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神社と姉弟

 心道館道場のある遠川地区を北側へ抜けると、大きな道路がある。それを越えると、礼陣の人々が親しんでいる商店街にたどりつく。この商店街の東端に、丘の上へと続く石段があった。

 丘の上には神社がある。礼陣神社という名だが、子供たちはそこを「鬼神社」と呼ぶ。そこで祀られているものが、鬼だからだ。

 礼陣の人々は、この神社を大切にしている。春は桜が咲き誇り、夏は祭りで盛大に賑わう。秋は紅葉が美しく、冬は雪化粧がよく似合う。四季折々の景色の中、堂々とそびえたつ深い緑色の鳥居は、礼陣のシンボルとなっているのだった。

 さらに、この場所は礼陣に住む鬼たちの憩いの場にもなっていた。海たちのような鬼の子には、境内でくつろいでいる鬼たちの姿が見える。ときには彼らに声をかけ、一緒に遊んだり会話をしたりすることもあった。

 海は商店街で夕飯の買い物をするついでに、神社へ足を運んだ。今日は剣道の稽古がないので、夕飯を作り始める時間までに帰りさえすれば、寄り道をしても問題はない。境内に屯している鬼たちに挨拶をしながら、まっすぐ社務所へ向かった。ここには礼陣神社の主が住んでいて、海を含む礼陣の町中の人々と顔見知りなのだった。

「神主さん、いますか?」

 社務所の入り口に立って声をかけると、数秒の間のあとに、中からおっとりとした雰囲気の、若そうな男性が出てきた。長い髪を束ねた彼は、海を見ると嬉しそうに笑った。

「海君じゃないですか。いらっしゃい」

「こんにちは、神主さん」

 彼こそが、この神社の神主と呼ばれる人だ。しかしその正体は、礼陣の町を守る神「大鬼様」そのものなのだ。すでに何百年という時を生きていて、町の老人たちが子供だった頃にも、今現在と同じ姿をしていたのだという。つのもなく、人間と同じ姿をしているので、彼が鬼であると信じない人間も多い。しかしそんな人間たちでも、年月が経っているにもかかわらず一向に変化のない彼を不思議に思い、鬼だと信じるようになるのだった。

 大鬼様は鬼たちの頂点にいるとされる、強大な力を持つ鬼だ。もちろん鬼たちの動向や、人間たちのあいだで囁かれる噂などを把握している。

 加えて、彼は海が幼い頃から深い関わりがあった。

「これ、差し入れです」

 世話になることの多い神主の好物を、もちろんのこと海はよく知っている。商店街にある御仁屋という和菓子屋で作っている、礼陣名物の「おにまんじゅう」だ。その箱を見ただけで、神主の顔は嬉しそうにほころぶのだった。

「ありがとうございます。海君も、もし時間があるのなら、中に入って一緒に食べていってください。君もこれが好きでしょう?」

「はい。それではお言葉に甘えて」

 神主に、どうぞ、と招き入れられ、海は社務所に入っていった。

 ここには神主一人だけが住んでいるのだが、見たところ、部屋はきちんと整理されているようだった。ただ片付いているだけではなく、戸棚には所々花が飾られていたり、可愛らしいぬいぐるみが置いてあったりもする。とても神主が一人で生活しているとは思えなかった。

「これは巫女さんが?」

 海が花瓶にささった花を指差して尋ねると、神主はにっこり笑って答えた。

「はい、そうですよ。足繁く通ってくれて、こうして素敵な置物をくれたり、食事を作ってくれたりするのです」

「神主さんは鬼なんですから、食事をしなくてもいいのでは?」

「それはそうなのですが、愛さんの作るご飯はとても美味しいので、ついいただいてしまうんですよ」

 礼陣神社には、たった一人だけ巫女がいる。正月の初詣や神事のときなどにはアルバイトの女の子が来ることもあるのだが、神主が正式な巫女として認めているのは一人だけだ。彼女には、海も何度も会ったことがある。神主と気が合いそうな、おっとりした人だった。

 海が巫女のことを思い出していると、神主は突然、思いついたように話題を変えた。

「そういえば、海君。鬼たちから聞きましたよ。なんでも、いじめられていた女の子を助けたのだとか」

「さすが大鬼様。情報が早いですね」

 鬼たちの見たものや聞いたことがらは、自然と神主のもとへ集まってくる。ときには人間たちも、知っている情報を神主に話すことがある。そうして彼は、礼陣中の噂を耳にすることができるのだった。

 それは海の件も同様だ。あのときは、鬼に頼まれて行動に出たこともあり、すぐに神主へと話が伝わったのだろう。海は苦笑しながらも、いつものことだなと思っていた。

「鬼たちは、海君の行動を褒め称えていました。他の鬼たちにも広めていたので、おそらくは地域全体の大ニュースとなっているでしょう」

「大袈裟ですね。俺はただ、頼まれたからそうしただけだっていうのに」

「たとえ鬼に頼まれたからといって、実際にいじめの現場に入って行くということはなかなかできないことだと思いますよ。君はそれほど勇敢だということです」

 こんなに褒められてしまっては、なんだかむず痒い。それに、面倒だなとも思っていたのだ。ここまで賞賛されるようなことはしていないはずだと、海自身は考えていた。しかし神主は、さらにその話を続けた。

「おまけにその後、いじめをしていた人たちに呼び出されたそうではないですか。そのときも、彼らに立ち向かったと聞いていますよ」

「立ち向かったわけじゃありません。うちの門下生に手を出すようなことを言ったので、そうさせないようにしたかったんです」

「ええ、君にとって心道館は大切な場所ですからね。私もあの場所が、そしてあそこに集まる人々が大好きですよ」

 神主はおにまんじゅうの箱を開け、海に勧めた。「いただきます」と言ってから、まんじゅうを一つ取り、透明の包みを剥がした。黒糖風味の生地を口に含むと、優しい甘さが口いっぱいに広がる。御仁屋の店主がいつまでも守っていきたいと言っていた、伝統の味だ。おそらくそれは、海にとっての心道館と同じだった。

 大好きで、大切にしていきたいものだから、守っていく。海は心道館の子として生まれたからには、一生をかけて道場とそこを訪れる人々を守っていくのだと誓いをたてていた。道場と、そして、礼陣の守り神である大鬼様に。

「心道館も、この神社も。私は礼陣の全てを大切に思っています。だから、その中でいじめなどの悲しくつらいできごとがあるのは、とても心苦しい。海君たちが心を痛める人を救ってくれることは、私にとっても救いになります。どうか人間にも鬼にも、分け隔てることなく手を差し伸べてあげてくださいね。私たちも、海君が困っているときには助けになりますから。それが鬼の子に対する、私たち鬼の役目でもありますので」

 神主の言葉に嘘はないと、海は知っている。この神主と親しまれ、大鬼様と崇められている人は、心からそう思ってくれているのだ。

 けれども同時に、できることには限界があるということも、海はよく理解していた。だから神主には、誓いこそたて、親しんでいるものの、過度な期待はしていない。

「そうですね、困っているときには話しに来ます」

 そう言って、海はただただあいまいに笑った。


 人間にも鬼にも手を差し伸べる、ということができるのは、大鬼である神主の他には、鬼の子だけだ。ただの人間には鬼の様子を知ることができず、鬼は人間に最低限の干渉しかできない。双方に影響を与えることができるのは、限られた人間だけなのだった。

 その鬼の子だが、そうなるには条件がある。それは、親を片方、あるいは両方亡くすことだ。鬼の子がそう呼ばれる所以は、子供にとって自らを守り助ける存在であるはずの親がいないとき、鬼がその役目を代わりに引き受けることにあるのだった。

 鬼が親代わりをつとめるようになった子供たちは、その姿を見、声を聞くことができるようになる。彼らは鬼と接し、学ぶことで育まれる。そうした子供が「鬼の子」なのだ。

 海の場合、彼が一歳になる前に、親が死んだ。以来、海は鬼たちが周りにいる生活を当たり前として送ってきた。礼陣にはそういった子供が、海の他にも幾人か存在している。心道館の門下生にも、小学校に上がる前に父親を亡くして鬼の子となった少女がいる。また海の幼馴染にも、幼い頃に両親を喪い鬼の子となった少女がいた。鬼の子は特別な子供ではあるが、存在自体は、それほど珍しくはないのである。

 礼陣神社の巫女もそうだ。神主が彼女を巫女と認める理由の一つは、彼女が鬼の子だからだ。鬼の存在を認識していなければ、礼陣神社の巫女は務まらない。それがたまたま神主と相性の良い人物であったというのが、おそらくは第二の理由だった。

 この町では珍しくはないものだから、鬼の子が白い目で見られることはない。逆に親を亡くしたからといって、行き過ぎた同情や哀れみを受けることもない。人々は鬼の子に対し、ごく自然に接している。

 しかしながら、人間の性というものなのだろうか、他者を奇異の目で見るということが完全にないわけではない。海が目撃したようないじめもあるし、自分より下だと思った者を見下す人間は当然のようにいる。この町に住む鬼たちは、その事実を悲しんでいる。しかし、それを力でねじ伏せたところで解決にはならないとわかっているから、干渉はしない。

 結局のところ、人間と鬼の悲しみを同時に払拭できる可能性があるのは、両方の世界を見ることのできる鬼の子だった。


 海の帰り際、神主は「おまんじゅう、ごちそうさまでした」と言ってから、もう一度先ほどの言葉を繰り返した。

「海君が困っているときは、私たちが助けになります。もし人間相手に相談したいことがあったら、愛さんも頼ってみてください」

 神主はよほど巫女を信頼しているらしい。海は彼女とあまり話をしたことがないということもあり、それはきっとないだろうなと思った。けれども口には出さず、ただ「機会があれば」とだけ返した。

「愛さんは週末に神社を訪れることが多いですよ。あるいは、弟さんが君と同じ学校の生徒なので、そちらの方が接しやすいかもしれませんね」

「そうなんですか」

 話をすることがごく少なかったためか、同じ学区内に住んでいることも知らなかった。関わることはないだろうと思いながらも、社交辞令として、海は彼の名を尋ねた。

「弟さんは俺と同級生ですか?」

「いいえ、中学二年生です。名前を大助君……一力大助君といいます」

 海は理解が一瞬遅れてしまった。神主を「え?」という顔で見つめ返すと、彼はもう一度「大助君ですよ」と言った。

 最近、何度も聞いた名前が、今ここで再び出るだなんて。遠川中学校の生徒が毎日噂をしていて、自らも今日、初めて出会った彼が、礼陣神社の巫女の弟だなんて。

 海は神主の言葉を頭の中で繰り返しながら、大助の笑顔を思い出していた。初対面なのにその笑顔が他人のように感じられなかった理由が、たった今わかったような気がした。言われてみれば、彼は何度か顔を合わせているこの神社の巫女に、どこか似ていた。目つきは大助の方がずっと鋭いが、笑ったときの雰囲気はきっと同じものだったのだ。

「いいご姉弟ですよ。八年前に鬼の子になって以来、ずっと助け合って生きてきたのですから」

 雰囲気だけが理由ではない。彼もまた、海と同様だったのだ。親を喪い、鬼に囲まれた生活を送る、礼陣の鬼の子なのだ。


 八年前の夏、礼陣の人々にとって衝撃的な事件があった。広くは国中に恐怖を与えた大事件だったのだが、この町の人々には特につらいものだった。

 外国からこちらへ向かう飛行機が、トラブルを起こして墜落した。乗務員も乗客も、全てが命を落とすという大惨事だった。その犠牲者に、礼陣の人間が数人含まれていたのだ。

 そのうち二人は、海の知る人物だった。幼馴染の両親である。彼らは懸賞で当たった海外旅行へ出かけ、そのまま帰ってこなかった。当時まだ四歳だった幼馴染は、両親がもう二度と家へ戻らないと聞かされて毎日泣いていた。それがなぜなのかわからないまま、ただ一緒に住んでいた祖父や、実の兄妹のように懐いていた海に縋り、ぼろぼろと涙をこぼしていた。そのことは、海もよく憶えている。

 犠牲者は彼らだけではなかったということも、聞いて知っていた。礼陣神社で巫女をしている女性の両親も含まれていたということは、以前に聞いたことがあった。言っていたのは幼馴染だったか、神主だったか。それとも、巫女本人であったか。

 ともかく、その事件に関する新聞記事は、まだ進道家に残っていた。丁寧にファイリングされた記事は、保管のおかげか、きれいな状態だった。

「……あった、これだ」

 海はそこに書かれた小さな文字を、指でなぞりながら読んだ。犠牲者の名前と住所の羅列に、その名前はあった。一力という名字が二つ、並んでいる。これが巫女と、そして大助の両親だろう。彼らは八年前、この事故のせいで鬼の子となったのだ。

 地元紙には、犠牲者の家族について詳細に書かれていた。それによると、一力家は両親と三人兄弟の五人家族だったらしい。両親とも海外での仕事が多く、普段から世界中を飛び回っているような状況だったようだ。遺された子供たちは上から高校三年生、中学一年生、小学校入学前の六歳児。長兄がすでにしっかりしていて、同じく礼陣に暮らす叔父の助けを得ながら生活していくことを選んだという。年齢から察するに、長兄については知らないが、中学生の子が巫女の愛、末っ子の六歳児が大助だろう。

 両親が死に、兄と姉に育てられた大助が、はたして彼らに迷惑をかけるような行動をとるだろうか。海にはそれが疑問だった。遠川中学校にいる人間の誰もが大助を凶暴で素行の悪い人間であるかのように噂するが、それは真実なのだろうか。海が見たあの笑顔からは、そんなことは想像できない。それに、彼は海に幼馴染を助けてもらったことを感謝していた。海には、大助が悪人であるようにはどうしても思えなかった。

「向こうは俺のことを知っていた。それなら、また会えるはず。……どうせ同じ学校の生徒だし、機会は必ずあるだろう」

 悪評と、実際の彼のあいだにあるギャップ。そして自分と同じ鬼の子であるという事実。それらが重なり、海はいつのまにか、一力大助という人間に興味を持っていた。

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