって」
「っ!」
「父は優しいけれど優柔不断で…義母がその証拠みたいな俺を憎むのもわかります。義母は俺の戸籍から名前を消しました、俺がくろうするように、って。…名前がないのは少し不便ですが、親のコネで名無しでも騎士になれたので助かりました」
きっと、コネだけではどうにかならなかったから努力して、刺客を取り押さえられるようになったのだろう。だから花雪に足掻かないと駄目だと言ったのだ。
「騎士になったお陰で姫さんに会えたし、よかったです。実は俺、五年前に姫さんのお披露目パレードで護衛やったんですよ」
「そうなの? ごめんさない、私は覚えていないの」
「無理もないですよ」
青年は朗らかに言った。それから妙案を思いついたように目を見開いた。
「そうだ。姫さん、俺に名前をください」
「え?」
「主からもらった名前なら、大事にできるから」
青年の頼みを花雪は引き受けた。なるべく自分で考えようと思ったが、母への手紙に書くことを模索していたので、その相談をすることにした。
数週間経っても手紙は来なかった。花雪は手紙が帰ってくることについてはもう諦めていたので、様々な文献を読みあさり、青年と過ごしながらも彼の名前を考えた。
随分青年と打ち解けたある日、一通の手紙が届いた。母からだった。
内容は簡素だったが、愛情が感じられた。肝心の相談の件だが、「楼守」はどうかと書かれていた。
母の母国語で、「楼」は塔。「守」は守るという意味らしかった。
花雪はすぐに青年を呼び出した。
「貴方の名前、ローシュ楼守でどうかしら」
「ローシュ?」
聞き慣れない言葉に青年が戸惑う。花雪は紙に覚えたての異国の字を書いて見せる。
「楼はこの塔みたいな大聖堂を、守は守るということを指している…ってお母様にアドバイスしてもらって…」
「俺、気に入りました」
青年は瞳を輝かせて笑う。
「姫さんの住むこの塔を一生守っていきます。命ある限り!」
意気込む楼守に花雪は声をかける。
「どうしてそこまで私に尽くすの?」
「それは、俺が姫さんを好きだからです」
花雪は恥ずかしくて顔が真っ赤になりそうだった。だが、友情だと思うとしゅるしゅると恥ずかしさが萎み、冷静になっていく。
「じゃあ、楼守。貴方は、何があってもこの塔を守ってくれる?」
「はい。姫さんに誓って」
名前をつけたその日から、花雪と楼守が共にいる時間は日に日に多くなっていった。
はたから見ていても幸せそのものだった花雪と楼守の日々は、穏やかに過ぎていった。
だから、誰も思わなかったのだ。
凶星が落ちてくる、なんて。
それは楼守がやって来て半年頃の夜だった。大聖堂の使用人が流れ星らしきものを発見し、花雪に声がかかった。
ただの流れ星だと思いながらも最上階の部屋へ向かい、花雪は空を見上げた。
落ちてきたものは、星のようでいて星ではなかった。イメージとしては大きい火の粉。
凶星が本物の星ではないのだと、初めて花雪は知った。
(明日は楼守とカレンとお茶をするはのに)
ふぅ、溜息を零す。
「明日まで生きていられるものなのかしら」
皮肉を口にしながら窓を開けてバルコニーに出ると、詠唱を始めた。
花雪が言葉を紡ぐと大聖堂を中心にして青い結界が空に広がり、星が落ちている範囲に覆い被さった。
キラキラと輝く結界は、花雪の声を糧にするかのように次第に分厚くなり、光を帯びる。やがて壁のようになったそれは、落ちてきた凶星を吸い込んでさらに厚くなっていく。
凶星の数は、確実に減っている。あと一息だ、と花雪は思った。そして、自分の命が保たないこともなんとなく理解できた。
「姫さん!」
部屋のドアが派手な音をたてて開き、楼守が入ってきた。
花雪は振り向かず、けれど詠唱をやめて話かける。
「用があるなら、早くして。結界が壊れるわ」
震える声に説得力がないことは明白だった。それでも、花雪は泣きたい気持ちを押し殺す。
「死ぬなら、俺も一緒がいいです。一人で逝かせられない」
「この儀式に他者は介入できない。…大体、貴方が死ぬ理由がないわ」
「俺が、姫さんを好きだからです。それに、姫さんが寂しそうだからです」
言われてやっと、寂しさがこみ上げて泣きそうになる。鼻がつんとして痛い。
「俺が侍従になったのは、姫さんにもう一度会ってみたかったからっ…ずっと、ずっとっ…!」
「私のことが「好き」なら、死なないでよ」
本当は、彼の話を全て聞きたかった。けれでお、遮らなければ涙が出てしまう。
「ここを守ると誓ってくれたでしょう?」
「っそれは…」
「楼守が私を「好き」なように、私も楼守が「好き」だよ。だから、約束して」
生まれたばかりの「好き」は確信がなくて「恋」にはならなかったけれど、かゆきと楼守の間にはそれ以上の絆がある。だから、どうか、この重いが届きますように。
「生きて、この塔を守ると。私の命は、街でも陛下でもなく、貴方に捧げるから」
花雪にとって楼守は希望だった。自分を覚えて生きてくれるはずの、数少ない友人だから。
「だから、私の分まで生きて」
この命が楼守のためにあるのならば、聖女として生きるのも悪くない。とにかく、彼は今ここで自分の後を追って死んでいい人間ではない。
「私のことを忘れないで、この塔を守って」
卑怯かもしれないと思ったが、花雪は振り向き、涙でぐしゃぐしゃになった顔で微笑む。
「お願い。私は、貴方を死なせられない」
そっと手を握って懇願すると、泣きそうな顔で楼守は頷いた。そして、跪いて花雪の手の甲に口づけをする。それは、忠誠の証だった。
「姫さんに誓って」
約束の言葉も声も同じだったが、その誓いに籠もった思いは、あのときより深かった。
最期の凶星は弾けて消えた。それは季節はずれの雪のようでもあり、ひらりと舞う花のようでもあった。
聖女・花雪の最期は決して安らかとかそういう言葉で表せるものではなかったが、彼女の最期の顔は満ち足りている人間のそれだった。
花雪の葬式は、国が盛大に執り行った。
大聖堂の門の前で、警備をしている騎士が二人。
「暇だなぁ。夜待ち姫の塔の警備。なんで?」
「そりゃ、お前。カユキ姫が凶星から街を守って亡くなって、五十年経ったからだろ」
説明を受けた方が、首を傾げて言う。
「カユキ様以降の聖女様、いないじゃん。なのに守るって変だろ」
「…聖なる場所だからじゃないか?」
「質問なら俺にどうぞ」
「「うわっ!」」
割って入った声に若い騎士は驚く。そこにいたのは、謎が多いことで有名な先輩騎士だった。年齢不詳だが、二十代と見られる若さで大聖堂の警備を一任されているため、騎士にとって彼は憧れの的だった。
「ロ、ローシュ先輩!」
「君たちにとっては意味が分からないだけでしょうが、俺は好きですよ、この仕事。大聖堂を、夜待ち姫の塔を、愛していますから」
楼守は「答えになっていなくてすみません」と続ける。
「そうそう。南門の人手が不足しているんですよ。あっちにはちゃんと質問に答えてくれる親切な先輩もいます。ここは俺に任せてくれません?」
「は、はい! 行ってきます」
駆けていく若者達を見つめ、楼守は微笑んだ。その顔は五十年前と変わらないが、笑みは長い月日を過ごした人間のそれだった。
彼は城壁に寄りかかって感傷的な瞳になる。
「姫さん。俺、ときどきそっちに行きたくなります。でも今は、姫さんが生きた証のこの塔を、守り抜きますよ。貴女にもらったこの命がある限り」
言い終わった楼守の顔からは、もう昔を懐かしむ色は消えていた。残ったのは、妙に貫禄のある穏やかな笑みだった。
「さて、今日も頑張りますか」
楼守はより掛かったまま、青い空を見上げて伸びをした。
補足です。
三十枚、を意識していたので書けなかったのですが、
ローシュはカユキから生きるエナジー的なもの(寿命とか)を、死に際に
譲られたという設定です。わかりずらいうえにオカシイという。