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定時上がりの複業文官~残業しろ? いや、そっちの仕事は副業なので~  作者: 晩夏ノ空


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2/15

2 ケットシーと黒板


「おっ、セラフィナ。今日も定時上がりか」

「はい、お疲れさまです」

「お疲れさん」


 顔馴染みの門番と挨拶を交わし、私は領主館の門を出た。


 目の前には、きちんと整えらえた石畳の大通り。中央を馬車が行き交い、一段高くなった両端を人々が歩いている。

 春の終わり。街路樹は明るい緑色の新芽を伸ばし、西日を浴びている。最近ようやく、退勤時間も明るくなった。暑くなるのは憂鬱(ゆううつ)だけど、帰り道が明るいのはちょっと気分が良い。


 この時間に門を出るのは、ほぼ私だけだ。普通の文官は定時で帰れる日でも鐘が鳴ってから帰り支度を始めるから、実際に退勤するのはもうちょっと後の時間になる。支度をした後に立ち話を始めて結局定時で帰れない、なんてのもザラらしい。不毛な。

 ちなみに定例会議の後とか、定時で帰れるはずの日に部署の飲み会が設定されてそのまま夜の街に繰り出すというパターンもある。私はどんな日でも鐘と同時に退勤するし、飲み会の誘いも徹底して断ってるけど。


 ──面倒だから?

 いや、ちゃんと理由があるのだ。面倒なのも確かだけれど。


 大通りをしばらく進んで右に折れ、高級店が立ち並ぶ通りを過ぎ、さらに何回か道を曲がって、細い路地を進んだ突き当たり。

 古びたレンガ造りの建物の外階段を上がり、私は勢いよく2階のドアを開けた。


「ただいまー!」

《おかえり、セラ》


 真上から、肉声ではない声──念話が降って来る。

 ドアの真上にある採光用の窓。その下部に渡された板の上から、1匹の猫──もとい、ケットシーがこちらを覗き込んでいた。


 はっきりとしたコントラストの、白と黒のふわふわの毛並み。エメラルドのような透明感のある緑色の目。ピンと立った三角形の耳に優美で真っ直ぐな尻尾。きれいな左右対称のハチワレ柄が美しいケットシーだ。


 私はバタンとドアを閉め、玄関横の収納に外套とバッグを仕舞う。

 髪を低い位置できっちりお団子状にまとめていた括り紐を一旦解いてピンも外し、ずぼらなローポニーに縛り直して、靴を脱いでスリッパに履き替えれば、ふにゃりと肩の力が抜けた。


「ただいま、ウィッカ」


 にへらー…と笑いながら両手を広げて見上げると、ハチワレケットシーのウィッカは小さく溜息をつき、軽やかな動作で私の頭上を飛び越え、華麗に床に着地した。


「…私の胸に飛び込んできてくれても良いんデスヨ?」


 きれいに無視された両腕を持て余し、手をにぎにぎしながら振り返る。ウィッカはひらりと尻尾を一振りして、半眼になった。


《その後思いっ切り抱き締められて顎でグリグリされるのが目に見えてるから遠慮するわ》


 ちっ、バレたか。

 私は小さく舌打ちして手を引っ込め、ウィッカと共にリビング兼ダイニングに入った。


 向かって左側にキッチン、目の前には小さなダイニングテーブルと背もたれつきの椅子が1脚、クッションが載った丸椅子が1脚。我ながら殺風景である。


 右奥に位置する内階段の脇、ガラス戸が備えられたアンティーク調の飾り棚だけは、ちょっとだけお洒落感がある。私はその棚に歩み寄り、まず目の前の窓の向こうを確認した。


「おっ」


 窓の向こうには、数十センチの空間を挟んで全く同じ形の窓がある。お隣さんも借家で、多分ウチと左右対称の間取り。この窓には、ちょっとした楽しみがあるのだ。

 お隣さんの窓には、小さな黒板が掲げられていた。そこには流麗な文字で、『唐揚げにはビール』と書かれている。

 私は小さく笑って、飾り棚の上、こちら側に置かれた黒板に目を落とした。昨日私が書いたそれは、『唐揚げにはジンジャーエール』。

 なるほど、お隣さんはお酒を嗜む方らしい。確かにビールも合う──などと思いつつこちらの黒板の文字を消し、ちょっと考えてから、『ビールなら鶏の串焼きも捨てがたい』と書き込んだ。


 このやり取りは、私がこの家に住み始めた頃、買い物リストとしてこの黒板を使っていた頃に始まった。

 『パスタの乾麺、卵、ハード系チーズ、黒コショウ』と書いて、偶然向こう側から見える角度で黒板を放置していたら、翌日向こうの窓際にも黒板が置かれ、『カルボナーラ?』とメッセージが書かれていたのだ。

 以来、今日は寒いねとか、雪が降るなんて聞いてないとか、ブロッコリーは茹でるより蒸した方が美味しいとか、焼くのも美味いとか、そういう何てことのないやり取りを黒板の文字で続けている。


 どうやらお隣さんは私と生活のリズムが違う上に不在がちらしく、ドアが開く音を聞いたこともないしそれらしい人影を見たこともないが、私にとってこののんびりとした交流は忙しい毎日の癒しになっていた。


 次は何て返って来るだろうか。ビールに合う別の料理の話か、鶏の串焼きに合う飲み物の話か、それとも全く別の話題か。楽しみだ。


《──で、もうすぐ下にアイリーンが来るわよ。準備は?》

「そうだった!」


 私は慌てて部屋の中を横断し、内階段を通って下に降りる。


 裏路地から外階段を上がり、2階のドアがこの借家の玄関。

 一方で、この建物には玄関とは反対側、1階にも出入口がある。かなり変わった造りだ。


 階段を降りた先には、雑多な物が置かれた空間が広がっている。

 2階の床と天井は板張り、レンガの壁には木製の腰壁が施されているのに対して、1階は床も壁もレンガ造り。この季節は外気の影響を受けて、ひんやりとした空気が漂っている。

 1階は土足なので、階段を降りたところでスリッパを脱ぎ、小さな下駄箱から布の靴を取り出して履く。面倒だが、前世の記憶の名残りで普通の生活空間である2階では靴を脱いで生活したいし、1階は用途が特殊なので土足の方が都合が良いのだ。


 階段の右側に、玄関と大きめの出窓。室内中央、少し玄関寄りには4人掛けのソファーセット。さらにその奥には、物置部屋と、衝立で区切られた空間がある。私は足取り軽く衝立の奥へ向かった。


 大きな木製の作業机の横、細かく区切られた鍵付きの棚を開錠し、右から2番目、上から4番目の引き出しを開ける。中身を確認──よし、ちゃんとある。


 ソファーセットのところに戻ってローテーブルの上の埃を払っていると、1階のドアのベルが鳴った。









感想ありがとうございます!

この作品は、私が書いたものにしては珍しく(笑)、感想欄をオープンにしております。

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