大きな事件と呪い(二)
週明けの学校は、神社の話題がそこかしこで飛び交っていた。噂好きのサトももちろん例外ではなく、海の姿を見るなり、挨拶もそこそこに話を始めた。
「進道、土曜日にあった神社の事件だけどさ」
「掃除しに行ったから知ってるよ」
海はいつもどおりに軽くかわして、けれども何か新しい情報はないか耳をそばだてる。昨日は町中を駆け回って、人間と鬼の両方から情報を聞き出そうとした。しかし拝殿を汚された件も、鎮守の森への放火未遂についても、成果は得られなかった。誰も犯行現場を目撃していないし、怪しいものも見ていない。器物損壊にあたるからと警察も動いているが、捜査は難航しているようだった。
「聞いた話では、すごい量の絵の具がぶちまけられてたんだって?」
「そう、水性塗料だった。あれだけ用意すれば、買ったときや運ぶときに目立つと思うんだけど、目撃者はいない」
「なんだ進道、やっぱり詳しいじゃん。さすが鬼の子、神社関係の情報は押さえてるな」
「……掃除のときに聞いたんだよ」
ついサトの話にのってしまった。犯人捜しをしていることは、できるだけ知られたくないのだが。知られればあっというまに噂が広がって、犯人が隠れてしまうかもしれない。
だが、調べているということを知られることで出てくるメリットもある。協力者が重要な情報をくれる可能性だ。
「買うときは、目立たなかったかもしれないぜ。学校の備品としてだったらすんなり買えるし、いたずらに使われるなんて思わないだろうからな」
海には、協力者となってくれる友人がいた。
「学校の備品? サト、どういうことだ?」
「遠川高校が、毎年連休前に新入生歓迎のパフォーマンスをするだろ。今年は学校の壁に絵を描こうって案が出てるんだ。もちろん残してなんかおけないから、すぐに消すことのできる水性塗料を使う。そのために門市の大きな画材屋に注文したらしい」
門市は礼陣の隣にある大きな町だ。そこで水性塗料を手に入れたのなら、礼陣で購入の履歴を調べても無意味だろう。しかし、そこには大きな問題点がある。遠川高校の関係者が、水性塗料を購入した事実を知らないはずはない。すでにその情報は出回っていてもおかしくないのに、海はサトから聞いて初めて知った。
「サトは、その情報をどこから?」
「遠川高校で生徒会役員やってる先輩から聞いた。新入生に対するサプライズだから、このことは教員と生徒会役員、それから協力する美術部員しか知らない、極秘の情報なんだ。一昨日と昨日は学校が休みだったから、このことが神社の事件に関係してるかどうか調べるのは今日だろうな」
サトの情報がたしかなら、容疑者は限られてくる。遠川高校の関係者で、塗料を購入したことを知っている人物だ。いたずらに使われたのが、遠川高校の買った塗料によるものだとしたら、の話だが。
「その遠川高校の先輩から、もっと詳しい話や調べた結果を聞くことはできるか?」
「進道がこういう話にこんなに興味持つのも珍しいな。……できると思うけど、学校側が緘口令をしくかもしれない。こんな大事件に関係があるかもしれないなんて知られたら、学校の責任問題とか面倒なことになりそうだし」
なるほど、と海は思う。遠川高校と遠川中学校の体質は、よく似ている。遠川高校に進学するのは、遠川中を卒業した生徒が大半だからだ。つまり、どちらもあまり評判はよくない。これ以上学校の立場を貶めるわけにはいかないと考えるだろう。それにサトの情報に頼りすぎると、彼に多大な迷惑をかけてしまう。
「わかった、情報はもういい。サトの言うとおり、神社のことだから少し気になってたんだ。教えてくれてありがとう」
「ああ、また何か聞いたら教えるよ。……こっちもちょっと質問していい?」
「なんだよ」
「神社の掃除しに行ったんだろ。鬼が手伝ってくれて前以上にきれいになったって噂を聞いたんだけど、本当?」
サトが目をきらきらさせて尋ねる。彼は鬼の子である海との付き合いが長いこともあり、こういう話にも興味を示していた。彼自身は鬼の子ではなく、鬼を見ることがないため、海を通じて礼陣にいる鬼の様子を知ろうとしているのだった。
「ああ、本当。掃除は人間と鬼が協力してやったよ」
そして海は、それに応えている。鬼や鬼の子といった、よそではなかなか通じにくいことを理解してくれる人間がいることは、海にとってもありがたかった。
「オレも新道みたいに鬼が見えたら、そういう光景を見ることができたのかな。みんなで協力して一つのことを成し遂げるって、なんか良いじゃん?」
「そうだな」
海はサトの言葉に深くうなずいた。そして、事件の犯人を必ずつきとめようと改めて思った。あんなことのせいで、人間と鬼のあいだに溝ができるのは嫌だから。
二年生の教室では、大助と亜子が事件について話していた。これまでにも神社へのいたずらは何度かあったが、ここまで悪質なものは大助たちの知るかぎり初めてだった。
彼らも一刻も早い解決を望んではいるが、犯人捜しをするつもりはない。それは自分たちの領分ではないと思っているからだ。大助がすべきことは、事件に揺れる鬼と人間の関係を良好な状態に保つこと。そのために彼もまた、昨日は町中を駆け回っていた。
「鬼も結構、愚痴とか言うんだぜ。昔の人間はもっと鬼を敬ったもんだとか。今回の事件で、そういう不満が増えた感じがするな」
「掃除してくれた人もたくさんいたのにね」
亜子は鬼を見ることはできないが、大助や愛の言うことを信じている。彼らが鬼について話すのならば、鬼は存在しているのだと思っている。見られるものなら見てみたい、そして触れたり、お喋りをしたりしてみたい。けれどもそれが叶わないから、こうして大助の目を通じることで、鬼に接している。
そのおかげか、鬼たちはときおり亜子のことを助けてくれる。亜子がいじめられていたとき、海に助けを求めたように。亜子が元気をなくしているときは、大助に教えて励ますように言ってくれることもある。亜子には鬼が見えなくても、鬼たちは亜子をとても気に入っていた。
大助からすればそれは嬉しいことで、同時に不安要素でもあった。知らず知らずのうちに鬼と深い関わりを持ってしまっている亜子は、鬼に影響を与えやすくもあるからだ。たとえば、亜子が深く悲しんだり、強い怒りを感じたりすれば、鬼はそれに感応する。亜子の影響を受けた鬼は彼女の感情に同調し、呪い鬼になってしまう可能性が高い。そうならないようにすることも、大助が意識して負っている役目だった。
今日は、その意識をほんの少しだけ緩めている。よく亜子に嫌がらせをしている女子と、彼女とつるんでいる男子連中がいないためだ。彼らは万引きをして大助に罪をきせたことについての処分を受けているので、教室に来ていない。どうやら別室で反省文を書いているらしい。亜子がつらい目にあうことがなければ、鬼たちもそのことで怒ったり悲しんだりすることはない。
亜子に対する誹謗中傷が聞こえないかわり、教室内には処分を受けている生徒たちについての噂話が流れていた。
「あいつら、遠川高校の人たちとつるんでたって聞いたけど」
「ああ、なんかお兄さんがいるらしいよ。生徒会役員で、いろんな裏情報くれるんだって自慢してた」
力の強いものがいない間に、好きなだけ噂話をして、本人がいるときには黙っている。たとえクラスメイトが悪口を言われていても、誰も咎めない。関わると、今度は自分が噂や陰口のターゲットになるからだ。
「おい、変な噂はやめておけよ。どうせあとで損するのは自分なんだからよ」
大助はそんなことにかまわず、噂話をしていたクラスメイトに声をかけた。彼らはその瞬間だけぴたりと会話を止めたが、またすぐに「一力には関係ないじゃん」と言いながら話を再開した。
学校ではもちろんのこと、心道館道場でも神社の事件は大きな話題となっていた。しかし掃除をしに行って、汚された拝殿や賽銭箱を実際に見ているので、それほどでたらめな噂はなかった。ただ自分たちが目にしたものについて話すのみだ。
休憩時間に、和人もその話を始めた。けれども彼は他の子供たちとは異なり、なんと追加の情報を持ってきてくれていた。
「海。神社付近に住んでいる人から、事件当日の話を聞いてきたよ」
「本当ですか?」
「うん。学校で僕らの副担任をしている先生が、あの近くに住んでいるんだ。でも、夜中に近くで人が騒いでいる声は聞いていない。犯人は社台側の入り口からじゃなく、石段から神社に入ったんだと思う」
礼陣神社には、鳥居のない社台地区側と、石段のある商店街側の、二つの出入り口があるがある。社台地区に住む人々は、わざわざ遠回りをして石段を使うことをしない。やはり、石段をよく使う中央地区や遠川地区などに住む人間が、犯人である可能性が高い。
「俺も、サトから話を聞いてます。遠川高校が大量の水性塗料を買ったそうです。しかもそのことは、一部の人しか知らないみたいです」
「遠川高校か……学校から塗料を運んだのだとしたら、石段を使うことになるね。一度に大量に運んだとなると、学校からはかなりの塗料がなくなっているはずだ。運ぶ手段や実行犯の人数も気になるな」
和人はあれこれと推理することを、半ば楽しんでいるようだった。しかし海は真剣に情報をまとめる。仮に遠川高校の関係者が犯人だとして、運ぶ手段は自転車か、自動車か。学生ならば自転車が妥当だろう。いつも海たちがそうしているように、石段の脇に自転車を停め、塗料を運ぶ。そして賽銭箱と拝殿を汚し、鎮守の森を燃やそうとした。
「単なるいたずらにしては、手間がかかりすぎですね」
「そうだね。そこまでしたいほど、神社に恨みでもあったのか……そんな人、礼陣にいるとは思えないけれど」
話をしているあいだに、休憩時間は終わってしまう。海は稽古をしながら、和人の言葉を頭の中で繰り返していた。「そこまでしたいほど、神社に恨みでもあったのか」彼の言うとおり、神社を憎むような人物が、今の礼陣にいるとは思えない。いや、いないとはかぎらない。過去にはそんな人物もいたことを、海は知っている。神社を、町を、人々を憎悪し呪った人物が、以前はたしかに存在していた。誰が何を考えていても、おかしくはないのだ。
稽古が終わってから、海は門下生を見送り、ついでに周囲の見回りをした。神社を荒らすような不審者が、まだこのあたりをうろついているかもしれないのだ。警戒しなければならないだろう。和人も途中まで付き合ってくれた。
「海も気をつけるんだよ。たとえ不審者が現れても、絶対に無茶なことはしないでね」
別れ際、和人はもう何度目かになる台詞を残していった。何年経っても、彼は海のことを弟のように思ってくれている。海が小学生の門下生たちを、弟や妹のように思っているのと同じだ。
駄菓子屋の前まで歩いて家に戻る、いつもの見回りコース。店番のおばちゃんは、足の具合が良くなっただろうか。そう思いながら振り返ると、そこに大きな壁が現れた。海はその壁を見上げて、ぎょっとした。
それは壁ではなく、白い服を着た鬼だった。人間によく似た形をしているが、異様な背の高さと隆々とした筋肉、そして頭にある二本のつのが、彼が鬼であることを証明していた。それだけなら、海も個性的な鬼が現れたなと思うだけで済む。
驚いたのは、その眼光にだった。顔には平べったくて真っ白な面をつけていて、表情はよくわからない。けれども面の穴から覗く目は、ぎらぎらと燃えているようだった。まるで、激しく怒っているように見える。
『人間、おれが見えるか』
鬼は低い声で言った。海はうなずいて、こちらから質問をした。
「ここで何をしているんですか?」
『捜している。我らの安住の地を荒らそうとした愚か者が、この近くにいるはずだ』
海はぎくりとした。鬼の言う「安住の地」は、鎮守の森のことだろう。それを荒らす、つまりは放火しようとした人間が、近くにいるというのだ。
『奴らの居場所を知っているか』
鬼が問う。海は首を横に振り、しかし尋ね返した。
「居場所は知りませんし。誰なのかもわかりません。まさか、あなたはそれを知っているんですか?」
『顔は見ていないが、気配はわかる。私の目の前で、森に火をつけようとした奴ら。私が出て行こうとすると、脱兎のごとく逃げた卑怯者たちだ』
はっきりとした答えだ。この鬼は、おそらく事件を唯一目撃した者だった。海は鬼にしがみつき、かみつくように問い質した。
「その気配はどこからするんですか? 俺に教えてくれればすぐに捕まえますから、言ってほしい!」
『人間は信用ならん。あれには私が手を下す』
そう言うと、鬼はすっと姿を消した。前に倒れかけた海が、体勢を立て直して周りを見ても、彼の姿はどこにもなかった。
あの鬼はまだ呪い鬼ではない。だが、なりかけてはいた。森を焼かれかけたことに、激しい怒りをもっていた。犯人たちを見つけたら、すぐにでもその感情を暴走させ、彼らを襲うだろう。
海の頬を冷や汗が伝う。あの鬼を止めるべきか、放っておくべきか。被害者になるところだった鬼には、怒る権利がある。けれども怒りに狂って呪い鬼になれば、きっと我を忘れて暴れてしまう。犯人たちだけでなく、他の人間や鬼たちにも手をかけてしまうおそれがある。犯人たちは自業自得だ、でも他の人は関係ない、でも、……。
考えがまとまらず、鈍い頭痛がしてきた。無意識に歩いていたのか、いつのまにか足は自宅の前にあった。あの鬼を追いかけるべきだっただろうか、いや、どこに行ったのかわからないものを追いかけられない。頭を抱えていると、家の中からはじめが顔を出した。
「海、どうしたんだい? 具合が悪くなったかな?」
あわてて駆け寄ってくるはじめに、海は無理やり笑顔を作って答えた。鬼のことを考えていたとは、気づかれたくない。
「大丈夫です、ただの立ちくらみですから。……それより、そろそろ夕飯の準備を始めましょう、父さん」
今夜のうちに、あの鬼は犯人たちを見つけてしまうだろうか。彼らをこらしめたら、気が済むのだろうか。気が済んだら、ただの鬼に戻るのだろうか。それなら止める必要はないのに、と海は思った。