告白と真相(前編)
夏休みのあいだにも、呪い鬼は現れる。海と大助は、例によって遠川地区に出現した呪い鬼とやむをえず一戦交えることになってしまった。けれども愛がすぐにかけつけてくれ、呪い鬼を説得して神社へ帰した。そうすればあとは神主の仕事だ。時間の空いたときに神社に集まり、おさらいをして、一回の鬼追いが終わる。
幾度かを経て、海はすでに鬼追いに慣れてきていた。闘うことも、ときどきは話を聞いてやることも、大助や愛を見つつこなしていた。慣れるほど鬼追いをしたということは、それほどまでに呪い鬼が出現しているということなので、素直に喜べることではない。しかし、鬼追いに手ごたえを感じられるようになったことは、海にとって大きな意味があった。
呪い鬼の姿が消え、周囲に人間や鬼の気配と音が満ちる。いつもどおりの鬼追いのあとだった。愛は神主のところへ行くからとすぐにその場を離れ、一仕事終えた海と大助は伸びをしたり、腕を回したりしながら、闘いの緊張感から解放されたという実感を得る。
「今日は誰も巻き込まれなくて良かったな。心道館の真ん前だから、ちびっこがいやしないかとはらはらしたぜ」
大助がそう言って息をつく。毎年この時期になると、夕方の心道館前には呪い鬼がよく出現することを、二人とも経験上知っていた。その理由は先日神主から明かされたばかりだが、よくよく状況を考えてみると、心道館に原因があるということはすぐにわかることだった。夕方に現れるのは、葵鬼の力がその時間帯にもっとも強まるからだと、おさらいをしたときに神主が言っていた。
それでも心道館門下生が巻き込まれるという事例がほとんどないのは、やはり海のおかげであった。呪い鬼をその場から追い払っていたことはもちろんだが、やはり海の心の影響を鬼の側が受けていたのだろう。加えて、夏休みは剣道の稽古が昼過ぎから行われている。子供たちは早く道場に来て早く帰宅するので、夕方に現れる呪い鬼には遭遇せずに済んでいるのだった。
とはいえ、夏の夕方は明るい。門下生たちが巻き込まれずとも、近隣の住民に危険が及ぶ可能性は十分にあるので、油断は禁物だ。鬼追いは速やかに行われなければならない。場所が場所なので、呪い鬼が出現したときは、海が最初に対峙することが多かった。
今回も同様だ。ふと嫌な感じを覚えた海が家の外に出ると、周囲から人の気配が消えていた。そしてすぐに呪い鬼が現れたのだ。相手が海を見るなり暴れだしてしまったので竹刀で抑えながら、大助と愛の到着を待っていた。鬼追いをやめさせられたときに一度返した鬼の石は、再び海が預かることになったので、それを通じて連絡をとることはできている。まもなくして、大助と愛が現場に駆けつけてくれた。
そうして呪い鬼を神社へ帰したあとも、太陽はまだ昼間といって差し支えないほどに高いところにあった。
「大助さん、うちで休んでいきますか? よかったら風呂と夕飯も用意しますよ」
海が自宅を指差しながら言った。夏の暑さの中で派手に動いたので、二人は体力を消耗している。特に暑いのが苦手らしい大助は、毎回の鬼追いが終わると汗でびっしょりになっているのだった。
「風呂か、それは助かるな。じゃあちょっとだけ世話になる」
「はい。では、どうぞ我が家へ」
冗談めかしつつ、海と大助は進道家の敷地内へと入っていった。道場の横をすり抜け、よく手入れされた庭を通り、母屋の玄関へまわる。家の概観だけなら大助も見慣れているが、屋内に入るのは二回目だ。しかも初めて来たときは眠ってしまった海を運んできただけだったので、玄関から見える光景しか知らない。あらためて見ると立派な家だな、と大助が言うと、広すぎて寂しいくらいですよ、と海が返した。
「やあ、大助君。遊びに来たのかい? 海が元気なときに来るのは初めてだね」
居間にははじめがいて、大助の姿を見ると嬉しそうに微笑んだ。大助は会釈をしてそれに応え、頭を上げたついでに居間を見渡した。床は畳が敷いてあり、足の低い大きなテーブルが中央にどんと置かれている。壁に沿うようにして設置されている棚には、「家庭の医学」や「剣道指導」といった本がずらりと並んでいた。外国製の物品や欧風の装飾が多い大助の家とは、まるで違う。
さらに大助は、風呂あがりにまでカルチャーショックを受けることとなった。汗まみれになった大助の服は、海がさっさと洗濯してしまったのだが、代わりにと用意されたものが旅館などにあるような浴衣だった。進道家の生活を垣間見たようで、なんだか面白かった。
海は自分も汗を流して浴衣を着、居間ではじめと談笑していた大助を自室へ案内した。ここでも大助がきょろきょろするので、海は何がそんなに不思議なのだろうと思った。海にとってここは普段生活している場所だ。何も注目するようなものはない。
「大助さん、うちはそんなに珍しいですか?」
「俺のうちとは違うからな。これが和通りの家なんだな……」
感心する大助に、海は台所から持ってきた麦茶と菓子を勧めた。畳の上に座布団を敷き、その上に座って、二人は向かい合う。せんべいの袋を開けながら、進道家の内装のことや、さっきの鬼追いのことなど、思いつくままに言葉を交わした。
話をしながら、海は別の、しかしまったく関係ないわけではないことを考えていた。以前、神主が葵鬼について大助に話したとき、海は「大助になら真実を全て話してもいい」と思っていた。けれども、それは未だに実行されていなかったのだ。いつも他の誰かが近くにいて、大助と面と向かって話をする機会が持てなかったためだった。
それを打ち明けるなら、今しかなかった。ここは進道家であり、部屋には海と大助の二人だけで鬼たちすらもいない。ただ、突然話を始めてもよいものかと躊躇っていた。せっかく大助が家に来てくれて、楽しそうにしているのに、水を差すようなことはしたくなかった。けれどもそうしていれば、きっとまた話す機会を失ってしまう。
「海、どうした? 今日はもう疲れたか?」
会話をしながらもどこか上の空といった様子の海に気づいたのか、大助が心配を含んだ声で尋ねた。海は慌てて首を横に振り、ごまかすように麦茶を飲んでから言った。
「大丈夫です。……大丈夫ですけど、ちょっと迷ってます」
「迷ってる? 何にだよ?」
「大助さんに話したいことがあるんですけれど、どう切り出したらいいのかわからなくなってしまって」
その言葉はごく自然に出てきた。大助がすでに話の一端を知っていて、それを受け入れてくれる人間だとわかっているからこそ言えたことだった。海はあらためて、自分が大助に大きな信頼を寄せていることを実感した。
そして大助は、海が望むとおりに、それに応えてくれた。
「なんでもいいぜ。言ってみろよ」
本当にこの人は、名前のとおりの人だな。海はそう思って、息をついた。
「……はい。では、突然ですけど話してしまいますね」
この人なら何を聞いても、味方でいてくれる。それはよくわかっている。これから話すことも、受け入れてくれるはずだ。
「この家に封印されている呪い鬼、葵鬼のことです。結論から言いますと、俺はそいつと闘おうと思っています」
海は、大助を真っ直ぐに見て言った。聞いたほうは目をまるくしたあと、何か言おうとしたのか、口を開けた。けれども何も言葉を発さないまま、再び口を閉じ、頭をがしがしとかいた。適切な返事を探しているんだな、ということが、海にもすぐにわかった。
沈黙は長かった。時間にすればそれほど経っていなかったのだが、海にはとても長く感じた。うつむきながら髪をかきあげる大助を、目を逸らすことなく見つめていた。そうしているうちに、少しばかりくぐもった声がした。
「葵鬼ってやつは、礼陣最強の呪い鬼って聞いたんだけど。神主さんでさえ封印するのがやっとで、それでもまだ鬼たちに影響を与えてるって」
「はい、そのとおりです。影響を受けた呪い鬼には、今日も会いました」
海は即座に答える。すると大助は、今度はそれほど間を空けずに言った。
「そんなやつと闘うって、どういうことだよ。お前、何をする気だ?」
「言葉のとおりです。葵鬼に立ち向かうんです」
「お前が鬼追いをするっていうのか? 神主さんだってできなかったのに、本当にやる気なのかよ?」
「するのは鬼追いじゃありませんよ、闘いです。俺は闘いに勝って、」
それを口にすることも、過去には躊躇われてきた。神主も敵わないような相手を、どうにかできるなどと思っていなかった。けれども、今は鬼追いで培った知識と技術がある。心道館最強の呼び名を受け継ぐことができるだけの力がある。それにこれは、海がやるしかないのだ。
「勝って、葵鬼を消し去ります」
全てはそれを実現するためだった。鬼追いにその可能性を見出し、呪い鬼と闘い続けてきた。葵鬼さえいなくなれば、人間も鬼も守ることができると信じて、海は竹刀を振るってきたのだ。
大助が顔を上げた。眉根を寄せ、睨むように海を見た。けれども海は怯まない。真実を、本当の目的を、大助には打ち明けると決めたのだ。まだ、その半分も達成できていない。
「消し去るって……そんなことができると思ってるのかよ?」
「やってみなくちゃわかりません。でも、俺はやるって決めたんです。鬼追いのことを知ったときから、ずっと考えていました」
「神主さんがどうにかできるまで、待てねえのか? 大鬼様が勝てないものを、ただの人間がどうにかしようなんて、それこそ狂気の沙汰だぞ」
「狂気……ですか」
大助の言葉に、海は思わず渇いた笑いをもらした。春の祖父が名づけた、「遠川狂犬ブラザーズ」という名前を思い出す。何度聞いても恥ずかしいが、案外間違ってはいないのかもしれない。勝率が計算できない相手にも噛み付こうというのだから。
だが、たとえ勝ち目がないとしても、海はやる気だった。神主に頼るのではなく、自分の手で葵鬼を仕留めたいのだ。
「狂気の沙汰でも、俺がやるしかないんです。身内の始末ですから」
「身内? この家に封印されているってことか?」
「違いますよ。正真正銘、そのままの意味の身内です。葵鬼は、もとはこの家の人間だったんです」
大助が息を呑む。信じられないという目でこちらを見る。だが海は、これこそが真実だとその目を見返した。そしてもう一度、確かめるように、その言葉を繰り返した。
「葵鬼は人間だったんですよ。もとの名を進道葵という、父の妹でした」
人間が強い未練を残して死ぬと、礼陣ではその魂が人鬼になる。サトを想っていた鬼がそうであったように、葵鬼もまた、かつては人間だった。十二年前に死んだ彼女は、礼陣に対する強い恨みと憎しみによって、鬼として生まれ変わったのだ。あまりにもその思いが強すぎたためか、彼女は人鬼という段階を経ておらず、初めから強力な呪い鬼だった。
「以前、俺が呪い鬼に殺されかけたことがあるって話をしましたよね」
「……そんなことも言ってたな」
「俺を殺そうとしたのは葵鬼です。そしてあいつは、俺だけじゃなく祖父も手にかけました。あいつの呪いで、俺の祖父は俺が三歳になったときに死んでしまったんです」
葵鬼は、まず幼児だった海を殺そうとした。しかしそれは、神主が鬼封じを施したことで防ぐことができた。だが十年前、一度封印を破った葵鬼は、ついに人間の命を奪ってしまった。海の祖父、つまり葵鬼にとっての父は、彼女の仕業によってかえらぬ人となってしまったのだった。
二度とこのようなことが起きないよう、葵鬼に対する封印はより厳重なものとなった。しかし、海は成長するにつれて、それでは何も解決しないということをわかってきた。葵鬼が存在しているだけで、礼陣にとって、そこに住む人々にとって、大きな脅威なのだ。だとすれば、町や人を守る手立ては一つしかないと、海は答えを導き出した。葵鬼を消し去るより、他に方法はない。
「俺が鬼追いをしたいと言ったのは、葵鬼を消すという目的があったからです。自分の家から出た呪い鬼は、自分の手で片づける。この家でそれができるのは俺だけです。葵鬼は、俺が手を下すべき敵なんです」
絶句する大助に、海は正面から向き合って言葉を継いでいく。ただ、聞いてくれるだけでいい。目的を、決意を、大助ならきっと受け止めてくれると信じて、次の言葉を紡いだ。
「鬼封じの日、俺は儀式が始まる前に葵鬼と対決します。それを大助さんにだけは知っておいてほしかったので、話しました」
知っておいて、どうすればいい。きっと止めても無駄だ、海は必ず宣言したとおりにする。そんなことは、大助にもわかっていた。だが、同時に海では葵鬼に勝てないであろうことも理解していた。大鬼様でさえ持て余しているものに、人間が挑むなど無謀だった。海が持っている力は認めている。大抵の呪い鬼には渡り合えることを、間近で見てきて知っている。しかし葵鬼だけは別だ。下手をしたら、海が命を落とす危険だってある。
「なあ、海」
大助はやっと声を絞り出した。海はそれを、大助を見つめたまま聞いていた。
「どうしても、やるつもりなのか?」
「はい。やらなければなりません」
「そうか……」
海の決心は固かった。そのためにこれまで鬼追いをしてきたのだから、当然だ。ならば、大助にできることは決まっている。
「海、そのときは俺も一緒にやる。お前一人にさせられねえ」
「だめです。これは俺の問題です」
「お前だけの問題じゃねえ。葵鬼の影響が遠川地区の鬼たちに出てるんだ、遠川全体の問題だろ。俺だって遠川の鬼の子で、鬼追いやってんだ。だいたい遠川狂犬ブラザーズってのは、俺たち二人揃っての呼び名だろうが」
先ほどまで言葉を失っていたとは思えないくらいに、大助は勢いよく捲し立てた。その耳にするだけで恥ずかしい呼び名を堂々と口にして、二人揃ってこそだと言った。
海が思っていたとおり、大助はこのとんでもない計画を聞いてくれ、止めずに受け入れてくれた。さらには自分もやると言う。それこそ狂気の沙汰だ。葵鬼がどれだけ危険な呪い鬼なのかを聞いて知っておきながら、海の行動を認め、自分も乗ろうとしているなんて。
海は自分の頬が緩むのを感じた。この人に話して良かったと思った。でも、これだけは譲れない。葵鬼との闘いは、海がずっと望んできたことなのだから。他の誰にも、大助にさえ、こればかりは託せない。
「やっぱり、だめです。葵鬼とは俺が決着をつけなくちゃ、意味がないんです」
笑顔で、しかし悲しみと悔しさをこめて、海は大助に言った。全て話すつもりで、でもこれだけは隠しておきたかった事実を、知られたくなかった人に告げた。
「だって俺は、葵から産まれた子ですから」