ふんにょうたん
始まりはこの一言だった。
「豪襲さんがフンニョウたんがヒロインのラノベを書くと聞いて」
書きました。
下品な話が嫌いな方は見ないほうが良いかもしれません……。
「ふ、ふわわわあーっ!!」
彼女の名前はふんにょうたん。字面は想像にお任せしよう。
曲がりくねった長い道を越え、閉ざされていた門が開いた瞬間、彼女は突如として重力に身を引かれ落下し始めた。
門がぴしゃりと閉じたとき、その幼く柔らかな身体がちぎれることがなかったのは幸いと言えるのかどうか。
「あわわわわぁーっ!!!」
しんと静まりかえった門の外は真っ暗で、どこまで落下するのかわからない。なにせ彼女にとって初めての外である。
「お外は危ないからネ。行かない方が良いヨ」
りんぱさんの忠告が彼女の頭をよぎった。
そのとき、ふんにょうたんはない胸を張りながら、
「りんぱさんは、いっつもお布団にくるまって、みんなからご飯もらってるだけ! お外に出られないからそんなこと言うんでしょ? ふんにょうたん、知ってるんだから!」
つーんと彼の忠告を突っぱねたのだ。
「ふぇええええええ! でもやっぱり怖いよぉおおおおおお……」
すこしだけ、ふんにょうたんの落下する方向の気温が下がった。そして涼やかさは気体から液体へ。瞬間、彼女の全身を冷たいなにかかが包み込んだ。
「うわっぷ!」
彼女はどうやら運良く水中に落下したらしい。もし固い地面に激突すれば、彼女の身体はぺしゃんこになったことだろう。やはりふんにょうたんは運が良いのかもしれない。
「……っぷはぁ!! これは、みず? わぁい、お水だぁ!」
彼女がはしゃぐのも無理はない。こんなにたくさんの水に囲まれたのはいつぶりだろう。
こうして外に出て自由を勝ち取るべく、彼女は実に長い旅を続けてきた。
あの暗い一本道を進むにつれて、いつしか彼女の周りに大量にあった水分は消えていき、ちょくちょうへきさんに先導されながらどうにか門までたどり着いたのである。
「夜なのかなぁ? 狼さんとか出ないと良いなぁ……」
ぷるりと一度震えてから彼女は自分が弱気になっていることに気が付いて大きくかぶりを振った。
「ダメダメ! ダメだよふんにょうたん! しっかりしないと!」
自分に言い聞かせるように叫んだ。
しかし、ふんにょうたんの狼に対する恐怖は薄れない。勇気は大声を出しただけで出るものではないと、旅を決意したときからふんにょうたんは知っていた。
「……ひとりぼっちは、さびしいなぁ」
優しかったちょくちょうへきさんはふんにょうたんに背中を見せながらこう言ったものだ。
「ふんにょうたんは、お外に出るのが怖くなったりしないのかい?」
ふんにょうたんはそのたびに胸を張って威張りながら答えた。
「だいじょうぶ! だってお外の怖さはわかんないけど、お外に出ない怖さはわかるもん! こんなに暗い場所でずっと暮らすことを考えたら、気が変になっちゃいそう!」
「はっはっはっ。ふんにょうたんは元気だなぁ。わたしも君ぐらい勇気があれば、外に出られるのかもしれないな」
「ちょくちょうへきさんは、お外に出ないの?」
ちょくちょうへきさんはふんにょうたんに背を向けたままかぶりを振った。顔が見えないから断言することはできないが、ふんにょうたんにはその背中が泣いているように感じられた。
「出られないさ。わたしにはふんにょうたんを門まで運ぶ役割があるからね」
「ふぅん。やくわりってめんどうだね!」
「そうかもしれないね。でもわたしはふんにょうたんを門まで運ぶ仕事が出来ることが本当に嬉しいんだよ」
「そうなの? ふーん……えへへぇ」
もしかすると、ふんにょうたんは強がっていたのかもしれない。
しかしちょくちょうへきさんに語ったことに嘘はないようにも感じられる。
ふんにょうたんが暗闇の中でぷるぷると震えていると、突然聞いたことのない音があたりに反響し始めた。
「ふ、ふぇえええええ!」
ふんにょうたんはここまでの道程で何度も音を聞いた。
しかしそれらはどれも『生きた音』であるのに対し、なんだかその得体の知れない音からは生命が感じられなかった。
無機質で、機械的な音。
「なぁに……? この音……」
半べそをかきながらふんにょうたんは独りごちた。
もちろん答えは返ってこない。
機械的な音が止まったかと思えば今度は勢いよく水の噴出するような音がした。
「はわわわわわわぁ!!!!! 」
ワンテンポ送れてふんにょうたんの頭に水がかかる。
雨だ。それも、どしゃ降りの。
「なぁーんだ、雨か。さっきの音は雨を降らす機械の音だったのかなぁ?」
降り注ぐ雨が水たまりに波紋を作る。その波紋は別の雨が生み出した波紋に消され、その上に水滴が降りまた上書きされる。
雨はふんにょうたんが思っていたよりも暖かいものだった。少なくとも彼女が浸かる水中よりも温度が高い。
まもなく雨は止み、再び機械的な音があたりに響いた。
「やっぱり、雨を降らす機械の音だったんだ! わーいわーい。ふんにょうたんの思った通りだぁー!」
ふんにょうたんがぷかぷかと水面に浮かびながら喜んでいると、またさっきとは違う音がした。
その音と同時、急にあたりが明るくなった。
「ふぇえ! 今度はなに!?」
こんどの音は、生きた音だった。どんどん近づいてくる。
「ふんにょうたん、わかった! 音はお空から降ってきてるの!」
ふんにょうたんは天を仰いだ。明るい空はクリーム色で、その中心になにやら白いものが。
音の発生源は、その白いものだった。
「うわぁああああああああああぁぁぁ!!!」
「はわわわわぁ!!!」
白いものはふんにょうたんめがけて落ちてくる。逃げようとあたりを見回して、ふんにょうたんは驚いた。
四方八方どこを見ても真っ白で、壁のような急斜面であった。
つるつると輝くその壁はとてもふんにょうたんには登れそうにもない。
「わぁあああああああ」
ふんにょうたんが目を離しているうちに白いものが近づいてきた。
「ふぇええええ! ぶつかるよぉおおおっ!」
しかし、その白いものは、驚くべきことに、羽のように軽かったのである。
その重さ、ふんにょうたんの数分の一と言ったところだろうか。
「……ふぇ?」
「ん?」
衝撃が少なかったことに気が付くまでそう時間はかからなかった。
「ふわわぁー。とってもびっくりしましたぁー!!」
「いやぁ、すまんかったのう」
「おじさん、誰なの?」
ちょくちょうへきさんの「知らない人と親しくしてはいけないよ」という忠告は那由多の果て。
とにかく、ふんにょうたんにとっての最優先事項は、ひとりぼっちの心細さを解消することだったのである。
「わしか? わしはかみじゃ」
自らをかみと名乗る白いおじさんは、気持ちよさそうにふがふがと笑って
「して、そういうキミは?」
「わたし、ふんにょうたん! お外に出るために、門を超えてきたの!」
「門?」
「そう、門! 門を超えるの、とっても大変だったんだから!」
「そうかそうか、ふんにょうたんはすごいのぉ」
「えへへぇ……!」
ふんにょうたんには弱点がある。それは誉められることだ。
誉められると、途端に相手を信頼してしまうのである。
かみはすでにふんにょうたんにとって『知らないおじさん』ではなくなっていたのだ。
「ふむ、しかし、ふんにょうたんよ。どうして外へ出てきたんじゃ? その言い方から察するに、門からでないこともできたんじゃろう?」
「うん! でも、あんな暗くてじめじめしたとこにいるくらいなら、怖くても外に出た方が良いと思ったから!」
「ふむふむ。やっぱりふんにょうたんはすごいのぅ」
「えへへっ! また誉められました!」
「ははは。……む?」
「どうしたの? かみのおじさん……? ふわわぁっ!」
「うおぉおおお!」
ふんにょうたんが不思議そうに首を傾げるのとほぼ同時、滝が滝壺を叩くような轟音があたりに響いて、それと同時に水面が下降し始めたのだ。
かみはとっさに水中から逃げ出してどうにか壁にしがみついた。
「ふんにょうたん! 大丈夫かぁっ!!」
かみが声を張り上げてふんにょうたんを呼ぶが、
「ふぇえええええええぇぇ」
パニックになっているのか、ふんにょうたんは答えない。
「ふんにょうたん、ま、まさか……!」
中心に向かって唸りを上げながら、水がどんどん吸い込まれていく。
そして、ふんにょうたんも。
「ふわわあぁああああああ!! ふぇえええ! こっ怖いよぉおおおおお!!」
「いかんっ! ふんにょうたん!」
かみはそう叫ぶと同時、渦の中心、ふんにょうたんのもとへ飛び込んだ。
「かみのおじさん!」
ぐるぐると渦に呑み込まれていくふんにょうたんをかみは優しく抱きかかえた。
「おじさん! かみのおじさん!」
「ふんにょうたん、もう心配はいらないよ。わしがふんにょうたんのことを守ってあげるからのぉ」
わしゃわしゃとかみのざらついた手がふんにょうたんを優しく撫でる。
「でも、ふんにょうたんのことをかばったら、おじさんが……っ」
かみの軽いからだが、激流によって少しずつ裂かれていく。
「ふんにょうたん。ふんにょうたんは若いんじゃから、若者らしく、自分のことだけを考えていればいいんじゃよ」
「でも、ふんにょうたん、じぶんで決めて外に出てきたの! だから、渦に呑み込まれて、死んじゃっても、自分の責任なの!」
「はっはっはっ。ふんにょうたんは難しい言葉をたくさん知っているんだなぁ」
一つ笑うたびに、かみの身体は小さくなっていく。
「わしの身体はなんとも弱っちいのぅ。長く生きてきたが、初めて知ったわい。でも、ふんにょうたんのこと、きっと守ってやるからな」
力ない手のひらに撫でられながらふんにょうたんは声を涸らした。
「かみのおじさん! ごまかさないで! ふんにょうたんのこと、離して!」
「ふんにょうたん」
「離してってば!」
「ふんにょうたん、聞いておくれ」
「……」
「ふんにょうたん、本当に、本当に短い間じゃったけどな、わしは楽しかったぞ。まるで、孫が出来たようじゃった」
「おじさん……離して、ってば……」
「もうすこし、わしに、孫を、抱かせて、おくれ……」
かみの手は力なくふんにょうたんの頭を撫でるとそのまま水の中へと消えていった。
すみませんでした。