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告白と真相(後編)

 進道葵は、鬼の子だった。小学生の頃に母を亡くし、以来、礼陣にいる鬼たちを見ることができるようになった。ただし、彼女はそれをよしとしなかった。

 礼陣の人間たちのあいだでは、子供を残して死んでしまった親は、鬼に自分の身を捧げて我が子を守ってもらおうとしたのだという言い伝えがある。そのことは人間たちのあいだでは「鬼の贄になる」と呼ばれていた。

 葵は母が鬼の犠牲になったのだと思い、それをまるで良いことのように語る礼陣の大人たちを、そして力があるのに母を助けなかった鬼たちを恨んだ。果てはこの町が鬼の存在をよしとしていることそのものを、強く憎んだ。そうして育った葵は、年頃になると、一人で礼陣を出て行ったのだった。

 ところが十三年前、葵は礼陣に帰ってきた。母が死んで鬼の子になってから、心底嫌いになったこの町に、やむなく戻ってきた。だが、すぐにまたよそへ行くつもりだった。

 彼女が懐かしくも恨めしい実家に到着すると、ちょうど玄関から兄が出てきたところだった。兄――はじめはまず葵の姿を見て驚き、それから彼女の腕の中にいた赤ん坊を見てさらに驚いた。葵が予想していたとおりの反応だった。

「葵、その子は……?」

 おかえりなさい、なんて言葉は求めていなかったが、実際言われないことを確認すると、葵はまるでのどが詰まるような感覚に襲われた。そこから逃れるために、無理やりに声を出し、赤ん坊をはじめに差し出した。

「これ、あげる」

 礼陣を出てから、ある男と付き合うようになり、その末にできた子供だった。男は子供ができることを想定していなかったのか、身重になった葵に対して日に日に冷たくなっていった。だが葵は腹の子を殺すこともできず、ただ産まれるときを待った。そうしてついにその子が産まれたのは、真夏のある日のことだった。

 赤ん坊を見た瞬間、葵の心に湧き上がったのは恐怖だった。男に捨てられることに対するものと、もう一つ、その子供が憎悪の対象である進道家の血をひいているということに対してのものだった。

こんな赤ん坊を手元に置いておけない。そう思った葵は、赤ん坊を実家に渡すことにした。憎い故郷にある憎い実家だが、自分の手を汚すよりは、そこへ赤ん坊を預けたほうがましだと考えたのだ。

 差し出した赤ん坊を、はじめは受け取った。それを確認してから、葵は彼らに背を向けた。もう二度と礼陣には帰らないと誓って。

「それじゃ、さようなら」

「待ちなさい、葵! この子は君の子か? あげるってどういうことなんだ?」

 一気に疑問を口にするはじめに、葵は振り向くことなく答えた。

「それは私から産まれた。だけど邪魔だから、あげる」

「そんなこと、許されるはずがないだろう! とにかく家に入りなさい、少し話を」

「これ以上ここにいたくないの。さっきから鬼の視線がちくちくして、気分が悪いわ」

 葵は鬼の子としての力が強く、本来なら大人になれば見えなくなるはずの鬼を、まだその目で見ることができた。彼女は礼陣に着いてからその事実に気づき、そして絶望した。ここにいる限り、憎い鬼たちから、礼陣という町に存在する呪縛から逃れられないのだと知った。だからもう、ここには帰らないと決めたのだ。

「葵! 戻りなさい、葵!」

 兄の言葉など聞くものか。一瞬そう思ったが、気が変わって、一つだけ教えてやることにした。はじめの顔は見ないまま、子供を「それ」と指して、最後の一言を残していった。

「それ、八月十日生まれよ」

 はじめは追いかけてこなかった。赤ん坊を抱きかかえていて、身動きがとれなかったのだ。葵はそのまま再び礼陣を去り、生きているあいだは、とうとう実家には帰らなかった。

 葵が置いていった子供は進道家の養子となり、戸籍上ははじめの弟として、しかし実質ははじめの息子として育てられることになった。名前は、はじめとその父とで相談してつけた。二人から同じ思いと願いを受け取って、この男の子は「かい」――進道海と呼ばれるようになったのだった。

 葵が交通事故で命を落としたのは、翌年の初夏だった。もう二度と来ないと誓ったはずの、礼陣のはずれでのことだ。礼陣を恨んだまま、礼陣で死んだ葵は、その姿を呪い鬼へと変えて進道家に帰ってきた。手にした力で、この町の全てを呪うために。

 彼女はまず、自分の生家を呪うことにした。町や鬼を恨んだ少女時代、人々は葵を「礼陣の子にしては変わっている」と評していた。葵はそれが嫌でしかたがなかったが、家族は一切葵の味方をしてくれなかった。少なくとも葵自身はそう感じていた。

 葵を助けてはくれなかったその家で、男の子がすくすくと成長していた。守られ、愛されているその子が、葵は憎らしくてたまらなかった。だから手始めに、この子供を殺してしまおうと考えたのだった。

『ああ、憎い』

 呪い鬼と化した葵はゆらゆらと揺れながら、ゆっくりと男の子に近づいた。そしてその首に、白く細い手をかけた。やわらかい肌に触れると、少しずつ、じわじわと力を込め、首を締め上げていく。男の子は増していく苦しさから逃れようと身をよじり、泣き喚こうとする。それでも葵は手を離さなかった。そして、男の子に語りかけるように言った。

『私はこの町の全てが憎い。住む人々も、蔓延する話の数々も、生まれ育ったこの家も。この町に押しつけられたこの力で、この町を呪ってやる。鬼なんかを崇める者は、この手で葬り去ってやる。私のようなものを作り出してしまったのは自分たちなのだと、思い知らせてやる』

 首を絞め続けていると、男の子が葵を見上げた。涙をいっぱいに溜め、もう声も出せないその子と目が合い、葵はふと手を緩めた。男の子の目は、兄に、そして幼き日の自分によく似ていた。あまりにも似すぎていて、葵は思い出してしまった。母が死んだ日のこと、礼陣の町に恨みを抱いたときのこと、町を離れたこと、帰ってきてこの子供をはじめに渡したこと、……。葵にとっては、全て忌まわしい記憶だった。それをこの子供の目が、思い起こさせてしまった。

『あんたなんかいらない!』

 葵は叫び、再び子供の首を絞めようとした。しかし、それはかなわなかった。海の様子がおかしいことに気づいたはじめが、彼を抱き上げ、神社へ走ったのだ。すでに鬼を見ることはできなくなっていたが、はじめもかつては鬼の子だった。我が子の異常が鬼に絡むものだということは、直感で察知することができた。

 海を殺そうとした葵は、その日のうちに進道家に封じられることとなった。しかし彼女の呪いは強く、何度でも海や進道家の人々を手にかけようとするので、以来の鬼封じは一年に一度、ときどきは二度以上施されてきた。それが神主にできる限界だった。

 ただ、一つだけ救いがあった。葵の血を濃くひいていた海が、鬼の子として強い力を持っていたことだ。葵と同じ性質の力を持つ海の存在がなければ、葵鬼を今日まで封じ続けることはできなかった。

 それが全ての始まり。十二年前から続く、礼陣最強の呪い鬼と、その子供の因縁。成長した海ははじめと神主がその話をしているのを聞き、真実を知った。そしていつか自分の手で葵鬼を消すのだと誓った。自分には母など存在しない。家にいるのは我が子を捨てて呪い鬼と成り果てた、一人の女だ。そう思って、これまでを生きてきたのだった。


 夕暮れの道を、大助は一人で歩いた。洗濯をしてもらい、すっかり乾いてきれいになった服を着て、洋通りの自宅を目指していた。

 海から聞いた話は、にわかには信じがたいものばかりで、けれどもこれまでの彼の行動に全て納得がいってしまうものだった。

女性が苦手だというささいなことも、母だった人間に捨てられたことが原因で、女性不信になったのだと説明できる。これまで海にとってもっとも身近な女性は、葵鬼だった。彼女に捨てられ、殺されかけて、今もなお命を狙われているのだから、怖れるのもしかたがない。

 海のそばにはいつも、平穏を脅かすものがあった。実際に育て親の一人であった祖父を奪われ、次ははじめか自分かという状況なのだ。彼が呪い鬼を特別危険視していることも、その一方で自分と周囲を傷つけようとするものは人間でも鬼でも許さないことも、彼の育ってきた環境が作り出していた。

「なんとかできねえのかな……」

 大助はぽつりと呟く。海の苦悩がこの先も続くこと、彼が葵鬼に立ち向かって命を落とすこと、その両方を避ける方法はないものだろうか。今はきっと、ない。どちらか一つを選ばなくてはならない。そして選ぶべきは、海がたとえ苦悩してでも、これから生きていけるほうだ。

 だが、海の決意を止めることはできない。それなら、どうすれば。大助は立ち止まり、頭をかいた。思わずうめき声がもれそうになったところで、ふいに後ろから声がした。

『大助、悩んでいるな』

 振り向いて、少しばかり下に目を向ける。そこには、おかっぱ頭の子鬼が立っていた。いつもは屈託のない笑顔で大助に飛びついてくる彼女も、今は真剣な表情でこちらを見上げていた。

『海のために悩んでくれること、私から礼を言うぞ。これは私にも原因があるのでな』

「お前に何の原因があるっていうんだよ」

『鬼でありながら、鬼の子であった葵を救えなかった。私は百五十年の生で、葵を呪い鬼にしてしまったことを最も悔やんでいる』

 悲痛な声が、大助の頭の中に響いていた。この子鬼は、大助や海たちだけでなく、その前代の鬼の子たちも見てきたのだろう。礼陣の守り神として、彼らの親代わりとして、人生をともにしてきたのだ。だが、葵のことは守れなかった。彼女の心の痛みは、人間にも、鬼にも、同じ鬼の子であったはずの彼女の兄でさえも救えなかった。だから彼女は礼陣を恨んだ。鬼を、そして鬼を崇める人間たちに憎しみを向けた。その結果が、海の苦悩だ。

「一つ、聞いていいか」

 大助は屈みこみ、子鬼と目線を同じ高さに合わせて尋ねた。

「礼陣の言い伝えは、全部本当のことなのか? 『鬼の贄になる』っていう、親が鬼に命を捧げて子供を守らせようとしたってやつも、本当に起こっていることなのか?」

『違う。それは人間が私たちを解釈しようとして、自分たちで作り上げた話だ』

 子鬼は即答した。その言葉に大助はうなずき、安堵した。鬼の子のそもそもの親たちは、自分の死とひきかえにして子供を守っているわけではなかった。あの飛行機事故も、はじめと葵の母親の死も、彼らが望んだわけではない。

 ただ葵が、母の死を受け入れられなかったのだ。それは幼い彼女には難しいことで、他の何かに理由を託して当り散らさなければ、我慢できないことだったのだ。彼女は鬼ではなく、母に親でいてほしかった。ただそれだけのことだ。それだけのことから、この呪いは始まってしまったのだ。

「葵って人は、それだけ母親が好きだったんだな。俺の兄ちゃんと姉ちゃんと同じだ」

 海は呪い鬼である葵鬼を消すと言う。それはたしかに、解決方法の一つかもしれない。葵鬼そのものが消えてしまえば、彼女の抱える恨みもなくなるのだろうから。けれども、葵という一人の人間が苦しんでいたという過去は、そのまま残る。今更過去を変えられるわけはない。でも、大助はなんらかの形で人間の葵を救えたのなら、それも一つの解決方法なのではないかと思う。

「葵を説得することはできねえのか?」

『他の呪い鬼がそうであるように、葵も恨みに囚われている。神主も説得は試みたが、聞き入れられたことはない。十年前には説得によってむしろ逆上し、海の祖父が巻き込まれて命を落とした経緯がある』

「そうだったのか……」

 人間だった頃から蓄積され続けてきた呪いは、そう簡単には解けない。さらに呪い鬼となって十二年経つ現在、人間だったとき以上に、彼女は恨みを抱えているはずだった。葵を救う方法は、全てを消してしまう以外にありえないのだろうか。大助には、海が葵鬼と対峙するのを、放っておくことしかできないのだろうか。

『大助、一つ頼まれてほしい』

 頭に手をやりかけた大助に、子鬼が言った。その赤い目はつらそうに濡れていて、けれども決意に満ちていた。

『海を助けてやってくれ』

 自らの手で決着をつけたいと海は言う。助けてほしいと子鬼は言う。大助が選んだ答えは、そのどちらもとったものだった。誰が何と言おうと、こうすることに決めていた。

「当たり前だろ。あいつが闘うときは、そばにいる」

 この闘いの行く末を見守ること。海が生きられるようにすること。それが兄貴分である大助の役割だ。

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