19 宝飾品店『月の雫』
クラペイロン公国の夏は長い。
春の花が終わりを迎えたと思ったら、すぐに夏の虫が鳴き始め、日射しがじりじりと肌を焦がすようになる。
そんな真昼の陽光を日傘で遮り、私は大通りを歩いていた。
今日は黒曜の日。文官の仕事も休みなので、一日フリーだ。自然、足取りも軽くなる。
ショルダーバッグの中には、ミスリル銀の魔鉱細工がいくつか入っている。初めて指輪やペンダントトップを作って以降ひたすら練習を繰り返し、ある程度数が揃えられたので、アイリーンのところに納品に行くのだ。
大きな服飾店がある角を曲がり、大通りから一本入ると、少しだけ喧騒が遠くなった。
馬車が通るのは難しい、石畳の細い路地。左右に3、4階建ての建物が軒を連ねて日射しを遮っているため、体感気温は結構下がる。真冬は寒くてたまらない道になるが、この時期はありがたい。
私はホッと息をついて日傘を閉じ、奥へと進んだ。
裏通りと言っても、周囲はいかにも高級そうな店ばかりだ。
それもそのはず、この辺りは貴族も足を運ぶ高級商業区画。この通りに面している出入口は平民向けで、お貴族様はこちら側とは別の、大通りに面した専用の出入り口に馬車で乗りつける。
まあたまにお忍びで裏通りから歩いて入店するお貴族様もいるみたいだけど。
アイリーンが副店長を勤める宝飾品店『月の雫』は、そんな通りの中ほどにある。
「…」
大理石の外壁に、両開きの扉。扉は艶々とした木製で、見るからに重厚感がある。その上には、店名を表す三日月と雫を象った、ステンドグラスのレリーフ。店構えの時点で敷居が高い。
アイリーン曰く、「扱う商品に見合った建物であることが大事」なんだそうだ。高級品を扱う店は特に。
その場で自分の服を確認し、何となく上着の裾をパタパタと軽く払ってから、私は気合いを入れてドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
入ってすぐの所に控えていた男性が、すぐに声を掛けてくる。この店の警備員だ。
その声に反応して数人の店員がこちらを見て、そのうちの一人がにこやかに歩み寄ってきた。
「いらっしゃいませ。本日は何をご入用でしょうか?」
「ええと…」
当然ながら、入店したら客として扱われる。
だが違うのだ。私は申し訳なさに一瞬目を泳がせる。
「──副店長のアイリーン様との面会を予定しております、セラフィナ・アッカルドと申します。アイリーン様への取り次ぎをお願いできますか?」
店員は一瞬面食らった顔をしたが、すぐに表情を整えて一礼する。
「…承知いたしました。少々、店内にてお待ちくださいませ」
「分かりました」
多分今、孤児院出身者が副店長の客だってことに驚いたな。
まあ、気持ちは分からんでもない。アイリーンの家はこの街有数の大商会。一応身分としては平民だが、結婚相手として貴族家も候補に挙がるような超裕福層だ。
一方私は、どう見ても平民。しかも苗字に『アッカルド』と街の名前がついているから、孤児院出身だとすぐ分かる。アイリーンとどういう繋がりなのか、疑問に思うのも当然だ。
とはいえ、正直居心地はあまりよろしくない。アイリーン早く来てくれと念じつつ、私は改めて店内に目を向けた。
壁と天井はアイボリーで統一され、明るく清潔感がある。床は全面絨毯張り。
確か、足音が響くのを防止するためと、万が一商品を落としても破損しないように、敢えて絨毯にしているらしい。土足で歩くから定期交換必須だと以前アイリーンがぼやいていた。
ショーケースは木製で、優美な彫刻が施されている。天面だけガラス張りで、真上から覗き込むと商品が見える。店内のそこここで、ショーケースを挟んで商談が行われていた。
奥の方には、より繊細な彫刻が施されたショーケースが並ぶ一角がある。あちらは貴族向けエリアだ。絨毯の色が微妙に違う。
アイリーンによると、私の作った魔鉱細工が並べられているのは貴族向けエリアだ。正直かなり興味を惹かれたが、私はグッと我慢して一番手近なショーケースを覗き込んだ。
そこに並んでいるのは、比較的シンプルなペンダント。もちろん、本物の金銀プラチナだ。小さめの宝石が象嵌されているものも結構多い。
アメジストにアクアマリン、ペリドット、トパーズにオニキス。庶民向けの商品を集めているらしく、お値段も、ちょっと頑張れば平民でも手が届くかな? くらいだ。
お金があったら魔法金属のインゴットを買いたい私にアクセサリーは無縁だが、キラキラした物を眺めるのは素直に楽しい。普段入らないお店だから余計に。
──が。
「…あら? セラフィナさんではありませんこと?」
うげっ。
声を聞いた瞬間、背中がぞわっとした。休日には絶対に聞きたくなかった声だ。
でも名前を出されている以上、聞こえなかった振りをするわけにもいかない。内心げっそりしながらゆっくり顔を上げると、少し離れた所にピンク色の髪の美女が立っていた。
ゴージャスな縦ロールのロングヘアに、腰から下、お尻周りのシルエットを盛ったドレス。確か、バッスルスタイルとか言うんだったか。濃いめの化粧にド派手なイヤリング。背後にメイドを従えているあたり、どこからどう見ても『お貴族様の休日』だ。
「…………アナスタシア様」
声に不快感が滲まないよう細心の注意を払いながら、彼女の名前を口にする。
アナスタシア・エイローテ。エイローテ男爵家の息女で、領主館の代筆課で働く文官でもある。つまり私の同僚だ。
もっと言うなら、ちょくちょく休憩所で私に対する文句を垂れ流している、『仕事しない文官』のうちの一人である。
ただでさえ面倒臭い相手だ。こんな場所で会いたくなかった。
距離を取ろうとそっと後退ると、アナスタシアはずいっと間合いを詰め、私を上から下まで眺めてフッと鼻で笑った。
「いやだわ、セラム商会の店にそんな格好で来るなんて。ドレスコードをご存知ないのかしら」
今日の私の服装は、動きやすいパンツスタイル。確かにアナスタシアのドレスに比べると地味だが…
「平民に対しても門戸を開いている店に『ドレスコード』が存在するとは知りませんでした。お目汚し失礼いたします」
貼り付けた笑顔で応じると、アナスタシアはぐっと言葉に詰まった。




