39 共に在る相手
私は思わず沈黙した。
大まかな分類ではルーカスも昼間の連中と同じ『求婚者』であることは間違いないはずなのに、空気が違い過ぎる。あと、私の心情も違い過ぎる。
他の連中の時は、正直滅茶苦茶嫌だった。
でも、ルーカスに対しては──
「──ちなみに今は領主一族扱いだが、兄が家督を継いだら俺は家から籍を抜いて平民になる予定だ。それでも狩人の哨戒部隊の隊長である以上、貴族社会でも相応の発言力はある。社交界に顔を見せることはないから、貴族のしがらみに縛られることもない。お買い得だと思うが?」
ルーカスは緊張をあらわにしているわけでもなく、居丈高に強要するわけでもなく、ただ淡々と条件を提示する。
私は辛うじて突っ込んだ。
「…お買い得って」
「バーゲンセールだ」
生真面目な声で落とされた思わぬ単語に、私は思わず喉の奥で笑う。
その拍子に、すぐ横、ルーカスの右手が目に入った。
身体の横に自然に沿った腕の先、色が変わるほどきつく握り締められた拳が。
──緊張してないわけじゃないんだ。
そう気付いたら、不意に肩の力が抜けた。
将来的に平民になるなら、私とそう立場も違わない。婚約者がいると言えば、今のバカ騒ぎもすぐに収まる。条件としてはこの上なく私に都合がいい。ただ──
「──ルーカスは、それでいいの?」
どう考えても私の都合が優先されすぎている。問うと、ルーカスの右手がピクリと動いた。
そして。
「…俺が、お前の隣に居たいと思っているんだ」
ルーカスの両手が私の頬を挟み、優しく、だが少々強引に顔を上げさせられる。
見上げた先、ルーカスはひどく真剣な顔をしていて、その顔がゆっくり近付き──
「…!?」
ちゅ、と、小さな音がした。
柔らかい感触が唇に触れ、すぐに離れる。
至近距離で見るルーカスの瞳は、夜空のように深く、どこまでも吸い込まれそうな色をしていた。
「…俺は、型が合うからといって誰彼構わず魔力譲渡するわけじゃない」
真剣な声が、耳に心地いい。
「俺が魔力譲渡するのは──……絶対に失いたくない相手だけだ」
「え──」
口の中に、あのハッカ飴のような味がする。
それがルーカスの魔力の『味』だと、私はようやく理解した。
家の都合でも同情でもなく、ルーカスはただ、私の隣に居たいと言ってくれている。何と答えればいいのか分からない。前世の記憶も今生の経験も、まるで役立たずだ。
「…」
私が言葉を失っていると、ルーカスが不意に微笑んだ。
透明で、静かで──あまりにも悲しそうな笑顔だった。
「…すまない、押しつけだな。忘れてくれ」
「──待って!」
ルーカスの手が頬から離れる。私は咄嗟に両手を伸ばし──右手だけが、ルーカスの左手を掴んだ。
左手は麻痺の影響で、半分くらいしか持ち上がっていない。今はそれが、ひどくもどかしい。
驚いて目を見張るルーカスに伝えるべき言葉を、私は何とか絞り出す。
「その──ごめん、驚いて頭が回ってなかった。ルーカスが嫌なわけじゃない」
「…嫌じゃ、ない?」
「というかむしろそのっ…う、嬉しいというか…信じられなくて…」
──そう。私は嬉しいんだ。
共に戦う狩人の仲間。でも『オウル』に抱いていた感情は、それだけじゃない。
誰よりも気心の知れた、気の置けない相手。自分が倒れても、あとは彼が何とかしてくれるという絶大な信頼──ようやく気付いた。
多分それは、恋心に近い何かだったのだ。
でも現実として、私と彼では立場が違う。
仮面をつけていれば名持ちの狩人として隣に立てても、仮面を外せば身分の差は無視できなくなる。共に在ることを望んだとしても、その線引きは厳然と目の前にある。
私はその差を無意識に理解して、その場に留まり続けた。それ以上先に行ってはいけないと、ブレーキをかけ続けていた。
──でも、ルーカスは自らその線を踏み越え、私に手を差し伸べてくれた。
それなら今度は、私の番だ。
「──私も、隣に立つならルーカスがいい。他の誰かなんてお呼びじゃない。その…色々迷惑かけると思うけど…」
「…自覚はあったんだな」
今、ものすごい小声ですごく失礼なことを言われた気がする。
が、私がジト目になる前に、ルーカスが右手を握り返し、左手も掴んで、ぐいっと引っ張った。
勢いに従って立ち上がった私は、そのままルーカスの腕の中に収まる。
背中に回されたルーカスの両手は、微かに震えていた。
「…返品は不可だからな」
「…バーゲンセールだから?」
「そうだ」
冗談めかした言葉なのに、くぐもった声は湿っているように聞こえる。
私はそっと、ルーカスの背中に手を回した。ビクッと震えた後、ルーカスはさらにきつく私を抱き締める。
その強さと微かに感じる匂いに不思議な心地良さを感じながら、私は呟いた。
「私も、返品不可だから。覚悟してよね」
「…それはこっちの台詞だ」
くっと笑ったルーカスが、腕を緩めて私を見下ろす。その目が潤んでいることには気付かないふりをして微笑むと、ルーカスも蕩けるような笑みを浮かべた。
そしてその顔が、ゆっくりと近付く。
「──ウォッホン!」
ビクゥッ!
横で響いた野太い咳払いに、私とルーカスは同時に肩を揺らして飛び退った。
室温は変わっていないはずなのに、腕の感触が身体に残って、少し寒く感じる。
恐る恐る視線を向けると、パイソンがそれはそれは楽しそうな笑みを浮かべていた。
「やれやれ、若いのう。老体には堪えるわい」
「ぱ、パイソン…」
「お主ら、ちょっとはっちゃけすぎじゃ。自重せい、自重」
言われて状況を思い出す。ここは救護室。パイソンの根城。
そして私たちは、思いっ切りこの御老体の前で大告白大会を繰り広げていた。
あと、キスも見られた。
……言えない…パイソンの存在をすっかり忘れてたなんて言えない……。
「…忘れてた」
「ルーカス、言っちゃダメだって!」
真顔で呟くルーカスに力一杯突っ込むと、パイソンがふはっと噴き出した。
「そんなことじゃろうと思ったわい! なーに心配するな、この件はきっちり詳細かつ盛大に吹聴しておくからのう!」
「吹聴すんの!?」
「なんじゃ、秘密にしておきたいのか?」
パイソンが意外だとでもいうように片眉を跳ね上げた。
「秘密にしとったらいつまで経っても求婚者が寄って来るぞ?」
「うっ…」
…そうだった。むしろそれが嫌で悩んでたんだった。
でも「ルーカスにこういう感じで告白されて受け入れた」とか克明に噂されても困る。何だその辱めは…!
私が悶えていると、ルーカスが溜息をついた。
「パイソン、あまりこいつを困らせないでやってくれ。吹聴するといっても「セラフィナはルーカスと婚約した」って話だけだろう」
「え」
「何じゃ、バレたか」
つまらんのう、と嘯くパイソンの目が笑っている。
つまり最初から当たり障りのない事実だけを広めるつもりだったと。
私はスッと目を細めた。
「……パイソン、火で焼くのと風で刈るの、どっちがいい?」
頭頂部に残ったわずかな白髪に視線を固定して呟くと、パイソンが青くなってバッと両手で頭を覆った。
「貴重な地毛を殲滅しようとするでない! お前さんには人の心がないのか!?」
「人の心を捨て去る決意をあっさりしそうになる程度にはちょっと色々ありすぎている今日この頃」
「真顔で言うことではないじゃろ! 分かった、謝る、謝るから!」
救護室の騒ぎは、その後しばらく続いた。
──ちなみに。
翌日以降、ルーカスのアドバイスに従って、求婚してきた相手に「既に魔力譲渡を受けた相手がいる」と答えてみたら、相手はギョッとした顔ですぐに引き下がり──
求婚者は、数日で完全に来なくなった。
代わりに、「ま、魔力譲渡って…!」とアナスタシアたちが動揺し、代筆課内が大変な騒ぎになったのだが──それはまた、別の話である。
※告白の返事を待たずに勝手にキスするのは、現実ではセクハラです。
間違ってもやってはいけません。




