42 ありがたくない手紙
「おはようございます」
「おはよう、セラフィナ」
「おはようさん」
クレメンティ領の領主館、代筆課。いつものように笑顔で挨拶を交わし、私は自分の席につく。
昨夜は夕食後から夜半過ぎまで狩人のシフトが入っていて管理事務所に詰めていたから、正直寝不足だ。昨日はデモンも出現せず、ただ待つだけで終わったのに、何だか疲れが残っている。
「セラフィナ、手紙が届いてますわよ」
同僚のアナスタシアが声を掛けてきた。薄いベージュ色の封筒を受け取り、差出人を確認して、私は思わず顔をしかめる。
「うげぇ」
呻くと、アナスタシアが眉を下げた。
「また、ですわね」
「…そうみたい」
封筒には赤紫色の封蝋が押され、差出人のところに『グリムワルド・ミュラー』と書かれている。私の出身であるアッカルドの街の孤児院を運営する貴族の名前だ。
ミュラー家は、確か子爵家。グリムワルドは御年60を超える現当主である。正直、全く良い印象がない。
何せ、私の了承もなく勝手に文官採用試験を受けさせ、勝手に文官の給与の4割をアッカルド孤児院に寄付させていた下手人の一人である。
私の心証はともかく、ギリギリ法に触れる行為ではなかったため、領主から注意されただけで無罪放免になったらしいが。
給与からの天引きによる寄付は先月からなくなり、私は満額の給与を受け取れるようになった。
それと同時期に、学校を卒業してから──どころか、孤児院時代にもほとんど接触がなかったグリムワルドから手紙が送られてくるようになった。奴は私の現住所を知らないので、文官としての仕事場である領主館宛に。
曰く、「孤児院の経営が厳しいので助けてほしい」「狩人になったなんて聞いてない、いつの間に」「せめて君を育てるのにかかった費用だけでも補填してくれ」──オブラートに包んでいたが、要するに私の給与から天引きしていた『寄付金』名目の搾取金がなくなったので焦ったのだろう。そして私が実は狩人でもあったということを知り、「金持ってんだろ」と強請ろうとしているのだ。
仕方ないので丁寧に、今まで搾取されていた推定金額を集計し、「元孤児には寄付をしなければならないという義務はございません」「これだけ渡していますがまだ足りませんか?」「そもそも孤児院の運営は公金で賄われているはずなので、経営が厳しいなら何故お金が足りないのかきちんと資料をまとめて領主様に奏上してください」と綴って手紙を返した。の、だが──
「……」
一応、封を破って中身を確認すると、案の定、前と同じような内容だった。
要約すると「感謝する気があるのなら金を寄越せ」である。
こんな手紙が、もう既に5回も届いている。
返事を送っても送らなくてもこちらに手紙が届くので、2回返事を出して以降は受け取るだけ受け取って放置していたが、いい加減何とかした方がいいだろうか。仕事の邪魔だし。
「あんまりしつこいようだったら、領主様に相談するという手もありますわよ?」
「へっ!?」
驚いて顔を上げると、真面目な表情のアナスタシアと目が合った。本気の目だ──と思いきや、
「ほら、ルーカス様に頼めばすぐ届くでしょうし」
一瞬にしていたずらっぽい笑みに変わり、身を乗り出してくる。
こ、この流れは…
「せっかくですし、領主様と第二夫人にご挨拶差し上げても良いのではないの? 婚約の了承はいただいているといっても、まだ直接その旨お伝えしたことはないのでしょう?」
「え、えーと…」
目をキラキラさせているアナスタシアに、私はたじたじと呻く。
夏の『領主館デモン侵入事件』で、私が名持ちの狩人の『キャット』──魔力が豊富な人間であることが領主館の関係者にバレてしまい、貴族から婚約や養子縁組の打診が殺到した。
狩人の同僚で領主の第二夫人の息子であるルーカスと婚約して以降、求婚者はぱったりと途絶えたが、時間が経つにつれ、同僚、特に女性陣にこうして期待の眼差しを向けられることが増えた。
…親しくなれたのは嬉しいけどさ、みんな、コイバナ好きすぎない? これが普通なの?
「その…そういう話はまだ出てない、かな。あと、挨拶に行って出身孤児院の問題を相談するっていうのも流れ的にどうかと思うし…」
「それもそうですわね」
それっぽい言い訳を口にすると、アナスタシアは納得の表情を見せた。
…実のところ、私は領主と直接話をしたことがある。
しかしその時、「自分の息子と婚約するのはどうだ」と提案しかけた領主の言葉を遮り、魔法で脅して引き下がらせた。
ルーカスの申し出を受けたのはその後だ。
つまり、個人的には、色々とやらかした後なので領主と顔を合わせるのが非常に気まずい。
避けて通れないイベントだというのは分かっているが、できれば先延ばしにしたい。何だったら逃げたい。
とはいえ、そんなことをアナスタシアに言うのも憚られるので、
「そういうアナスタシアこそ、最近どうなの? 確か、正式に婚約の打診があったんだよね?」
必殺、矛先変更。
アナスタシアに水を向けると、彼女は分かりやすく頬を染めた。
「ええ。つい先日、婚約が調いましたわ」
瞬間、同僚たちがガタッと立ち上がった。
「アナスタシア、おめでとう!」
「よかったな!」
「おめでとうございます!」
「あ、ありがとうございます」
全員、聞き耳を立てていたらしい。口々に祝福する同僚たちに、アナスタシアは赤くなりながら礼を述べる。
落ち着いたところで、私も笑顔で祝福した。
「おめでとう、アナスタシア!」
「ありがとうございます」
貴族というと政略結婚のイメージが強いが、実際には、大抵『仮婚約』という状態で交際を重ね、お互いに納得したら正式に婚約し、数ヶ月から1年程度の婚約期間を経て結婚に至るらしい。
仮婚約の段階では、両者が色々と考えた結果破談になることもそれなりにあるが、婚約の段階に至ると、それ以降は破談になることはまずない。
婚約破棄なんかしたら「礼儀知らずで約束すら守れない愚か者」のレッテルを貼られ、貴族社会で生きていけなくなる。
少し前にアナスタシアから聞いて初めて知り、私は非常に複雑な気持ちになった。
何故なら私が打診されたのは、仮婚約ではなく、婚約または結婚だったから。
ルーカスは本気だからこその申し出だったと思えるが、他のポッと出の連中は一体何を思っていきなり結婚を申し出てきたのか。平民だからと舐められていた気がする。
──という私の感想はともかく。
アナスタシアの相手は、同じ男爵位の家の幼馴染だと聞いている。気心の知れた仲で、相手は次男だから、アナスタシアの家──エイローテ男爵家に婿入りする形になるそうだ。
微笑むアナスタシアの左手の薬指に、銀色の指輪が光っているのが見えた。アナスタシアを囲む同僚の一人が、それを見て目を輝かせる。
「ねえ、それってもしかして婚約指輪?」
「ええ」
アナスタシアが軽く左手を掲げると、みんなの視線が指輪に集中した。
この国には、婚約した時と結婚した時にお揃いの宝飾品を身につける風習がある。腕輪だったりペンダントだったり、種類は様々で、一番メジャーなのが指輪だ。
アナスタシアの指輪はシンプルな細いタイプで、宝石はついていないが、緩やかな曲線を描く形がとても優美だ。アナスタシアの細い指によく似合っている。
「プラチナよね? 素敵だわ!」
同僚が目を輝かせると、アナスタシアがちょっと恥ずかしそうに苦笑した。
「本当は、魔鉱細工の指輪にも素敵なものがあったのですけれど…」
……ん? 魔鉱細工?




