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祝いと笑顔

 鬼封じの翌日、海は絆創膏だらけの姿で御仁屋にやってきた。突然サトに電話で呼び出されて、出てこないわけにはいかなくなってしまったのだ。気分転換にもなりそうだったので、むしろ嬉しいことではあったのだが、いかんせん傷が痛む。自転車をこいでいるあいだも、ハンドルを握る手がじんじんと痺れているようだった。

 これまでに呪い鬼と何度も闘い、さらに葵鬼と対峙して、体に受けた傷は治らないとわかっている。基本的に無機物ならば、鬼の空間が消えると同時に復元するらしい。だが、生きている人間はそうもいかない。けがをすれば痕が残り、命を奪われればそれまでだ。それを思うと、今こうして痛みや痺れを感じていることも、生き延びたことを実感できる材料だった。

 そうしてたどりついた夏休みの御仁屋は、休暇を満喫する学生や家族連れでにぎわっていた。この店はいつも盛況ではあるが、休日は完全に喫茶スペースの席が埋まってしまっている。その中からサトの姿を捜すのは大変だろうなと思いながら、海は店内に入った。

 ところが戸を開けるなり、店員が海を待っていたかのように近づいてきて、「いらっしゃいませ」とにこにこしながらその席へ案内してくれた。

 そこには、見慣れた顔のサトがちゃんと待っていた。彼だけではない。海と同じように絆創膏だらけの大助と、その隣で亜子も微笑んでいる。てっきりサトだけだと思っていた海が目をしばたたいている間に、三人は顔を見合わせた。そして亜子が「せーの」と呟いた直後、彼らの声はきれいに重なった。

「誕生日おめでとう!」

 大輪の花のようにぱっと咲いた笑顔が、まんまるに見開かれた海の目に映った。それから少しだけ間をおいて、一日遅れになったけど、と付け足される。声が聞こえていたらしい周囲の客や店員たちが、ぱちぱちと拍手をする。窓の外からは鬼たちが覗きこんでいて、人間たちと同じように手を叩いていた。いったい何が起こっているのか把握できず、海はきょろきょろとあたりを見回し、それからもう一度、サトたち三人を見た。

 実のところ、八月十日が誕生日であったことは、小学生の頃からの付き合いであるサトにも話したことがなかった。なにしろ毎年憂鬱な鬼封じの日で、しかも夏休みだ。祝ってくれるのは、家族であるはじめくらいなものだった。だからこんなことは初めてで、何があったのか、どう反応していいのかがわからなかったのだ。

「あの、どうして……」

 ようやくそれだけを口にすると、大助が「いいから座れ」と空いている席を指差した。海が戸惑いながらも従うと、「どうして」に対する解答が始まった。

「昨日が海の誕生日だったことは、俺が亜子とサトに教えちまった。一緒に祝おうと思って誘ったら、二人ともすぐに乗ったんだ。話し合った結果、サトにお前を呼び出させて、俺と亜子で奢ることにした。だから今日は好きなものを食っていいぞ」

 つまり、計画の発端は大助だった。そういえば、葵鬼の話を大助に打ち明けたときに、八月十日が誕生日であることも話したかもしれない。けれども、まさかそのことを覚えているとは思わなかった。こうして祝ってもらえるなんて、少しも予想していなかった。海はしばらく「ええと」だとか「あの」というような、はっきりしない言葉を発していた。さまざまな感情が絡み合って、何を言えばいいのか迷う。いや、言うべきことはあるのだが、それがなかなか出てこなかった。感極まってしまって、声に意味を持たせるということがすぐにできなかった。ここに鏡があったなら、自分の頬が紅潮しているのを見て、うつむいてしまっていただろう。

 大助、サト、亜子の三人は急かすことなく、海の言葉を待っていた。待ちながら、そっとメニュー表を差し出してきた。夏の和菓子が写真つきで紹介されているその表を、海は受け取って眺める。どれもこの季節のために用意された特別な品々だ。海が好きになれなかった夏を、思う存分満喫してほしいというような、爽やかなラインアップだった。

「……本当に、好きなものを食べていいんですね?」

 探していた言葉とは違うものが、先に口をついた。しかし、三人は笑顔でうなずいてくれた。何を言っても、彼らはそうしてくれただろう。そのためにここに呼んでくれたのだ。好物である御仁屋の菓子を奢ってもらえることよりも、自分の言葉を聞いてそばにいてくれることが、そして彼らだけでなく、ここにいる町の人たちが温かな拍手を送ってくれたことが、ずっとずっと嬉しかった。その感情にたどりついた海は、やっとはにかんだ笑顔を浮かべた。

「ありがとうございます。……それじゃあ、手加減しませんからね」

 泣きそうになったのをごまかすように、メニューを見るふりをする。それをわかっていてか、この場を作り上げてくれた友人たちは気のいい返事をくれた。

「うん、しなくていいよ。誕生日は盛大に祝わなくちゃね」

「むしろ進道が本気で食ったらどうなるか、ちょっと興味あるな」

「けがした分は食って取り戻せよ。遠慮はいらねえ」

 その言葉どおりに、海はこの日、御仁屋の和菓子を心ゆくまで味わった。おにまんじゅうを、夏限定の水まんじゅうや黒蜜のたっぷりかかったわらびもちを、練乳と小豆のかき氷を。サトや大助、亜子と分けながら、たくさん食べた。けれども御仁屋の店主が「こちらからもお祝いを」と少しばかりおまけしてくれたおかげで、思ったよりも代金は安く済んだ。どこかほっとしたような表情をした大助を見て、海は「もう少し手加減するべきだったかな」と思った。

 御仁屋での盛大な誕生会のあと、四人は神社へ向かった。少しばかり食べすぎてしまった腹をさすりながら、ゆっくりと石段を上る。たどりついた境内には、どういうわけかたくさんの人間たちと鬼たちがいた。もちろん鬼たちの姿は鬼の子にしか見えないのだが、みんなが楽しそうに、なにやら話をしているようだった。

 挨拶をすると、こちらに気づいた人たちは手を振ってくれる。それから海と大助のけがを見て、「またけんかでもしてきたのか」と声をかけてきた。苦笑いで応えながら、周囲の話を聞いているうちに、境内が賑わっている理由がわかった。神事の相談に、屋台の配置。それから特設ステージの設置について。ここに集まった彼らは、間近に迫った夏祭りの準備をしていたのだ。

「おや、大助君に海君。サト君に亜子さんまで」

「鬼たちから聞いたよ。御仁屋で海君のお誕生会してたんだってね」

 海たちを見つけた神主と愛が、並んでやってきた。またしても「おめでとう」と言われ、海は顔を赤くして「ありがとうございます」と返す。こんなにたくさん祝われたのは、生まれて初めてだった。てっきり神主たちには、けがの具合や、昨夜はよく寝られたかなど、お決まりの質問をされるかと思っていたのだが、彼らは一言もそんなことを言わなかった。見ていれば、元気かどうかはわかるというように。

 そのかわり、神主はしみじみとこう言った。

「あとは、夏を思い切り楽しむだけですね。海君」

 目的は達成できなかったが、今年の鬼封じは終わった。大助にも、はじめにも、言いたかったことは全て伝えられた。海に重く圧しかかっていたさまざまなものは、もう気にする必要がないほどに軽くなっていた。

 残っているのは、夏の楽しみだけ。誕生日を祝われたあとは、隣町に映画を観に行く約束もあるし、礼陣中が盛り上がる夏祭りもある。好きではなかった夏に、忘れられないような思い出ができる。苦しいものやつらいものなんかではなく、心からの笑顔でいられたという記憶が刻まれるのだ。

「俺、今年の夏が一生で一番楽しくなると思います」

 海が言うと、神主ははじめと同じ言葉をくれた。

「たった十三年しか経っていませんよ。まだまだこれからじゃないですか」

 楽しいことは、これからいくらでもある。作ろうと思えば、無限に作り出していける。今はできないことだって、いつかはきっとできるようになる。果たせなかった目的も、そのうちなんらかの形で達成できるかもしれない。生きていれば、未来は広く、深く、どこまでも続いていく。

 誰かを守ろうとし、自らの正義を持ち続けることももちろん大切だ。けれども、そのために他の大事なことを見落としたり、命を投げ出すことは、決して最善とはいえない。生かすのも、生きるのも、海が、誰もが、この世に生まれたからには通さなければいけない大義だ。そしてその大義を通すには、多くの縁が必要だ。

 鬼の子は多くのものを背負う。そのことは変わらぬ事実だ。けれども、人間や鬼と多くの縁を結び、それを切らないよう繋いでいくことができるのも、また事実だ。海の眼前に広がる光景は、守りたくてしかたがない、そして同時に海を守ってくれている、この町の縁そのものだった。

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