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少女鬼と想い(前編)

 剣道のない日は、野球の試合を中止させた鬼を捜すことになっている。けれども、海にはある程度の目星がついていた。たしかではないけれど、まったく怪しくないとは言い切れない。その姿を捜して、放課後に野球部の練習を見に行ったが、どこにも見当たらなかった。しかし、それも想定のうちだ。

 それなら、とサトの家へ向かう。今日もサトは学校を休んだ。昨日と同じように、家にいる可能性が高い。

「あの女の鬼か。練習にも試合にも来ていたなら、遠川中野球部のファンには当てはまるな。……いや、サトを見てたなら、サトのファンか」

 大助は海から話を聞いて、同じように彼女を怪しんでいた。特に、試合のときに誰よりもチームに近い場所にいたこと、そして事件が起こったのがサトのホームランの直後だったことがポイントとなったようだ。

「ファンなら、活躍しているところを見たいと思う。でも、点差が開いていたから遠川中に勝ち目はなかった。サトの活躍を見つつ、あの試合をなかったことにするには、中止させるしかない。……あらためてとても腹の立つ予想ですが、おかげで俺も自分の考えに自信が持てました」

「一応繰り返すが、お前一人が怒ってもどうしようもないからな。あの鬼を見つけても冷静にいけよ」

 何度も聞いた台詞とともに、海と大助は里家を目指して歩いた。そしてその途中、ついに捜していた姿を見つけた。セミロングの黒髪の隙間から生えたつの、身に纏った白い浴衣のような衣服を着けた彼女は、サトの家の前に佇んでいた。じっと戸口を見つめて動かない彼女に、大助がそっと近づき、できるだけさりげなく声をかける。

「よう、ここで何してるんだ?」

『……あ、鬼の子?』

 近くで見ると、彼女はとても少女らしい顔立ちをしていた。スタイルも女子学生のそれのようで、彼女が鬼でなければ、人間の男性に好かれそうだった。その大きな目に見返された大助が、ほんの少しだが頬を染めるくらいだ。

「ああ、鬼の子だ。お前はこの家に用があるのか?」

 大助は彼女から目を逸らしながら、もう一度尋ねた。すると彼女は、顔を真っ赤にしてうつむいた。

『ええと、用があるってわけじゃないの。ただ、ちょっとでも隆良君の顔が見られたらいいなって思って……』

 表情、仕草、全てが物語っている。彼女は恋をしているのだ。それも、人間であるサトに。このような鬼はときどき現れるが、ここまで好意を明確に示すのは珍しい。亜子の言葉は当たっていたんだなと思って、海は顔をしかめた。まるで人間の女の子と変わらない鬼に対し、嫌悪感を覚えてしまった。

 海の表情の変化に気づいた大助は、慌てて話を進めた。

「お前はサトのことが好きなんだな? それで、野球の練習や試合も見にいったと」

『わあ、どうして知ってるの? そうなの、ずっとずっと隆良君のことが好きで、やっと彼のためになんでもできるようになったの!』

 なんでもできるようになった。その言葉に、海は反応する。なんでもできるようになって、この鬼は何をしたというのか。それを問う前に、彼女は自分から話しだした。

『試合のときも、きっと隆良君が活躍できるって信じてた。そして本当にそのとおりになった。あの大活躍は嬉しかったな。でも、勝ちたいって願いは残念ながら叶えられそうになかったから……試合、やめさせちゃった!』

 彼女が「できるようになった」こと。それは、鬼の力を自在にふるうこと。きっと若い鬼なのだろう、これまでは力が足りなくて、サトのために何かしようと思っても満足なことができず、もどかしかったのだろう。けれども、今は違う。その力を操って、大人数を一度に体調不良に陥らせることだってできる。

「……お前、中央中の野球部員に力を使ったのか?」

 大助がおそるおそる確認する。彼女は、屈託なく笑いながら返した。

『うん。隆良君の大活躍が見られたから、あの試合はあれでおしまいにしたの。他の子なんてどうでもいいもの』

 そこには何の悪意もない。彼女はただ無邪気に、サトを想っているだけだ。だから彼女は呪い鬼ではない。一人の、人間に恋をしてしまった、鬼なのだ。

『だけどね、隆良君はなぜか元気をなくしてしまったの。私が隆良君を慰められたら良かったんだけど、彼には私が見えないでしょう? だから今は、見えるようになるまで待ってるのよ』

 絶句する大助と海に、彼女はまだまだ想いを語る。誰かに恋の話ができることが、嬉しくて楽しくてしかたがないというように。自らの恋のためにこんなに頑張っているのだと、認めてほしいとでも言うかのように。

『もうちょっとで見えるようになるかもしれないの。私、それまでいい子にして待ってるわ。だって、隆良君のことが大好きなんだもの!』

 だが、聞いているほうは彼女を認めてやることができない。彼女の言葉で、ある可能性に気がついてしまった。鬼である彼女を見ることができる人間は、鬼の子だけ。鬼の子になるということは、実の親を喪い、鬼に親代わりをしてもらうこと。そしてサトの父親は現在、事故で意識不明だ。『もうちょっとで見えるようになるかもしれない』という鬼の言葉は、サトの父親の死を期待しているのと同じなのだ。

「一つ、質問がある」

 海は低く、うなるように言った。

「サトの父さんの事故。……お前が起こしたのか?」

 否定するなら、それでいい。彼女の持つ期待に対して「それは間違いだ」と言ってやればいい。けれども、肯定をするのなら。

『うん、事故になるようにしたよ。でもお父さんに傷をつけないようにしてあげた。ぼろぼろにしたら、さすがにかわいそうかなって思って』

 彼女のしたことを、絶対に、許すわけにはいかない。

 海は右手を強く握り締め、鬼に向かって走ろうとした。この自分勝手な鬼の言葉を、これ以上聞く必要はない。彼女を断罪する根拠は、十分に語られた。サトの感じた痛みを、いや、それ以上をぶつけてやるだけの理由はある。

 しかし、大助がそれを止めた。海の腕をがっしりと掴み、抑えた声で言う。

「ここはサトの家の前だ。騒ぎを起こすわけにはいかない」

 もっともな意見だった。サトが家にいるかもしれないのだから、この場所で彼女に手を下すことは最善ではない。海はこぶしを下ろし、ただ彼女を睨みつけた。睨まれたほうはびくりと肩を震わせたが、不思議そうな顔をしていた。なぜこんな目を向けられるのか、本当にわからないようだった。

「ちょっと話がある。こっちに来てくれないか?」

 大助が彼女に言う。これまで話していた声よりも、低く重みのある声だった。彼女はうなずき、こちらへ近づいてきた。海は彼女を避けるように離れたが、目だけはそちらへ向けている。彼女が逃げないよう、サトに近づかないよう、見張っていた。

 三人は遠川地区を離れ、大通りを横切り、商店街に入った。商店街を抜けると、そこには神社の境内へ続く石段がある。彼らのただならぬ雰囲気に、神社付近に屯していた鬼たちが道をあけた。

『どうして、ここへ? 話ってなんですか?』

 境内にたどりついたところで、鬼が首をかしげる。ここまでずっと黙って歩いてきたので、不安だったのだろう。彼女は微かに怯えていた。その不安以上のものを抱えている人間がいることなど知らずに。

「大助さん、もういいですか?」

 海はすでに限界だった。ここまでよく耐えたものだと、自身だけでなく大助までもが思っていた。だから、大助はうなずいた。

「手は出すな、言葉で教えてやれ」

「言葉ならいいんですね。わかりました」

 本来なら、言葉などでは足りない。鬼として最悪な力の使い方をした彼女を、サトを深く傷つけた彼女を、徹底的に叩きのめしてやりたい。けれども、ここは神社だ。近くには他の鬼も大勢いる。神主も社務所に控えているはずだ。大助が場所をここに変えたのは、鬼と海、双方を抑えるために違いなかった。抑えてでも、海に決着をつけさせたいと、大助が思っているからこそだった。

「お前はさっき、サトのためになんでもできるようになったって言ったよな」

 だから、大助の言うとおりに言葉で闘う。まずはこの鬼に、自らの罪に気づかせる。この期に及んでまだきょとんとしている彼女の目を覚まさなくては。

「よく聞け。サトは試合の中止なんか望んじゃいない。鬼の子になりたいなんて思ったことはない。全部お前が勝手にやったことだ。お前はサトのためと言いながら、自分自身の願いしか叶えようとしていない」

 彼女は怪訝な顔をして海を見つめていた。言われている意味がさっぱり理解できないというふうに、困っているような口調で返す。

『そんなことないよ。私は隆良君のお願いを叶えてあげようとしてるんだもの。試合には負けないようにした。鬼が見えたらいいのにって言うから、そうしてあげようとした。それの何がいけないの?』

「何もかも間違ってる。そんなに言うなら、すぐにサトの父さんを助けろ」

『でも、そうしたら隆良君は鬼が見えないままだよ。応援が嬉しいって、お礼を言いたいって、そう言ったもの。隆良君が自分でそう言ったんだもの!』

「サトのためって言い張れば、他の人を苦しませてもいいのか? それが結果的にサトの苦しみに繋がっても、お前はそれが正しいというのか? そんなはずないだろう。サトを傷つけているのに、好きだなんていう、お前の考えは矛盾だらけだ!」

 鬼は肩を震わせ、黙った。やっとこちらの意図を理解したのだろうか。自分の罪に気づいてくれたのだろうか。海の心に、ほんの少しの期待が生まれた。

『……矛盾だらけ、ですって?』

 だが、その期待はすぐに砕かれる。鬼の怒気にあてられ、散り散り粉々になる。先ほどまで少女のごとくしおらしかった鬼は、目を吊り上げて海を睨んでいた。その身から湧き上がるのは、黒々と渦を巻く禍々しさ。大助は、そして海は、身構えて彼女と対峙した。

『好きでいて何が悪いの? 彼のためにやったことよ。彼が心から愛しくてたまらなくて、だから私は彼のためになんでもしたのに。これからだってなんでもするのに。だけど、どうして、どういうわけで、あなたたちは私の邪魔をするの? 私のほうが、私こそが、誰よりも隆良君を想っている。あんたたちなんかとは比べものにならないくらいに!』

 鬼の真っ赤な瞳は、炎のようだった。自らの恋路を邪魔するものを、全て焼きつくさんとばかりに燃えている。可愛らしかった顔を歪め、こちらを鋭く睨みつける。いつその感情を暴走させてもおかしくない。

だが、今にも呪い鬼へと変貌しそうな彼女に対し、海は言い放った。

「好きだの、想ってるだの……そんな馬鹿馬鹿しい理由で、サトに近づくな!」

 彼女は、海が苦手としている女性そのものだった。恋のために身勝手になり、自分のしていることを全て正当化する。誰よりも相手を想っているのだと言いながら、その実相手を不幸にしているということに気づかない。気づきかけても目を背けて、都合のいい解釈ばかりをする。そうした果てに、相手がどうしても自分の思いどおりにならないことを悟ると、手のひらを返したように離れていくのだ。なんて馬鹿馬鹿しい。

「海、言いすぎだ」

 今にも鬼に掴みかかっていきそうな海に、大助が言う。はっとして大助を見、それから鬼に目を向けると、彼女はうつむいて震えていた。そこにあるのは困惑と、それを通り越した怒りだけ。なぜ鬼の子にこんなことを言われなければならないのか。私は大きな力を持ち、それを操ることのできる鬼なのに。そんな思いが、口にせずともこちらに伝わってくる。彼女は自分の非を、未だに認めていなかった。

『あなたに何がわかるの? 好きで好きで、彼のためならなんでもしてあげたいという気持ちが、きっとあなたにはわからないんでしょう。私はそう思い続けて、成すことができるようになったのよ。それを馬鹿馬鹿しいですって?』

 周囲に満ちる空気の、禍々しさが強くなる。それを感じた瞬間に、海は胸の苦しさを覚えた。左胸を締め付けられるような痛みが走り、呼吸がうまくできなくなる。海が胸を押さえて膝をつくのを見て、大助が急いでその背を支えた。

「海! どうした、大丈夫か?」

 答えたくても、声が出ない。息を吸うことも吐くこともできず、体中に痛みが広がっていく。中央中学校の生徒にも同じことをしたのか。遠くなる意識の中で、そんなことを考えた。大助の「やめろ」という声が遠い。近づいてくる足音に気づいたが、なかなかこちらへやってこない。このまま死ぬのか、という言葉が、ぼんやりする頭をよぎった。

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