28 魔力の型
目を覚ますと、最初に目に入ったのは木目の天井だった。
自分の家じゃない。ベッドの枠は無愛想な金属パイプだし、マットレスは自分のやつより上等だ。薄い羽毛布団は、それこそ羽根のように軽い。
周囲はぐるりと白いカーテンで囲われていた。
つまりここはパイソンの根城、狩人管理事務所の救護室だ。多分、パイソンに眠らされてからまだそれほど時間は経っていない。
気になるのは、口の中で変な味がすることだ。ハッカ飴のような、ほんのり甘くて爽やかな風味。不快ではない──というかむしろ好きな味なのだが、そんな物を食べた覚えはない。寝ている間に何か飲まされたのだろうか。
眠りに落ちる前に感じていた指一本も動かせないくらいのひどい怠さは、かなりマシになっている。
ゆっくり身を起こすと、すぐに右側のカーテンが開いた。
「起きたか。早すぎじゃ。まだ1時間くらいしか経っておらんというのに」
パイソンが呆れ顔でこちらを見下ろす。何だそのクレーム。
「普通なら丸一日眠る強度の魔法だったんじゃが」
「そんなモンほいほいかけないでよ」
丸一日眠っていたら、明日の文官仕事を欠勤することになってしまう。私が文句を言うと、パイソンはやれやれと首を横に振った。
「お主に常識を求める方が間違いじゃったな」
「ちょっと、言い方」
その言い方だとまるで私自身に常識がないみたいだ。そんなことはない。……多分。
パイソンの呆れ顔を見ていると、微妙に自信がなくなってくる。
何となく目を逸らすと、パイソンの後ろ、かなり離れた所にオウルが立っているのが見えた。こちらを向いているが、フクロウの仮面は相変わらず無表情で、何を考えているのかは分からない。
「全く…。わしの見立てではなくオウルの予想の方が正しいとは、腹が立つのう」
どうやらオウルは、私がすぐに起きると予想していたようだ。だからまだここに居るのか。待っていたということだろう。
……あれ、でも何でわざわざ?
私が内心首を傾げていると、ずいっとパイソンが身を乗り出してきた。
「魔力はある程度戻っておるだろうが、一応ちゃんと診察するぞい。両手を出せ」
言われて気付いた。確かに、魔力が通常の2割程度まで回復している。一体何をしたのだろうか。
考えていると、一瞬ハッカ飴の味が増した気がした。
…いや、今はまずパイソンの診察を受けなければ。でも……
「…」
ちょっと考えて、まず右手で左手首を掴み、左手をパイソンの右手に載せた後、右手をパイソンの左手に載せる。
これで良いはずだが、パイソンは眉をひそめた。
「……キャット、今のは何じゃ」
「左腕が動かないから」
端的に答えたら、パイソンがぴたりと動きを止め、その後真顔で両手を引っ込めた。右手は少し下がってその位置をキープするが、左手はパタリとベッドの上に落ちる。
パイソンの手に触れていた感触も、落ちた時の振動も、何も感じないが。
「……オウル」
パイソンが鬼のような形相で振り返った。
「説明せい!」
「パイソン待って。どうどう」
これは別にオウルのせいではない。上級デモンに左肩を攻撃されたことを説明すると、パイソンが目を剥いた。
「何でそれで正気を保っておるんじゃ!?」
「…私だから?」
首を傾げながら答える。
パイソンははたと動きを止め、数秒後、また叫んだ。
「……一瞬納得してしもうたではないか!」
いや、そこで責められても。
デモンに吸われた魔力はそんなに多くないし、デモンの放つ恨みつらみは、私なら跳ね返せる。推定ブラック企業勤めの社畜前世持ちは伊達ではない。
……言ってて微妙に悲しくなってきた。
「…治るのか?」
説明している間に近付いてきたオウルが、私の左腕に顔を向けて呟く。
パイソンは厳しい表情で私の左手を取り、甲を軽くつねった。当然ながら何も感じない。つねられているのは見えているのに感覚だけないのがすごく変な感じだ。
「ここは?」
「感覚ない」
「ここは?」
「ない」
つねる位置が徐々に上の方に移動していくが、何も感じない。
「……ううむ……」
パイソンの顔が段々険しくなっていく。
肩の上端あたりまで来たら、ようやく感覚が変わった。
「あ、今のは分かった」
「痛いか?」
「いや、何か触られてるなって」
「……ぬう………」
正直に答えたら、パイソンが苦虫を噛み潰したような表情になる。
一通り確認した結果、私の左腕は指先から肩口まで、ほぼ完全に麻痺していることが分かった。
半袖をめくり上げて露出した肩にはペンキを適当に叩きつけたような黒いあざがある。丁度デモンの腕が侵食した位置だ。見た目が正直気持ち悪い。
「……これは、長くかかるのう……」
「あ、治るんだ」
このままだと魔鉱細工が作れないので、私はちょっと安堵する。長くかかっても治るならそれでいい。
「阿呆、安心しとる場合ではないわ」
パイソンは首を横に振った後、ギロリと私を睨んだ。
「デモンの汚染がかなり広がっとる。感覚がないのは神経が焼き切れたからじゃ。一気に回復させることはできん。──キャット、まずお主は暫く入院じゃ」
「えっ!? いや、左腕以外は動かせるし」
「ならそこに立ってみろ」
反論したら、何故かオウルが床を指差した。立ってみろって…。
困惑しつつ、私はそろりとベッド脇のスリッパに足を入れる。そのまま膝に力を込めて立ち上がると──
「へっ…?」
直立する寸前、急に全身の力が抜けた。なすすべもなく膝から崩れ落ちそうになるのをオウルが受け止め、そのままベッドの端に座らせてくれる。
優しい動作のわりに、気配が大変刺々しい。
「…分かっただろ。その状態じゃ日常生活なんか無理だ」
声が低い。とりあえず、オウルが大変不機嫌になっていることが分かった。
パイソンが溜息をつく。
「魔力が回復したと言っても、所詮は他人の魔力を借りとるだけじゃ。最低でも、自分の魔力が回復するまでは絶対安静に決まっとる。神経を繋ぐのにもしばらくかかるからの」
いくら相性のいい相手の魔力でも、自分の思いのままに動かすことはできない。私のように魔力が異常に高い人間は普段の動作にも無意識に魔力を使っているから、自分の魔力が枯渇したら日常生活も送れなくなるそうだ。私は思わず顔を引きつらせ──あることに気付いた。
「…待って。私の魔力は滅茶苦茶珍しい『型』だから、相性のいい相手はほぼいないって言ってなかったっけ?」
魔力の型は大別して3種類。白、黒、紅。
そして私の型はそのどれにも当てはまらない、金。
型が違うと魔力は反発しあい、譲渡自体が成立しない。だから私は基本的に、誰かに魔力を渡すことも、誰かから魔力を受け取ることもできないと昔言われた。他ならぬパイソンにだ。
でも今、私の身体の中にあるのは他人の魔力だという。私と同じ魔力の型を持つ人間が、狩人の関係者にいたんだろうか。
「何かと例外はあるからの」
パイソンはニヤリと笑い、オウルを見遣った。
「魔力を譲渡したのは、こやつじゃ」
「え…」
ぽかんと口を開けてオウルを見上げると、オウルは深く溜息をついた。そしてフクロウの仮面に手をかけ、ゆっくりと外す。
仮面が外れるとぱさりとフードも落ち、現れたのは特徴的な色彩だった。
真冬の月のような青みを帯びた白銀の髪に、夜空のような紫紺の瞳。その瞳の中に、時折虹色の煌めきが見える。
「……まさか、虹?」
「…そうだ」
私が呟くと、オウルは小さく頷いた。




