噂と少女
幼い頃から何度も見る夢がある。決まって大きな影がゆらゆらと揺れながら、ゆっくりとこちらへ迫ってくるところから始まる。いつもの夢だ、と思うのに、一歩も動けないまま、それが来るのを待っているのだ。
『ああ、憎い』
影はそう呟きながら、自分の首に手をかけようとしてくる。細く美しい手なのに、爪が鋭く伸びていて、触れれば傷ついてしまいそうだ。そんな手が首に絡みつき、指が少しずつ肌にくいこんでいく。
影は首を絞める手に力を込めながら、なおも言葉を続けている。
『この町の全てが憎い。住む人々も、蔓延する話の数々も、生まれ育ったこの家も』
そう言って、自分を殺しにかかる。息ができずにもがきながら、影のもつ暗く澱んだ表情を見る。
『この町に押しつけられたこの力で、この町を呪ってやる。鬼なんかを崇める者は、この手で葬り去ってやる。私のようなものを作り出してしまったのは自分たちなのだと、思い知らせてやる』
恨みに塗り潰されたその姿がぼやけると、もうおしまいだな、と思う。それが夢のことなのか、それとも自分の命なのか、よくわからないままに目を閉じる。
最後に耳に届いたのは、やけにはっきりした声。
『あんたなんかいらない』
そこで夢は終わる。いつもと同じ結末だ。びっしょりと汗をかいた体を起こして、ぼうっとする頭を目覚めさせて、朝を迎えた。
周りを山に囲まれた、片田舎の町。昔懐かしい雰囲気の商店街と、丘の上の神社、そして和洋が入り混じった住宅地が特徴のこの地は、名を礼陣という。
その礼陣の町を横切る川、遠川に沿った地域は、何の捻りもなく遠川地区と呼ばれている。東西に広がるこの地域は、東側に日本家屋、西側に欧風の住宅を多数もっている。そのことから、東側を和通り、西側を洋通りという者もいる。
心道館道場は、その和通りにあった。大きな日本家屋と剣道場がつながっている家で、町の少年少女剣士が剣道教室に参加しようとやってくる。礼陣では誰もが知る、有名な場所だ。
そんな建物の前を、早朝、少年が掃除していた。名前を海という、心道館道場の主である進道家の一人息子だ。今年中学生になったばかりだが、見た目も行動もしっかりしていると、近所では評判の少年だった。
「……よし、終わり!」
掃除が終わると、海は満足げにうなずいた。それから周りをぐるりと見渡し、その目に映る景色がいつもと変わりないことを確かめる。
周囲にはつのの生えた者たちがいて、こちらへ手を振ったり笑ったりしている。それに応えるように、海は微笑んで、返事をする。
「今日も一日、よろしくな」
海に屈託なく親しみを向ける彼らは、礼陣で「鬼」と呼ばれる存在だ。
遠い昔、この土地に人間とは異なる人々が現れた。彼らは頭に二本のつのをもち、人間には真似できないような不思議な力を使った。
人間たちは彼らを「鬼」と呼び、この土地を守る神のような存在として扱った。神社を建立し、ときどきは鬼たちの力を借りて生きてきた。そうしてこの町では、人間にとっては鬼がいることが、鬼にとっては人間がいることが当たり前のこととなった。
しかし人間の誰にでも鬼の存在を知覚することができるというわけではない。鬼たちは人間の暮らしを歪めないよう、また鬼の存在を知らないよその者から奇異の目を向けられることを避けるため、その姿を捉えられないようにつとめている。だから大抵の人間には、鬼を見ることも、その声を聞くこともできない。これは鬼たちの人間たちに対する配慮だった。
だが、ある特別な者には、鬼の姿形を見、声を聞くことができる。その多くが子供であり、彼らは「鬼の子」と呼ばれている。
海はその「鬼の子」だった。物心ついたときには、すでに周囲を鬼が闊歩し、人間たちと同様に町で生活しているという光景が当たり前になっていた。鬼と人間の区別は、自分と同じような姿をしているかどうか、あるいは頭につのがあるかどうかでつけている。
鬼たちの姿は多種多様だ。あるものは手足が長かったり、またあるものは鋭い爪や牙をもっていたりする。大きさもまちまちで、三メートルを越す巨大な鬼がいたと思えば、人間の赤ん坊ほどの背丈しかないものもいる。人間とはとても似つかない姿をしたものも、人間とほぼ同じ背格好をしているものも、頭につのが二本ありさえすれば鬼なのだ。
そんな鬼たちに囲まれて育ってきた海は、人間にも鬼にもできる限り分け隔てることなく接してきた。もとより人間と鬼にできることの差異があるということはわかっているので、まったく同じに扱うということは不可能なのだ。それぞれにちょうどよい具合を図ることが、両方にとって良いことなのだと海は知っていた。それらの考え方も、鬼たちに教わったものだった。
道場と家の前を掃除することは、海の毎朝の日課だ。片づけまできちんと終えてから家に入り、学校へ行く仕度をする。家の中には味噌汁のほっとするような香りが漂っており、それに導かれるように居間に行くと、父が朝食の用意を終えて待っていた。
「海、今日もありがとう。さあ、朝ごはんにしようか」
父は名をはじめといい、この家の主であると同時に、道場を取り仕切ってもいる。はじめは海の父親でもあるが、剣道の師でもあり、どちらの立場においても立派な人物といっていい。尊敬する人の名を挙げろと言われたなら、海は迷わずはじめだと答えるだろう。
進道家に住む人間は、海とはじめの二人だけだ。海が三歳になる頃までは、祖父も一緒に住んでいた。しかし彼が他界してしまったために、広い家にはたったの二人だけになってしまった。けれども海は、そしてはじめも寂しいとは思っていない。剣道教室を開く時間になれば、礼陣中からたくさんの子供たちが集まってくるのだから。
いや、それだけではない。海の目には、この場所に多くの鬼たちも来ているのがわかるのだ。おかげで夕方には、敷地内はそれは賑やかになるのだった。
「父さん、今日は道場を開ける日ですよね」
朝食をとりながら、海は今日の予定を確認する。はじめは「そうだね」とうなずいた。
「放課後になったら、みんなが来るよ。道場の掃除は僕がしておくから、海はあせらずに帰っておいで」
「はい。でも、できるだけ早く家に着くようにします」
海には自分が目上だと認めた人に対して敬語を遣う癖がある。師として仰ぐ父に対しても、彼はいつもこの口調だ。「目上の人には相応の態度を心がけなさい」という、はじめの教えをきちんと守っているのだ。もちろん普段から年上の人には敬語で話すが、心から尊敬している人に対するそれとは質が違う。
はたから見れば、よそよそしくも感じるかもしれない。けれども、これが彼ら親子の形だった。
師であり父であるはじめに丁寧に挨拶をしてから、海は学校へ向かう。今は桜が散って間もない、緑の葉がぴかぴかに光っている季節だ。爽やかな空気が心地よい。
しかし、学校に近づくにつれてその爽やかさは失われていく。大声であまり品が良いとはいえない笑い方をする生徒が、道を塞ぐように群れ始める。当然そうではない者もいるのだが、目立つ生徒に隠されてしまっている。海の通う遠川中学校は、いつからそうなってしまったのかはわからないが、この町では素行の良くない中学生の巣窟と称されているのだった。
海は学校が好きではない。威張る三年生に、それに張り合うように同じことをする二年生。そして彼らに抑圧され、学年が上がる頃には鬱憤を晴らすかのように後に続いてしまう一年生。そんな負の連鎖がある学校を、好ましいとはとても言えなかった。ただ、学区の都合でここに通わなければならなかったために、毎朝来ているのだ。
そしてもう一つ、渋々ながらも学校にきちんと来られる理由があった。
「進道、おはよう!」
明るく話しかけてくる男子生徒に、海は呆れたように、けれどもほっとしたように笑って応える。
「おはよう、サト。お前は朝から元気だよな」
「走りこんでから来たんだ。野球部のエースを目指すからには、毎日の積み重ねが大切だからな!」
里隆良、通称サトは、海が小学生のときからの友人だ。初めて同じクラスになった年、出席番号が並んでいて席が前後だったために、よく話をするようになった。このうんざりするほど荒れた中学校でも、彼が一緒だからこそ毎日を乗り切れていた。
「野球部って、まともに活動してるのか?」
「いいや、あんまり。先輩たちなんかほとんど来てない。だからオレが立て直すんだ!」
サトはいつも前向きで、この中学校生活も彼なりに楽しんでいる。彼を見ていると、海もなんだか元気が湧いてきた。そして海の視界に映る鬼たちも、二人を見て嬉しそうな表情をするのだった。
教室に入ると、目立つ生徒は大声でしゃべり、おとなしい生徒は縮こまるようにして本を読んだり寝たふりをしたりしている。いつもの光景を横目に海とサトが席に着くと、騒がしく会話をしているクラスメイトの言葉が耳に入ってきた。
「知ってるか? 二年の一力先輩がまた三年生を殴ったって」
「俺は高校生とけんかして、相手をぼこぼこにしたって聞いたけど」
この学校に入学して以来、毎日のように囁かれる話だ。二年生の一力という生徒には、けんかの噂が絶えなかった。しかも、負けたという話は一度も聞かない。彼は名前と噂ばかりが知られている、遠川中学校の有名人だった。
この噂にはサトも興味があるらしく、話が聞こえてくるとすぐに海に振り返った。サトは今でも、海と席が前後なのだ。
「進道は、一力先輩見たことあるか?」
「見てたとしてもわからないだろ。俺、一力って人の顔知らないし」
「そっか。でも、すぐにわかる方法があるらしいぞ」
サトはとっておきの話を聞かせてやるとでもいうように興奮していたが、海は一力という生徒には関心がない。長い付き合いであるサトの話だが、聞き流そうとしていた。
「一力先輩は、よく隣に金髪美女をはべらせているらしい」
「……は? 金髪美女?」
しかし、その内容が中学生としては疑問を感じるものだったので、つい顔を上げて聞き返してしまった。それをサトは海が興味を持ったととったのか、得意げに話を続けた。
「そう。けんかは負けなし、高校生より強い。身長もでかくて、その鋭い眼光にはヤクザでも震え上がる。おまけに彼女は金髪美女!」
「その噂にはかなり尾ひれがついてるように聞こえるな」
そんな中学生がどこにいるというのだろう。ただでさえ礼陣は地味な片田舎なのに。海は苦笑して、かばんから取り出した文庫本に目を落とした。
「もうちょっと話聞いてくれよ、進道」
そう言うサトには生返事をして、本に集中する。そもそも、自分の得にならないようなことには関わりあいたくない。海は少しでも平穏な生活を望んでいるのだ。
放課後になると、海はすぐに家に帰る。道場で剣道教室を開く日は、早く帰って準備を手伝ったり、自分の練習をしたりするのだ。
部活のあるサトとは昇降口で別れ、家まで走ろうかなどと考える。そうして外へ出たところで、視界に黒い山が現れた。
それは、数人の鬼だった。なにやら集まって、校舎脇を見ているようだ。海は首をかしげながら、鬼たちに近寄っていった。
「どうした?」
『あ、海だ』
『海なら、助けてくれるかも』
鬼たちは海を見ると、口々にそう言った。鬼の声は耳ではなく、頭の中に響いてくる。大きな体に似合わない気弱な声が流れてきたことを、海は怪訝に思いながら校舎脇を覗いてみた。
少し離れたところに、女子生徒が輪を作っている。その雰囲気や声色にはただならぬものがあり、できれば見なかったことにして帰りたいと海は思った。けれども鬼たちが期待に満ちた目でこちらを見ているので、そうするのはしのびない。
鬼は普通の人間には見えず、持っているはずの不思議な力も、人間の生活には過干渉しないと決めているようでめったに使わない。使ったとしても、せいぜい高いところの雑巾がけを手伝う程度だ。人間同士の諍いに割って入ることはしない。だから彼らは、鬼とも人間とも関わることのできる海に助けを求めたのだ。
「しかたないな……」
海は深く溜息をつきながら、かばんから野球のボールを取り出した。サトが「オレだと思って持ち歩いてくれ」と言ってつっこんで、以来入れっぱなしだったものだ。それを女子生徒のほうに向かって軽く放り投げた。
ちょうど女子生徒の足下に転がったボールは、彼女らをこちらに気づかせるのに十分な役割を果たした。女子生徒たちはボールを見てから、海を睨みつけて言った。
「何よ、あんた」
「面倒だから、さっさとあっち行ってくれない?」
面倒なのはこっちだよ、と心の中で言い返しながら、海は女子生徒たちに近づいていった。
「すみません、ボール投げてたらそっちに行ってしまって。拾わせてください」
近寄ると、彼女たちがここで何をしていたのかがわかった。女子生徒たちは、座りこんだ女の子を囲んでいたのだ。彼女もこの学校の制服を着ていたが、それは泥だらけで、靴あとまでついていた。
しかし海が驚いたのは、明らかにいじめだと思われるその状況に対してではなかった。泥だらけの女子生徒の髪の色が明るかったのだ。赤や茶色ではない、この国の人々が欧米人と聞いてすぐに連想してしまうような、金髪に近い色だった。
今朝、サトが言っていた噂の断片を思い出す。そしてとっさに、でまかせが口をついた。
「ここにいたんですか。一力先輩が捜してましたよ」
それを聞いた途端に、他の女子生徒がはっとした顔をして離れていった。舌打ちをしたり、きゃーきゃーと騒いだりしながら、彼女らはあっというまに姿を消してしまった。逃げ足が速いなと思いながら海がボールを拾うと、座っていた女の子が顔を上げてこちらを見た。
まるで外国の人のような顔立ちに、色素の薄い瞳。しかし彼女は自然な日本語で言った。
「大助が捜してたって、本当?」
顔にも泥がついている。けれども、きれいな女の子だった。美女とまではいかなくても、美少女とは呼べるかもしれない。
加えて、こちらは「一力先輩」と言ったのに、彼女は「大助」と言う。でまかせではあったが、この女の子は本当に噂の彼女だったのだろうか。
「ごめんなさい、捜してたっていうのは嘘です。俺は一力先輩との面識もありません」
「そうなんだ。……たしかに、大助の名前を出せば大抵の人は逃げていくからね」
女の子は立ち上がり、制服についた泥をはらった。それから何事もなかったかのように、にっこりと海に笑いかけた。
「助けてくれてありがとう。また学校のどこかで会うかもね」
「助けようと思ってやったわけじゃないですから、お礼なんかいりません」
「そう? でも結果的には助かったから、言うべきだと思ったの」
手を振りながら女の子は海が来たほうへ歩いていった。心配そうに見守っていた鬼たちのあいだを抜け、すぐに見えなくなってしまう。
『助けてくれた』
『良かった、海のおかげだ』
鬼たちがばんざいをして喜ぶのを眺めながら、海はボールをかばんに入れた。それから鬼たちに別れを告げ、走って帰った。
心道館道場には、礼陣中の小中学生が集まる。小学三年生から中学三年生までの子供たちが、学区を越えて一堂に会する。高校生以上になると各学校の剣道部に所属するので、多くの門下生は中学校卒業とともに道場からも卒業していってしまう。
今年中学三年生になった者にとっては、心道館門下生として活躍する最後の年。そして後輩たちにとっては先輩の勇姿を目に焼きつけることのできる最後の一年だ。特に今年の最高学年には、心道館最強といわれる人物がいるため、誰もが彼に注目していた。
もちろんそれは海も例外ではない。剣道を始める前から、彼の姿を見て憧れてきた。
「和人さん、お疲れさまです!」
稽古が終わるやいなや、海は彼に走り寄った。声をかけられた人物は、とても強そうには見えない穏やかな笑顔で、海に振り返った。
「おつかれさま、海。今日はなんだか動きがぎこちなかったけれど、何かあったの?」
長い付き合いである彼、水無月和人には何でもお見通しのようだった。海は苦笑しながら、放課後にあったできごとについて話した。
「いじめの現場を目撃してしまって。なりゆきでいじめっ子を追い払うことになってしまったんです」
「そうだったんだ。見て見ぬふりをしないなんて、海は偉いね」
和人はにこにこしながら海の話を聞いてくれる。どんなことがあっても、海は和人と話すだけで心が落ち着いた。
「良いことをしたはずなのに、なんだかすっきりしていないようだけど。そのとき、何かあったの?」
「いじめられていたらしい人が、学校で噂になっている素行のよくない人と付き合いがあるかもしれないんです。関わってしまって良かったのかな……」
今後面倒なことにならなければいいのだけれど、というのが海の正直な思いだ。なにしろこちらは平穏な生活を望んでいる。今日のできごとのせいで厄介なことに巻き込まれるのはごめんだ。
そんな正直な気持ちを、和人は否定することも咎めることもなく、ただ相槌を打ちながら聞いていた。そして海がこれ以上何も言えないことを覚ると、自らの見解を述べ始めた。
「僕は関わって良かったと思うよ。その人がどんな人であれ、海がしたことは間違っていないもの。もしそのせいで何か不利益があったら、僕に言って。全力で君の味方をするからね」
この言葉に嘘がないことを、海はよく知っている。海が、そして心道館の仲間が窮地に陥ったとき、和人は必ず助けになってくれるのだ。だからこそ彼はみんなに頼られている。海もそんな和人だからこそ、信頼して相談をしたり、正直な気持ちを打ち明けたりできるのだった。
話を終えると、海は帰る和人を見送った。他に残っていた門下生たちも送り出して、最後に道場を閉めるのは海の役目だ。出入り口に鍵をかけると、道場はすっかり静かになっていた。
今、ここにいる人間は海一人だ。けれども、道場の真ん中には小さな人影があった。おかっぱ頭に二本のつのがある、幼い女の子の姿だ。海はその子のそばへ歩いていき、目が合うように屈んだ。
「子鬼、君はまだここにいるのか?」
『うむ。たまには海と話がしたくてな、待っていた』
この少女は鬼だ。見た目は五歳くらいの人間の少女に似ているが、本人いわく、すでに百五十年ほど生きているという。
子鬼といわれる彼女は頻繁に姿を現し、海と話したり、幼い頃には遊んだりもしていた。鬼との関わり方を教えてくれたのも彼女だ。海の性分からいって本当は子鬼にも敬語で話したいのだが、本人から「落ち着かないからやめろ」と言われてしまったことがあるので、ごく普通に接している。
海は子鬼とともに道場の隅へ移動し、座り込んだ。すると頭の中に、子鬼の声が鈴の音のように響いた。
『昼間、女子を助けたそうだな』
「鬼たちに助けてって言われて、断れなかったんだ。そうでなきゃ放っておいてるよ。厄介ごとはいやだし」
『いや、お前はたとえ鬼に頼まれなくても助けたろうよ。寝覚めが悪いのは本意じゃなかろう』
くっくっと笑って、子鬼は言った。そうかなあ、と海はうなる。見なかったことにして帰りたいと思ったのは本当のことなので、もしも鬼がいなかったらどうしていたかはわからない。それでも子鬼は、きっと海なら助けるだろうと確信しているようだった。
『海ははじめによく似て、真面目だ。困っている者は放っておけぬ。だから私たち鬼は、お前を好きだ』
子鬼も、他の鬼たちも、そして和人たち人間も。多くの人が、海に好感を持ってくれている。それはとてもありがたく嬉しいことだ。面倒事は避けたいが、海はそういう人たちのためなら、なんでもしたいとも思っていた。