23 天井の穴より
夏になると、領主館にも軽装の文官が増える。
といっても大部分はお貴族様なので、肌の露出面積は冬とさほど変わらない。服に使われている布地が薄くなるくらいだ。
私は素直に半袖で仕事をしている。二の腕が見えることについて「羞恥心はないのか」と非難の目を向けてくる同僚もいるが、それならデコルテばーん!谷間ボーン!のビスチェタイプのドレスを着て夜会に出る貴族のご令嬢はどうなんだと思う。
…いや、前、休憩所のフリートークを聞いたんだけど。私の服装に文句を言うのと同じ口で「胸を強調しないとイイ男は捕まらない」とか「谷間は見せるべき」とか言ってて耳を疑ったよね。
その服装で捕まるのはイイ男じゃなくてただの下衆だと思う。
そんな突っ込みは胸の内におさめ、私は今日もザクザク仕事をこなしていく。
「セラフィナさん、昨日頼んだやつなんだけど、ウチの課長から「まだか」って催促が」
「議事録ですよね? もうできてます。そこに置いてありますよ」
「助かる!」
書類を抱えていそいそと出て行く他部署の文官を見送り、グッと伸びをする。
時刻は昼前。既に本日締め切りの書類は片付けてある。あとは、まだ納期に余裕がある案件ばかりだ。
課長との面談の後、担当する部署の割り振りは少しだけ変わり、仕事量が少しだけ増えた。それでも何とか定時までに終わらせている。
仕事が減ったはずのアナスタシア他数名は相変わらず残業三昧のようで、課長は「こんなはずでは…」と頭を抱えていた。だから言ったのに。
伸びをした拍子に、少し離れた席に座るアナスタシアの背中が見えた。先ほどまで休憩所に行っていたはずだが、どうやら話は終わったらしい。少し背中を丸めて、ペンを走らせている。
頬を涼しい風が通り過ぎた。
見上げると、天井に四角い穴が開いている。冷風はそこから流れてきているのだ。
春に設備課の議事録で知った領主館全館冷房計画は順調に進んだらしく、少し前に大規模な工事が行われた。
領主館2階の端、物置だった部屋を片付け、黒の隔離地からの冷たい空気を溜める。さらにそこから、天井や壁の中に設えた通風口を通して各部屋に送り込む。
黒の隔離地から領主館2階の部屋までの通風路、そして館内の通風口。要所に送風機を配置した『領主館全館冷房設備』は、本格的な夏が来る前に何とか完成した。
昼間は文官が仕事をしているから、ほとんどの工事は夜に行われたと聞いている。この館に居住している領主一家は、工事期間中、街の宿に泊まっていたそうだ。まあ夜中に家の中で工事してたら寝られないもんな。
そうして、領主館の中には冷たい風が流れてくるようになったわけだが……ちょっと心配になることも起きていた。
確かに、涼しくはなった。真夏でも上着を脱がない男性陣には特に好評のようだ。
だが冷房設備が稼働して以降、目に見えて体調を崩す者が増えた。長いこと姿を見ないと思ったら、病気療養のため長期休養を取っていると言われたことも一度や二度ではない。出仕していても、明らかに顔色が悪い者もいる。感覚だが、特に、真面目な若手が体調を崩している感じだ。
その原因が冷房設備だとは思いたくないが…どうにも嫌な予感がする。
それを首を振って誤魔化し、視線を机の上に戻すと──
ボトリ、変な音がした。
「……?」
顔を上げて音のした方を見遣る。アナスタシアにも聞こえたのか、彼女も首を傾げて奥の方を見ていた。その視線の先には──
──床に黒くわだかまる、何か。
「──!」
全身の肌が泡立った。
私が椅子を蹴立てて立ち上がると、アナスタシアが眉をひそめて振り返る。
「セラフィナさん、はしたないですわよ」
その背後で、黒い物体が動いた。
グワッと巨大化し、アナスタシアに覆い被さるように襲いかかる。振り返りかけたアナスタシアの姿が、ドプンと黒の中に沈んだ。
「えっ…?」
「は…!?」
室内の課員たちが呆けた声を上げる。それが何なのか、分からない者の方が多いのだ。
「くそっ…!」
躊躇したのは一瞬。
私は舌打ちして駆け寄り、黒い物体──デモンの中に一気に手を突っ込む。
泥のような感触を自覚した瞬間、全身が冷えた。
──カエリタイ……
──クソ上司……シネ……
──デバッグ…オワラナイ……
頭の中に声が響く。
それは、私のものではない。デモンの声だ。
いつもなら狩人の仮面で遮断されるそれが、一気に私の頭に流れ込んでくる。
誰かに対する怨みつらみ…というかこれは……会社とか仕事の愚痴。
しかも、内容が明らかにこの世界のものではない。デモンは、そういう存在なのだ。
……ああもう、うるさい!
内心で吼えるのと、泥の中でガシッと実体のあるものを掴んだのはほぼ同時。
「──っりゃあ!」
デモンの中から全力でアナスタシアを引っ張り出す。私が掴んでいたのは二の腕だったらしい。そのままガシッと抱き寄せ、完全にデモンの中から出たのを確認すると、左手を振り上げる。
「3式バレット・ショット!」
眼前に出現した魔法陣が輝き、光の弾丸がデモンを貫く。
ド真ん中に大きな穴が開いたデモンは、ビシッとガラスにヒビが入るような音を立てて動きを止め、次の瞬間、崩壊して消えた。
見立て通り、下級デモンだったようだ。3式で倒せる相手で良かった。
何故デモンが領主館に現れたのか。その理由は火を見るよりも明らかだ。私は天井の穴を睨みつける。
黒の隔離地から冷気を取り込む通気口。そこに何らかの方法で、黒の隔離地からデモンが侵入した。
黒塊からデモンが出現したら狩人の哨戒部隊がすぐ討伐部隊に知らせるはずなのに、その監視を掻い潜ったデモンがいるということだ。一体どうなっているのか。
「う、あ…」
腕の中のアナスタシアが呻き声を上げる。目を開いているのに焦点が合っていない。青を通り越して土気色になった顔が恐怖で歪み、ガタガタと全身が震えている。
「いや……カエリタイ……」
「しっかりしろ!」
その肩を両手で掴み、私は至近距離で叫んだ。
「『それ』は自分の感情じゃない! 誰かも分からないヤツの感情に引きずられるな!」
「あ…」
一瞬、アナスタシアがこちらを見た気がした。だがすぐに茫洋とした目に戻ってしまう。
ダメだ。このままでは埒が明かない。
──仕方ない。恨むなよ、お貴族様。
私は軽く身を反らしてから、
「──目ェ、覚ませえ!!」
ガツン!!
アナスタシアの額に真正面から頭突きを見舞った。
「!?」
すごい音と衝撃。普通に猛烈に痛い。くそ。後で狩人の管理事務所に特別ボーナス請求してやる。
目に涙を浮かべながら思考を無理矢理明後日の方向に飛ばしていると、アナスタシアの表情が変わった。
「な、なにをするのです!?」
痛いではありませんか! と涙目で叫ぶ様子に、少しだけ安堵する。
デモンは人間の持つ魔力と生命力に惹かれ、それを奪い取ろうと襲い掛かる。運が悪いと被害者は廃人化し、最悪死亡する。
アナスタシアがデモンに触れていたのはほんの数秒。それでも、正気に戻るかどうかは正直賭けだった。




