ラジックの相談所 第四話
第四話
いつものラジック相談所。その部屋の中では俺とクラナさんは仕事をしている。
「えーと、あの書類は、っと……ん、どこだ? クラナさーん、公園の使用許可書はどこでしたっけ?」
「それならあたしの机の上よ。ほかの書類に紛れて置いてあるかもしれないからよく探してみて」
「はい……あった、これだこれだ」
ただし。その仕事の内容は普段とはまったく違うものだった。いつもの相談員としての仕事は今はお休みしている。
「クラナさん、この書類は地域振興課の人に渡せばいいんでしたっけ?」
彼女は俺が手にした書類の束をちらりと見るとすぐに答えた。
「ええ、そうね。地域振興課で間違いないわ。ああ、それと……」
クラナさんは相談所の壁端に置かれた大きめの段ボール箱を指さして言った。
「そこの段ボールも一緒にお願い」
「げっ!」
俺の顔が青ざめる。
「俺、それも持って山の階段を下りないといけないんですか?」
無下に言い放つクラナさん。
「そうよ。重いから気をつけてね」
「……はい」
仕方なくうなずく俺。手にしていた書類をその段ボールの中に放り込んで一緒に持ち上げる。
「よいしょ、っと」
俺は部屋の床に置かれたほかの段ボール箱やスピーカーやマイクやほかのよくわからない機材を避けて歩きながら、開けっ放しされた入り口のドアから外に出る。
「うわー、暑いなー」
強烈な夏の日差しが照りつける。
「このクソ暑い中、クソ重い段ボールを持って、クソ山のクソ階段をクソ苦労して下りなきゃいけないなんて。最悪だな、こりゃ」
「ユトー君、ぐだぐだ言ってないでさっさと役場まで行って帰ってきなさい。仕事はまだまだたくさん残っているのよ!」
「は、はーい」
俺の愚痴を耳ざとく聞いていたクラナさんの言葉に追い出されるように俺はこの山、神殿山の階段の方へと歩を進める。
「ふう、毎年ながらこの時期は本当に大変だな」
今は七月の中旬、俺たちラジック課の職員にとっては一年で一番忙しい時期だった。それもそのはずで俺たちはあと数日であるイベントを開催しなければいけなかったからだ。
「ラジック祭。それが毎年、この時期に俺たちが開くイベントだ。エベストルの町役場の職員、特にラジック課の俺とクラナさんが中心になって開くこのお祭りはエベストルの地域活性化やら観光客の増加やらを見込んでのけっこう大きなイベントなのだ」
いつもは仕事をさぼりがちなクラナさんですらこのイベントの開催については恐ろしく気合いが入っている。ラジック祭は俺たちラジックに関わる人間にとってはまさしく一年で最も重要な出来事なのだった。
「このひまわりの花を見ると自然に気分が高まってくるよな」
横を向くと相談所や神殿の周りに生えたひまわりたちは見事にきれいな花を咲かせている。人の顔よりも大きな黄色い花がギラギラと輝く太陽のように咲き誇っている。白い神殿を囲む黄色いひまわり、この眼にも鮮やかな光景こそが夏の神殿山の風物詩と言ってもいいぐらいだった。夏はラジックの季節なのだ。
「よし、がんばって行くか」
俺は額に汗を光らせながら山の階段を下りていった。
「おっ。向こうの方もだいぶん準備が進んでいるな」
時折、階段の脇に並ぶ木々の間から見える眼下の光景。その中で最も神殿山に近い場所には緑の芝生がよく目立つ大きな土地が広がっていた。
「神殿山公園、ちょうど山のふもと辺りに作られた公園だ」
そこはかなり広い公園で数面の広場、四季折々の花が咲くお花畑、貸しボートに乗れる池などがあり、公園の中を横切るように小さな川まで流れている。ほかにも山の中を通るランニングコースなんかも整備されていて普段から利用する人がとても多いところだ。特に休日には親子連れや運動好きの人でいっぱいになるエベストルの中でも人気のスポットだな。
「その割には山の上にある神殿まで足を運んでくる人は極端に少なくなるのは不思議なことだ。よっぽどみんなはラジックというもの自体には興味がないのだろうな。たぶん神殿山の名前にある神殿がなんの神殿なのかも知らない人は多そうだな」
そのことは、まあいいや。それより、
「ラジック祭が開かれる場所はどこかというと、実はあの神殿山公園なんだ。神殿にも近い場所だし住宅地からもそれほど離れていない。お祭りを行うにはもってこいの場所だ。おかげで例年ラジック祭には多くの人に訪れてもらっているんだ」
ここから見える公園の芝の上では多くの人が祭りの準備をしている。木々に飾りをつけたり会場の設営をしたりお店の場所を決めたりととても忙しそうだ。
「みんな、がんばっているな。今年もいいお祭りにできるといいな」
やがて階段を下りきる俺。車に荷物を載せて町役場まで運んで行くのだった。
しばらくして。日も傾きかけてきた頃だ。
忙しなく祭りへの準備を続ける俺とクラナさんの前にイエスタが姿を現した。入り口の辺りに立って部屋の様子を見ている。
「あら、イエスタちゃん。こんにちわ」
イエスタの姿を見つけたクラナさん。いつもはイエスタを見ると真っ先に飛びついていくクラナさんも、さすがに今日は自重して仕事を続けている。普段もこうあって欲しいものだな。
「……ああ、うん」
小さく返事をするイエスタ。
「今日はもう学校は終わり?」
「……うん」
聞こえるか聞こえないかぐらいの声でまた返事をするイエスタ。それから部屋の中に入ってきて、
「……ラジック祭の準備、手伝う」
ぽつりとつぶやくように言う。クラナさんは答える。
「本当? ありがとう、イエスタちゃん。それじゃあねぇ……」
部屋の中にあった大きな段ボール箱を一つ指さしながら、
「その中にいろいろな飾り物が入っているから。イエスタちゃんには神殿の方の飾り付けをお願いするわ。いちおうお祭りの日にはこのラジック神殿まで来てくれるお客さんもいるから肝心の神殿もきれいにしとかないとね。祭壇の周りとかを特にお願いね」
「……わかった」
イエスタはこくんと小さくうなずくとその段ボール箱を両手で抱えてまた外に出ていったのだった。
「…………」
そのイエスタの姿を何気なしに見ていた俺。ややあってクラナさんに話かける。
「あの、クラナさん……」
「ん、なあに?」
「さっきもそうなんですけど、ここ数日のイエスタって……」
俺はなんとなく思っていたことを口にした。
「なんだか少し元気がない様子じゃありませんか?」
俺は自分がこの課に配属された去年のことを思い出す。
「去年のラジック祭の頃のイエスタはそれはもうものすごいテンションだったじゃないですか。ずっとラジックがどうこうとか神様がどうこうとか楽しそうに言ってて。準備の時も一番働いていてたぐらいだったし。イエスタが誰よりもお祭りの始まりを待ちわびていた感じでしたよ」
先ほどのイエスタの様子を思い浮かべる。
「でも、今年のイエスタはとてもじゃないですけど去年のような元気があるとは思えないんです。しかもここ数日はまるで祭りが近づくにつれてさらに元気がなくなっていっているような感じがして」
クラナさんはイエスタとは数年来の付き合いだ。俺よりもはるかにイエスタのことについては分かっているはずだ。尋ねてみる。
「クラナさん、どう思いますか?」
クラナさんは俺の言葉に真顔になって答えた。
「そうね。あたしもそう思ったわ」
「やっぱりそうですか」
「ええ、君の言うとおり今年のイエスタちゃんは明らかに元気がないわね。ひどく落ち込んでる、ってほどではないけど何かすっきりしない顔をしているのは確かね」
首を傾げて言う。
「あたしもラジック祭を目の前にして元気のないイエスタちゃんを見るのなんて初めてよ。ほんと、どうしちゃったのかしら。あたしも気になるわ」
俺は駄目もとでクラナさんに尋ねる。
「イエスタの元気がない理由に何か心当たりでもありませんか?」
やはり、クラナさんは首を横に振る。
「ううん。残念だけどあたしにもさっぱりね」
「そうですか」
少しして。
「ねえ、ユトー君……」
今度はクラナさんから訊いてきた。
「どうせ考えてもわかることじゃないんだから、思い切って本人に聞いちゃえばいいじゃないの? 『どうしたんだ、イエスタ? 元気ないぞ』ってさ」
その提案に俺は、
「そ、それはそうですけど」
やや戸惑いながら答えた。
「いちいちそんな個人的なことを尋ねるのもおかしいかなって。ただでさえイエスタは気まぐれなんだから。もしかしたら、いつものわがままかもしれないし。また高い肉が食いたいってだけかもしれないでしょ?」
俺のその言葉をクラナさんははっきりと否定した。
「いや、今回はそんなことではないとあたしは思うわ。たぶんイエスタちゃん、何か悩みでも抱えているのよ。きっとそうだわ」
「……なるほど、悩みですか」
まあ、脳天気なイエスタでも悩みを持つことぐらいあるだろう。ない話ではない。クラナさんは続けて、
「そう。それもラジックに関する悩みね」
「や、やけに具体的ですね。ラジックに関してですか。そう思う根拠はなんなんですか?」
クラナさんの意見を疑うわけではないが、いちおう訊いてみると、
「女の勘よ」
あっさりと言い切るクラナさん。
「か、勘ですかぁ? そんな、いい加減な……」
俺の言葉を遮ってクラナさんはすかさず反論する。
「あら、勘をバカにしてはいけないわ。勘というのは過去に得た知識や経験をもとにした脳による瞬間的な判断なのよ。いい加減なものじゃないわ。特にあたしの勘はけっこう当たるんだから」
「は、はあ……」
冗談なのか本気なのかわからないクラナさんの言い草。学者さんの言うことは俺にはわからないな。
「もう、いいから!」
やがてクラナさんは痺れを切らしたように俺に言った。
「君がイエスタちゃんに訊いてみなさい! そうすればすぐにはっきりすることでしょっ?」
「そんなぁ〜。クラナさんが訊いてくださいよ〜」
「あたしじゃ駄目よ。年齢が離れすぎているわ。残念だけどあたしに中学生女子の悩みなんて解決できないわよ」
「俺だって同じようなもんですよ」
クラナさんは有無を許さない態度で言う。
「もうあきらめなさい、ユトー君。これは上司命令よ!」
「ええー」
こう言われては仕方ない。いろいろと弱みを握られていて俺はクラナさんには逆らえない立場なんだ。俺は渋々、うなずく。
「……わかりましたよ。後でイエスタが帰ってきたら訊いてみます。それでいいんでしょ?」
「そう。素直でよろしいわね、ユトー君」
にっこりと笑うクラナさんであった。
またしばらくして。
「……神殿の飾り付け、終わった」
イエスタが相談所へと戻ってきた。
「……次の仕事は?」
クラナさんは、
「今日はもういいわよ、イエスタちゃん。仕事はおしまい。ご苦労様だったわね」
「……そうか。じゃあ、わたしは帰るとしよう」
「あ、待って、イエスタちゃん」
クラナさんは背を向けるイエスタを呼び止める。
「夕食にピザを買って来たの。これからユトー君と食べるんだけど、イエスタちゃんも食べていかない? なんならおうちの方にもあたしから連絡をいれておくけど」
イエスタは少し考えてからうなずいた。
「……うん、わかった。食べていく」
それから、
「よし。すぐに夕食の用意だ、イエスタ」
「……ああ」
手を洗ったり机の上を片づけたりお皿を出したりと食事の準備をする俺とイエスタ。
「おまたせ。みんな」
クラナさんが部屋の真ん中の机の上にピザを持ってくる。トマトとチーズがたくさん載ったおいしそうなピザだ。この香ばしいにおいは仕事の後で空いたお腹にはたまらないな。まじでよだれが出てくるぜ。これはイエスタにとっても気分がほぐれるいい材料になるだろうな。これを買ってきたクラナさんはさすがだ。
席につく三人。
「いただきまーす!」
食事が始まる。俺はさっそく目の前のピザに手を伸ばし口に入れる。
「おおっ。クラナさん。このピザ、マジでうまいですね。最高ですよ」
「そう? 良かったわ」
「どこの店で買ってきたんですか?」
「実はうちのシェフに特別に頼んで作ってもらったのよ」
「う、うちのシェフって。クラナさんの家には専属のシェフがいるんですか?」
「そうよ」
「さ、さすが金持ちはちがいますね」
そんな調子の会話で俺とクラナさんはなるべく明るい雰囲気を作る。だが。
「…………」
相変わらずイエスタは元気のない様子だ。ピザを食べている間もほとんど何もしゃべらないといった具合だ。
イエスタのやつ、これは重傷だな。クラナさんの言うとおり本当に何か悩みでも抱えているのかもしれないな。
俺がそんなことを思っているとクラナさんが肘で俺をつついてくる。さっさとイエスタに元気がない理由を尋ねてみろ、ということらしい。なんだ、もうっ。せっかちな人だなぁ。わかったよ、訊けばいいんだろ、訊けば。
「お、おい、イエスタ……」
俺はイエスタに顔を向ける。
「このピザ、うまいよなぁ?」
イエスタはようやく口を開く。
「……そうだな」
だが、心ここにあらずの生返事だ。俺はついに質問を口にする。
「どうした、イエスタ? なんだか元気がないみたいだぞ」
「…………」
「悩みでもあるのか。俺でよかったら聞いてやるぞ。ほれ、話してみろよ」
「…………」
ちらりと俺に視線を送るイエスタ。口は開かない。
「どうした? ほれほれ、言ってみろ」
できる限りの笑顔を作っていう俺。
「イエスタちゃん……」
クラナさんも言う。
「イエスタちゃんに元気のない顔は似合わないわよ。何かあったのならあたしたちに話してみて。同じラジックに関わる仕事のもの同士よ、水くさいじゃないの。あたしたちもきっとイエスタちゃんの力になれるわよ」
「…………」
しばらく黙っていたイエスタ。
「みんなの気持ちはうれしいんだが……」
やがて、うつむいたまま口を開いた。
「こればかりは、誰にもどうすることもできないんだ」
「ん? どういうことだ?」
イエスタは小さな声で答えた。
「……わたしは、ラジックが欲しいんだ」
「ラジックが欲しい?」
「そうだ。わたしはラジック神殿の神官だ。だから、神官としてふさわしいようになるべく早くラジックを授かってみたいんだ」
イエスタはうつむき加減で続ける。
「この時期になるとみんなラジックのことでとても楽しそうだ。ラジックのことで楽しそうなみんなの姿を見るのはわたしも神官としてとてもうれしい。でも、わたしはラジックの神官なのにラジックを授かったことがない。本当はラジックのことがわからない。今まではそれでも良かったかもしれないが、そろそろそんなことでは駄目なような気がして。でも、いいんだ。こんなことどうすることもできないだし……」
言葉が途切れるイエスタ。クラナさんはそれを聞いて、
「なるほどね。ラジックが欲しい、か」
思い当たったように言う。
「そう言えばイエスタちゃんは前から人一倍ラジックを欲しがっていたものね」
それから、ため息を一つついて続ける。
「そうねぇ。イエスタちゃんも早くラジックを授かることになるとあたしもすごく嬉しいけど。でもラジックは望んで手に入るものじゃないし。これは困ったわねぇ」
机の上に視線を落としたままのイエスタ。
「いやクラナ、だからもういいんだ。みんなには関係のないことなんだ。わたしは今年も……本当にもういいんだ……」
その横顔には落胆ともあきらめともとれる暗い影がかかっているように見えたのだった。
「イエスタちゃん……」
心配そうにイエスタを見つめるクラナさん。
「え、えーと、つまり……」
イエスタが落ち込んでいた理由をクラナさんはわかったようだ。だが、まだよく理解できていない俺。俺は二人の言葉からイエスタが落ち込んでいた理由を推察する。
「イエスタはなんで元気がなかったかって言うと……」
イエスタは、常々自分はラジック神殿の神官だからラジックのことを理解するためにも早くラジックを授かりたい、と思っていたんだな。でも今のところはラジックを授かることはできていない。それが今年はラジック祭が近づくにつれてそのことははっきりと悩みとなって意識されるようになったわけだな。
「なるほど、な」
わからない悩みではない。こいつは自分がラジック神殿の神官であることにものすごいプライドを持っているからな。早くラジックを授かりたいという気持ちはわかる。しかし、そこまで気にするようなことか? ラジックなんて使えてもあんまり意味のないものだぞ。俺にはいまいちイエスタの気持ちがわからないな。俺は尋ねる。
「なんだ、イエスタ。おまえ、そんなことで元気がなかったのか」
俺の言葉にイエスタは急に声を大きくする。
「そんなこととはなんだ。わたしにとっては重要なことなんだ!」
「そ、そうなのか」
「ラジックは、ラジックを授かることはわたしの念願なんだ!」
「あ、ああ……」
イエスタの態度に少し驚く俺。イエスタはまた声のトーンを落として続けた。
「今年はクラナだってラジックを授けられたんだ。神官のわたしがいつまでもラジックを授けてもらえないのは情けない。とても悲しいことなんだ」
そうか。こいつにはこの前クラナさんがラジックを授けられたこともプレッシャーとして感じられていたわけか。確かに身近な人に先を越されるのはつらいかもしれないな。
「でもなぁ……」
俺からしてみればまだまったく気にすることじゃないように思える。
「ラジックぐらい授かったことがなくてもなんの問題もないだろ。どうせあってもなくても同じようなものだし。むしろ持ってない方が余計な面倒が起きなくていいぐらいだろ?」
イエスタは反論する。
「ラジックの内容が問題なんじゃない。授かったことがあるかないかが問題なんだ!」
俺も言い返す。
「それにラジックを授けてもらうのは一生に一度あるかないかのことだ。まだ中学生のおまえが授けてもらったことがなくても何もおかしいことじゃないじゃないか」
イエスタは、
「そ、それはそうかもしれないが、わたしはラジック神殿の神官だ。それなのにラジックのことを本当は知らない、というのは駄目なことじゃないか」
俺は、
「別に駄目じゃないだろ」
それから、ついこんなことまで言ってしまった。
「俺も今、ラジックを使えるんだがラジックのことなんてさっぱりわからないぞ」
この俺の言葉を聞いてイエスタの表情が一変する。
「ユ、ユトー……お、おまえ、ラジックを授かっていたのか?」
愕然としたように言うイエスタ。
「あっ!」
しまった! 俺は言ってから自分が口を滑らせてしまったことに気がついた。そうだった、イエスタはクラナさんが先にラジックを授かったことですら気にしていたんだった。その上俺まで先にラジックを授かったことを知ったら……。
「すまん、イエスタ! いや、その、別に隠していたわけじゃなくて、その、本当に意味のないラジックで――」
まずい、まずい! イエスタは絶対に今の俺の言葉にショックを受けているはずだ。プライドの高いイエスタのことだ。俺にまで先を越されたとわかったらますます落ち込むに決まっている。
「……ど、どうしてわたしに謝るんだ、ユトー。あ、謝る必要なんてまったくない」
イエスタは言葉とは裏腹に明らかに動揺していた。
「えっと、その――」
俺はなんとか言い訳を探すが、
「……そうか。おめでとう、ユトー」
ひときわ濃い悲しみがイエスタの顔を包んでいく。
「わたしは、今日はもう帰る」
すぐにイエスタは席を立って、
「クラナ。夕食、ありがとう」
そう言い残すと一人で相談所から帰って行ってしまったのだった。
「…………」
その後ろ姿を声もかけられずに見送る俺とクラナさん。やがて、クラナさんは深いため息混じりに俺に言った。
「……はあ。ユトー君、大失態ね」
俺は頭を抱える。
「……そうですね。大失態です」
俺は落ち込んでいたイエスタを励ますどころか逆にもっと落ち込ませてしまった。中学生の女の子を相手に俺は何をやっているんだ。自分が情けなくなる。
「……すまない、イエスタ」
この日の俺は最悪の気分で相談所を後にしたのだった。
次の日。夕方。
この日も俺たちの仕事は祭りの準備だった。昨日と同じように忙しい中で一日が過ぎていった。ただし、今日は昨日と一つだけ違う点があった。それはイエスタが相談所に姿を現さない、ということだった。
「今日はイエスタのやつ、来ませんね」
そういう俺をクラナさんはじろりとした視線で見る。
「そうね。まったく、誰のせいやら」
「……面目ないです」
「まあ、もう少し待ってみましょう」
「はい」
やがて時刻は夜になった。とうとう今日は最後までイエスタは来なかった。よっぽど昨日のことがショックだったに違いない。
「……はあ、なんてこった」
昨晩のことなんか完全に忘れたかのようにイエスタがいつもの陽気な姿で現れてくれれば……、なんてずうずうしくも願っていた俺はあっさりと期待を裏切られてしまったわけだ。そうだよな。そんな都合のいい話があるわけがない。
「イエスタ、このままお祭りまでここには来ないつもりなのかな」
そんな俺のつぶやきを耳にしてクラナさんは、
「もしかしたら、ラジック祭にも来ないかもしれないわよ」
「イエスタがラジック祭にも来ない?」
これは俺が考えもしなかったことだ。
「そ、そんなことが……」
ラジック祭はイエスタにとって一年で一番重要なイベントだ。それにも姿を現さないとなるとこれはもう一大事だ。イエスタの気持ちはよほど沈んでいることになる。元気がないどころの話じゃない。あいつのアイデンティティに関わる深刻な話だ。
クラナさんも心配そうに言う。
「イエスタちゃん、ああ見えてけっこう繊細なのよ。感受性が強い、っていうのかな。いいことがあったときなんかは本当にもう嬉しそうに喜ぶんだけど、その分悪いことがあったときも人一倍強く受け止めちゃうのよ。つまり根が真っ正直なのよね」
確かにイエスタにはそんなところがある。
「だから、今回のこともあたしたちが思っているよりイエスタちゃんは落ち込んでいるかもしれないわね」
「……そうですか」
俺の頭に昨晩のことがよみがえる。
「どうしよう。俺のせいだ……」
俺は落ち込んでいるイエスタの心の傷にさらに塩を塗り込むようなまねをしてしまった。
「クラナさんっ。俺、どうしたらいいですか? 今からイエスタのうちに行ってきちんとイエスタに謝ったりした方がいいですかっ?」
俺はクラナさんに向かって叫ぶように訊く。
「ちょ、ちょっと、ユトー君」
クラナさんはぎょっとして俺の方を向く。
「急にそんな大きな声出さないでよ。びっくりしちゃったじゃないの」
「す、すみません」
俺はまた声を小さくして話す。
「でも、このままじゃ本当にイエスタはラジック祭に来なくなっちゃいますよ。なにか手を打たないと。とりあえず謝りにいって……」
クラナさんは首を傾げながら、
「そうねぇ。あたしが考えるに君がイエスタちゃんに謝ったところで話はまったく解決しないと思うわよ」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、間違いないわね。イエスタちゃんは何で落ち込んでいるかというと自分で自分自身を責めているからなのよ。ラジックを神様から授けてもらえない自分自身に悲観しているの。あなたが謝ったところで問題は解決するどころか、むしろ逆効果になる可能性の方が高いわね。余計にイエスタちゃんを追い詰めることになるわ」
俺は納得する。
「……なるほど。そうかもしれませんね」
クラナさんの言うことはおそらく正しい。さすがにイエスタのことをよくわかっている。
「じゃあ、どうしたら……」
俺はなんとかイエスタを元気づけるほかの方法を考える。だが、そんな方法は俺の頭ではまったく思い浮かびもしないのだった。
「ああ、もう駄目だっ!」
頭を掻きむしる俺。あきらめそうになる。しかし、そんなところへ、
「……ユトー君」
クラナさんは俺に言った。
「わたしに手があるわ」
慌てて聞き返す俺。
「ほ、本当ですかっ?」
「ええ。うまくいくかは分からないけど昨日から考えていたちょっとした作戦があるの。こうなったらその作戦をやってみるしかないわね」
俺は藁にもすがる思いでクラナさんに尋ねる。
「い、いったいどういう作戦なんですか? 早く教えてください!」
クラナさんは真剣な表情で俺を見つめる。
「焦らないの、ユトー君。この作戦はね、あなたの役割がとても重要なのよ。今、教えるからしっかりと落ち着いて理解するのよ」
お、俺が重要? いったいどんな作戦なんだ? まあいい。どんな作戦だろうとイエスタがまた元気になるなら俺はなんだってやるさ。
「わかりました。俺にできることならなんでもやりますよ」
「よし、いい心構えだわ」
やがて、クラナさんは机の上のメモに何かを書いて、それを俺に渡した。
「これが作戦の概要よ」
メモにはクラナさんの考えたイエスタをもとの元気な姿に戻す作戦のことが書かれていた。
「こ、これはっ?」
クラナさんはウインクをして言う。
「どう? 名付けて『とんでもラジック大作戦』よ!」
その作戦の内容を読み進める俺。それを読み終えての俺の感想は、
「こ、こんなこと、果たしてうまくいきますか? なんか俺には穴だらけの作戦に思えるんですが……」
だがクラナさんは、
「あら、失礼ね。きっとうまくいくわよ。それにこの作戦、うまくいくかどうかはユトー君、あなた次第じゃなくて?」
もう一度、俺はその紙に書かれた文字に眼を落とす。
「ま、まあ、この作戦の内容からするとそうなりますけど」
クラナさんは迷いのない表情だ。
「じゃあ、細かい心配なんかしていても無駄ってものよ。君がうまくやるかやらないか、肝心なのはそれだけよ」
その言葉を聞いて俺の心は固まる。そうだな。クラナさんの言うとおりだ。俺は今さっき、俺にできることならなんでもやると宣言したばかりじゃないか。
「そうですね。俺、がんばります!」
「うん、その意気ね。あたしもできる限りサポートするわ」
「はい、お願いします」
こうして俺とクラナさんのイエスタをもとの元気な姿にもどす作戦が開始されたのだった。
また次の日。
いよいよラジック祭は明日へとせまっていた。今日もイエスタが相談所に来ないとなれば祭りの当日も来ない可能性が高くなる。だが、昨晩はついにクラナさんがとんでもラジック大作戦なるものを開始した。この作戦の第一段階がまずはうまくいったとすると今日はまたイエスタがこの相談所に姿を現すはずなのだが。
「イエスタ。頼む、来てくれ!」
俺とクラナさんはラジック祭本番を明日に迎えて慌ただしく仕事をこなしながらも、イエスタが来るか来ないかでずっとハラハラした気分で過ごさなければいけなかった。
そして、イエスタの学校が終わる夕方頃。
キィー。建て付けの悪い相談所のドアが音を鳴らして外側に開いた。
「……やあ、二人とも」
イエスタだった。
「ラジック祭の準備、手伝いに来た」
その様子を見るとまだ完全に晴れた表情をしているわけではなかったが、いくぶんかは元気が戻ってきているように思えた。
「イエスタちゃん、いらっしゃい!」
クラナさんは満面の笑みでイエスタを迎える。
「ああ、よかった。おまえ、昨日は姿を見せなかったから俺たち心配してたんだぞ」
俺も心から安堵する。どうやらとんでもラジック大作戦の第一段階はうまくいったようだな。さすがはクラナさんだ。ほんと完璧だぜ。
「ああ、昨日はちょっとな……」
イエスタはひょこひょこと歩いて部屋の中に入ってくる。
「それより、わたしも何か手伝う。明日はいよいよラジック祭だからな。わたしもじっとしていられないんだ」
「そう? イエスタちゃん、偉いわね。助かるわ」
クラナさんは言う。
「じゃあ、お外のお掃除でもお願いするわ。ゴミを拾ってほうきでも掛けておいて」
「うん、わかった。掃除ならわたしにまかせておけ。神殿もピカピカにしておいてやろう」
イエスタは部屋のすぐ外においてあったほうきとバケツを持ってまたひょこひょこと歩いていったのだった。
「クラナさん。作戦、うまくいったみたいですね!」
俺はクラナさんに眼を向ける。
「まだ安心はできないわよ。イエスタちゃんからきちんと話を聞くまではね」
「ですね」
やがて一時間ほどしてイエスタが部屋に戻ってきた。
「終わったぞ、クラナ」
「ありがと、イエスタちゃん」
「ほかに仕事は?」
「もう何もないわ。あたしたちの仕事は全部終わり。ラジック祭の準備は完全に整ったわよ」
「そうか。それはよかった。明日が楽しみだ」
「そうね」
それからイエスタは、
「あの、二人とも。ちょっといいか?」
「なに? どうかしたの、イエスタちゃん?」
「うん、えっと……」
イエスタははにかんだ笑顔で言った。
「なんだかわたしもラジックを授かったみたいなんだ」
その言葉を聞いて俺とクラナさんはちらりと目配せをする。実はこのイエスタの言葉は作戦がうまく進んでいる証拠だった。俺とクラナさんは驚いたふりをする。
「本当か、イエスタ? それはよかったな!」
「すごいわ、イエスタちゃん。ついにやったのね!」
クラナさんはあらかじめ用意しておいた言葉を続けた。
「それで、いったいどんな効力のラジックなの?」
イエスタはやや眉をひそめて、
「それがな、わたしの場合はどうもはっきりとは覚えていないんだが……確か……」
一瞬、俺とクラナさんの頭に不安がよぎった。しかし、イエスタはなんとか自分のラジックの効力を答えることができた。
「『ユトーがわたしの言うことをなんでも聞く』だと思う」
『ユトーがわたしの言うことをなんでも聞く』。なんとも妙な効力のラジックだ。しかし、その言葉を聞いて俺とクラナさんはもう一度目配せをする。
(うまくいった!)
どうやらラジック作戦の第一段階は完全に成功したようだ。これで作戦はまず一安心といったところだった。
さて、この辺でみんなに説明しておくか。このとんでもラジック大作戦の概要を。みんなももう薄々気づいているかもしれないがこの作戦は、ラジックを授かったことのないイエスタに自分がついにラジックを授かったと思わせるための作戦なんだ。イエスタに偽物のラジックを信じ込ませて使わせる。そうすることによってイエスタの元気を取り戻そうというわけだ。
ではまずそのための第一段階、それはイエスタにラジックの内容を伝えることだ。これにはクラナさんがイエスタの親御さんに頼んで朝イエスタが起きる直前に耳元でラジックの内容をささやいてもらう、という方法を取ったようだ。そんないい加減な方法でうまくいくのかかなり心配だったが、どうやらうまくいったみたいだな。イエスタの性格が素直なもので良かったよ、ほんとに。
次は第二段階、これが俺にとって大変なんだ。この偽物のラジックの効力は『俺がイエスタの言うことをなんでも聞く』というものだ。イエスタに自分はラジックを使えると信じ込ませるためにはこのラジックの効力を俺が完璧にこなさないといけないわけだ。つまりイエスタの言うことに絶対に服従しろというわけだ。確かにこのラジックならイエスタを信じ込ませることができるかもしれないが……クラナさん、あんたとんでもないことを考えるなぁ。少しは俺の身にもなって欲しいもんだ。
というわけでこの二段階ある作戦のうち、今のところは第一段階がめでたくも成功したわけだ。後は作戦通り俺がイエスタの言うことを全部聞いてやらないといけないわけだ。イエスタのやつ、何を言い出すかわからないからなぁ。大変な任務だが作戦全体の成功のためだ。頑張ってやるか。
俺は密かに気を引き締めるとともに、イエスタに再び驚いたふりをしてみせる。
「お、俺がおまえの言うことをなんでも聞く? なんだ、その変なラジックは?」
イエスタは俺の方をじろじろと見ながら言う。
「ああ、ものすごく変なラジックだな。こんなラジックを使って果たして大丈夫だろうか?」
クラナさんはすぐに答える。
「へぇー。世の中、おかしなラジックがあるものね。でも変なラジックなら今まででもたくさんあったでしょ。あたしのときなんかもそうだったし。イエスタちゃんのラジックもてきとーに使ってみても大丈夫なんじゃないの?」
「……そうだな」
うなずいたイエスタを見てクラナさんは、
「じゃあ、さっそくそのラジック、使ってみましょうよ」
俺の方をにやりと見る。
「イエスタちゃん、ユトー君になにか命令してみて。どんなひどいことでもいいわよ。おそらく彼はなんでも言うことを聞いてくれるでしょう」
「ちょ、ちょっとクラナさん。そんなに煽らないでくださいよ。なんで俺がそんなことを……」
「どうぞ、イエスタちゃん」
なんのフォローもなく話を進めるクラナさん。俺はもう少しイエスタに加減をしてもらうような発言とかを期待していたのだが。こ、この人、本当は自分が楽しむためにやってるんじゃないのか? とんでもない人だな。まあ、これも自分でまいた種だ。仕方はないのだが。
「うん。では使ってみよう」
イエスタも俺の方に意味ありげな視線を送る。
「……うっ!」
こいつ、いったい何を俺に命令するつもりなんだっ? 俺が激しい不安に襲われながら待っているとイエスタは言った。
「おい、ユトー。まず床にひざまずいてわたしに頭を下げろ!」
げえっ! 蒼然となる俺にイエスタはさらに続ける。
「そして、言うんだ。『イエスタ様、今まで数々の無礼を働いてきて大変申し訳ありませんでした。これからは心を入れ替えてイエスタ様の忠実なる僕となります』とな!」
こ、こいつ、なんてことを言いやがるんだ! いきなり俺を下僕のように扱いはじめやがったぞ。信じられんガキだ。一昨日の晩のことはあるとはいえ俺にだってプライドはある。そんなこと簡単にできるものかっ。
俺がためらっていると、イエスタは首をひねる。
「あれぇー? おかしいな、ラジックが働かないなぁー。あれぇー?」
そんなイエスタの様子にクラナさんは睨むように俺を見てくる。その眼は如実に語っていた。早く言われたとおりにしろ、と。わ、わかったよ。やればいいんだろ。ちくしょー! 俺はついに観念する。いきなり作戦を失敗させるわけにはいかないしな。俺は両手両膝を床につけてイエスタに頭を下げる。
「……イ、イエスタ様」
そして言う。
「……い、今まで数々の無礼を働いてきて大変申し訳ありませんでした……こ、これからは心を入れ替えてイエスタ様の忠実なる僕となります」
イエスタはそんな俺を見下ろしながら、
「なんだ、やればできるじゃないか。いいぞ、ラジックが続くまではわたしがご主人様でおまえは下僕だ」
それから満足そうに笑う。
「しばらくそうしていろ、ユトー。たいそういい格好だな。ハーッハッハッハ!」
相談所に響くイエスタの高笑い。な、なんたる屈辱っ。こいつ、覚えていろよ。いつか必ず仕返ししてやる!
「よし、ユトー。次はだな……」
まだあるのかよっ? ぎりぎりと歯がみをして屈辱に耐える俺にイエスタはまだまだ命令の言葉を降らせる。
「こう言え。『イエスタ様はとてもかわいくて、とても賢くて、とてもお優しい性格ですね』とな」
「…………」
黙っているとまたクラナさんがすごい眼で俺を見てくる。わかりましたよ。やりますよ。一度やれば二度目も同じだ。俺はイエスタに頭を下げたままの姿勢で言う。
「……イ、イエスタ様はとてもかわいくて、とても賢くて、とてもお優しい性格ですね」
「そうか。おまえ、口がうまいな。ただし事実を言ってもお世辞にはならないぞ、ユトーよ。ハーッハッハッハ!」
「…………」
なんだこの茶番は? 俺があきれているとイエスタはまた命令してくる。
「次はこう言え。『イエスタ様は将来は背も伸びて胸とかも大きくなってモデルみたいなナイスバディになること間違いないでしょう』とな」
俺は従う。
「イエスタ様は将来は背も伸びて胸とかも大きくなってモデルみたいなナイスバディになること間違いないでしょう」
「むふふ。そうかそうか」
嬉しそうなイエスタ。なんでこんなんが嬉しいんだ、こいつ。わけがわからん。だが、イエスタは飽きもせずに続ける。
「次はこうだ。『イエスタ様は近いうちに世界を制覇するでしょう。い、いや、それはさすがに言い過ぎでした。すみません。その、えーと、テレビとかネットで有名になります。なるかもしれません。なったらいいな。だから、がんばってくださいね』」
な、長いな。それに少し謙虚になったな。俺は言う。
「イエスタ様は近いうちに世界を制覇するでしょう。い、いや、それはさすがに言い過ぎでした。すみません。その、えーと、テレビとかネットで有名になります。なるかもしれません。なったらいいな。だから、がんばってくださいね」
「そうだな。わたし、がんばる!」
……自分で自分の言葉に励まされるとは。イエスタ、不思議なやつだなおまえ。またイエスタは、
「次はこうだ。『ここ一週間の天気はおおむね晴れでしょう』」
「ここ一週間の天気はおおむね晴れでしょう」
それを聞いてなぜか驚くイエスタ。
「なにっ? それは本当かっ?」
知らねぇよ! 俺はおまえが言ったことを繰り返しているだけだよ! なんなんだいったい。
「次はこうだ……」
こんな感じで延々とイエスタの相手をさせられる俺。しばらくして、ようやくイエスタは言った。
「あー、面白かった。もういいぞ、ユトー。ごくろうだったな」
「……や、やっと終わりか」
ふらふらと立ち上がる俺。大きく息を吐く。
「はあー。なんかものすごく疲れた……」
たいして体を動かしたわけではなかったが俺の体はすさまじい疲労感に包まれていた。
「おそらく精神的な影響だな。ずっとイエスタの言いなりになっていたんだ。俺の二十歳の青年男性としてのプライドはもうぼろぼろだよ……」
しかし、これでやっとこの作戦も終了か。俺は疲労と同時に安堵感も覚える。
大変な仕事だったがイエスタも元気が戻ったみたいだしな。いや、元気になりすぎたぐらいだ。おかげで俺はひどい目に遭っちまったぜ。まあいいや。終わったことだ。とにかく良かった良かった。めでたし、めでたしだな。
すっかり安心しきって気を抜いていた俺。だが、イエスタは言った。
「明日のラジックコンテストでも頼むぞ、ユトー」
「はっ?」
俺にはイエスタの言葉の意味がわからなかった。明日? ラジックコンテスト? 何を言っているんだ、こいつは? イエスタは呆然とする俺に続ける。
「どうした、ユトー。そんな顔をして。明日のラジック祭のメインイベント、ラジックコンテストだ。わたしも運良くこの時期にラジックを授かったんだ。出るに決まっているだろ?」
ラジックコンテスト、それはこいつの言うとおりラジック祭の中で行われる大きなイベントで、ちょうど今現在ラジックを使うことのできる人の参加を募ってそのラジックを披露してもらう、というコンテストだ。毎年、数名の人に参加してもらっていて一番評判の良かった方には記念品も贈られる。
「わたしはラジックコンテストに出るのが夢だったんだ。こんなチャンス逃してなるものか」
イエスタはこのコンテストにどうしても出たいと言っているのだった。
「あ、あのっ」
俺は慌ててクラナさんを見る。冗談じゃない、そんな話は聞いてませんよ! 俺の仕事は今日一日だけで終わりのはず。明日も、しかもコンテストに出なきゃいけないなんて知りませんよ!
だが、クラナさんは肩をすくめる。どうやら、仕方ないからまた明日も続けろ、と言っているらしい。こ、この人っ。他人事だと思って!
「楽しみだな、明日のコンテスト。絶対にわたしが優勝してやるぞ!」
がっくりとうなだれる俺をよそにイエスタはやる気まんまんだ。
こ、これはやはり明日もこの役目を続けないといけないのか?
俺は激しい目まいに襲われる。イエスタのやつ、コンテストに出るのが夢だったとか言ってるぞ。ここで作戦を中止でもしたらイエスタはまた落ち込んでしまうかもしれない。イエスタの元気が完全に取り戻せなければ今日の苦労がすべて水の泡だ。それだけは避けねば。
ポンと俺の肩をたたくクラナさん。
「がんばってね!」
しばらくして、うなずく俺。
「……はい」
いいさ、やってやるよ。乗りかかった船だ。自業自得でもある。とんでもラジック大作戦、俺が絶対に成功させてやろうじゃないか。俺はなんとか心を奮い立たせる。
「しかたない。やるか」
「じゃあ、ユトー。また明日な」
そして、スキップをしながら帰って行くイエスタ。
「……はあ〜」
俺は胃が痛くなるのを感じながら相談所を後にしたのだった。
さて、今日はいよいよ待ちに待ったラジック祭当日だ。天気は快晴。お祭りにぴったりの陽気に町は包まれている。
「晴れてよかったですね、クラナさん」
「そうね、よかったわ。でも、なぜかラジック祭の日って雨が降ったことないのよね。不思議だわ」
「へぇ、そうなんですか」
「ええ、あたしが知ってる限りでは間違いないわ。これも神様の御利益かしら。ここの神様ならあり得ない話ではないわね」
「ですね。本当に不思議な神様ですからね」
俺とクラナさんはそんな話をしながら昼過ぎの公園の中を歩く。遊んでいるわけではない。こうして俺たちは会場内でおかしなところはないかチェックして回っているのだ。ラジック祭当日でも俺たちラジック課の人間は仕事が多い。会場のチェックやイベントの進行や各種係員への連絡などやるべきことは山ほどある。残念だが俺たちにはイエスタや祭りを訪れる友人たちと遊ぶことはしばらくはできそうになかった。
「もうけっこう人が入ってますね」
「ほんと、大盛況ね。今年は去年よりも人が多いんじゃないかしら」
会場となっている神殿山公園にはすでに多くの人が集まっている。辺りには食べ物や飲み物を出す屋台が軒を連ね、お手製の雑貨をなどを売るフリーマーケットも開かれている。もちろん町の名物であるトルトルクッキーを売る店もいくつかあって、この日ばかりは町の人もこのクッキーを買って公園の猫にあげたりしている。公園の至る所では仮装をしたり楽器を弾いたりしている人たちの姿も見かける。大人も子供もそれぞれ好きに楽しんでいる様子だ。これぞお祭りって感じだな。見ているだけで心が弾んでくる。
「よーし。会場内のチェックは終了っと」
公園内を一回りしてラジック祭開催本部へと戻ってくる俺とクラナさん。本部は小さなテントハウスで作られていてここが祭りの開催にあたって全体の指揮を取っている場所だった。そして目の前には広場の一つで特別に設営された大きなステージが広がっている。
「肝心のステージの機材もきちんと機能しているみたいね」
クラナさんはその上でマイクを持ってイベントの司会をしている人を見ながら言った。ステージに設置されたスピーカーや照明などはすべて問題ないようだった。
「ここが一番重要ですからね。安心しました」
このステージでは多くのイベントが開かれる予定だった。今も町長さんの挨拶が行われているし、アマチュアバンドの演奏や手品大会などイベントは盛りだくさんだ。それに最後には例のラジックコンテストもここで行われる。俺たちはこのステージの横に作られた本部で待機しながらイベントを進行させるのが主な仕事なのであった。
「えっと、次は三十分の休憩を挟んで……ゲストを呼んでのトークショーでしたかね?」
「ええ、そうね。そろそろエベストルTVの人も来るからそっちの準備もしといてね」
「はい、わかりました」
そんな感じで忙しくも楽しいお祭りの運営を続けていく俺たち。ずっと特に大きな問題も起こることなく祭りは進んでいく。
「この調子で最後までいって欲しいものですね」
「そうね。でも大きなイベントはまだこれからよ。気は抜かないでね」
「はい」
やがて、夕方頃になってから。
「よう、イエスタ」
イエスタが俺たちのいるステージ付近に現れた。
「お祭りは楽しんでいるか?」
イエスタは笑顔で言う。
「ああ、最高だ。やっぱりラジック祭はいいものだな、活気があって」
「そうだな。すごくいい雰囲気だ」
「さっきまでロロネと二人でいろいろと見て回っていたんだ。猫にクッキーをあげたり楽器を持った人と踊りを踊ったりとても楽しかった。あとマテウスさん夫妻にも会ったぞ。おまえによろしくと言っていた」
「そうか。みんな来てくれているんだな。俺も嬉しいな」
ロロネはイエスタの親友でマテウスさんは俺のよく行く喫茶店のマスターだ。二人とも今までの俺の話に出てきた人たちだが、みんなは覚えてくれているだろうか。ちなみに今ステージの上でイベントの司会を務めてくれているのはタレントのレミー・フォンテーヌさんだ。彼も前の話に登場してたな。テレビ番組の中でイエスタにひどい目に遭っていた人だ。あのときは大変だったがこうしてラジック祭への出演にも快く引き受けてもらえてスタッフの俺としてはとても感謝している。
「ところでユトー……」
「ん、なんだ?」
イエスタは俺の前でふんぞり返ると、
「ちょっとのどが渇いたな。おい、何か飲み物を買ってきてくれ」
「うぐっ……!」
こいつ、会ってそうそう俺をパシリ扱いかよ。今日も俺は偽物のラジックのせいでこいつの言うことはなんでも聞かないといけないんだったな。それにしてもひどい性格してるぜ、まったく。
「どうした、早く行ってこい。おまえは今日までわたしの下僕だろうが」
「……わ、わかった」
イエスタにラジックが偽物だとばれるわけにはいかない。なので俺は渋々言われたとおりに近くで飲み物を買ってくる。
「ほら、これでいいだろ」
缶ジュースをイエスタに渡すと、
「うむ、ごくろう。ちゃんと一番甘いやつを買ってきたか?」
「甘いやつ?」
そう言えばイエスタは甘い飲み物が大好きなんだったな。だが、俺はさすがにそこまでこいつのために気を回してはいない。あったものを適当に買ってきただけだ。俺は答える。
「さあ、そこまではわからん」
「馬鹿者!」
急に怒り出すイエスタ。
「下僕のくせにご主人様の好みも考えないとはとんでもないやつだ! 今度からは気をつけろ!」
「わ、わかったよ」
「わかりました、イエスタ様だろ?」
「……は、はい。わかりました、イエスタ様」
俺はうなだれるように頭を垂れる。こいつめ、ほんと調子に乗りやがって。まあ、これもラジックコンテストが終わるまでの辛抱だ。がまん、がまん。
「イエスタ様、俺は仕事がありますんでまた後で」
「そうか、がんばれよ。ハーッハッハッハ!」
満足そうな笑いをまき散らしながら本部を離れていくイエスタ。やれやれだったな。コンテストが始まるまではなるべくあいつには会わないようにしよう。
そして、時刻は夜の七時となる。
日も沈みかけてきてステージの上にも強い光の照明が入る。残るこのステージでのイベントはラジックコンテストのみだ。
「……ついにこのときがやって来たな」
当然俺もイエスタとともにこのイベントに参加しなければいけないわけだ。
「いったい俺はイエスタからどんなひどい目に遭わされることやら。考えるだけで、ああ……胃が、胃が痛い……」
ストレスのよる胃痛で早くも苦しみに襲われる俺。その目の前に再びイエスタが姿を現す。
「ラジックコンテストへの参加届けを出してきた」
イエスタの顔は早くも気合い充分といった感じだ。
「よし行くぞ、ユトー。目指すは優勝あるのみだ」
かけ声とともに元気に拳をあげるイエスタ。
「がんばるぞ。やあー!」
俺がぼけーとしていると、
「どうした、ユトー? おまえもわたしと一緒に手を上げろ。気合いをいれるんだ!」
「は? わ。わかった。や、やあー」
「もう一度だ。ラジック、やあー!」
「ラジック、やあー」
さすがにやる気をみなぎらせているイエスタ。俺もなんとかテンションを上げてイエスタの相手をする。コンテストの参加者が待つステージ脇でそんなことをしているとステージの上から司会のレミー・フォンテーヌさんの声が聞こえてきた。
「さあ、みなさん。お待たせしました。本日のメインイベント、ラジックコンテストの始まりです!」
わき上がる歓声。ステージの前の芝の上には多くの人が座って拍手をしている。
「始まった、始まった!」
ステージの横で飛び跳ねるイエスタ。興奮が抑えられない様子だ。こいつはコンテストに出るのをずっと夢に思っていたんだったな、はしゃぐのも仕方がないか。
「このラジックコンテストはちょうどこのラジック祭の日にラジックを使うことのできる方に参加していただいてそのラジックを披露してもらおう、という催しです。本日は三名の方々にご参加していただきました」
ステージの上ではフォンテーヌさんがイベントを進めている。
「では、さっそく一人目の参加者の方をご紹介いたしましょう」
またもわき上がる歓声。俺たちと一緒にステージ脇で待っていた人が一人、スタッフにうながされてステージへと上がっていく。歓声の中、照れくさそうにステージ中央に立ったのは四十代くらいの中年のおじさんだった。小太りで眼鏡をかけたちょっとさえない感じのおじさんだ。
「お名前は?」
そのおじさんにフォンテーヌさんは横に立ってマイクを向ける。
「はい、私はパトリック・グールドと申します」
「パトリック・グールドさんですか。今日は私たちにあなたのラジックを見せてもらえるということですが、どうぞよろしくお願いしますね」
「こちらこそお願いします」
「グールドさん、あなたはいったいどんな効力のものなのでしょうか?」
フォンテーヌさんの質問におじさんは答える。
「え、えっと、私のラジックは『宙に浮くことができる』というものです」
「ほう! それはすごいですね」
おじさんのラジックにフォンテーヌさんや観客から感心の声が出る。宙に浮くことができるとはすごいな。なんとも派手なラジックだ。これはイエスタに強力なライバル登場だな。
「では、グールドさん。お願いします」
フォンテーヌさんの言葉に力強くうなずくグールドさん。
「はい。では行きます」
すると、グールドさんの全身がわずかに光を放ったかのように見える。息をのむ観客のみなさん。果たして人の体が宙に浮くのか? だがしかし。
「…………」
いつまで経ってもグールドさんの体は宙に浮いてこない。さすがに変に思ったのかフォンテーヌさんは立ったままのグールドさんに尋ねる。
「あの、すみませんが……その……いつになったら体が浮き上がるのでしょうか?」
グールドさんは逆に不思議そうな顔で、
「いつになったら、って……」
あっさりと答えた。
「私の体、もう浮いてますよ」
「はっ?」
その言葉に会場にいる全員の頭に疑問符が浮かぶ。いやいや、俺にはこの人の体が浮いているようにはこれっぽっちも見えないんだが。当然フォンテーヌさんもそう思ったのだろう。また尋ねる。
「いや、どう見ても浮いていませんよ?」
「浮いてますよ。私の足下をよく見てください。浮いてるでしょ?」
「えー、どれどれ……いや、やっぱり浮いてませんよ?」
「浮いてますよ。その証拠に歩いたりジャンプしたりしても足音はしないんです。ちょっと試しにやってみましょうか。よいしょ、っと」
そう言って重そうな体を精一杯動かしてステージ上でジャンプしてみせるグールドさん。確かに足音はしない。普通ならドンだのバタンだのという音が鳴ってもいいはずだったがこのグールドさんの場合はまったく小さな音も鳴らないような感じだった。
「音がしないですね。本当に浮いているようだ……」
この様子を見てフォンテーヌさんは、
「つまり、あなたのラジックは……」
首を傾げて訊く。
「見てもわからないくらいほんのちょっぴりだけ体が浮く、ということなんですか?」
グールドさんはうなずく。
「ええ、そうです!」
そして、笑顔で言う。
「すごいラジックでしょ?」
「…………」
言葉につまるフォンテーヌさん。なんとか答える。
「ええ、まあ。な、なんというか、ラジックらしいラジックですね」
それからフォンテーヌさんは大きな声でグールドさんと観客に言う。
「最初の参加者はパトリック・グールドさんでした。グールドさん、どうもありがとうございました。みなさん大きな拍手を」
こうしてコンテスト最初のラジックの披露が終わった。まばらに起こる拍手のなかグールドさんは満足そうにステージ脇に帰っていったのだった。
「……まあ、毎年こういう人はいるよな。この場合、俺はライバルが減ったと喜ぶべきなのかコンテストの初っぱなが盛り上がらずに悲しむべきなのか。う〜む」
俺はステージの横で拍手をしながらそうつぶやく。例年ラジックコンテストにはだいたい三、四人の人に参加してもらっているのだが、ラジック自体が地味なものなので今のグールドさんのようにみんなに見てもらってもあまり意味のないラジックを持った人も中には出てくる。
「でも、コンテストに参加してもらうだけでもありがたいことだからな。今年もこの時期にラジックを授かっている人がいて良かった」
過去にこのコンテストが開かれなかったことはないようなのだが、参加者がいないためにコンテストができないということも考えられないことではない。ここは微妙なラジックだったグールドさんにも拍手を送って感謝しないとな。俺がそんなことを思っているとフォンテーヌさんの大きな声がまた響く。
「では、次の方どうぞ!」
ステージの上にはまた別の男の人が姿を見せる。彼はフォンテーヌさんに名前を訊かれて答える。
「俺はルーク・ヨハン・アンダーセンだ。どうぞよろしく」
まだ十代後半くらいの青年で髪を長く伸ばしていて全体的に黒っぽいレザーの衣装に身を包んでいる。そして肩からはカクカクした形の目立つエレキギターを提げていた。
「俺のラジックは『エレキギターがうまく弾けるようになる』っいうもんだ」
そう言って彼、アンダーセン君は少し触るぐらいにギターを弾く。すると会場のスピーカーからはパワフルなエレキギター特有の音が流れ出てくる。
「みんな、今日は俺の演奏をぞんぶんに楽しんでいってくれ!」
目の前に置かれたスタンドマイクに向かってそう言うアンダーセン君。
「おーっ!」
ステージから起こる大きな歓声と拍手。エレキギターがうまく弾ける、か。これはみんなも盛り上がりそうないいラジックだな。どうやら彼は今から自分のラジックを使ったエレキギターによるライブをやってくれるようだ。俺も個人的に楽しみだ。
「よーし、みんな……」
アンダーセン君はギターをしっかり構えると、おもむろに勢いよくギターを弾き始めた。
「いくぜーっ!」
左手に持ったピックが弦を刻み右手が指板の上をなめらかに動くとスピーカーからは次々と音のかたまりが飛び出してくる。
「おっ!」
大音量の迫力ある音が鼓膜を震わせる。かなり激しい感じの音楽だ。ハードロックとかメタルとかいうジャンルだっけ。とにかく速くて勢いのある演奏だ。
「いいな。やっぱりロックのライブはこうでなくちゃな!」
俺と同様に客席のみんなも自然と体が動いてくる。アンダーセン君の演奏が素晴らしい証拠だ。彼はギターを弾きながらも余裕の表情で話す。
「曲はみんなにもなじみのあるようなクラシックの名曲のいくつかをハードロックにアレンジしたものなんだ!」
そう言って弾き続けるアンダーセン君。よく聞いてみると確かにどこかで耳にしたことのあるメロディーだ。演奏はエレキギターだが曲自体は昔からあるクラシックのもののようだ。たぶんバッハとかショパンとかだと思う。聞いたことがあるぶん耳にすんなりと入ってくるからいい選曲だな。
「それにしてもうまい演奏だなぁ」
彼の演奏する様子を見て俺は感心する。速弾きっていうんだっけ。とにかく音数が多くて音を出すスピードもものすごく速い。それでいてミスをしてしまいそうな様子もまったくなく安定して弾き続けることができている。彼の複雑に動く指先から次々と流麗なメロディーが紡ぎ出されていく様は本当に圧巻だった。
「これはエイトフィンガー奏法だ!」
アンダーセン君の両手がギターの指板を縦横無尽に舞い踊る。
「次は六弦スウィープ奏法だ!」
そうかと思うと今度は右手が細かく波打つかのように繊細な動きを見せる。
「おおー!」
彼の演奏に派手な技が出てくると会場のお客さんたちの声も高まる。
「よくわからないがすごいテクニックだ!」
俺には楽器の経験がないので詳しい奏法などのことはまったくわからないが、彼が人並みはずれた演奏テクニックを持っていることは理解できた。
「しかもただ手がよく動くだけじゃないな。リズムとかフィーリングみたいなところもしっかりしているみたいだ。簡単に言えば聞いててめちゃくちゃ楽しいぜ!」
俺もステージ脇から彼の演奏を聞いていてテンションがあがってくる。会場の観客もかなり盛り上がっているみたいだ。アンダーセン君、すごいラジックだ。
「みんな、次の曲だぜぇー!」
そんな彼の演奏はその後も数分に渡って続けられる。
「じゃあ最後の曲、いっくぜぇーっ!」
「うおーっ!」
ひときわ大きな歓声に会場が包まれる。アンダーセン君は少し間を置いてギターをよく構え直す。そして、再び曲を弾き始めたときだった。
ペキョ〜ン。
なんとも間延びした変な音がスピーカーから発せられた。
「あ、あれ?」
アンダーセン君はもう一度ギターを弾くが……。
ペキョ〜ン、ペキョ〜ン、ペッキョ〜〜〜ン。
やはり出てくるのはこの間抜けな感じの音だけなのであった。
「…………」
一瞬で静まり返る場内。ややあって、フォンテーヌさんがステージ上に現れた。
「あのー、アンダーセン君?」
呆然としているアンダーセン君に尋ねる。
「いったいどうしたんですか? 演奏はどうなったんですか?」
その皆が思っている質問に、
「ど、どうやら俺のラジックは……」
アンダーセン君はなんとか答えた。
「ちょうどさっきのタイミングで効果が切れてしまったみたいです」
「へっ?」
静まる場内。アンダーセン君は言う。
「俺、普段はギターとかまったく弾けないんで……」
「…………」
その言葉にさらに静まる場内。妙な間が過ぎたあと、フォンテーヌさんが気を利かして言った。
「ルーク・ヨハン・アンダーセン君でした! みなさん、大きな拍手を!」
みんなは気がついたかのように拍手をする。アンダーセン君はちょっとしょんぼりした様子でステージ脇に帰っていったのだった。それでも拍手は先ほどのグールドさんに比べるとはるかに大きいものだ。最後はアレだったが全体的には素晴らしい演奏だったからな。観客のみんなも喜んでいるはずだ。
「最後の最後でラジックが切れてしまうなんてついてなかったな。まあ、楽器の素人にあれだけの演奏をさせてしまうラジックだ。効力が続く時間が短くてもしょうがないのかもな」
なにはともあれ、アンダーセン君はこのコンテストを大きく盛り上げてくれた。彼にも感謝だな。
「さて、ついに……」
俺は隣にいるイエスタの方を向く。
「次は俺たちか」
俺とイエスタが今回のラジックコンテストの最後の参加者だ。
「イエスタ、準備はいいか?」
「おう。もちろん完璧だ」
準備ということで見てみるとイエスタは手に何かを持っているようだった。棒のようなものだ。俺は訊く。
「なんだ、それは?」
イエスタはその手に持っている棒を小さく振りながら答えた。
「これか。これは錫杖だ」
「錫杖?」
錫杖と言えば聖職者などが使うことのある音の鳴る杖のことだが。
「そう。これはラジック神殿の神官である我がレン一族のみが使うことを許された特別な錫杖なんだ」
その錫杖はかなり小さめで長さは五十センチぐらいしかなく杖の先の方にはひまわりの花を模した大きな飾りが付いていて、ぱっと見は本物のひまわりを持っているかのように見える。ただ、花の下の部分には金属でできた輪っかがいくつか付いていてイエスタが動かすとシャリンシャリンと涼やかな音が鳴るのであった。
「それで、その錫杖をなんに使うんだ?」
そう言えば俺はイエスタがこのコンテストで何をするつもりなのかまだ聞かされていない。ラジックをみんなに披露するということはイエスタは俺に何かをさせるということなのだろうが。この錫杖と関係があることなのだろう。さすがに俺は気になる。
「おまえ、俺にいったい何をさせるつもりなんだ?」
だが、イエスタは不気味な笑みを浮かべたまま答えない。
「フフフ、それは本番でのお楽しみだ」
な、なに考えてるんだ、こいつはっ? 気になって仕方がないぞ。俺たちがそんなやりとりをしていると、ちょうどそこでフォンテーヌさんの声が聞こえてきたのだった。
「本日最後の参加者の方をお呼びいたしましょう。どうぞ!」
来たな、俺たちの番だ! 俺の体に緊張が走る。いつも客として見ていたラジックコンテストにまさか俺自身が出ることになろうとはな。思ってもみてなかったことだ。さすがに簡単ではないだろうがイエスタのためだ。頑張って優勝を目指さないとな。
「イエスタ、行くぞ!」
「おう、ユトー!」
俺たちは照明の光に照らされたステージの上へとあがっていったのだった。
「や、やあ、お嬢ちゃん。また会ったね」
ステージの真ん中で待っていたフォンテーヌさんはイエスタを見ると一瞬だけ顔を引きつらせた。イエスタも当然フォンテーヌさんのことは覚えているだろう。テレビの収録で彼のカツラをはぎ取るという暴挙をおこなったわけだからな。
「フォンテーヌさん、こんばんわ」
「今日はお手柔らかに頼むよ、ほんと」
「ああ、大丈夫だ。まかせておけ」
苦笑いのフォンテーヌさん。それからマイクをイエスタに向ける。
「じゃあ、お嬢ちゃん。みんなにお名前をお願いね」
「わたしの名前はイエスタ・レンだ」
「君のラジックはいったいどんな効力なんだい?」
イエスタは俺を指さして、
「この男、ユトー・モンドペリが『わたしの言うことをなんでも聞く』というラジックだ」
フォンテーヌさんも俺の方を見て、
「か、変わったラジックだね。本当かい?」
「ええ。まあ、本当です。俺も好きでこいつの言いなりになったりはしませんよ」
「なんでも聞くのかい? 君も大変だね」
「どうも。ラジックなので仕方ないです」
フォンテーヌさんはまたイエスタに訊く。
「お嬢ちゃん、君のラジックを披露してもらうということは、つまり、彼に何かをさせるということなのかな?」
「ああ、そうだ」
「いったい何をさせるんだい?」
その質問に対するイエスタの答えを俺も最大限に注意を向けて待つ。今から自分がしなければいけないことだからな。しっかりと心の準備をしておかないと。イエスタは腕組みをして答える。
「まあな、ユトーに『死ね!』とか『イケメンに生まれ変われ!』とか命令したところでできるとも思えないからなぁ」
当たり前だ。馬鹿か、おまえは! イエスタは続ける。
「だから、ユトーにはわたしが今からここで行うことの手伝いをしてもらおうと思っている」
手伝い? これは意外な答えだな。それにしても何の手伝いだ? フォンテーヌさんも尋ねる。
「ほう。お嬢ちゃん、何をしようというんだい?」
「それは……」
イエスタはいつになく真剣な顔で言った。
「ラジックの神様をたたえる儀式だ」
「儀式……ですか」
「そう。儀式だ」
ラジックの神様をたたえる儀式だと? なんだそりゃ? イエスタは説明する。
「実はわたしたちレン一族は代々ラジック神殿の神官を務めているのだ。今日はラジック祭ということでみんなに我が一族に伝わるラジックの神様をたたえる儀式の一つをお見せしようと思う」
ふーん、そんなものがあるんだな。客席のどこかからそんな声が聞こえてくる。
「では、さっそく始めようと思う」
イエスタは手に持った錫杖をシャリンと鳴らして、ひまわりの花が付いた先端を俺の方に向ける。
「おい、ユトー」
「な、なんだ?」
心の準備もままならない俺にイエスタは命令を下した。
「おまえ、馬になれ」
「はあ?」
「はあ? じゃない。わたしはおまえに馬になれと言っているんだ」
「馬って、あの動物の馬のことか?」
「そうだ。顔が長くてヒヒーンと鳴くお馬さんだ。儀式には馬が必要なんだ」
「そ、そんなこと言われても。俺は人間だ。馬にはなれないぞ」
「うるさい。わたしが命令してるんだ。おまえ、がんばって馬になれ!」
無茶苦茶言うな、こいつは。しょうがないな。馬のまねをすればいいのか? 俺はその場に両手両膝を着いてしゃがみ込む。
「こ、これでいいのか?」
イエスタはにたりと笑って言う。
「いいぞ。おっと馬はなんと鳴くんだったかな?」
くっ! こいつ、また調子に乗り始めたな。しかし、観客の前でもある。こいつの命令に逆らってラジックが偽物だとばれるわけにもいかないな。俺は素早く従う。
「ヒ、ヒヒーン! ヒヒーン!」
馬のまねをする俺。客席からはくすくすと笑い声も聞こえてくる。くそ、こうなったらもうやけっぱちだ。恥も外聞も気にしてられるか。
「ヒヒーン! ブルブルブル、ヒヒーン!」
体を揺らして馬のまねをする俺。イエスタは満足そうに、
「ハッハッハ。よし、それでこそお馬さんだ。なかなか様になっているな」
それから急にイエスタは両手両膝を地面に着いている俺の背中に飛び乗ってきた。
「うっ。何するんだ、おまえっ」
「何って。馬だから乗るに決まっているじゃないか」
イエスタは俺の背中にまたがるように座る。そして、
「ほれ、進め。ステージの上を適当に進め」
錫杖を前に向けて命令するイエスタ。マジかよ。恥ずかしいうえに人一人を背中に乗せて這い回るのはけっこうしんどいぞ。
「早くしろ。儀式が始められないじゃないか」
俺がためらっていると錫杖の先のひまわりで俺の尻をぺちぺちと叩いてくるイエスタ。客席からはまたも笑い声が上がる。なんの罰ゲームだ、これは? 俺の羞恥心はもうマックスだ。恥ずかしくて死にそうだ。だが、だがしかし、俺はなんとしてでもイエスタにこのコンテストで優勝してほしい。そのためだ。俺は歯を食いしばってイエスタを背に乗せたまま四つん這いで前に進む。
「そうだ。いいぞ、ユトー。そんな感じで行ったり来たりしていろ」
「ヒ、ヒヒーン」
俺の背中で揺られるイエスタ。
「じゃあ、そろそろ始めるか」
それからイエスタは観客に向けて話す。
「これからわたしは馬に乗ったままの状態でラジックの神様の歌をうたう。これがラジックの神様をたたえる儀式だ。みんな、わたしの歌を聞いてくれ」
会場の観客たちはみな興味深そうにうなずく。
「あーあー、ゴホンゴホン、あーあー……」
イエスタは手に持った錫杖を高く掲げて左右に大きく振り始めた。ひまわりの飾りが照明に照らされてきらきらと輝く。そして、イエスタは大きな声で歌い出した。
「ラジックのー かみさまはー とっても偉大だよー」
「ラジックのー かみさまはー とってもやさしいよー」
どこか調子っぱずれな声で歌うイエスタ。
「ラジックのー かみさまはー みんなのことが好きー」
「ラジックのー かみさまはー ネコとかイヌが好きー」
錫杖をシャリンシャリンと鳴らす。なるほど。儀式というのはこんな感じでイエスタが歌っていくものなんだな。俺はイエスタのやりたいことを理解する。イエスタは歌を続ける。
「ラジックのー かみさまはー 虫とか雨きらいー」
「ラジックのー かみさまはー 働くこときらいー」
そ、それにしてもなんか変な歌だなぁ。いったい誰が作ったんだ? 俺は必死にステージ上を四つん這いで歩きながらイエスタの歌を聞く。
「ラジックのー かみさまはー あんまり外出ないー」
「ラジックのー かみさまはー けっこう腹出てるー」
おいっ、歌詞の内容が全然神様をたたえてないが大丈夫かっ? だが、イエスタは平然と続ける。
「マジックのー 落書きはー チョコで落とせるよー」
なに? マジック? ラジックじゃないのか?
「パニックのー 大都市がー 毎晩夢に出るー」
もう『ック』しか合ってねぇじゃねぇか! しかもおまえのことかよ! なんかおかしくなってきたぞ、この歌。
シャリンシャリン。そんな俺の感想をよそにイエスタは大きく錫杖を振りながら気持ちよさそうに歌う。
「僕たちとー 私たちー かならず年をとるー」
……もう完全にラジックと神様は関係なくなってきたな。
「長生きをー したければー わたしに寄付をしろー」
おいおい、どさくさに紛れて詐欺まがいなことを言うなっ。駄目だろ、そんなこと言っちゃ!
「そんな詐欺ー 多いからー みんなは気をつけてー」
なんだ、続きがあったのか。良かった。
「アドバイスー してあげたー わたしに寄付をしろー」
やっぱり良くねぇ! どんだけ金が欲しいんだ、おまえっ。とにかくすごく嫌な感じの歌だな。ラジックの神様は大幅にイメージダウンだろ、これ。いいのか?
シャリンシャリン。俺のこの歌に対する疑問と不安とともにいっそう大きくなる錫杖の音とイエスタの声。この歌もそろそろクライマックスか。
「ご近所のー うわさではー 地球がほろぶらしいー」
「突然のー 悲しみにー 涙は涸れはてたー」
クライマックスすぎるだろ! なんの歌だ、これっ。
「混沌のー 世紀末ー どうにか生き延びてー」
「究極のー エネルギー わたしは手に入れたー」
だからなんの歌だよ、これはっ? ここでイエスタはゆっくりとテンポを落としながら歌う。
「ラジックの〜 かみさまは〜 そういう映画好き〜」
錫杖を振るのをやめるイエスタ。どうやら歌はこれで終わりのようだった。
そんなオチかよ!
俺は心中で最後のツッコミを入れる。まあ、なんにしろ変わった歌だったな。これじゃあ儀式と言うよりはただの小ネタ集じゃないか。観客の人たちはこれを聞いてどう思っていることだろうか。
「…………」
客席からは特に反応はないようだ。おそろしく変な歌アンド儀式だったからな。それも当然か。だが、イエスタは一人だけ最高に上機嫌で話す。
「みんな、聞いてくれてありがとう、ありがとう!」
笑顔で客席に手を振るイエスタ。それから、
「じゃあ、もう一度最初から歌う」
は? またやるのか?
「今度はみんなも一緒に歌ってくれー!」
そんなイエスタの言葉に、
「おおー!」
なぜか客席からは元気のいい返事がかえってきたのだった。
「歌ってくれるのかよっ? み、みんな、ノリがいいな」
イエスタを乗せて動き回るのもかなり疲れてきたから俺は早くやめたいんだが、みんながやる気なら仕方がない。コンテストを盛り上げるためだ。もう一頑張りするか。
「よし、ユトー。またいくぞ!」
「わ、わかった!」
イエスタは再び錫杖を大きく左右に振り始める。そして、お世辞にもうまいとは言えない歌声を会場に響かせる。
「ラジックのー かみさまはー とっても偉大だよー」
そのイエスタの歌った後に続いて観客のみんなも同じフレーズを繰り返す。
「ラジックのー かみさまはー とっても偉大だよー」
次はイエスタが歌う。
「ラジックのー かみさまはー とってもやさしいよー」
みんなが歌う。
「ラジックのー かみさまはー とってもやさしいよー」
こんな感じで会場と一体になって歌っていくイエスタ。そして、
「ラジックの〜 かみさまは〜 そういう映画好き〜」
今度は会場全体で盛り上がったままイエスタは最後まで歌い終わることができたのだった。
「よし、もういいぞ。止まれ、ユトー」
「そ、そうか。もういいのか。ぐはぁ〜、疲れた……」
俺はやっとのことでイエスタの命令から解放される。
「これでラジックの神様をたたえる儀式は全部終わりだ」
俺の背中から降りるイエスタ。
「みんな、今日はどうもありがとう。おかげで最高の儀式ができた。ラジックの神様もきっと喜んでくださっていることだろう」
本当か? あの歌で神様は喜ぶのか? まあ、神官がそう言うならそうなんだろう。
「お嬢ちゃん、面白かったよー」
会場からはイエスタに対して歓声と拍手が起こる。どうやらみんなにも楽しんでもらえたようだな。始めはどうなることかと心配したが万事うまくいったようだ。イエスタ、よくやったぞ。今日だけはおまえを誉めてやってもいい。
「……さて、これで今回の参加者のみなさん全員にラジックを披露してもらいました」
少ししてステージ上には俺たちのほかにもフォンテーヌさんを始め誰かが姿を現した。
「再びステージにはグールドさん、アンダーセン君に来ていただきました」
今日の参加者の二人だった。しばらくイエスタを含めた参加者の三人に今日の感想などを聞いて回るフォンテーヌさん。それから、フォンテーヌさんのもとにスタッフが小さな紙を届けた。それを受け取って彼は真剣な表情で言った。
「本日のラジックコンテスト、ついに優勝者が決まったようです。では、発表したいと思います」
息をのむ俺たち。観客も含めてここにいる全員が次のフォンテーヌさんの言葉を待つ。
「……優勝はいったい誰なんだ?」
俺は緊張する。お客さんからの反応を考えるとおそらく二番目のアンダーセン君かイエスタのどちらかだろう。俺としてどうしてもイエスタに優勝してほしいんだけどな。あいつは本当に今日のことをずっと前から夢見ていたんだろうしな。しかし、結果がどうなるかはまったく分からない。
「優勝者は……」
手にした紙を開くフォンテーヌさん。さあ、どっちだ!
「ルーク・ヨハン・アンダーセン君です!」
その言葉に会場からははじけるように大きな歓声と拍手が巻き起こる。
「ああ、なんたこった!」
一方で俺はがっくりと肩を落とす。
「……駄目だったか」
現実はけっこう非情だな。優勝は彼の方だったか。俺は呆然として考える。イエスタもいい線行ってたと思うんだがなぁ。でもアンダーセン君のラジックは本当にすごかったからな。あれほどのラジックは普段でも滅多に出てこないだろう。冷静に考えればこれは妥当な結果でイエスタが優勝できなかったのは仕方のないことなのかもしれなかった。
「はっ。それよりだ」
俺は慌てて隣に立っているイエスタに眼を向ける。こいつは大丈夫かっ? この結果にイエスタは俺どころじゃないショックを受けているはずだ。また落ち込まなければいいのだが。
「お、おい、イエスタ……あのさ……」
どう声をかければいいのか俺が迷っていると、
「ユトー!」
「な、なんだ?」
イエスタの方から俺に顔を向けて何か言ってくる。
「残念だったな。でも彼のラジックは本当にすごかった。わたしたちも敗れて納得だな」
そんなことをなんともさっぱりとした表情で言うイエスタ。予想外にもイエスタからは落胆したような様子はまったく見受けられなかった。どうしたんだ、イエスタのやつ? 絶対に優勝したいとか言っていたから優勝を逃してもっと悲しむと思ったんだが、意外にも平気そうな顔をしているじゃないか。
「おまえ……」
俺がそのことを訊こうとするとイエスタは、
「おっと。表彰式が始まるぞ、ユトー」
「えっ。あ、ああ……」
ステージ上に目を移すとアンダーセン君の表彰式が行われようとしていた。町長さんがステージに現れてアンダーセン君にお祝いの声をかける。次に小さなトロフィーと副賞の旅行券をアンダーセン君に渡す。それも終わって、最後にフォンテーヌさんは言った。
「みなさん、今日はお越しいただいて本当にありがとうございました。今年のラジック祭ラジックコンテスト、これにて終わらせていただきます。それではみなさん、最後に参加者の方々に盛大な拍手をお願いします!」
会場から起こる嵐のような、それでいて温かい拍手。こうしてラジックコンテストは終わりを告げたのだった。
ラジックコンテストが終わって時刻は夜の八時になろうとしていた。
会場からは次々と人が離れていく。俺とイエスタはまだステージの近くに残っていた。そこへラジックコンテストの仕事を終えたクラナさんが姿を見せる。
(ユトー君、頑張ったわね!)
まず、クラナさんは俺に向けて笑顔でウインクをしてみせる。先ほどの俺の仕事ぶりをねぎらってくれているらしい。俺としてはコンテストでイエスタを優勝させるという目標が達成できなかったので複雑な心持ちではあるのだが。ただ、クラナさんの考え出した『とんでもラジック大作戦』、これはきちんと機能したと言っていいだろう。おかげであれだけ落ち込んでいたイエスタも完全に元気が戻ったしな。とりあえずの目標は達成できたわけだ。
「イエスタちゃん、優勝できなくて残念だったわね」
クラナさんは少しトーンを落としてイエスタに声をかける。だがイエスタは、
「クラナか! いいんだ、そんなことは。それより今日の仕事、大変だっただろう。お疲れ様だ!」
コンテストの結果など気にしていない様子で明るい表情をクラナに見せた。クラナさんは不思議そうに、
「あ、あれ? イエスタちゃん、残念じゃないの? あれほどラジックコンテストで優勝したがっていたじゃない」
「うーん、それは確かに残念だったけど……」
イエスタはなんの陰りもない顔で答えた。
「優勝できるかどうかなんてしょせんは運次第なんだし。別に副賞がほしいとかいうわけでもないし。自分のことをとにかく精一杯やったんだ。わたしの心に悔いのようなものはまったくないんだ。わたしのことは全然心配しなくていいぞ、クラナ」
その言葉にクラナさんの顔も明るくなる。
「そう。偉いわね、イエスタちゃん!」
それから、いつものようにイエスタに抱きついていく。
「さすがイエスタちゃんだわ。かわいいだけじゃなくてお利口さんなのね。あたし、ますますイエスタちゃんのことが好きになっちゃうわ!」
「や、やめろ。クラナ!」
いきなりクラナさんに抱きかかえられて迷惑そうにするイエスタ。
「ううん。やめないわ!」
「こ、こらぁ〜」
無理矢理に顔をすり寄せるクラナさんとなんとか抵抗するイエスタ。
「ほっぺた、ぷにぷにぷにぷに」
「うにゃあ〜」
二人がそんなことを続けていると、
ヒュルヒュルヒュル……ドーン!
辺りのものすごく大きな音が響き渡るとともに夜空が一瞬だけ明るく照らされた。俺たちはすぐに上を見上げる。
「あっ。花火、始まったみたいね」
クラナさんはイエスタを地面におろして感慨深げにつぶやく。
「いよいよ今年のラジック祭もおしまいね」
ラジック祭でもほかのお祭りと同様に最後には花火大会が行われるのが恒例となっていた。予算の都合上あまりたくさんの花火を打ち上げることはできないが、それでも数分の間くらいはエベストルの空を美しく染め上げることができたのだった。
ヒュルヒュルヒュル……ドドーン!
次々と花を開かせる色鮮やかな光の粒。閃いたかと思うと瞬く間に暗闇に溶け込むかのように消えていく。ラジック祭の終わりを飾るにふさわしい幻想的な光景だ。
「……すごくきれいだ」
そんな光景に見とれているイエスタ。花火の光が夜空を見上げるイエスタの横顔を浮かび上がらせる。
ドドーン! ドドーン!
夏の空を大きな光と音が駆け巡る。俺たち三人はしばらくそんな光景に目を奪われる。
やがて。不意にイエスタが口を開いた。
「ユトー、クラナ……」
「ん?」
俺とクラナさんはイエスタの方を向く。
「二人とも今回はわたしのせいで迷惑をかけたな」
俺たちはその言葉に驚く。
「おまえ、もしかして……」
今のイエスタの言葉、イエスタは自分のせいで迷惑をかけた、と言った。うーん、これは……どうやらイエスタは今回の俺たちの作戦のことに気づいていたようだな。つまり、自分のラジックが偽物であることに。
まいったな。いつ気づかれたのだろうか?
結果的に俺たちはイエスタをだましていたことにはなる。だから今回のことが逆にイエスタを怒らせるようなことになったとしても仕方がないのだが。
ただ、イエスタは、
「二人のおかげでわたしは念願のラジックコンテストに出ることができた。それにみんなにラジックの神様をたたえる儀式を見てもらうこともできた。わたしはとても嬉しかった」
俺たちのしたことに対して悪いようには思っていないみたいだ。イエスタはいつになく真面目な顔を俺の方に向けてくる。
「特にユトー……」
な、なんだ? 俺は黙ってイエスタの次の言葉を待つ。
「あの……その……」
もじもじとしてなかなか言い出さないイエスタ。
「えっと、だな……今日はその……」
少ししてイエスタはちらちらと俺の顔を見て言った。
「――ありがとう」
「…………」
その言葉に俺は一瞬、呆然とする。
ありがとう? あのクソなまいきなイエスタが俺に礼を言った? 素直に俺に礼を言った?
そんなことは今までにはまったくないことであった。信じられないことであった。イエスタが俺にありがとう、なんて言うとは。
俺はイエスタの顔を見返す。暗くてはっきりとは見えないがイエスタはやや顔を赤らめて照れくさそうにしているようだった。
まあ、なんだ。今回のことはいろいろと大変だったが、イエスタに礼を言われるというめずらしい体験ができたと思うと悪い気はしないな。
「……ああ!」
俺はぽんとイエスタの頭に手を置いて撫でてやる。
「……えへへ」
イエスタも笑顔で俺の顔を見上げる。
ちょうどそんなとき。
ヒュルヒュルヒュルヒュル……。
最後の花火がひときわ長い軌跡を残しながら空に打ち上げられた。
ドーン!
そして、轟音とともにその花火が開くと大きな大きなひまわりの花の姿が夜空いっぱいに広がったのだった。エベストル特製のひまわり花火だ。オレンジと黄色の光が暗闇の中にひまわりの大輪を描き出す。それから無数のきらめきがパチパチと音を鳴り響かせてしだいに消えていく。いつまでもいつまでも見ていたいような美しい光景だ。
「今年のラジック祭、いいお祭りだったな」
俺は夜空を見つめたままそんな言葉をつぶやいたのだった。
この小説を読んでいただいて本当にありがとうございました。以上の四話でこの作品は終わりです。ちなみに電撃大賞で一次落ちだったやつです。ご意見などいただければ大変うれしいです。