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【第1章完結】定時上がりの複業文官~残業しろ? いや、そっちの仕事は副業なので~  作者: 晩夏ノ空


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22/40

22 会いたくなかった輩


 その後軽く雑談をして、私は店を出た。


 今日は休み。早く帰って魔鉱細工を作りたいところだが、あいにく食材を切らしているので買い出しに行かなければならない。

 庶民の台所、安価な食材を扱っている商店街までは結構距離がある。身体強化魔法を使って屋根の上を走ればあっという間だが、隠蔽(いんぺい)機能のある狩人のマントを着ている時ならともかく、普段着でそんなことをすれば普通に目撃されて不審者として通報されるのは目に見えているので、素直に乗合馬車を使うことにする。


 高級商業区の端にある乗合馬車の発着場は、今日も利用客で賑わっていた。

 場所柄、それなりに高級感のある身なりの者が多い。貴族は基本的に自分の家の馬車を使うから、ここにいるのはほぼ全員平民だろうけど。


 平民御用達の商店街までは、一旦中央区に出て乗合馬車を乗り継ぐ必要がある。中央区行きの時刻表を確認していると、背後でにわかに声が上がった。


「貴様、私の進路に割り込むとは何事だ!」


 周囲の人たちの視線がそちらに集中する。


 何となく、非常に、嫌な予感がするので正直見たくはなかったが、偉ぶった男の声があまりにもうるさい。

 眉をしかめながら振り向くと──とても見覚えのある顔のスーツ姿の若い男が、石畳に倒れ込む老婆を罵倒していた。


「お前のせいでズボンが汚れたじゃないか!」


 老婆の近くには、布のバッグと木の杖が転がっている。何とか上体を起こしているが、老婆は俯いて震えていた。怪我でもしているか、それとも男の剣幕に怯えて動けないのだろう。

 周囲の人間は驚いたように男と老婆を眺めているが、誰も割って入ろうとはしない。男が貴族だと気付いているのだ。


 ──そう。貴族。

 ヤツは、貴族、それも子爵家の令息だ。


 ……アナスタシアに続き、こいつにも会うなんて。せっかく新しい魔鉱細工を納品して、新作のケーキも食べられたのに…今日は厄日か。

 私は深々と溜息をついて、カツコツと足音を立てて老婆に近付いた。


「大丈夫ですか?」

「え…ええ…」


 老婆に手を差し出し、そっと助け起こす。動きは少々ぎこちなかったが、怪我をしている感じではなさそうだ。バッグと杖を拾い、杖だけを老婆に渡すと、老婆はホッと息をついて杖にすがった。

 男が不快そうに顔を歪める。


「おい貴様、何をしている」

「それはこちらの台詞ですよ、デイヴィッド・ロフナー様」

「な」


 名前を口にすると、男の頬が引きつった。


 デイヴィッド・ロフナー子爵令息。領主館の設備課で働く文官の一人だ。私の頭の中では毎度毎度定時ギリギリに定例会議の議事録の清書を押しつけてくる不良文官と位置付けられている。


 私の顔をまじまじと見たデイヴィッドは、目を見開いてあっと声を上げた。


「お、お前、セラフィナ・アッカルド!? 何故こんな所にいる!」

「そりゃあ平民なんだから乗合馬車の発着場にいてもおかしくないでしょう。貴族の貴方がどうしてここにいるのかは知りませんが」

「うっ…」


 ここは平民が利用する乗合馬車の発着場である。いくら高級商業区の近くとはいえ、貴族、それも子爵家の人間が立ち寄るような場所ではない。


 デイヴィッドは助けを求めるように視線を彷徨わせるが、誰一人として動く者はいなかった。どうやら従者は連れていないし、味方になるような者もいないらしい。

 そりゃあそうだろう。トラブルを起こした貴族なんて、平民だったら関わり合いになりたくない相手筆頭だ。


 …関わり合いに、なりたくないんだけどねぇ…。


 半眼でデイヴィッドを眺めていると、彼は私の視線に気付き、キッと目を吊り上げた。


「お前、その態度は何だ! 私は貴族だぞ!」

「だから?」

「…は?」

「だから何だって言うんです?」


 ぽかんと口を開けるデイヴィッドに、私は淡々と指摘する。


「むしろ貴族だからこそ、平民に対して下手な振る舞いをすればあっという間に立場が悪くなるんじゃないですか? ──貴族と繋がりのある平民は、この領都にはいくらでもいるんですよ」


 例えばアイリーンのように、取引先に貴族がいる商家の人間。

 貴族の家で働いている通いの使用人。

 私のように、領主館で働いている平民の文官だっている。


 そして、貴族社会はその家の品位、イメージが物を言う世界だ。老婆を転ばせた上に、自分の前方不注意を棚に上げて相手を助けもせずに罵倒する阿呆の存在が噂になれば、ロフナー子爵家の評判が地に落ちる──のは極端だとしても、傷がつくのは間違いない。


 私は今、フルネームでデイヴィッドの名を呼んだ。周囲の人々は、この男をきちんと『ロフナー子爵家の人間』と認識しているはずだ。そこから貴族の誰かに情報が伝わる可能性は、大いにある。


「…!」


 デイヴィッドが色を失った。ようやく自分の置かれた状況に気付いたらしい。

 周囲を見渡して狼狽(うろた)えた後、悔しそうに表情を歪めて、こちらにビシッと指を突き付ける。


「しょ、将来有望な私がそんな無様な真似をするはずがないだろう!」

「あーはいはいそうですねー」


 面倒さを隠そうともせずに応じると、デイヴィッドは顔を赤くして怒り出す。


「お前…、私の施策が動き出したらそんな偉そうなことは言えなくなるんだからな!」

「左様で」

「…っ! 後悔するなよ!!」


 言いたいことを言うだけ言って、デイヴィッドは鼻息荒く去って行った。

 施策…施策ねえ。奴は設備課所属だし、奴の提案が採用されることもあるんだろうけど。


 …休日なのに、何かどっと疲れたな。


 私が溜息をつく間に、周囲の人たちは何事もなかったように動き出していた。

 悲しいかな、貴族と平民のいざこざは日常茶飯事だ。これくらいのトラブルをいつまでも引きずる人間はこの街にはいない。


「…あの、ありがとうございますです」


 穏やかな声がして振り向くと、老婆が深々と頭を下げていた。


「わざわざ助けていただいて」

「いえ、気になさらないでください」


 奴が顔見知りだったから口を出さずにはいられなかっただけだ。私は首を横に振り、手に持っていた荷物を掲げる。


「よかったらこれ、目的地まで運びますよ」


 老婆が持つにはちょっと重い。杖をついているから余計に歩きにくいだろう。

 しかし、老婆はゆっくりと首を横に振った。


「いえいえ、大丈夫ですよ。ありがとうございますだ」


 にっこりと笑って荷物を受け取り、老婆はぺこぺこと頭を下げながらゆっくり歩み去って行った。


 その後ろ姿を見送ると、私もくるりと踵を返す。

 デイヴィッドに時間を取られてしまった。さっさと買い出しを済ませて帰らないと。








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― 新着の感想 ―
いつでも「ほな辞めます」が使える状況だから役所仕事はどうでもよさそうなのがなあ
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