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海とサト

 翌日、やはりサトは元気がなかった。海の前ではいつもどおりだといわんばかりに喋ったり笑ったりしていたが、無理していることは明らかだった。そんな彼や他の野球部員を心配してか、放課後の部活動にはたくさんの鬼たちが駆けつけていた。それをぐるりと見渡してから、海は下校した。

 体調不良となった中央中学校の生徒たちは、どうしているのだろうか。剣道の稽古の合間に、海は和人に聞いてみた。和人も昨日の試合は見に行っていたので、何があったかは当然知っていた。

「和人さん、昨日の野球の試合なんですけど……」

「うん。僕も友達と見に行ったけど、びっくりした。直前までみんな元気だったからね」

 やはり何の前触れもなく、体に異変が起こったらしい。和人は試合前に野球部員たちに会っていたのだが、そのときには何も異常がなかったという。

「不思議なことはそれだけじゃないんだ。病院で診察を受けた結果、全員変わったところはなかった。しかも病院を出る頃にはすっかり調子が戻っていたんだ。今日も普通に登校してきて、放課後は練習をしていたよ」

「そうですか……元気になったならなによりです」

 明日は、サトにいい報告ができそうだ。相手が無事に復活していると知ったら、サトの落ちこみも晴れるだろう。海もひとまずは安心した。

「遠川中の子たちは、なんでもなかった?」

「はい。サトも他の部員も、みんな体は平気です。中央中の人たちを心配して、落ちこんではいましたけれど」

「じゃあ、大丈夫だって伝えてあげて。また試合をしたいって言ってたことも」

「絶対伝えます。元気のないサトなんて、見たくないですから」

 和人から話を聞いて、鬼の力は長くは続かなかったことがわかった。それだけでも鬼を捜す大きな材料になる。この情報を神主に伝えれば、該当する鬼を絞り込むことができるだろう。

 剣道の稽古がない日は、大助と手分けして鬼から聞きこみをした。試合を見にきていた鬼は多かったが、誰もがサトのホームランに見惚れていて、なかなか確実な情報は得られない。だが、ヒントは少しずつ集まっていった。

『中央中の子たちに力を使ったということは、遠川中のファンだったんじゃないかな。遠川側のホームランの直後というのはきになるけれど……』

 ある鬼が、そう言った。たしかに中央中を応援していたのなら、遠川中に不利になるようにしただろう。ホームランにあせったのだとしたら、なおさらだ。ということは、力を使った鬼は遠川中に肩入れしていたとみていいだろう。

「でもそれなら、もっと早い段階で力を使っていてもおかしくないですよね。その前から、差は結構開いていましたし……」

「あのホームランを見たなら、普通は遠川中にもまだ希望はあると思うんじゃねえかな。このタイミングだけは、当の鬼を捕まえて聞いてみないことには謎のままだ」

 聞きこみを終えた海と大助は、神社の境内で待ち合わせていた。互いが得た少ない情報を交換し、それを神主と愛にも伝えるためだ。海はまだ彼らに会うことを気まずく思っていたが、サトのためだと割り切ることにした。

 社務所にいた神主は、二人から話を聞いて深くうなずいた。

「遠川中野球部のファンだと思われ、当日に試合を見に行き、その力が広範囲に渡りかつ短時間しか持続しない者ですね。わかりました」

 神主は海がこの件に関わることについて、賛成も反対もしなかった。以前のようにごく自然に接し、変わらない微笑みを向けていた。相手が呪い鬼ではないからなのか、それとも愛の話を聞いて納得したのか。とにかく、海を咎めるようなことは一切しなかった。

「海君、サト君の様子はいかがですか? 調子は戻ってきましたか?」

 不意に話しかけられ、海はどきりとする。神主がごく普通に振舞っていても、海はまだ緊張していた。

「……サトは、中央中のみんなが無事だと聞いて、安心したみたいでした。また以前のように、一生懸命部活に励んでいます」

 海は自分を落ち着かせながら、今日のサトの様子を伝えた。和人から聞いた中央中学校のことを話すと、サトはやっと心からの笑顔を見せてくれたのだった。相手がまた試合をしたいと思っていること、人間だけでなく鬼も応援してくれていることを言うと、嬉しそうに頬を緩ませていた。

「鬼が見えたら直接礼を言うのにって、サトは言ってました。……その鬼の中に、サトたちの試合を台無しにしたやつがいるのに」

「サト君はそれを知らないのでしょう。それなら、そのままにしておいてください。せっかく彼が元気を取り戻したのに、また落ち込ませることはありませんから」

 神主がそう言うのと同じことを、海も思っていた。知らないほうが、伝えないほうがいいこともある。今のサトに必要なのは、彼にとってプラスになる情報だ。何の気兼ねもなく野球を楽しめるように、いいことを聞いて教えたい。そうすれば、あの試合を見に行ってサトたちと同じように残念がった、鬼たちのためにもなる。

 大助が「独り言だと思って聞けよ」と言って、話してくれた。試合を中止に追い込んだ原因が鬼だと知って、当日その場にいた他の鬼の一部は強い怒りを示したのだという。礼陣の子供たちが頑張っているところへ水をさした者を許すまじと、呪い鬼になりかけた鬼もいたらしい。彼らは大助が落ち着かせたが、今もまだ不機嫌な者がいる。中央中と遠川中それぞれが活発に部活動を行うことは、そういう鬼たちの心を楽にすることに繋がるのだ。

 俺と同じだな、と海は思った。鬼の中にも、海と同様に怒り、力を使った鬼をこらしめてやりたいと思うものがいる。けれども大助が海を止めたように、それだけでは何も解決しない。必要なのは、そこに至った理由と、事態を理解しての反省だ。客観的に自分の気持ちを見ることで、海もずいぶん落ち着いた。まだ怒りが消えたわけではないが、幾分冷静な判断ができるようにはなっていた。

 神主に報告を終えてから、海は大助とともに遠川中学校へ戻ってみた。ちょうど野球部がその日の練習を終えたところで、こちらに気づいたサトが大きく手を振ってくれた。応援に来ていたと思われる鬼たちとすれ違いながら、海たちはサトのほうへと歩いていった。

「お疲れ、サト」

「おう。やっと練習に力が入ってきたから、はりきり過ぎて腹が減ったよ。一力先輩、何か奢ってください!」

「ああ? 俺だってそんなに小遣い持ってねえよ」

 軽口で笑い合いながら、海はふとグラウンドの隅に目をやった。そこには一人の鬼が立っていて、こちらをじっと見ていた。セミロングの黒髪、白い衣服。間違いなく、練習をよく見に来ていて、試合の日もあの場にいた、女性の姿をした鬼だ。よく見ると、彼女はサトを目で追っているようだった。

 ふと、試合の日に聞いた亜子の言葉を思い出す。「野球部に好きな子でもいるのかな」と彼女は言っていた。もしもそれが的を射ていたのなら、あの鬼の想い人というのはサトなのかもしれない。

「大助さん、あれ」

 海はこっそりと彼女を指差した。大助はそちらを見て、「またアイツか」と呟いた。サトが「何こそこそしてんだよ」と言うのでそれ以上は気にしないようにしていたが、海の中では何かが引っかかっていた。

 その引っかかりに気づいたのは、家に帰ってからだった。夕食の仕度をしながら、頭の中で情報を整理していて、はっとした。遠川中野球部のファンで、当日に試合を見に来ていた鬼。あの女性の鬼は、それに該当するのだ。毎日のように練習を見にきていて、当日は近すぎるほどの距離からグラウンドを見ていた。力の範囲に関してはわからないが、あれだけ近くにいれば、中央中学校チームだけに影響を与えるということもできるかもしれない。考えれば考えるほど、あの女性の鬼は怪しかった。

「海、どうしたんだい? ぼうっとしていたら、味噌汁が煮立ってしまうよ」

「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事を……」

はじめに指摘されて、慌ててコンロの火を消した。それ以上何も言われることはなかったが、きっとはじめも海が考えこんでいることを気にしているだろう。いつか和人が言っていたように、父は我が子のことを思った以上に心配しているのだ。

「父さん、あの……」

 何か言わなければ、と思った。はじめが心配しすぎないよう、気の利いた言葉をかけなければならないと。けれども、それは鳴り響いた電話の音に阻まれた。「俺が出ます」と言って電話を取ると、受話器からは聞き慣れた、けれどもくぐもった声がした。

「進道、オレだけど……」

「サト? どうしたんだよ、さっき言い忘れたことでもあったか?」

「違うんだ、あの、……」

 はっきりしない言葉と、どこかあせっているような口調。ただごとではないと察して、海は静かに尋ね返した。

「どうした、サト。何があった?」

「進道、ごめん。……どうしたらいいのかわからなくて、思わず電話した。……父さんが、事故にあったんだ。……意識が、ないって……」

 最後のほうは、消え入りそうなくらいにか細い声だった。先日とは比にならないほど憔悴した、涙まじりのサトの言葉が、海の耳に残った。


 次の日、サトは学校に現れなかった。とても来られる状態じゃないだろう。昨夜彼の声を聞いた海には、それがよくわかっていた。

 サトの父親は、会社からの帰りに、自動車と接触したらしい。幸い外傷はほとんどなかったが、打ち所が悪かったのか、意識だけが未だに戻っていなかった。

 どうしてサトばかりに、こんなに不幸なことが重なるのか。せっかく笑顔が戻ってきたのに、さらに突き落とされるなんて不憫すぎる。海はぽっかりと空いた前の席を見ながら、どうしたらサトを救えるか考えた。けれども、何も思いつかなかった。彼の父親が目を覚ますこと以上のものは、何もない。

 昼休みに海が二年生の教室に行くと、こちらを見た大助と亜子がぎょっとした。

「ちょっと、海。顔色すごく悪いけど、大丈夫?」

「ここより保健室行ったほうがいいんじゃねえか?」

 そんな顔をしていたのか、と思うと、余計につらくなってきた。頬を何かが流れ落ちていく感触がある。目の前の二人が歪んで見える。けれども、ひどく慌てている様子ははっきりとわかった。

「おい、何があった? ……場所移動するか。亜子、万が一俺が戻らなかったら、保健室行ったって言っておけ」

「わかった。海の担任にも伝えてくるよ」

 どうして自分が泣いているんだろう。本当につらいのはサトなのに。自分が泣いてもしかたがないのに。そう思っても、海は涙を止められなかった。あとからあとからこぼれてくる雫は、拭えば拭うほどに多くなっているようだった。大助に支えられながらふらふらと保健室にたどりつき、やわらかなソファに座らされる。もう足に力が入らなくて、このまま立ち上がれないのではないかと思った。

「何があったんだ」

 大助が優しく尋ねる。おぼつかないが、少しずつ言葉を発して、海はできる限りの説明をした。

「サトの父さん……事故に、あって。サトが、つらくて、電話きて。でも、俺は何もできないんです。サトのために、何も……。それが、嫌で、悔しくって……」

 背中をそっと叩かれる。いつか痛めたこともあるその場所が、今は温かい。けれどもその温かさに寄りかかることは、サトに悪い気がしていた。

「なんで。どうして、サトばっかり。頑張ってるのに、笑おうとしてるのに、こんなことばっかり起きる。サトが何をしたっていうんだよ……!」

 どうせ災難が起きるなら、自分に降りかかればよかったのに。ある程度の理不尽にはもう慣れてしまっているから、きっと平気な顔をしていられる。サトが、周りの人が、なぜこんなに追い詰められなくてはいけないのか。そんな思いをとりとめもなく、途切れ途切れの言葉にして、涙と一緒にこぼした。

 海の言葉を、大助は何も言わずに受け止めてくれた。午後の授業が始まっても、養護教諭に話しかけられても、海はそこから動けない。それがどうしようもなく情けないのに、大助はそばにいて、付き合ってくれた。

 授業が終わる頃、海はようやく落ち着いてきた。涙は止まり、呼吸も楽になっていた。サトのことを思うとつらい気持ちがよみがえってくるが、この場から動けるくらいの気力は戻っている。

「大助さん、すみませんでした。授業、出られませんでしたね」

「あとで亜子のノート借りるから大丈夫だ。そっちのほうがわかりやすいし」

 冗談なのか本気なのか、判別しにくい答えが返ってくる。海はやっとへらりと笑って、大助に頭をなでられた。乱暴だが、安心できる手だった。

「今日は稽古の日だったな。思いっきりやって、ちょっとすっきりしてこい。それからサトに連絡入れて、都合が良さそうなら会いに行け」

「はい……」

 大助の言うとおりに、海はその日の稽古に励んだ。すぐに海の様子に気付いた和人が心配してくれたので、もう一度サトの話をした。今度は整然とした説明ができた。大助に話をしたことで、ずいぶん冷静になれたのだなと感じた。

 そして稽古が終わったあと、すぐにサトの家へ電話をかけた。コール音が何回もしないうちに、「はい」という声が聞こえた。サト本人だった。

「サト、俺。進道」

「ああ、ちょうどよかった。オレから電話しようと思ってたんだ。今日の分のノート、見せてもらいたくてさ」

 思ったよりも、サトの声色は沈んでいなかった。すぐに会う約束をとりつけ、海は里家へと自転車を走らせた。かごに積んだかばんには、今日の授業のノートを詰めて。出席できなかった五時間目の分はないけれど、明日にでも誰かに見せてもらって書いておこう。

 着いた家には、サト一人だけしかいなかった。母親は病院へ行っているらしい。父親がいつ目を覚ましてもいいよう、そばについているのだという。サトは学校に行けなかったかわりに、留守番をしていたのだった。

「進道から電話あったとき、ちょっとドキッとしたんだ。病院からかもしれない、父さんに何かあったのかもしれないって」

「そうか、ごめんな」

「いや、むしろ安心したよ。進道のおかげで、気分が落ち着いた」

 その言葉が、海にとっては何より嬉しかった。自分では何もできないと思っていたのに、サトにとっての海はちゃんと役割を持って、それを果たしていた。サトは海に救われたように言うが、海はサトに救われた。

 ノートを確認しながら、サトはぽつぽつと父親の事故について語り始めた。

「相手の運転手、ブレーキがうまく踏めなくて、ハンドル操作も誤ったらしい。それでもなんとか父さんを避けようとしてくれたみたいだ」

「そういえば、外傷はほとんどないって言ってたな」

「相手のほうが父さんよりけがしてるんだよ。でも相手は意識があって、父さんにはない。こういうことってあるんだな……」

 サトの横顔は、まだぼんやりしているように見えた。落ち着いたとはいうが、まだ起こったことが信じられないのだろう。それでも、彼はたしかに立ち直ろうとしていた。

「父さんが帰ってきたら、少しのあいだ休みがとれると思う。そうしたら、キャッチボールにでも付き合ってもらおうかって考えてるんだ」

 父親はきっと目覚めて帰ってくる。事故のことを信じられようが信じられまいが、サトはそう思っている。必ずサトの希望どおりになるさ、と海が言うと、彼はいつもと変わらない笑顔を見せてくれた。

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