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縁と再起(二)

 遠川地区を出て、大通りを横切り、商店街を抜け、神社の石段にたどりつく。歩きなれた道ではあるが、徒歩でこんなに早く着いてしまったのは初めてだった。海だけが早く感じただけかもしれないのだが、とにかくあれよあれよという間に、二人は社務所の前まで来ていた。

「さっき姉ちゃんの携帯電話にかけたら、今日は一日神社にいるって言ってた。ここに神主さんといるはずだ」

 大助がリビングから出て行ったのはそういうことだったのかと、海はようやくわかった。けれども急に社務所へ連れてこられても、心の準備ができていない。突然押しかけて、神主に「鬼追いをしたい」と言ったところで、許してもらえるはずがない。しかし戸惑っている海に、大助は頼れる笑顔で言った。

「さっき俺に言ったとおりに伝えればいい。大鬼様にだって情はある、ちゃんと話をきいてくれるはずだ」

 その表情に、海は和人の笑顔を重ねた。まったく似てはいないが、信頼できるという意味では同じものだった。そう思うと勇気が湧いてきて、海は強くうなずいた。そうして社務所の戸に手を伸ばし、軽く叩いた。

「失礼します!」

 自分でも驚くくらいの大声に応えるように、中から人の足音が聞こえてきた。内側からとが開けられ、長い髪を束ねた袴姿の男性が現れた。

「おや、海君に大助君。よく来ましたね」

 いつもと変わらない穏やかな微笑みで、神主は出迎えてくれた。けれどもこちらは緊張していて、「こんにちは」と言う声が震える。室内へ入る足取りもぎこちない。鬼追いをやめさせられてから今でも残る気まずさに加え、再びその役目に関わりたいと訴えなければならないのだ。神主に咎められたときの記憶がよみがえってきて、海の心臓はばくばくと鳴っていた。

「二人とも、どうしたの? なんだか表情が硬いけれど」

 愛が茶を淹れ、菓子を用意してくれた。御仁屋のおにまんじゅうだった。好きなものなのに、手にとる気にはなれない。

「神主さん、姉ちゃん。海から話があるってよ」

 大助の台詞に、心臓が大きく跳ねたような気がした。話すにしても、うまく話せるだろうか。伝わるだろうか。神主と愛は、海の言い分を聞き入れてくれるだろうか。

「大丈夫だ、茶でも飲んで落ち着け」

 俺には言えただろ、と大助は言う。けれどもそれは相手が大助だったからだ。海を認めてくれて、話を聞いてくれるという確信があったからできたのだ。今はそれがない。湯飲みを持つ手もおぼつかず、海は目を泳がせた。

『怖いか、海』

 ふと、視線を向けた先から声があった。部屋の隅に、おかっぱ頭の子鬼が、ちょこりと正座をしていた。気づかないうちに、海たちと一緒に入ってきていたらしい。彼女の前にも、湯飲みとおにまんじゅうが置いてあった。

 海が言葉を返す前に、それを完全に見透かして、幼い少女の姿をした子鬼はどこか大人びた表情をして言った。

『誰だって、否定や拒絶は怖いな。私も怖いぞ。でもな、それを乗り越えるのもまた生きることだ。そしてお前が怖がっていることくらい、神主と愛はちゃんとわかっているぞ』

 名があがった二人に、海はそっと視線を戻す。彼らは何も言わずに、ただ微笑みを浮かべていた。「怖くないよ」という、まるで子供を慰めるような思いが、黙っていてもこちらへ伝わってきた。

「……神主さん、愛さん。聞いてくれますか?」

 震える声で、けれども自分で思っていたよりもはっきりと、海は尋ねた。神主と愛は顔を見合わせ、同時にうなずいた。何の話をされるかもわかっているかのようだった。

 神主と愛、大助、そして子鬼。彼らの前で、海はあらためてその言葉を口にした。

「お願いします。俺にもう一度、鬼追いをさせてください!」

 手をついて、頭を下げる。神主から帰ってくるであろう、断りの言葉を待った。しかし頭上から降ってきたのは、やわらかで静かな声だった。

「海君、顔を上げてください」

 おそるおそる従うと、困ったような笑みを浮かべる神主の顔が見えた。海はやはりだめかとうつむきかけたが、言葉は思わぬ方向へ続いた。

「もう、体は大丈夫なんですね? 痺れなどの不調は残っていませんね?」

 それは海を心から労わってくれている、優しい響きを持っていた。海が「はい」とうなずくと、神主は安堵したように息をついた。それは愛も同時で、彼女もまた海の具合を心配してくれていたのだった。

「あの鬼、力を使えても制御はうまくできなかったようだから。海君にどれだけの影響が残ってしまうか、気がかりだったの。元気になったなら安心だわ」

「ご心配おかけしました、もう大丈夫です。……それで、その」

 お願いの答えなんですが、と海は言いかけたが、神主がそれを制した。すっとこちらへ伸ばされた手は、「まあ落ち着きなさい」と言っていた。

「その前に、こちらから海君に話しておかねばならないことがあります。大事な話になりますので、どうか聞いてください」

「……わかりました」

 海は姿勢を正し、その「話」を待った。神主は、ほう、と一つ息をつくと、「まずはひとつ」と語り始めた。それは、サトの周囲と海を襲ってしまった、女性の鬼についてだった。彼女は今、鎮守の森の奥にいる。そこできちんと、自分のしてしまったことを反省しているという。

「彼女がサト君を好きだったのは、ご存知のとおりです。ではなぜそのような想いを抱いていたのか、また彼女はなぜ自分の力を制御することができなかったのか、それをお話させてください。……彼女はつい最近まで、力を満足に使えない人鬼だったのです」

 人鬼、という言葉に、海は息を呑んだ。そして彼女が「やっと彼のためになんでもできるようになった」と言っていた意味を理解した。

 人間は未練を残して死ぬと、その魂をこの世に留めてしまうことがあるという。礼陣では、そういった魂は鬼となり、自らの未練を晴らそうと第二の生を送るのだ。人間ではなく、鬼としてもまだ未熟なその状態のものを、神主を含む鬼たちは「人鬼」と呼んで区別している。

 人鬼は鬼たちにはその存在を認識できるが、鬼の子には見えないことがほとんどだ。本来の鬼が持つ不思議な力も彼らは駆使することができず、ただ町を歩き回ったり、鎮守の森で鬼たちとともに過ごしながら力を蓄え、完全な鬼になるときをひたすらに待っているのだった。そうしている期間は人鬼によってまちまちで、すぐに普通の鬼として活動できる者もあれば、何年もかけて鬼になっていく者もあるという。

 サトに好意を持っていた鬼は、鬼になるまでに数年を要していた。彼女はまだ人間だった頃にサトを想うようになったが、不慮の事故で命を落としてしまった。しかし生への執着と恋心を捨てられず、人鬼となり、そしてついに鬼になった。大きな力を操ることができるようになった彼女は、神社に参拝にきたサトと再会を果たし、その願いを叶えようとしたのだった。

 ただし、彼女は手に入れたばかりの力をどのように使うべきか、きちんと理解していなかった。人鬼として過ごしているうちに他の鬼から教わっていたはずだが、自らの恋心が先行していた彼女は、自分に人間以上のことができるという事実だけを見ていた。人間に対して過干渉しないという鬼の約束を忘れ、力を制御することなく好きに使い、結果として多くの人間に影響を及ぼしてしまった。

「鬼として未熟だった彼女には、悪意がありませんでした。ただサト君のために何かができるということを喜んでいたために、呪い鬼にはならなかったのです。……その彼女が神社に来てから呪い鬼になりかけた理由は、海君にもわかっていますね」

 神主の少し厳しくなった口調に、海はばつの悪い表情をしてうなずいた。鬼がサトを苦しめているということが許せず、彼女をきつい言葉で責めた。それだけではなく、おそらくは海の怒りに、彼女が同調していたのだろう。神社にいたずらをした人間たちに怒った呪い鬼が、海の感情に同調したときと、同じことが起こっていたのだ。それを神主に確認すると、肯定と、「もうひとつの話です」という言葉が返ってきた。

「鬼の子にも様々なタイプがあります。愛さんが鬼を癒すことに特化しているように、海君は鬼の同調を引き起こしやすいのでしょう。喜びや楽しみといった陽の気だけではなく、怒りや悲しみといった呪いのもとになりやすい陰の気も呼んでしまうのです。こればかりは個人の性質ですから、どうにかしようと思ってできるものではありません」

「じゃあ、やっぱり俺には、鬼追いは無理なんでしょうか。俺がいると、呪いが強まってしまうから……」

 鬼追いの妨げになってしまうのなら、そこに加わることはできない。結局自分に鬼追いはできないのだと、海は諦めかけた。

 しかし、神主は海の目を見てきっぱりと言った。

「いいえ。もしも君に無理だと思っていたなら、そもそも最初から鬼追いはさせていませんよ。言ったでしょう、君は喜びなどでも鬼の同調を起こせるんです。それに君は、呪い鬼についてよく知っていて、いざというときには闘うこともできる。実はとても鬼追いに適した人なんです」

「俺が、鬼追いに適している……?」

 聞き違いかと思ったほどに、それは海にとって意外な言葉だった。「鬼追いをやめましょう」と言ったのも神主だが、「適している」と判断しているのも神主だ。いったいどちらなのかと問う前に、その答えは明かされた。

「君の才能は諸刃の剣でもありました。君が呪い鬼を苦手としていることは、私もよく知っていましたから。呪い鬼を許さずにいれば、さらなる呪いを引き起こしてしまう可能性は、十分に承知していました。だから最初は、君が鬼追いとして逸脱した行動をしないことを条件に、鬼追いをしてもらったんです」

 その結果、海は神主たちの恐れていた方向へと力を発揮してしまった。そこで神主はやむをえず、海に鬼追いをやめさせることにしたのだった。けれどもやめさせたところで、海の持つ性質が変わるわけではない。彼の鬼の子としての特性も、本来の性格も、その程度で急激に変化することはまずありえない。

「海君は正義感の強い子です。呪い鬼を追い払ったり闘ったりしていたのは、心道館に通う子供たちが巻き込まれないようにしていたからでしょう。呪い鬼に共感して鬼追いをしなかったのは、人間のほうが君の正義に反していたからでしょう。先日のことだって、サト君が大切な友人だったから怒ったのでしょう。……だから迷っていたんです。これからも君の正義に反することがあるかもしれないような鬼追いを、君にさせてもいいのかと」

 神主は、海が思っていたよりもずっと、その気持ちを汲んでくれていた。それをわからず、自分の事を確実に認めてくれそうな大助にばかり甘えていたことに気づき、海は自分が恥ずかしくなった。思わず口をついた「すみません」を、神主は首を横に振って受け止めてくれた。「それを言うのはこちらのほうです」と、頭を下げた。

「私は鬼の子たちの親代わりでありながら、子供であるはずの君を信じきることができていなかったのかもしれません。そのことを、謝らせてください」

「謝らなくていいですよ。どうか頭を上げてください、神主さん」

 海は慌てて神主に手を伸ばした。けれどもその手をどうすればいいのかわからなくなって、下ろせないままに言葉を続けた。

「どうか謝らないでください。俺のしたことが、鬼追いとして間違っていたのはたしかなんですから。子供が間違ったことをしたら叱るのは、親として当然のことでしょう」

 大助は、海の気持ちは間違っていないと言ってくれた。神主も、海は正義感が強いと言ってくれた。その言葉だけで十分だ。それだけで、海の神主に対する恐れはなくなった。鬼追いに対する迷いも消えた。自分の正義に従い、鬼追いの目的から外れない方法を選んでいこうと思った。

「神主さん。俺は俺の大切な人たちを守るために、鬼追いをしたいんです。呪い鬼による犠牲を出したくないんです。……鬼追いをさせてくれますか?」

 神主は頭を上げ、微笑んだ。海に握手を求めるように手を伸ばし、やわらかな声で尋ね返した。

「また、お願いできますか?」

 海はその手を握り、少しだけ泣きそうな、けれども嬉しさをこめた笑顔で返事をした。

「はい。よろしくお願いします!」

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