12 代筆課のお仕事
朝の打ち合わせの後、本日最初の業務は昨日就業間際にデイヴィッドが持ち込んだ依頼、設備課の定例会議の議事録の清書だ。
この議事録というのが結構厄介で、特に課内のみの会議だった場合、共通知──お互い知っていて当たり前の単語や事項、裏事情などが書かれていないことが多い。
代筆課に勤めて4年目ともなればある程度割り切ることもできるが、文官になったばかりの頃は大変だった。
何せ代筆課が作るのは、『保管する文書』である。後で読み返すことを前提に、何も知らない人間が読んでも分かるように──と先輩に指導された私は、その条件を満たす書類を作ろうと必死に頑張った。
が、ある時、その先輩が書いた文書を見て気付いた。
そんな文書作ってる人間、どこにもいないんじゃね? …と。
考えてみれば当たり前の話で、過去の記録を見返すのは、基本的にその分野の関係者、つまり前提知識がある人間だ。ならば、用語説明など必要ないし、分かりやすいかどうかより、大元になった文章を忠実に再現してあるかどうかの方が重要になる。
代筆文官に必要なのは文章に補足を入れる親切心ではなく、見やすい字で正確に文章を清書すること。明らかな誤字は修正するし文章の配置を整えるくらいはするが、それだけだ。
──さて、さっさと済ませよう。
議事録をざっと読み、下手に補足を入れないように注意しながら、真新しい紙に清書を始める。
淡々と、丁寧にペンを走らせていくこの作業は、ちょっと写経に似ている。内容が内容だけに悟りを啓くのには足りないが──何で議事録に他部署の愚痴が書いてあるんだよ。…いやいやこれも必要なんだ、多分。上長が承認済みの内容なんだし──とにかく淡々と書いていく。
「…ふう」
先月までの報告的な部分を清書し終えて、私は一旦ペンを置いた。
椅子を軽く引き机から遠ざかって、両手を挙げて思い切り伸びをする。
その後腕を下ろすと自分の机の上が目に入り──見えた文言に、私は軽く眉をひそめた。
昨日、終業間際に渡された例の議事録。文字は汚いしレイアウトは滅茶苦茶だしで正直「書き直し!」と叩き返したいところだが上長の承認のサインが入っているのでまあそこは仕方ないとして。
「この計画は、流石に無茶だと思うんだよねえ…」
ぼそり、誰にも聞こえない声で呟く。
今後の予定の部分に書かれた、その名も『領主館全館冷房計画』。簡単に言えば、夏場、冷たい空気を他の場所から引き込んで、領主館の中を循環させて館内全体を快適な気温にしようという計画である。
ざっと流し読みした時も引っ掛かったが、改めて見ても無茶がすぎる。
まあ確かに、これが実現したらみんな、主に男性陣が歓喜するだろうけど…。
この国の夏は、前世の『日本』の記憶を持つ私にとってはそれほど暑くない。半袖になって送風機をつけていれば快適に過ごせるくらいの気温だ。
が、領主館で働く男性陣は真夏でもビシッと長袖のジャケットを着ているのが定番。正直無謀かつ無駄だと思うが、貴族男性は公式な場では通年三つ揃えで通すのが原則らしい。シャツにジャケットという組み合わせ自体が最大限の譲歩なのだそうだ。
毎年何人かは熱中症とおぼしき症状で倒れているというのに、領主館の男性陣はその服装の暗黙のルールだけは頑なに死守している。
水属性か氷属性の魔法で冷やせばいいのではと思うかもしれないが、まず水属性は書類を扱う室内では使えない。そして氷属性の方は──そもそも、『ほどほどに低威力の氷属性の魔法』が存在しない。
私が知る限り、一番威力が低いもので魔法全7ランクのうち上から3番目、5式広域高威力魔法『アブソリュート』。それ以外となると、さらに上のランクの6式攻城戦級魔法『コキュートス』くらいしかない。
どちらも、室内で使ったら術者を含め、居合わせた全員が凍りついて死亡する。
だから、この計画が成功したら確かに画期的、ではあるのだが…問題は「冷たい空気をどこから持ってくるのか?」である。
「…黒の隔離地の中の空気を使うのはマズいでしょ…」
黒の隔離地──デモンが生み落とされる囲いの中。あそこは確かに一年を通して気温が低い。冬場はもはや寒すぎて拷問だが、夏はマントを羽織っていてもかなり快適だ。あの気温の中で文官仕事ができるなら男性陣は大歓迎だろう──と言いたいところだが。
デモンが産み落とされる場所の空気である。熱交換のパイプなど今生では見たことがないから、多分普通に細い通路みたいなやつで繋ぐ気だろう。
つまり、領主館の中と黒の隔離地の中が空間的にダイレクトに繋がる。
…ものすごく嫌な予感がするのは私だけだろうか。
そう思うのだが──
机の上、次の仕事として控えている書類を見遣る。
こちらは会計課の定例会議の議事録だ。それにも、領主館全館冷房計画について書かれていた。
計画の可否ではなく、「もうちょっと安く済ませろ」という意見が出た、と。
つまりもう、見積もりを取る段階まで進んでいるのだ。
領主館の上層部は全員貴族。一人くらいは狩人経験者もいるはずだし、領主は当然黒の隔離地の中のことも知っているだろうし、危険だと思ったら誰かが止めているはずだ。
多分大丈夫…多分。
自分に言い聞かせてからもう一度伸びをして、私は仕事に戻った。
お昼前になってもデイヴィッドが書類を受け取りに来なかったので、私は仕上がった保管用議事録とデイヴィッドが書いた大元の議事録を手に、設備課へ向かった。
「失礼します。代筆課のセラフィナ・アッカルドです。デイヴィッド様はいらっしゃいますか?」
設備課のドアは開け放たれていたので、入口に立って声を上げる。
最も近くにいた年嵩の男性文官が、すぐに答えてくれた。
「デイヴィッドなら、今日は急遽休みを取ってるぞ」
「あらら…」
清書した書類は、基本的にまず依頼者が内容を確認することになっている。しかし肝心の依頼者がいない。風邪でも引いたんだろうか。昨日は元気そうだったのに。
さて困ったぞ、と内心呻いていると、その文官がこちらに手を差し出した。
「よかったら預かる。昨日の議事録だろう? 急ぎじゃないから、明日デイヴィッドが出勤したら渡しておく」
やはり急ぎではなかったらしい。昨日デイヴィッドが急かしてきたのは何だったのか。
胸中に黒いものを抱えつつ、ありがとうございますと応じて笑顔で書類を手渡す。
そして、手元に残った大元の議事録を掲げた。
「こちらはどうしましょうか?」
「ん? ──ああ、原本か。捨てといてもらえるか?」
「…分かりました」
保管用の書類は代筆課が作るので、その元になった書類に保管義務はない。手元に残しておく文官と容赦なく捨てる文官、半々くらいだ。
ちなみにデイヴィッドはその時の気分によって「捨てろ」と言ったり「返せ」と言ったり色々である。
私は笑顔で頷き、では、と設備課を後にした。
…あっちは要らないみたいだし、これはいつも通り個人的に保管しておこう…後で文句言われても困る。




