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小さな事件と彼(前編)

「進道、大事件だ!」

 朝から大声をあげるサトに、海は少々の苛立ちを覚える。けれども話だけは聞いてやろうと、席に着いてから「何?」と返した。「大事件」というが、どうせろくなことではないだろう。

 ところがサトは海の気だるげな表情を見てもなお、興奮していた。面白いことを言うような表情ではない。困っているような、怒っているような、そんな顔だ。

「昨日、すぐそこの駄菓子屋で万引きがあったらしい。かなり乱暴な手口だったみたいで、おばちゃんもけがをしたって」

「駄菓子屋で?」

 礼陣には小さな駄菓子屋が何軒かあり、遠川地区にも小中学生に親しまれている場所が一つある。海が近所の見回りをするときに、家に戻る際の目印にしている店だ。店番の中年女性はいつもにこにこしていて、ときどきはおまけをしてくれることもあり、子供たちには大人気だった。

 海や心道館の門下生たちも足繁く通っているので、この情報がたしかならば、本当に大事件だ。海は表情を一転して真剣なものにし、サトに尋ねた。

「おばちゃんのけがの具合は?」

「犯人を追いかけようとしたときに、足をくじいたみたいだ。あのおばちゃんを困らせるなんて、許せないよな」

「犯人は捕まったのか?」

「うん、近所の人が取り押さえたって。うちの生徒だってさ」

 もともと柄の悪い連中が集まっている遠川中学校だが、まさか犯罪にまで手を染めるとは。海は呆れ果てて、深い溜息をついた。帰りに駄菓子屋の様子を見ていこうかなどと考えていたところで、サトが話を続けた。

「その関係で職員会議を開くから、一時間目は自習だと思う。さっき犯人らしきやつらが先生に連れて行かれたのを見た。たぶん二年だ」

「どうして二年だってわかったんだよ」

「一人、でかいのがいた。噂の一力先輩じゃないか?」

 海は眉を寄せ、首をかしげた。たしかに大助は身長が高いが、昨日あったという万引き事件には関わっているはずがない。海たちと一緒に、神社にいたのだから。遠川地区と神社のある社台地区に、一人の人間が同時に存在することは不可能だ。

 しかし、そばにいた他の生徒が話に割りこんできて、言った。

「間違いなく一力先輩だ。昨日万引きで捕まったのは二年生の集団で、一力先輩の指示でやったんだと言っているんだよ。あの人は子分が多いから、自分の手を汚さずに犯行に及ぶことは十分に可能なんだ」

 まるで知っているような口ぶりだが、海はそれこそが嘘であると確信していた。大助に子分がいるということも信じられないが、たとえいたとしても、彼が人を使って卑劣な行為をするはずはない。海の知っている一力大助は、そんなことを平気でできるような人間ではない。出会ってからまだ一週間しか経っていないが、それだけははっきりしている。

「サト。職員会議って、職員室でやるのか?」

「いや、今回は会議室でやるって聞いた。先生たちが全員参加するらしいから、広い場所を使うんだろうな」

 大助は無実だ。それを訴えられるのは、昨日、彼と一緒にいた自分しかいない。海は席をたって、急いで教室を飛び出した。サトが呼ぶ声が聞こえたが、聞こえなかったことにした。先に学校に来ていたサトが連行される生徒たちを見たのなら、会議はもう始まっているかもしれない。大助がなんらかの処分を下されてしまう前に、止めなければ。

 職員会議は、サトの言うとおりに会議室で行われていた。中から教師たちの声が聞こえる。万引きというと軽く聞こえるが、ようは窃盗事件だ。教員全員で話し合いをもつことにしたのだろう。海がドアにそっと耳をつけると、室内には不穏な台詞が飛び交っていた。

「君たちは一力君に唆されて、万引きをしてしまったというんだね?」

「はい……暴力で脅されて、しかたなくやりました」

 質問をしたのは、おそらく教頭だろう。それに答えた側の声を、海は聞いたことがあるような気がした。いや、思い違いでなければ、その主を知っている。

「一力君、彼らはそう言っている。これは事実か?」

 教頭と思われる声が、確認する。するとすっかり聞き慣れてしまった、しかしかなり不機嫌そうな声が、返答した。

「事実なんかじゃねえ」

「嘘をつくな! 暴力で脅すなんて馬鹿なことをするのは、この学校ではお前くらいなものだろう!」

 大助の言葉は少しの間もなく否定された。あの声は生活指導担当の教員だろう。ここぞとばかりにがなりたてている。ろくに話を聞くこともせず、初めから大助が主犯だと決めつけているようだった。

 海はドアから離れ、ノブに手をかけた。すぐに大助は関係ないということを訴えて、こんな会議を止めさせなければ。しかしドアノブを回そうとした瞬間に、後ろから背中をつつかれた。

 驚いて振り向いた海の目の前には、色素の薄い少女が立っていた。

「皆倉先輩、何してるんですか?」

「進道君こそ。……今のりこんでもだめだよ、大助が不利になるだけ」

「どうしてですか?」

 小声ではあったが、海は怒りを込めて亜子を問い質した。ただ様子を見ているだけでも、きっと大助は悪者扱いになる。それならすぐにでも、こんな茶番を止めさせるべきだ。そんな海の考えとは対照的に、亜子は首を横に振って、静かに言った。

「同じことをわたしもしたことがある。そうしたら、不純異性交遊だの大助に騙されてるだの、変なことを言われて追い出された」

「俺はそんなことになりません」

「なるよ。進道君は後輩だし、普段から真面目なようだから、大助に唆されていたかわいそうな生徒がまた一人増えたと認識されるだけ」

 海は舌打ちをして、それから担任教師の言葉を思い出した。上級生たちに金を取られそうになったと訴えたとき、彼は「そんなことをするのは、二年の一力だな」と断定した。海が否定しても、受け入れてはもらえなかった。「何かあったら一力大助のせいだ」という話がまかりとおっていて、まるでそれ以外の答えはありえないというように一蹴されてしまった。

「どうにかできないんですか? 皆倉先輩は大助さんの幼馴染なんでしょう、何か打開策はないんですか?」

 海が亜子を睨むと、彼女はにっこり笑った。海に助けられたときと、同じ笑みだった。

「あるよ、呼んでおいたから。だからもう少しだけ待って」

 いったい何のことを言っているのか、と問おうとしたときだった。海の頭の中に、ざわざわと多数の声が一気に流れ込んできた。ふと窓を見ると、その向こうに声の主たちがいた。大小さまざまな鬼たちが、外からこちらを覗きこんでいる。誰もが口々に大助を心配するような言葉を発している。

 呼んだとは鬼のことか、と思い、海は亜子を見た。しかし彼女は窓になど目もくれず、ただ会議室のドアを真剣に、しかしどこか不安げに見つめていた。あの大勢の鬼たちの声は、彼女には聞こえていないらしい。

 では呼んだのは何なのか。なぜこんなにも鬼たちが集まっているのか。その答えは、まもなくして出た。かつん、かつんと階段を上る音が響いてくる。教師かと思いあわてて振り向いた海の目に飛びこんできたのは、昨日も会った、優しげな長髪の男性だった。

「おや、海君。授業はどうしたのですか?」

「神主さん、それに……」

 神主は、一人で来たのではなかった。その背には、中年の女性が見慣れた笑顔でおぶさっていた。彼女は正真正銘「駄菓子屋のおばちゃん」だ。

「海ちゃん、亜子ちゃん。もしかして大助ちゃんを心配しているのかい? 大丈夫よ、おばちゃんがコソ泥小僧たちにがつんと言ってやるからね」

 頼もしくにかっと笑って、おばちゃんは神主の背から降りた。足がまだ痛むのか、一瞬だけ表情を歪めたが、すぐに鼻息をふんっとふいた。凛々しい顔で会議室の戸を叩こうとして、その前に海と亜子に向かって手を振った。教室に戻っていろということらしい。

「進道君、行こうか。あとはおばちゃんと神主さんが、大助の無実を証明してくれる」

 亜子は海の手を掴み、階段下へ引っ張っていった。そして踊場のあたりで立ち止まると、ほっとしたように息を吐いた。

「呼んだって、神主さんとおばちゃんのことだったんですか」

 海が尋ねると、亜子は微笑んでうなずいた。

「うん。こういうときは大助のお兄さんか、叔父さんが来ることが多いんだけどね。今回はかなり悪質だから、大助のことをよく知っていて、特別大助を贔屓しているわけではない人たちにお願いしたの。おばちゃんは被害にあった当人だし、先生たちも証言が嘘だとは思わないでしょう」

「普通は保護者が来なくちゃいけないんじゃ……」

「大助には両親がいないし、それに神主さんだって大助の保護者だよ。だって大助は鬼の子だもの」

 亜子はさも当たり前のように、そう言った。たしかに、鬼は親を喪った子供たちの親代わりをするということになっている。まして神主は鬼の長、大鬼様だ。少々屁理屈の感はあるが、亜子の言っていることは、礼陣では間違いとはいえないのだ。

「……皆倉先輩って、意外にむちゃくちゃなことするんですね」

「あの大助の幼馴染だもの。昔から何度も助けてもらってるから、こうやって返していかないとね」

 会議室から、おばちゃんの怒号が聞こえる。「大助ちゃんがそんな指示するわけないでしょう!」と、ここまで届くほどの声で叫んでいる。きっと大助は、駄菓子屋のおばちゃんのことも助けたことがあるのだろう。学校では恐れられているが、やはりそれはただの噂にすぎないのだ。大助は、自分の身を挺して海を助けに入るほどに、勇敢で優しい人物なのだから。

「皆倉先輩、大助さんはどうしてあんなに誤解されてるんですか? 学校の先生たちは、何か都合の悪いことがあると大助さんの差し金だということにしてしまうようですけど」

 海が疑問を口にすると、亜子は困ったような笑顔で言った。

「大助は、けんかをすると勝っちゃうから。何も知らない人が見れば、単純に大助が暴力的に見えてしまうんだよ。その噂が広まって、目立つようになれば、先生たちも大助の動向に気をつけるようになる。何かあれば真っ先に疑いの目を向けてしまう」

「そんなの理不尽ですよ。理由も聞かずに疑うなんて、おかしいです」

「うん、そうだね」

 亜子の表情が陰る。申し訳なさそうな顔をして、まだ騒がしい会議室のドアを見た。

「あいつが誤解されるようになったのは、わたしのせいなんだよ。ほら、わたしの見た目って目立つでしょう? 小さい頃から、からかわれることが多かったの。大助はそんなわたしをいつも守ってくれた。けんかばっかりするようになったのは、それが原因なんだ」

 海の中でまたひとつ、大助の人物像がわかった気がした。彼が暴力的だと誤解されるほどけんかが強いのは、そもそもは亜子を守るためであった。そしてそれが、姉を手伝って鬼追いをすることにも繋がっているのだ。人を助け、鬼に慕われ、度重なる理不尽にも負けない。そんな現在の大助をつくっている要素が見えてきた。

「……皆倉先輩は、責任を感じることないですよ」

 海が呟くと、亜子はこちらを見て首をかしげた。彼女から顔を背けながら、海は言葉を続ける。

「大助さんがけんかに強くなったのは、皆倉先輩のおかげってことになるじゃないですか。俺はもう二回も大助さんに助けられているので、今の話を聞いて、皆倉先輩にも感謝しなきゃいけないなと思いました」

 亜子の顔を見ていないので、彼女がどんな表情をしてそれを聞いていたのかはわからない。ただ、もう暗い表情ではないことは、なんとなくわかった。

 それから亜子は静かに歩いて、階段を降り始めた。気がつけば会議室からは声が聞こえなくなっている。話し合いは、静かなものになったのだろう。

「進道君、そろそろ教室に戻ったほうがいいよ。できれば友達に口裏を合わせてもらって、真面目に自習をしていたことにして」

「そうですね」

 海も音を立てないよう気をつけて、教室へ向かった。並ぶことなく、二人はただ黙って歩く。けれども亜子は二年生の教室へ戻る前に、一度振り返って、海に微笑んだ。

「さっきはありがとう。もしよかったら、わたしのことも大助みたいに、亜子って呼んでくれると嬉しいな。それとできれば、君のことも海って呼ばせてほしい」

 日本人離れしたきれいな笑顔に、海は思わず目を逸らす。しかし、返事だけはしておいた。

「どうぞお好きに。亜子さん」

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