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幼馴染と恩

 朝の掃除に、道場の雑巾がけ。そして学校から出された課題。やるべきことを全てやってしまった後の休日は暇だ。海は自室で寝転びながら、鬼追いのことを考えたり、大助や愛、神主の顔を思い浮かべたりしていた。

 ふと持ち上げた右手には、人差し指と親指で挟むようにして、赤い石があった。これは昨日、神主から渡されたもので、鬼追いの最重要部分を行う愛との連絡ツールだということだった。「鬼の石」と名づけられているらしいそれを、心の中で愛を呼びながら握りしめると、鬼の中でも特に感応の早い者が思いを感じ取る。そうして愛に、現場に行くよう伝えてくれるのだそうだ。なんとも都合のいいアイテムだなと海は思ったが、これがなければ鬼を神社へ帰すことはできないのだろう。

 窓から入ってくる光を反射して、鬼の石はきらきらと輝いている。丸くてつやのある石は触り心地も良く、たとえこれが不思議な力を持つ道具ではなくても、十分な魅力があった。しばらく指の腹で石を転がしていると、玄関のほうから聞き覚えのある声がした。

「こんにちはー! はじめ先生、いますかー?」

 海は体を起こし、石を机の上に置いた。たしか、はじめはさっき買い物に行くといってでかけたはずだ。他に客を出迎える者がいるはずもないので、急いで玄関へ向かう。

「あ、海にい」

 戸を開けると、背の低い女の子がにっこりと笑って立っていた。その傍らには、彼女の体格には似つかわしくない大荷物がある。

「春、防具持ってきてくれたのか」

「うん。今日はおじいちゃんが忙しかったから、おつかいなの」

 見かけによらず力持ちな彼女は、須藤春という。進道家と須藤家は代々家族ぐるみの交流があり、海と春も年は違えど幼馴染だ。春の祖父が剣道で使う道具の点検や修理を請け負っているので、彼女はその手伝いとして、進道家を度々訪れていた。

「ここまで大変だっただろう。あがっていきな」

「そんなに大変でもなかったけど、海にいがそう言うなら。おじゃまします」

 春は持ってきた大きな袋を屋内に入れ、自分も家にあがりこんだ。彼女が靴をきちんと揃えている間に、海が荷物を移動させる。それから早足で台所へ向かい、冷蔵庫を開けた。春が「おかまいなく」と言うが、「いいから座れ」と返す。そうして海が手際よく麦茶と菓子を準備したところで、ようやく場が落ち着いた。

「はじめ先生、いないんだね」

 春が麦茶の入ったグラスを手に取りながら言う。海はうなずいて、「買い物」とだけ返答した。するとそれを補足するように、頭の中に声が響いてきた。

『はじめは商店街で奥様方と話しこんでいるだろうから、当分戻らないぞ』

 気がつけばおかっぱ頭の子鬼が、一緒にちゃぶ台を囲んでいた。持ってきた菓子にも勝手に手をつけ、くつろいでいる。それを見て海は呆れ、春はクスクスと笑った。

「いつも突然来るよな」

「いいじゃない、海にい。話し相手はたくさんいたほうが楽しいよ。ね、子鬼ちゃん」

 春もまた、親を亡くした鬼の子だ。彼女の両親は八年前に、海外旅行へ行ったきり帰ってこなかった。偶然にも、大助たちの両親が乗っていた飛行機に、彼女の両親もいたのだ。彼らははじめの親友でもあった。だからこそ進道家には、飛行機事故に関する新聞記事が残っていたのだった。

 八年前に鬼の子となった幼馴染の少女を、海は妹のように思ってきた。道場の後輩にも、たとえば八子のような女の子たちがいるが、春のことは特別可愛がっている。家同士の付き合いが長く、互いに寂しいときを共にした相手であり、共通の話題を持っていることが、二人の絆を強く結んでいた。

「海にい、中学校は楽しい?」

 小学六年生である春は、来年中学生になる。けれども進学先は海とは違い、もっと評判のいい学校だ。それでも正直に「面白くない」と言うのははばかられる。

「まあまあかな」

「ふうん、つまんないんだ」

 取り繕ってはみたものの、幼馴染には通じない。海のあいまいな表情から、すぐにその真意を読み取ってしまう。海は苦笑し、子鬼はもう何個目になるかわからない菓子を頬張りながら『さすがだな』と感心する。

『春に嘘はつけないぞ、海』

「昔からそうだったな。春は俺の考えを読んでる」

「まあね。さらに言わせてもらうと、海にいは今、何か悩んでるでしょう?」

 この幼馴染にかかれば、なんでもお見通しらしい。海は降参して両手を挙げ、「そのとおりだよ」と返事をした。

「いろいろと思うところがあるんだ。深くは追究しないでくれよ」

「海にいがそう言うなら、私はこれ以上口を出さないよ。子鬼ちゃんたちだって、人の秘密は守るもんね」

『当然だ。……と言いたいところだが、鬼も人間も、口に戸は立てられぬものだ。話すことで不利益をもたらしてしまうようなこと以外は、ついうっかりしゃべってしまうこともある』

 子鬼は自慢にならないことを、胸を張って言う。海は頭を抱えながら溜息をついた。

「そうだな。このあいだのことだって、あっというまに神主さんまで届いてたし」

「このあいだのことって?」

 鬼たちが噂をしたということから、これは聞いてもいいものだと判断したらしい。春は興味津々といった様子で、海と子鬼とを交互に見比べた。余計なことを言ってしまったなという表情の海とは対照的に、子鬼は目をきらきらさせて、待ってましたとばかりに話し始めた。

『中学校でいじめられていた少女がいたんだが、海がそれを颯爽と現れて助けたんだ。ありがとうと言う彼女に対し、海は礼には及ばないと言い、名前も告げずに去っていったという……』

「きゃー! 海にいってば王子様みたい!」

 春は子鬼の語りを、赤くなった頬に両手をあてて喜びながら聞いていた。当の海は「あれってそういう場面だったか?」と思いながら引き攣った笑みを浮かべていたのだが。

『鬼たちのあいだでは、海はやはりかっこいいと大評判。株は急激に上昇中だ』

「尾ひれのついた噂で株が上がっても、あんまり嬉しくはないな」

「でも、助けたのは本当なんでしょう? やっぱり海にいはかっこいいよ」

 話の内容はともかく、無邪気な笑顔の春を見ていると、海も悪い気はしなかった。彼女の前では頼れる兄でいたい。家族や心道館の門下生たちと同じく、春もまた海が守りたい大切な人だ。

 子鬼が『満腹になったから神社へ行く』と言って出て行った後も、海と春はたわいもない話を続けた。春は新しいクラスの友達や、習いたての授業のことを、楽しそうに教えてくれる。海も学校の話はあまりできないが、サトの動向や彼のしてくれた話を中心に語った。こういうとき、ネタに事欠かないサトはとても役に立つのだった。

 そうしてはじめが帰ってきた頃には、空がオレンジ色に染まり始めていた。

「おや、ずっと二人で話をしていたのかい? 春ちゃん、そろそろ帰らないと、おじいさんが心配するんじゃないかな?」

「あ、そうですね。ご飯のしたくもしなくちゃ」

 はじめに言われて、春はあわてて帰ろうとした。けれども、海はそれを止めた。心道館周辺に柄の悪い中高生がいるかもしれないと、まだ懸念しているのだ。

「春、ちょっと待って。家まで送るよ」

「そう? じゃあお願いしようかな。海にいと外を歩くのも久しぶりだし」

 春を玄関で待たせて、海は部屋から竹刀袋と鬼の石を持ってきた。注意しなければならないのは人間だけではない。鬼追いをするからには、呪い鬼が出現する可能性も常に考えておかなければ。竹刀袋は肩にかけ、石はポケットに入れて、海は春とともに家を出た。

 須藤家と進道家の距離は、さほど遠くはない。同じ遠川地区の和通りにある。中学校の学区が違うのは、須藤家のほうが中央地区にほんの少しだけ近いからだ。小学校は同じ遠川小学校に通っていたので、ときどきは一緒に登下校をしていた。

「また、海にいと一緒に学校に通いたかったな」

 歩きながら、春が言う。今年の三月までは二人で同じ道を通っていたのに、今はこうしてどちらかが会いに来なければ、そんなことはできなくなってしまった。次にそれができるとしたら、四年後、海が入った高校に春も入学したときだ。

「そうだな、俺も中央中に行きたかったよ」

「そうしたら海にいが、サトさんと離れちゃうじゃない。私が遠川中に通えたらよかったのに」

「やめたほうがいいよ、遠川中は。春には中央中が似合ってる」

 最後に二人で同じ学校に通ったのは、ほんのひと月前のことだ。それなのに、とても懐かしい感じがする。海が中学生になってから、二人の時間はすっかりずれてしまった。剣道をやっているわけでもない春と、海が顔を合わせる機会は急に減った。今日のようなおつかいでもなければ、これからも一緒に歩くことはなくなっていくのかもしれない。

 だからこそ、この時間は大切にしたかった。誰にも邪魔されることなく過ごしたかった。その希望が、ある程度予測していたこととはいえ裏切られて、海は思わず舌打ちした。

 肌を走る寒気。突然静まり返った町。風の音も、空気の匂いも、人の気配もない。よくないものが近づいてくるということだけは感じ取ることができる。

「海にい。なんだか周りが変だよ……」

 春も異状に気づき、足を止める。海は肩にかけた袋から愛用の竹刀を取り出し、構えながら周囲を確認した。まだ呪い鬼の影は見えない。片手を竹刀から離し、ポケットの中の石を取り出して、強く握った。こんなことで本当に愛が来てくれるのか、まだ半信半疑だが、頼るしかない。

「春、俺の後ろに下がっていろ」

 来なかったとしたら、これまでしてきたように鬼を追い払うしかない。たとえそれが呪い鬼のさらなる凶暴化につながってしまうとしても、今はとにかく春を守らなければならないのだ。

 建物の陰から、禍々しい気配がやってくる。そちらを見据え、鬼の石を握りこんだまま、海は竹刀をかまえ直した。

呪い鬼が民家の向こうから、のっそりと顔を出す。鈍く光る目と、天へ向かって伸びる二本のつの。体は人間の大人よりも大きい。先日見た呪い鬼よりも、それは強そうに見えた。

「海にい。あれ、鬼だよね? 鬼なのに、怖いよ……」

 鬼の子であり、様々な姿をした鬼を見慣れているはずの春でさえ、呪い鬼の持つただならぬ雰囲気には恐怖する。これを普通の人間が見たら、いったいどのような反応をするのだろう。考えるまでもなく、鬼は恐ろしいものとして認識されるに違いない。

「春、あれは呪い鬼だ。普通の鬼じゃない」

「呪い鬼? あれが?」

 雰囲気だけでも圧倒されるのだ。まして目の前にいる呪い鬼がそうしているように、こちらへ向かって爪を伸ばそうものなら、それは完全に脅威の存在だ。

「伏せろ、春!」

 爪の先が海たちを目がけて近づいてくる。それを伏せてかわし、言われたとおりに頭を抱えて屈んだままの春を残して、海は呪い鬼のもとへ走った。呪い鬼はこちらへ向かってくる海の姿を捉えると、まだ爪を伸ばしていない手を振り上げ、勢いよく地面に叩きつけた。海の足にその衝撃が伝わるが、止まることはしない。そのまま地面に接した呪い鬼の手を踏み台にして跳ね、竹刀を振りかぶって、姿勢を低くした状態の呪い鬼の頭を力いっぱい叩いた。

 海が離れると、呪い鬼は伸ばしていた爪を縮め、頭だけをゆらゆらと揺らして、手足の動きを止めた。竹刀による一撃が響いているようだ。このままおとなしくしていてくれればいいけれど、と思いながら、海は呪い鬼を見つめる。またいつ襲いかかってきても対応できるように、構えだけは崩さない。

 やがて、呪い鬼の頭がぴたりと止まった。鈍い眼光が一直線に海へ向けられる。だらりと下がっていた腕を持ち上げたかと思うと、呪い鬼はふっと姿を消した。地面に影だけが残っているのを見て、海は空を見た。見ようとした。

 そこにあったのは空ではなく、高く飛び上がった呪い鬼の巨体だった。

「海にい、危ない!」

 耳に春の叫び声が届く。いつものような、嬉しそうに呼ぶ声ではない。怖くてつらい、そんな思いからの声だ。妹分にそんな思いをさせるなんて、兄役失格だな。海の頭を、そんな言葉がよぎった。

「海!」

 もう一つ、名前を呼ぶ声がした。春よりずっと低くて、乱暴な声だ。はっと我に返った海は、その瞬間に腹部への強い衝撃を感じた。後ろへ飛ばされ、背中から着地する。手から竹刀と石が離れて、地面に転がった。その直後、上から呪い鬼が降ってきて、地面にずしんと落ちた。

「一力先輩……」

「悪い、背中痛かっただろ」

 大助が、海の腹に抱きつくように覆いかぶさったまま言った。この人が飛びついて避けてくれたのか、と海が理解するより早く、大助は起き上がる。そして呪い鬼を振り返り、その状態を確認したようにうなずいた。

「あんなことしたら、あいつもしばらく動けないはずだ。すぐ姉ちゃんが来るから、それまで見張ってようぜ」

 はたして、そのとおりだった。まもなくして愛が現れ、倒れている呪い鬼に駆け寄った。そうして以前のように優しく言葉をかけると、短冊のようなものを取り出して、呪い鬼に貼った。すると呪い鬼の姿は、ぼんやりと光りながら消えてしまった。

 周囲に音や人の気配が戻ってくると、愛は海に手を差し伸べ、言った。

「進道君、遅れてごめんなさい。一人でよく頑張ったわね」

 海はその手をとらず、返事もせず、後ろを振り返った。いつのまにそこにいたのか、大助が屈んだままの春に話しかけていた。

「大丈夫か、チビ」

「私はけがもないし、全然平気です。それより海にいは……」

 春と大助が、同時にこちらを見る。いつまでも尻餅をついたままではいられない。海は自力で立ち上がり、春に笑いかけた。

「大丈夫。春が無事でよかった」

 これは本心だ。ただ、自分だけの力では守りきれなかったであろうことが、少しだけ悔しい。春なら、そんな思いも見抜いてしまっているかもしれない。だからすぐに立って、こちらへ走ってきて、海に抱きついたのだろう。

「海にい、よかった。大けがしたり、死んじゃったりしなくて、本当によかった」

「はいはい、俺も無事だったんだから泣かない」

 春の頭をなでながら、海は大助の腕を見た。海を助けたとき、彼の腕は海の背中の下にあった。そのせいだろう、大きな擦り傷ができて、血と泥で汚れていた。海には自分の背中がどうなっているかはわからないが、おそらくは大助の傷よりもずっと軽傷だろう。痛むけれど、酷いものではない。

「一力先輩。腕の傷、俺のせいですよね。すみません」

「腕? こんなの俺が勝手にやったことだ、気にするな。それにこのくらいの傷は日常茶飯事だぜ」

 大助はにかっと笑った。それから、海に近づいてきて言った。

「大助だ」

「え?」

「俺の名前は大助だ。一力先輩じゃむず痒くてしょうがねえよ、海」

 そういえば、助けに入ってくれたとき、彼は海のことを「進道」とは呼ばなかった。海は少し考えて、小さな声で口にしてみた。

「……大助先輩」

「先輩も呼ばれ慣れてなくて、ぞわっとする」

「じゃあ、大助さん」

「よし、それでいい」

 大助は海の頭をぐしゃぐしゃとなで、満足そうにうなずいた。

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