51 トラヴィス・クレメンティ
「……なるほど」
領主がゆっくりと口を開く。
「子どもなどいるはずがない。では、今ここに居る理由は何だ?」
「あ……」
「そ、その」
「セラフィナ・アッカルドを騙して、甘い蜜を吸おうとした、ということで間違いないな?」
途端、グリムワルドが大仰に首を横に振った。
「ご、誤解でございます! 私は、ただ、立派になったセラフィナを両親と再会させようと」
大変真に迫った演技だが、額には脂汗が浮いている。
「騙そうとするなら、もう少しそれっぽい相手を用意してほしいですね。そちらの2人、欠片も私と共通の要素がないじゃないですか」
少々残念な方向のクレームを入れたら、領主が深く頷いた。
「それは、そうだな」
その目には、面白そうな光と共に半端な憐憫の情が浮かんでいる。かわいそうな生き物を見る目、というやつだ。
女性はクリーム色の髪に水色の瞳、男性は明るい茶色の髪に緑色の瞳。私の髪色はもっと濃いし、目は茶金だ。両親を騙るならせめてどちらかの色くらい揃えればいいものを。
…いや、多分あれか。グリムワルドが私の容姿を欠片も知らなかったから、揃えようがなかったのか。
今生のこの世界には写真はない。一応貴族や裕福な家なら画家に肖像画を描かせることもあるらしいが、孤児院出身者の肖像画なんてあるわけがない。
よって私の容姿に関する情報は、私をきちんと認識している人間の記憶か書類の記載頼りになる。多分、自分の記憶力を過信して、どっちも確認しなかったんだろう。
詰めが甘い。甘すぎる。
全く隠さずに溜息をついていると、両親を騙る男女は焦りを浮かべた顔を見合わせ、同時に立ち上がった。
「…きゅ、急用を思い出しましたのでこれで失礼します!」
「お、同じく!」
「な!? き、貴様ら!」
目を剥くグリムワルドとは一切視線を合わせず、領主の了承も待たずに、男女はものすごい勢いで部屋を出て行く。バタンと扉が閉まる音が、やけに大きく聞こえた。
「…」
「……」
グリムワルドが額に脂汗を浮かべ、領主を見遣る。微笑を浮かべたままだった領主が、フッと笑みを消した。
それだけで、部屋の空気が一気に重くなる。
「──さて、ミュラー子爵」
「…!」
真顔になると、目元の雰囲気がルーカスに似ている。そんな場違いなことを考える私をよそに、領主は淡々とグリムワルドに問い掛けた。
「セラフィナ・アッカルドの言い分ではないが、この茶番は一体何のためだ?」
「そ、それは──」
グリムワルドは領主から視線を逸らし、部屋の中を見回し、最後に私を見て、ハッと表情を変えた。
「…わ、私も騙されたのです! 私はただ、セラフィナ・アッカルドの両親だと名乗ったあの2人を本人に引き合わせてやろうという親切心からここに来ただけでして」
「そのためだけに、わざわざアッカルドの街から来たと?」
「その通りです! 孤児院の運営は我が家の重要な仕事、そこを巣立った孤児たちのことも心に留め置くのは当然のことですからな! どうやらあの2人は偽物のようですが、この後私がきっちり捕らえてアッカルドの街の法に則り罰を与えておきますので、ここは一つ、どうか穏便に」
揉み手をしながら歯が浮くような台詞を並べ立てるグリムワルドが正直大変気持ち悪い。
領主は暫し真顔で視線を注いだ後──再度微笑を浮かべた。
「…そうか。だが、セラフィナ・アッカルドは既に孤児院を出て、自力で生活している。孤児院出身者であることは事実だとしても、今後、其方の心配や手出しは不要だ。──ここはアッカルドの街ではなく、領都であるということを、よく心に留め置いておけ」
オブラートに包んでいるが、要するに「領主のナワバリで好き勝手するな」という意味だろう。
国の法の下には各領地の法があり、さらにその下、各街にはそこを所管する貴族家が独自に設定するルールがあるが、当然ながら領都では領主が定めた法が優先される。
グリムワルドはアッカルドの街の貴族の一人であり、街を治めている者ですらない。領主に越権行為だと指摘されたら反論のしようがないのだ。
グリムワルドは青くなってぶんぶんと首を縦に振った。
「勿論ですとも! 私グリムワルド・ミュラー、しかと心に刻みましてございます!」
「そうか。ではそろそろ退出するといい。早く行かねば、あの2人を見失うぞ」
「はっ!」
グリムワルドがガタンと音を立てて立ち上がり、礼もそこそこに、慌てた様子で部屋を出て行く。
完全に扉が閉まってから、私はふうと息をついた。今日このタイミングで、まさか手紙で散々金をせびってきていた輩と直接相対することになるとは、全く予想していなかった。
アナスタシアの言う通り、ダメな意味で行動力があるオッサンだったようだ。
「……あ」
手紙、という言葉を思い出して、気付いた。
折角返事を書いたのに、渡すのを忘れていた。本人が目の前にいたんだから直接渡せばよかったのに。
「どうした?」
領主が片眉を上げて声を掛けてくる。目敏い。
適当にごまかすのも違うような気がしたので、私は素直に上着の内ポケットから手紙を取り出し、グリムワルドから金を寄越すようにと再三手紙で要求されていたことをざっくり説明した。
領主はふむと呻き、
「その手紙、私が預かっても構わんか?」
「はい、それは構いませんが…あ、今までに受け取ったミュラー子爵からの手紙もお付けしましょうか?」
どうせだったら全部領主に放り投げたい。私の内心を見透かしたように、領主が苦笑した。
「そうだな、後で届けてくれ」
「承知しました」
これで面倒ごとが一つ減る。内心ほっとして頭を下げると、ところで、と領主が表情を改めた。
私は反射的に背筋を伸ばす。席が隣同士なので、距離が近すぎて落ち着かない。
「──ルーカスは大丈夫そうか?」
「…………へ?」
真顔の領主の口から飛び出た、仕事とも先ほどまでの余計な来訪者とも全く関係のない言葉に、私はぽかんと口を開けた。
ルーカス…ルーカスってあのルーカスだよね。今現在熱を出して狩人管理事務所の救護室に絶賛入院中の。
大丈夫そうか、ってことは、容体を訊ねてるってこと? 領主はルーカスの父親だし、心配して──いや待て、何で私に訊くんだ?
頭の中にものすごい勢いで疑問とそれに対する推測が流れていく。でも最後の疑問は、私の中では答えが見つからない。間抜けな顔で首を傾げていると、領主が苦笑した。
「…私はルーカスの父親だが、情けないことに息子からは距離を置かれていてな。熱を出して倒れたと報告は受けているが、嫌がられることが分かっているゆえ、面会に行くこともできない」
その表情は、子どもを心配する父親のもの。今生では全く縁のない顔だが、前世の記憶のおかげで何となく分かる──これは演技ではないのだと。
同時に、背中にジワリと汗が滲む。おいルーカス、父親と仲が悪いなんて聞いてないぞ。
…厳密には、仲が悪いというよりルーカスの方が一方的に父親との接触を避けているようだが。
「ええと…パイソ…医者の話では、熱は疲労からくるもので、しばらく休めば治るそうです。狩人管理事務所の救護室で安静にしておりますので、数日で良くなるかと」
「そうか、それは良かった」
領主があからさまに表情を緩めた。貴族、それも領地を治めるトップがこんな分かりやすくていいのかと思ったが、次の瞬間には取り澄ました微笑に変わる。
「──そういえば、正式に挨拶するのは初めてだな。ルーカスの父、トラヴィス・クレメンティだ」
瞬間私は、ヒッと喉の奥で悲鳴を漏らした。
素早く立ち上がって領主から距離を取り、その場でガバッと膝を畳んで両手を前に揃えて上体を倒し、額を床につけて叫ぶ。
「せ、セラフィナ・アッカルドです! 先日は大変な失礼を致しまして、申し訳ありませんでした…!!」
夏に起きた領主館デモン侵入事件の後、この領主──トラヴィスを含めたお偉いさんが居並ぶ部屋で、6式魔法の魔法陣を展開して思い切り威嚇したのは記憶に新しい。
…この人が「うちの息子の嫁に」とか言いそうだったから、それを止めるためだったんだけど。
結局私はトラヴィスの息子の婚約者になったわけで、それならその威嚇は一体何だったんだというかそれこそ無駄というかただの盛大な不敬だったというわけで──どうしよう今すぐこの場から消え去りたい。
でも残念ながら、私に瞬間移動の能力はない。土下座の体勢を維持したまま固まっていると、くくく…と低い笑い声が聞こえた。
誰だ。いやそんなの決まってる。ここには私とトラヴィスしかいない。
「…いやすまん。顔を上げてくれ。できれば普通にソファーに座ってくれないか。これでは話ができないのでな」
「…………ハイ」
私はぎくしゃくとした動きで立ち上がり、改めてトラヴィスの対面に座る。流石に元の席──トラヴィスの隣に座る度胸はない。だってあっちはどう見たって上座だ。
よくよく考えてみたら、子爵位のグリムワルドを差し置いて私をあそこに座らせたこの御方、常識人っぽい顔して結構アレだな…。




