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海と大助

 遠川中学校では、一年生が上級生の教室を突然訪れるということはあまりない。それをしてしまうと、まず柄の悪い連中から目をつけられてしまうからだ。だからこそ、サトも海の行動を止めようとした。

「やめておけよ、進道! 自分からけんかを売りに行くことないだろ!」

「けんかを売りに行くわけじゃない。正当な用事があってのことなんだから、そんなに気にすることないだろう」

 必死に縋るサトをあっさり振り切り、海は二年生の教室が並ぶ廊下にやってきた。今は昼休み、廊下に屯して話をしている生徒も多く、海はすぐに注目の的となった。上級生たちの視線にさらされながら、海は各教室の出入り口を堂々と覗き、文句を言われてもただひとこと「すみません」と返して、また次の教室を覗いた。

 はたして、最も奥に位置する教室に彼はいた。新学期になって間もない今、席順は出席番号順になっている。大助の姿は廊下側の前列にあった。

「進道か、よくここまで来たな」

 彼は海の姿を見止めるなり、手をひらひらさせて笑った。そばには色素の薄い髪の女子生徒がいて、こちらをみて目をまるくしていた。

「一力先輩に訊きたいことがありまして。今、いいですか?」

 海が尋ねると、大助は少し考えるようなそぶりを見せ、それから机をトントンと叩きながら言った。

「悪いな。今、課題やってんだ。せっかく来てもらったが、手が離せねえ」

「じゃあ、放課後は?」

「いいぜ、昇降口で待ってな」

 周囲はざわついていた。あの一力大助と、一年生が約束を交わした。それだけで校内では大ニュースなのだ。あらためて大助の影響力を感じながら、海は一年生の教室へ戻ろうと踵を返した。大助の知り合いだと認識されたおかげか、帰りは誰も文句を言わなかった。

 放課後、海が言われたとおりに昇降口で待っていると、大助は「おーっす」と手を振りながらやってきた。隣にはあの色素の薄い女子生徒もいる。そっちには用はないのだけれど、と思いながらも、海は二人に向かって会釈をした。

「待たせたな。それじゃ、うちに行くか」

 昇降口から外に出て、大助は幼馴染らしい少女と並んで、さっさと先に行ってしまう。海はそれを追って、二人から少し離れたところを歩いた。そうして向かったのは、遠川地区の西側、洋通りと呼ばれる欧風住宅街だった。東側の和通りとはまるで違い、モダンな建物や洋風の庭が目に入る。時期が来れば美しい花を咲かせるであろう立派なバラの木も、ここでは珍しくはない。

 その中の一軒の前で、大助は足を止めた。そして海に振り返り、その家を指差した。庭は周りに負けず劣らず、花でいっぱいだ。家の白い壁には大きな窓があり、室内にかかっているレースのカーテンが見えた。

「ここが俺の家。ほとんど兄ちゃんや姉ちゃんが手入れしてるんだ。俺には似合ってないだろ?」

 たしかに大助からは想像できないような家だったので、海は素直にうなずいた。大助は笑って「正直だな」と言った。傍らの少女もクスクスと笑っていた。

「それじゃ、亜子。俺は進道と話があるから、また後でな」

「うん、じゃあね」

 少女は大助に言われるまま別れ、手を振りながら向かいの家に入っていった。どうやらそこが彼女の住まいらしい。海が向かいの家の表札を見ていると、大助が思い出したように言った。

「歩いてるうちに紹介くらいしておけばよかったな。あいつは皆倉亜子。もう十年近い付き合いになる」

「いつも二人で登下校を?」

「朝は俺がよく寝坊するから、あんまり一緒にはいねえな。……ほら、入れ」

 話しながらもドアが開かれ、海は一力家に招かれる。玄関も花の甘い香りがした。大助についてリビングへ行くと、レースや花に飾られていて、男子二人でいるにはおかしな感じがした。ガラス戸の棚には外国のものらしい人形などが並んでおり、それをまじまじと眺めていると「親の土産だ」と教えられた。そういえば、一力家の両親は海外へ仕事に行くことが多かったらしいと新聞記事にあった。飛行機事故に巻き込まれたのもそのためだ。

 海は革張りらしきソファに座らされ、ガラスのコップに注がれたジュースを勧められた。礼を言うと、大助はうなずき、自分も海の正面に座った。

「それで、進道。訊きたいことがあるんだろ?」

 前置きなしに、彼は突然本題に入った。それなら、と海も余計なことは言わずに質問をぶつけることにした。

「昨日、一力先輩たちは鬼を消しましたね。あれは一体何なんですか?」

 大助たちが鬼の子であることはすでにわかっている。彼と一緒にいた女性が巫女であり、彼の姉であることも。しかし彼らが何をしたかについては、海にはとうとうわからずじまいだった。尋ねようとしたのに、彼らはさっさとその場を離れてしまった。だから海は、あらためてその真意を問うために大助のところへ来たのだ。

 大助は頭をかきながら何やら考えているようだった。どう説明したらいいのか、何から話せばいいのか、大方そんな具合だろう。しばらく逡巡してから、彼は逆に問いを投げかけてきた。

「あの鬼がどういうものか、進道はわかっているんだよな?」

「知ってますよ。呪い鬼でしょう」

 海は即座に答えた。幼い頃から見ていて、鬼たちからも教えられてきたことだ。知らないわけがない。

 呪い鬼とは、礼陣にいる鬼たちが、悲しみや憎しみ、恨みといった負の感情を爆発させることで変化するものだ。わずかな感情だけではなりえないのだが、それが次第に積み重なっていくことで溜め込まれ、処理しきれなくなったときに生まれる。

 礼陣の鬼たちには優しく陽気な者が多く、大抵は人間や他の鬼を好いている。そのため、周囲に危害を及ぼすようなことはめったにない。しかし厄介なことに、呪い鬼になってしまうと自己の感情が暴走し、彼らの持つ力を制御できなくなる。そして自分でもわけのわからないまま、見境なく人間や善良な鬼を襲ってしまうようになるのだ。

 海は幼い頃から、この呪い鬼の存在を知っていた。遭遇することも度々あり、そのときには逃げたり、闘って追い払ったりしていた。道場の門下生を含む知人らを巻き込み、けがをさせるようなことがあってはならない。その可能性がある呪い鬼は忌むべきものであり、できるのなら消してしまうべきだと考えていた。

 だからこそ、海は大助に問いたかった。呪い鬼を消すことができるのなら、その方法を知りたかった。

「先輩たちは、どうやって呪い鬼を消したんですか?」

 あらためて問う。けれども大助は首を横に振って言った。

「消したんじゃねえ。あれは神社に帰したんだ」

「神社に帰す?」

「そうだ。昨日一緒にいたのは俺の姉ちゃんなんだが、俺は姉ちゃんと二人で鬼追いをしているんだよ」

「鬼追い」という単語だけなら、礼陣で生活をしている人々のほとんどが知っている。誰もが幼いうちに、その言葉を使う遊びを経験しているからだ。

 おにごっこという遊びがある。土地によって遊び方はさまざまあるが、基本は追いかける役が一人いて、逃げる人たちを捕まえるというものだ。礼陣では追われる側が「鬼」と呼ばれ、それを追うのは「鬼追い」という役になって遊びが行われる。鬼追いに捕まった鬼は「神社」と名づけた一か所に集められる。そうして鬼追いが鬼を全て神社に集めたら、ゲームはおしまいだ。

「だが、俺たちの鬼追いは遊びじゃねえ。役目だ。呪い鬼が出現したとき、俺たち鬼追いがそれを見つけて、神社へ帰す。お前には呪い鬼が消えたように見えたかもしれないが、ただ神社へ飛ばしただけだ」

「じゃあ、本当に消したんじゃないんですね」

「ああ。神社に帰った呪い鬼は、神主が癒して、もとの無害な鬼に戻してくれるらしい」

 海の考えははずれていた。昨日の呪い鬼も、大助と巫女の手によって神社へ帰されたのだろう。そうして神主に、ただの鬼に戻してもらったようだ。

「呪い鬼を消そうとは思わないんですか?」

「キレただけの、ただの鬼だからな。なだめてやれば落ち着くだろ。完全に消してしまう必要はねえ。それに、俺たち人間にそんな大層なことはできねえよ」

 大助の考えは、おそらくは巫女、ひいては神主の考えなのだろう。呪い鬼を消すのではなく、癒す。それが鬼追いのやりかたなのだ。

 では、と海は考える。これまで自分が呪い鬼と闘ったことは、まったくの無駄だったのだろうか。いや、大助も呪い鬼を殴っていたはずだ。癒すどころか、攻撃している。その行動に意味はあったのだろうか。

「先輩。俺は今まで呪い鬼に会ったら、殴ったり、竹刀で叩いたりして追い払ってきました。これはもしかして、まずいことだったんでしょうか」

「呪い鬼を叩いた?」

 海の言葉に、大助は目をしばたたいた。それから何か合点がいったような表情になり、しまいには腹を抱えて笑い出した。目の前で繰り広げられる百面相に海が首をかしげていると、大助は「そうか、だからか」と言いながら呼吸を整えた。

「たまに半分放心した呪い鬼が出たことがあったけど、あれはお前のせいだったのか」

「どういうことですか?」

 ますますわからない、というふうに海が怪訝な顔をすると、大助は彼ができる限りの丁寧な説明をしてくれた。

「キレて暴れてる奴の頭を、思い切りぶっ叩いたとするだろ。そうしたら、相手はまず何が起こったのかわからずきょとんとする。呪い鬼の場合も同じで、感情にまかせて暴れているときに突然衝撃を受けると、びっくりして放心することがあるんだ」

「それで、先輩も呪い鬼を殴ってたんですか?」

「必ず殴るわけじゃねえぞ。あくまで呪い鬼が他の奴に危害を加えようとしていたときとか、緊急事態時だけだ。暴力は下手すりゃ呪いを増長させるからな」

 つまり、これまで海は偶然無事でいられただけだったらしい。むやみに呪い鬼を攻撃することは、逆に彼らの恨みや憎しみを大きくしてしまうことにつながってしまう場合がある。それをわかった上で、大助たちは鬼追いをやっていたのだ。これまで海は何も知らずに攻撃という手段をとってきたが、それこそが他人を危険にさらす可能性のある行動だったと知って、ぞっとした。

「呪い鬼をむやみに攻撃するのはやめておけ。けがのもとだぞ」

「そうします。……でもそれなら、呪い鬼を見かけたときはどうすればいいんですか?」

「そのときはすぐに鬼追いを呼ぶか、もしくは……」

 大助はまた、頭をかきながら黙った。それが彼の考え事をするときの癖らしい。やがて再び口を開き、ぽつりと言った。

「自分も鬼追いをやるか、だな」

 このとき大助は、ただ思いつきを何気なく呟いただけかもしれない。けれどもその答えは、海にとって理想的なものだった。

 存在する危険から周囲を守りたいのなら、正々堂々と守れる立場になればいい。正攻法で立ち向かえるようにすればいい。そう思ったとき、海はすでにそのひとことを口にしていた。

「やります」

「え?」

「俺も鬼追い、やります。どうすればいいのか教えてください」

 大助はすぐには返事をしなかった。また頭をかきながら、しばらくうつむいていた。海がそれをじっと見つめていると、もごもごとはっきりしない答えが返ってきた。

「姉ちゃんに言わないと。俺が判断できることじゃねえ」

 どうやら大助は鬼追いをしてはいるが、あくまで姉の手伝いという立場らしい。実際に呪い鬼を神社へ返すという行為をしているのは姉であり、大助の役割は先ほど話に出たように、呪い鬼に衝撃を与えて足止めすることが主であるようだった。つまり、鬼追いをするには、大助の姉の許可が必要なのだという。

「それに、姉ちゃんも簡単には許さないぜ。鬼追いはほとんど話の通じない呪い鬼を相手にするから、大けがをする可能性だってある。俺だって足止め要員になるって言ったとき、かなり反対されたからな。……最終的には、姉ちゃんじゃ凶暴な呪い鬼を止めるのは難しいからって許可されたけど」

 大助と姉がコンビを組んでいるのは、姉に呪い鬼を止める力がないからだ。姉にできない部分を補うために、大助は鬼追いをしている。

それならば、同じ理由で海も鬼追いをすることができるはずだった。幼い頃から何度も遭遇しているから、呪い鬼がかなりの頻度で現れていることは知っている。一人より二人のほうが効率がいいに決まっている。

「わかりました、お姉さんが許可すればいいんですね。ちなみに先輩は、俺が鬼追いをするのには反対ですか?」

「お前、強情だな……」

 大助は呆れたように溜息をついた。けれども苦笑しながら、海に尋ねた。

「剣道、やってるんだよな?」

「はい。うちの道場では強いほうだと思いますよ」

「リーチの長い武器を持ってるやつがいると、俺は助かる。人手は多いほうがいい」

 彼は海の参入に賛成とは言わずとも、力になるだろうとは思ってくれているようだ。頭をかきながら考えた後、待っていた言葉に近いものを口にしてくれた。

「姉ちゃんには話してみる。実際、お前はこれまで呪い鬼と渡りあえてたみたいだしな」

「ありがとうございます、お願いします」

 海は反対されても要求を通すつもりだった。呪い鬼に立ち向かう正当な方法があるのならば、誰でもなく自分がそれをやりたかった。

 はじめや心道館の門下生、そしてごく普通に暮らしている鬼たちを傷つけるものを、海は許さない。自分が許さないものを、他人の手に委ねたくない。その一心で、鬼追いをすることを希望していた。


 海が自宅に帰り、しばらくして一力家に愛が帰ってきた。礼陣神社の巫女ではあるが、普段の彼女は女子大生であり、この家の主婦だ。「ただいま」の次に発する言葉は、「晩ご飯作るから、ちょっと待っててね」だった。

「あのさ、姉ちゃん」

 そんな彼女を、大助は緊張しつつ呼び止めた。これから話すことで、明るく元気な姉の表情を困惑に歪ませるかもしれないと思うと、胸が痛かった。

「どうしたの、大助? また学校で叱られた?」

「いや、そうじゃなくて……鬼追いのことなんだけど」

 振り向いて首をかしげる愛に、大助は意を決して、一息に言った。

「もう一人手伝いを増やすことって、できねえかな?」

 愛は一瞬きょとんとした後、予想通りに困った顔をした。口元に手をあてて黙り込むその姿は、彼女が考え事をするときのポーズだった。

「……もしかして、進道君?」

 少しの間の後、愛はその名を口にした。この展開に感づいていたようだ。なにしろ彼女は礼陣神社の巫女だ、他の鬼の子のことなら把握している。その上、昨日呪い鬼に襲われていたのは、海だった。

「そう、進道海。今日あいつが来て、鬼追いをやりたいって言ったんだ」

「あの子が鬼追いのことを知ってたの? それとも、大助が説明したの?」

「俺が説明した。余計なことだったか?」

 愛は大助の問いには答えずに、しばらく黙っていた。何かを考えているのはたしかなのだが、大助にそれを窺い知ることはできない。しかもやっと彼女が発した言葉は、大助の予想にはなかったものだった。

「たしかに彼なら、やりたいって言うでしょうね。それに能力だけなら、私よりも適任かもしれない」

 大助の頭に疑問符が浮かぶ。愛ならば「危ないからだめ」とすぐに反対するだろうと思っていたのだが、むしろ海のことは認めているようだ。それも巫女である自分以上に適任だとして。愛が何を知っているのかを問い詰める前に、彼女のほうからはっきりとした返事があった。

「いいわ、進道君にもお願いしましょう」

「……本当に?」

 ここに鏡があれば、大助は自分の、困惑と疑問の混じったおかしな表情を見ただろう。愛がなぜその決断に至ったのか、大助には想像もつかなかった。

「ただし」

 戸惑っていると、愛が強い口調で続けた。

「進道君が鬼追いとして逸脱した行動をとったら、そこでやめてもらう」

「逸脱した行動って何だよ」

「鬼追いの目的から外れたり、手段が過剰に攻撃的になったり。そういうことが見られたら、彼にはもう鬼追いをさせられない」

 大助にはわからない。海が姉の言うような行動を今後とるとは思えないし、思いたくもない。これまで海は呪い鬼に攻撃をしかけていたらしいが、それは鬼追いという存在も方法も知らなかったからだろうと考えていた。

 しかし姉はそれを危惧している。彼女は巫女として、海の持つ何かを知っているに違いない。そして知った上で、海が鬼追いを手伝うことを許可した。いつもの姉らしくない態度は、大助の心に疑いを生んだ。これからの鬼追いはどうなってしまうのかという不安が、のどの奥を絞めつけているようだった。

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