最東のカシン 6
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意識を失い、リオンの身体から力が抜けると、後ろからリオンを羽交い締めにしていたユニはようやく安堵のため息をついた。リオンを必死に押さえ込もうとしたせいか、それとも冷や汗なのか、汗にまみれた顔を右腕のローブの裾で拭う。そしてリオンの右肩に目を遣った。
身体が弛緩するのと一緒に歪みから解放された右肩は、上腕の三分の一ほどを残して真っ赤に染まっていた。鍛え上げてきたのだろうに、太くたくましかった腕は今や見る影もない。
ユニは思わず目尻に涙を覗かせると、すぐにリオンの痛々しい右腕をその大きな身体ごと、リオンの羽織っていた青のマントでくるんだ。
切られたり獣の噛みちぎられたわけでもないので、傷口はそれほどひどくは荒れていない。そのため出血も右腕丸々失ったにしては圧倒的に少ないので、今すぐ生死に関わることにはなるまい。
ユニは続いて精神の集中を高めた。不思議な音の並びがユニの口から漏れ、魔導を形成していく。癒しの技は専門ではない。高位の魔導師と言われても魔導書も準備もなく出来ることは、せいぜいが得意分野に限られている。とりあえずは血を止め、傷口を保護することくらいが精一杯だが、何もしないよりはずっとましだろう。
「リオン……」
もちろん返事などあるはずもない。しかし、もう感情を抑え込むのにも限界があった。
マウレーンが星占で<塔>の崩壊を予見してから、いつかこんな日が訪れることは分かっていた。カシンへの同行を願い出たのも、リオンをどうにか救い出せないかと考えたからだ。それがヘイゼルたちの不興をかうことは知りながら、ユニは賭に出るしかなかった。
しかしこんな形になってしまうとは。
リオンと再会した瞬間、胸に溢れた喜びは人生で最上のものだったと間違いなく言えるだろう。あの痩せぎすの鋭く脅えた目つきの子どもが、自分の背を軽く追い越し、青く澄んだ鎧に隆々とした肉体を納め、優しく穏やかな笑みを浮かべるようになったのだから。あまりに幸せそうな様子を見て、魔導院に連れ戻してこの子は幸せになれるのかと、少し迷いも感じた。
肉体だけではなく、リオンは精神もきちんと研鑽されている。そう感じたのはユニの誘いを丁寧な言葉で断った時だ。カシンはリオンをこれほど立派な若者に育て上げてくれた。感謝の心を抱くと同時に、この場では障害にしかならない真っ直ぐさを持て余した。
そして無理矢理騙すようにして連れ出した結果が、これだ。なんとふがいないことだろう。リオンから主と居場所を奪い、騎士としての道も奪った。思い起こせばリオンと初めて出会った日も、ユニはリオンから大切なものを奪ったのだった。
せめて、右腕を失ったのが自分であったなら。もし命を捧げてリオンの腕が戻るならば、ユニは間違いなくそうしていただろう。
どうしようもない後悔の念に思わずリオンを抱く腕に力を込めた時、馬の足音がして、ユニの背後に人が降り立った。ユニは振り返らず、庇うようにリオンの頭を更に抱き寄せた。顔を見ずともユニには分かった。後ろにいるのは冷徹な鋼の心を持った男だ。
案の定、次に聞こえてきたのはヘイゼルの常と変わらぬ声だった。
「<森>との境界に空間の歪みが出来ているのか。やはり正面から進入することは不可能だったな、ミスラ」
呼びかけられ、馬から降りた魔導師がヘイゼルの横に立つ。
「四百年前とは違い、無理矢理<森>の領域を魔力でねじ込んでいるのですから歪みは自然発生的なもので、抑え込むのは難しいでしょうね。正面突破は難しそうです」
抑揚のない冷淡な声は冷静に目の前の状況を分析していた。
「要の場所を的確に狙っているところを見ると、相手の目的はやはり全土の掌握でしょうか」
「すると残る要の場所は魔導院を含め七つ。七夜で侵略は終了してしまうのか。圧倒的だな」
言葉とは真逆に、ヘイゼルは愉快そうに笑い声を漏らしながら言った。心底この状況が面白くて仕方ないという様子に、黙って聞いていたユニは唇を噛む。ミスラがヘイゼルの態度を意に介した様子もなく答える。
「いえ、七夜で済むとは考えにくいかと。準備をしていたのは敵だけではありません。こちらもこの日が来ることは分かっていたのですから。要の石を一つ犠牲にしただけの収穫はあったかと思いますわ」
「そうだな。まあ問題はあるまい」
ヘイゼルが口元だけを大きく歪める。
「反撃の狼煙となる魔力の源は、我々の目の前に差し出されているのだ」