27 魔力枯渇
目を閉じているから何も見えないけど、オウルが信じがたいスピードで移動していたのは分かった。
屋根の上を走る行程はすぐに終わり、一瞬の浮遊感と思ったよりふんわりとした着地の振動を感じた後、バタンと扉を開ける音が聞こえ、複数人のざわめきや驚きの声が通り過ぎ、硬い床を蹴る音が響いて、
「──パイソン!」
バン、と──ドアを蹴破ったのかと思うほど大きな音と共にオウルが叫んだ名前と消毒液の匂いで、連れて来られたのが狩人管理事務所の救護室だと分かる。
魔力の枯渇は普通の医者ではどうにもならないからここに担ぎ込んだらしい。
でもいくらパイソンでも、これは処置のしようがないと思うんだけど。
「オウル、どう──キャット!?」
しゃがれた声が途中で止まり、一瞬で鋭さを増した。
「すぐベッドに運ぶんじゃ!」
オウルが指示に従って、私をベッドに横たえる。何とか目を開けると、至近距離に前衛的なデザインのフクロウの仮面があった。仮面自体は無表情なのに見るからに殺気立っていて、ちょっと背中が冷える。
…一応ちゃんと、領主館に出たデモンは倒し切ったし、怒られる要素は何もなかったはずだけど…私、何かしたっけ。
「オウル、邪魔じゃ」
「…」
その仮面を横から押しのけて、ずいっと身を乗り出した老齢の男性は、仮面をしていない。
名持ちの狩人の一人、パイソン。仮面はあるはずだが、つけているのを見たことがない。
本人曰く、「どうせわしは前線に出んし、身元が割れても問題なんぞ何一つないし、仮面は邪魔だしの」だそうだ。
彼の仕事は、怪我をした狩人たちの治療。希少な回復魔法の適性持ちで、医者でもある、この救護室の主である。
「無茶をしたのう」
パイソンに睨まれ、私は微妙に視線を逸らした。飄々としているように見えて、目が笑っていない。
「魔力がほぼ完全になくなっとる。何をしたんじゃ」
「…………マナ、ウェポンの…継続使用を、少々…」
「バカかの?」
真顔で言わないでいただきたい。
それで終わればよかったのに、オウルがぼそりと付け足した。
「俺が見たのは6式魔法の4連同時発動だったんだが」
瞬時にパイソンの目が冷えた。
「本物のバカじゃったか」
……そんな、断言しなくても……。
周囲に被害が及ばないようにするには、デモンを中心に四方を囲うしかなかったのだ。本当は上下も覆って、完全に隔離して殲滅したかった。
そう何とか言葉を絞り出すと、パイソンはますます呆れ顔になった。
「中庭を更地にしてもいいとオウルに言われとったじゃろ。何でわざわざ隔離する必要がある」
緊急連絡は全狩人に聞こえるようになっているので、パイソンも当然、最初のやり取りを把握しているのだ。
私は視線を彷徨わせ──助け舟を出してくれそうな相手はいないことを理解した。
「……」
パイソンの横でひたすら無言で私を見下ろしているオウルが怖い。やっぱりその仮面のデザイン、色々間違ってると思う。
──などと思考を明後日の方向に飛ばしていると、パイソンがすうっと目を細めた。
「キャット、聞いとらんな?」
「聞イテルヨ」
「………もうよい」
片言で答えたのが悪かったのか。老人が深々と溜息をつく。
そして、表情を改めて私の額に触れた。
冷たい指先が気持ちいい。
「お主はちょっと寝ておれ」
「へ」
ふわり、魔力の気配が広がったと思ったら、急速に視界が暗くなる。
「オウル──」
パイソンがオウルに呼び掛ける声が半ばで聞こえなくなり……私の意識は、そこで途切れた。
キャットを強制的に眠りにつかせたパイソンは、嬉々とした表情で俺に振り向いた。
「オウル、出番じゃぞ」
俺は思わず、仮面の下で顔をしかめる。パイソンが何を言いたいのか、嫌というほど分かるからだ。
パイソンの後ろ、肩越しに見えるキャットの顔は、息をしているかどうか不安になるくらい真っ白だ。
完全に血の気が失せているのは、怪我ではなく魔力枯渇が原因だった。
狩人の間で交わされた通信内容や自分で見た光景を総合すると、キャットはマナウェポンを展開したまま領主館の中を一通り駆け回ってデモンを中庭に誘導し、その場で片っ端から斬り捨てて──恐らくあの45番の邪魔が入って作戦を切り替え、高ランク魔法を乱発した。
しかも、デモンの悪影響を遮断する狩人のマントや仮面を身につけないままでだ。11番の報告を聞いた時は、正直愕然とした。
生身でデモンと対峙していると知って、本当ならすぐに逃げろと言いたかった。
だが、既に何人か被害者が出ている状況下で、名持ちの狩人であるキャットを退かせるという選択肢は、『哨戒部隊の隊長』としての俺の中には存在しなかった。最悪、6式魔法でなければ倒せないデモンが出現している可能性があったからだ。
6式魔法は、この街の狩人の中ではキャットとウルフにしか扱えない。
そして、そんなデモンを放置すれば、被害者の数はあっという間に膨れ上がる。
キャットもそれを理解していたのだろう。そのまま戦うことを選び、その結果、放っておくと命に関わる魔力枯渇を起こした。
…倒せと。俺が、そう指示したから。
どうしようもない後悔と、それでもあの時はそう指示する以外になかったという冷静な呟きと、無茶をしたキャットへの怒りと、彼女を失う可能性があったのだという恐怖と、今何とか生きていてくれてよかったという安堵と──あまりにも多くの感情が、整理することもできずに胸中で渦巻く。
「今キャットに魔力譲渡できるのはお主だけだからのう。頼んだぞ?」
至極まともなことを言いながら、パイソンはニヤニヤと笑っている。
こちらの考えなどお見通しだろう。彼は大変優秀な回復魔法使いだが、こういう時に限ってはやたらと性格が悪い。
「…今、大層失礼なことを考えておったじゃろ」
「……」
すうっと目を細めるパイソンから、素早く顔を背ける。
そのままベッドに近付き、改めてキャットの顔を見下ろした。
濃い色の髪に白い肌。初めて目の当たりにした顔立ちは、可憐というより精悍と表現した方がしっくりくる。今は閉じられた瞼の向こう、琥珀色の瞳は、金色の光を帯びて煌めいていた。
戦う姿に見惚れたのは認める。多分これからも、あの姿と鋭い視線を忘れることはないだろう。
そんなことを思いながら、病的に白くなっている冷たい頬に、そっと手を添える。
反対の手で自分の仮面を外すと涼しい風が通り過ぎ、消毒液の匂いがぐっと強くなった。
「パイソン、あっちに行っててくれ」
「ほっほっ、恥ずかしがることもなかろうに」
背後から視線を感じて釘をさすと肩を竦める気配がして、シャッと間仕切りのカーテンが閉められた。
俺は内心ホッとして、キャットに向き直る。パイソンの魔法で眠らされた彼女が起きる様子はない。
そのことに安堵する一方、残念に思う自分もいる。
意識があったら、キャットはどんな反応をするか。
「……後で怒るなよ」
ぼそりと呟き、俺はキャットの唇に自分の唇を重ねた。




