最東のカシン 2
***
アイリスは金のあしらわれた華美な扉を前に、躊躇していた。
マリーをなだめ説き伏せ、狩猟服を礼服に着替える手間は省くことが出来た。しかしリエンザの説教はどのくらいかかるだろうか。
リオンとユニを会わせてやりたかった。またそれだけではなく、喜ぶリオンの顔を間近で見ていたかった。こうしている間にも謁見を終えたユニが帰ってしまうかもしれない。放っておけば、リオンは不器用だから声も掛けられないかもしれないのだ。会えたとしても喜びの心すら表現出来ないのでは、機会を逃していることに変わりはない。
なんとももどかしい。作法を学んでいる場合ではないのに。リエンザもなぜこんな時間を狙ってやってくるのだ。そんな八つ当たりのような思いにまでなった。
「……マリー」
「アイリス様、どうなさったんです。早く扉を開けてくださいまし」
しかしマリーが後ろに控えている現状、逃げだすことは不可能だ。
アイリスはため息を飲み込んで、扉に手を掛ける。そしてこの躊躇う時間も勿体ないと思いなおし、扉を引いた。
「お待たせしてすみません、リエンザ様」
入るなり、アイリスは最初に散々仕込まれた礼の仕草を取った。上着の裾を摘まみ、一礼する。
白を基調した部屋は大きな窓が光を取り込み、明るく開放感がある。そこに据えられた丸いテーブルに着いていた男は、礼を取るアイリスに目をやることもなく、手にした白磁のカップを置いた。
「君の呼び声はここまで届いていたよ。カシンの城中に聞こえていたんじゃないかい」
「そうなのリエンザ様。聞いてくださる」
リエンザの遠回しの咎めを意に介した様子もなく、アイリスはばたばたとテーブルに近寄った。そしてリエンザの向かいに腰かけ、テーブルにはしたなく肘をつく。
リエンザは指摘するわけでもなく、ただそれを一瞥する。
「嬉しいことでもあったのかい」
ふっと微笑みを浮かべて、リエンザはカップを置いた。アイリスと比べても遜色ない程白く細い指に、アイリスは思わず目を奪われる。
リエンザの肩下に届く長めの暗紅色の髪は一つに束ねられ、アイリスを見つめる金の瞳は穏やかに優しげな光を湛えている。長い前髪の隙間に見える眉は慈愛に満ちた弧を描き、肌は白磁のように繊細で白い。痩身をフードの付いた褐色のローブで覆い、いかにも優男の若い魔導師の風情だ。
「魔導院の魔導師様方がいらしているの」
「それだけかい」
見透かしたように笑ってリエンザは首を傾げた。
「ユニ様が来てるの。リエンザ様も知っているかしら」
アイリスは言いながらカップに用意されていた葉茶に口をつけ、僅かに顔をしかめた。冷めてしまったせいで、喉に冷涼感がありすぎた。
「ユニ様……ね。アイリスがユニ導師と懇意だったとは知らなかったよ」
「あのね、ユニ様はリオンの大事な恩師なの」
「リオンというのは近衛の青年だろう? だからあんなに呼んでいたのか」
「そうなの。だから私も早く行かないと」
「では今日は早めに終わらせてあげないといけないね」
アイリスに微笑んでみせてから、リエンザはすっと立ち上がった。そして窓の方へ歩み寄っていく。
「ちなみに、魔導院の連中が来た理由をアイリスは知っているのかい」
「……いいえ」
つい先刻のことを思い出してアイリスは顔をしかめた。
魔導院から仰々しくやってきた魔導師たちは、まるでこの城の主であるかのように図々しく振る舞っていた。ユニが来たといち早く聞きつけて彼らを迎えたアイリスにも目もくれず、勝手に衛兵を先導に使い、勝手に城内を歩いていった。ユニだけがアイリスに気付いて話しかけてくれたのだ。魔導院と<城>の力関係については理解していても、実際目にして面白いものではない。
リエンザの目が、何もない宙の一点を見つめた。何か思案に沈んでいるのか、それきり黙ってしまう。
魔導院の名を出した時、リエンザの目が鋭くなったことにアイリスは気づいていた。
やはりリエンザは魔導院と何か確執があるのだろうか。アイリスの無邪気な好奇心が首をもたげる。何しろ魔導院に属さない魔導師など他に聞いたこともない。
魔導に必要な魔力は全て魔導院から供給されており、魔導を使うための術式も全て魔導院が掌握している。人は元々自身の身体に個人差はあれ必ず魔力を宿しているものだが、魔導院を離れようとする魔導師はその元々持っていた魔力すら厳しく制限されるのだと聞いている。魔導院に属さなければ魔導師でいられるわけがないと言ってしまっても過言ではない。
しかしリエンザは魔導師である。しかも魔導院とは離れた存在だ。常識では相反している二つの事実が並立する訳は、アイリスがそれに納得せざるを得ない状況があったからというよりない。
「リエンザ様は、今日魔導師様が来た理由を知っているの?」
問いかけにリエンザはかぶりを振る。
「魔導院に従ってるわけじゃないからね」
「流浪の魔導師なんてリエンザ様だけよ」
アイリスは笑った。
リエンザを連れてきたのは、アイリスの母であるセレヌだ。
作法の師といいながら、彼の教えてくれることは作法だけではなかった。むしろ彼の語る“その他のこと”の方がアイリスは好きだ。歴史や政治、遠い地の<城>の話、魔導院の話、星占の話。聞いたこともない、見たこともない話をリエンザは惜しむことなくアイリスに語って聞かせてくれる。
そんな彼が母の師でもあったというのを聞いたのは、つい少し前のことだった。
ある日授業が終わりリエンザを見送った後、戻ろうとアイリスが振り返ると、たまたま庭師の爺が通りがかった。そのとき驚きに目を丸くしながら庭師が呟いた言葉に、アイリスは立ち止まる。
「おや、驚いたねえ」
「どうしたの?」
アイリスに気づき、庭師は人の良さそうな笑みを浮かべた。
「いや、人違いかもしれませんがね。今のお人を久しぶりに見たものですから」
「リエンザ様? リエンザ様は私の先生よ。だからじゃないかしら」
「リエンザ様、と……。不思議なこともあるものですね。魔導師様の御力でしょうか」
「そうね、確かに魔導師のような格好だけど、リエンザ様は魔導院からいらしているわけじゃないわ」
「おや、そうですか。私には難しいことはわかりませんがね。……あの方は先代様も教えていらしたんですよ」
先代様、それはアイリスの祖父を指す。すぐには言葉の意味が飲み込めなかった。
「どういうこと。だって、リエンザ様はどうみたって……」
自分が言っていることもおかしいことのような気がして言い澱む。
リエンザはどう見ても母セレヌより若い。それが祖父の教師をしていたという。庭師を疑うわけではないが、なかなか素直に信じられることではない。なにかの勘違いではないか。
庭師の爺は細い目をさらに細めて、驚くアイリスに微笑みかけた。
「あなたの母上様も教えていらっしゃった。あまりに姿が変わらないので、てっきり魔導の力なのかと私は思いましたよ」
そして去っていく庭師の背を見送りながら、アイリスはしばらく動けなかった。今思えばその時、ようやくリエンザという人に得心がいったのだろう。彼の纏う空気の正体が謎の多い掴み所のなさであると気づいた。庭師の勘違いだと言い切ることが出来ない何かを、確かに彼は持っているのだ。そしてこの後、アイリスはセレヌの口から庭師の勘違いではないことを聞いた。
リエンザは何者なのだろうか。庭師の言葉を思い出したせいか、彼に出会ってから何度目かの問いがまた浮かんだ。
「……ねえ、リエンザ様」
「アイリス、顔に出ているよ」
「えっ」
「好奇心が」
顔をあげた時には、リエンザはアイリスに背を向けていた。足下まですっぽりと隠しているリエンザの褐色のローブがふわりと揺れる。よく見れば、アイリスが身につけている衣服とそれほど材質は変わらない。上質であるだけではなく、所々に細い金糸が目立たないように縫い込まれている。こういった衣裳は王女のアイリスでさえ、初めて見るものである。
何気なく、心が口をついて出た。
「リエンザ様は何者なの」
その言葉を聞いてわずかにアイリスを振り返ったリエンザが、横顔で薄く笑う。その歪みとも思える微笑みに背筋がすっと冷えるのを感じ、アイリスは顔を強ばらせた。
初めて感じたリエンザへの恐怖だった。掌が冷たい汗を掻き、喉が急速に渇く。目の前にいるのは誰であろうか。優しく穏やかで親しみやすいアイリスの師が、こんな歪みを口元に浮かべたことが今までにあっただろうか。
アイリスは無意識に、右手で心臓の上を押さえていた。
「……リエンザ様」
出た声は小さく掠れて、震えていた。
「アイリスはどう思う」
返ってきた低く怜悧な声。恐ろしい。母であるセレヌは、彼のこんな姿を知っているのだろうか。動悸がうるさく耳につく。まるで握り込まれた心臓の悲鳴のようだ。
「私が、恐ろしいかい」
リエンザが振り返った。その途端に先程までの緊張感は消え、彼の表情には憂いさえ浮かんでいる。声音の柔らかさに、アイリスはやっと肩の力を抜き、ほっとため息をついた。いつものリエンザだ。
リエンザは困ったように微笑んだ。
「実際、マリーのようにセレヌ王妃が子供の頃から長く城に仕えているような者達は、私を薄気味悪く思っていることだろう」
「そんなことは」
「ない、と思うかい。彼らが私を見る目は、さっきの君の目にそっくりだよ」
アイリスははっとしてとっさに俯いた。リエンザには見抜かれていたのだ。一気にわき起こった羞恥で顔が熱い。
「リエンザ様、あの、私……すみませんでした」
立ち上がり、頭を下げる。この礼の仕方もリエンザに教わったものだ。なぜこの人に怯えてしまったりしたのだろうと、また情けなく思った。
たっぷり時間をかけた礼のあと、頭を上げると、リエンザは頷いてくれた。
「私に謝る必要はないが、上手に礼も出来るようになったね、アイリス。ご褒美に、一つだけ、何でも質問に答えてあげよう」
「本当!」
途端にぱっと明るくなったアイリスに苦笑しながら、リエンザはまた頷いた。すかさずアイリスが問う。
「それじゃあ、若返りの魔導はどうやったら使えるようになるの」
その勢いにリエンザは目を丸くして驚き、すぐに声をあげて笑う。
「……アイリス、質問は一つだけだけど、それでいいのかい」
「だって、女の子なら誰でも気になることだと思うわ」
至って真剣なアイリスの表情に圧され、リエンザはため息をつきながらやれやれとこぼした。
「分かった。……アイリスは歴史の授業は得意かい」
「作法よりは得意だわ」
「それなら、魔導院の仕組みについては知っているね」
思ってもみなかった話を振られ、アイリスは懸命に記憶を引っ張り起こした。
「ええっと、太陽神ネオに伝えられた技術である魔導を管理して、魔導を教えたり、魔力を魔導師や各地の<城>に供給したり、世界を統括しているのが魔導院。この乾いた大地では種も芽吹かないから、作物を育てるにも魔導の力が必要になる。だから魔導院の供給する魔力が人々の生活を支えている」
記憶の中の教科書の文言を必死に思い浮かべる。リエンザが頷いたので、記憶は正しかったらしい。アイリスはほっとする。これで歴史の授業までやり直しになっては堪らない。
「魔導院が世界の中央に造られたのは四百年前。それで、ええっと、その……」
「四百年前」
リエンザがしどろもどろのアイリスを遮った。
「四百年前、起こった戦争で、人は魔力の源である月を失った。月の支配していた<森>も焼き払われ、人はもう魔力を自由には出来なくなった。魔導を使えば魔力は消費されていく。しかし月の光によって魔力を与えられていた人間には、月を失ってはもう魔力を回復する手立てはなかった」
おや、と思う。その話はアイリスもよく知っていた。しかし歴史として学んだものではない。それは母がアイリスに語ってくれた話だ。
「月を奪った魔導師の話だ。一人の魔導師が魔力を求め、月を独り占めにしようとして戦いを起こした。魔導師は<森>を失わせ、月を連れ去った。それからこの世界には月が昇らず、戦いのために焦土となった大地は荒野となり、二度と生命を育むことはなかった」
リエンザは言葉を淡々と紡ぐ。一方でアイリスの顔は青ざめていた。
リエンザの語ったそれは、王族にのみ伝えられる伝承と、母が語ってくれたものだった。月と魔導師の話は子供の頃に聞かされた寝物語に似ていたが、大きく違うのはそれが真実として聞かされるか虚構として聞かされるかということである。四百年前に大きな戦争が起こったことは多少の教養がある者なら知っていることだが、その戦争の詳細はこの伝承でのみ伝えられ、王族は堅く口を閉ざしてきた。それを調べようと思う者は現れても、まさか子供のお伽話として変容しているとは誰も思わない。アイリスも驚いたのだ。戦争があったことと、世界に存在しない”月”の存在を謳ったおとぎ話が実は繋がっているなど、誰が考えるというのか。
しかしそれを、なぜ知っている。アイリスは咎めるような厳しい視線をリエンザに向けた。意をついて、リエンザは辛く悲しい何かを押し留めるように唇を噛んでいた。
「……私も最初は魔導院にいた。伝承は知っているよ」
その答えはあながち嘘というわけでもなさそうだった。王族に伝えられていると母は言ったが、魔導院ならば当然戦争の詳細は伝えているだろう。大地の中央に位置する魔導院は、文字通り世界の中心である。
「さっきの質問の答えに、いにしえの戦争が関わってるの?」
何気ない質問だったが、その瞬間、リエンザの金の瞳の片方が一瞬銀の光を灯したように見えた。それと同時に大きな魔力の波動を感じてアイリスは目を瞬く。そんなアイリスの表情を見てか、リエンザは柔らかく微笑んだ。
「実はね、私の片目には月の魔力が宿っているんだ」
「へ?」
「要するに、若返りの魔導を行使するにはとんでもない量の魔力が必要だってことだよ」
アイリスの頭には、リエンザの瞳が銀に光るつい先ほどの光景が浮かんだ。しかし月の魔力など失われて久しい。あまりにも答えが飛躍しすぎていて、リエンザがアイリスを言いくるめるための芝居を打ったようにも思える。
アイリスがそうして考え込んでいた時だった。リエンザが何気なく言った言葉で、アイリスはまた凍り付いた。
「……そうだ。王女は、要の石は見たことがあるかい」
突然のその言葉にアイリスは一瞬驚いたあと、すぐに頭がかあっと熱くなっていくのを感じた。頬が火照っているのが分かる。リエンザには振られたくない話題だ。怒りによく似た羞恥の心がアイリスに拳を固めさせる。
「アイリス?」
なぜ、知っているのだろう。リエンザはなぜ、知っているのだろう。
アイリスは艶やかな唇をきつく噛んだ。黙り込んだアイリスを心配そうに見つめる師に他意がないのは分かりすぎるほど分かっても、それでも口に出すべき答えは見つからないのだ。握りしめた手を見つめても見つめても、頭は焼き切れてしまったように回らなかった。息まで苦しい。
その時ふと、リエンザの細い手がアイリスの頭を優しく撫でた。冷たい手がアイリスの頭をすっと冷やし、心を落ち着かせていく。顔をあげようとしたアイリスの頭を、リエンザは愛おしげに抱いた。
「君の逡巡はよく分かるよ。意地悪なことを言ってごめんね。<城>には要の石があるのは知っているね。この後私と別れたら、月が昇る前に急いでその場所に行きなさい」
「……どういうことか分からないわ、リエンザ様。それに月が昇るって一体」
「アイリス。私はカシンで生まれたんだ。もう戻ることはないと思っていた愛しい故郷だった。……アイリス、君がカシンに生まれてくれたことを感謝するよ。美しい太陽の子」
「リエンザ様、どうしたの。何か……起こるの?」
驚きに目をみはりながら、リエンザに横から頭を優しく抱かれた状態でアイリスは動けなかった。不思議な焦りが心臓の動悸を高鳴らせるのを感じていた。それは予感にも似た不安だ。何か大きな渦に巻き込まれる、絡み取られるような兆し。ぬぐい取ろうとしても拭いきれない得体のしれない何かに、身体が震える。
「アイリス。日が沈む前に“要の石”へ向かいなさい。必ずだ。どこにあるかは分かるね」
リエンザの声音に懇願が混じる。その弱さが、アイリスに口を開く覚悟を決めさせた。
「……地下にある“要の石”のことなら知ってるわ。でも、私そこには近づけない」
リエンザもやはり知らないのだろうか。これほど聡明で博学なリエンザも、カシンの王族が恥じて匿してきた秘密までは及ばないのか。
口に出すのもはばかられる、カシンの汚点。
「要の石への扉を開けられないの」
アイリスが何を言っているのか、リエンザには分からないかもしれない。本来ならば<城>の主たる王族にのみ、立ち入りを許しているはずの扉だ。言い換えれば、正統な王族であれば必ず開けることのできる扉だということ。
「アイリス」
リエンザの腕が離れる。だから彼とこの話をするのは嫌だった。リエンザに何の資格も持たない自分を知られることは恥ずかしい。
「だから、要の石へは……」
「アイリス、信じなさい」
ふるえる手を優しく握られて、アイリスは伏せかけた顔を戻す。
リエンザは変わらないいつもの優しい笑みを浮かべている。
「私を信じて、要の石に行ってみなさい」
「でもリエンザ様」
「絶対だ。……アイリス、聞いてくれるね」
強い意志の宿る金の瞳に、あらがえないことを知り、アイリスは力無く頷いた。
「場所は分かるね」
「ええ」
「それならいいんだ」
リエンザはアイリスの手を離して立ち上がる。
「長居をしてすまなかったね。私はそろそろ帰るよ」
「……リエンザ様、待って」
もうリエンザはフードをすっぽりと被り、帰り支度を進めている。
「魔導院の連中も、いい加減に帰ったろうからね」
言われてようやく思い出した。
「あっ、リオン」
はっと窓の外に目を遣ると、もう夕暮れに空は染まっている。
「いけない、ユニ様の謁見、終わってしまったかしら。リオンをまた探さないと」
アイリスが慌てて忙しそうに目を色々なところに泳がせるのを、リエンザが面白そうに眺める。
「リオンか……“リオン=エル=パドゥートゥーテ”」
リエンザのふとしたつぶやきに、アイリスは首をかしげた。
「違うわ。リオンの名前はリオン・ユニ・パドゥテよ」
それを聞き今度は吹き出したリエンザに、アイリスは口を尖らせる。
「なぜ笑うの」
「王女は神語の勉強は熱心ではなかったようだね。“リオン=エル=パドゥートゥーテ”は神の言葉だ」
「神語って、魔導に使う、あの神語? どういう意味の言葉なの」
「それは秘密だ」
「意地悪!」
口を尖らせるアイリスに、リエンザは温かな眼差しを向けた。
こうして少し名前が出ただけで、華やぐ彼女の表情のなんと美しいことか。いつの間にこんな顔を覚えたのだろう。その瞳の輝きの意味を、リエンザはよく知っていた。
そしてその顔を見ていると少し、迷う。
リエンザは息を吐き、その迷いを振り払う。アイリスには恨まれるかもしれない。この瞳の輝きが永遠に失われるかもしれないと予期していながら、見過ごそうとしているのだ。
そんな思いを抱きながら、しかしリエンザは僅かな芽も摘み取るように念を押す。
「アイリス、私の頼みも忘れてくれるなよ。“要の石”だ」
アイリスは華のような明るい笑顔を見せて頷いた。
「ええ、リエンザ様。それから……明日の授業はきちんとこの部屋でリエンザ様をお待ちしています」
リエンザも少しの間をおいて、頷いた。