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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

海月の微笑

海月の追憶

作者: 萌闇

「髪長いね!」

髪を自由に切らせて貰えないんだから、当然でしょ。

「スタイルいいね!」

昔から1日3食食べたことなんて1度もない。

1食でも食べられたら良い方だし当たり前。

「色白だね!」

外に出して貰えないから普通のことだよ。


私がよく言われてきた言葉たちだ。

言ってきた人達は褒めてるつもりなのかもしれないけど、言われた私は少しも嬉しくなかった。自分にとって日常と化したことだったからだ。

幼い頃から虐待とネグレクトをされ続けてきて、いつしか心のどこかで諦めるようになった。それを普通だと思うことで、まだ正気を保っていられたから。いや、そう自分に言い聞かせないと壊れるからだったのかもしれない。

昔は泣いてばかりいたけれど、泣くと体力を消耗してしまうから泣かなくなった。泣きたくなる気持ちを押し殺している内に、他の感情も覚えなくなった。


しばらくすると親が死んで、私は児童養護施設に保護された。


15の春、ある日の通院途中に知らない男に声をかけられた。「モデルにならないか」だって。

私はその誘いを承諾した。どうせ死ぬまで何も無い人生ならば、ひとつくらいあの世への手土産があってもいいだろうと思ったからだ。


私は自分の名前を知らなかった。

生まれて15年経ってはじめて「白波(しらなみ) 憂來(ゆうら)」という名前を貰った。どうやら私は「今にも消えてしまいそうな、儚くて綺麗な子」を演じなければならないらしい。空っぽの私に中身が与えられた気がして、少し嬉しかった。それから私はいつも笑うようになった。笑顔でいれば大人達皆が味方になってくれたからだ。


 16になった初夏、水族館で撮影の日。初めて海月の水槽を見た。

暗闇の中でライトに照らされながら泳いでいる姿に、どこか惹かれた。特に、職員が説明していた「クラゲは感情を持たず、死ぬと水に溶けて消える」という話が妙に心に残った。

どこに惹かれたのかはわからないが、クラゲは私に少し似ているのではないか……

常に外見しか求められず、誰にも愛されない。常に向けられているのは好奇の目と偽りの優しさ。そう考えれば考えるほど、虚しさが募るばかりだった。


クラゲになりたい。誰にも知られず、静かに消えたい。いつの間にかそう思うようになった。




 新しいスタッフが入ったらしい。バイトだが、私と同い年で気が合うかもしれないと言われた。本当に?…どうせ周りの大人たちと同じだろう。

ある撮影の日の休憩時間、何となく彼のとなりに座ってみた。

「無理してませんか?」

言われてしばらく、自分に向けた言葉なのだと気づかなかった。驚いて顔を上げると、そこには神妙そうな顔の彼がいた。私はいつも優しくされていた。けれど、心配されたことは一度もなかった。初めて見た目以外を見て貰えた気がして……無理をしているつもりはなかったが、気にかけて貰えたことが嬉しかった。

私は彼に「クラゲになりたい」ということを話した。根拠は無い。でも、彼なら少しはわかってくれる気がしたのだ。…本当は、自分の気持ちを吐き出したいだけだったのかもしれない。


それから、私と彼は度々話すようになった。

彼と話していると、不思議と居心地がよかった。





 曇りの日、海で撮影をした。

いつものように指示通りにポーズを取って、

撮ったものを確認して、休憩時間になった。

何故か、その日は無性に彼と話したくなった。

海側から砂浜へ振り返ろうとした時……完全に後ろを向く前に、これ以上動けなくなったことに気がついた。







腹部が熱い。包丁を抜かれた衝撃で、やっと自分が刺されたことに気がついた。激痛と、体中から血液が奪われていく感覚とともに、視界が黒くなっていった。

刺されたことへも、周りの大人たちが誰1人助けに来なかったことも疑問に思わなかった。

けれど分からないことがひとつあった。

痛いはずなのに、軽くて爽やかな気持ちになった。重い荷物をやっと下ろした時のような…

私はそれがあまりにも嬉しくて、思わず顔をほころばせた。どうしてこんなに…涙が溢れそうなほど嬉しいんだろう。

こんなに口角を上げてクシャクシャに笑ったら、儚くなんて無くなってしまう。監督に怒られるかな……でも、少しくらいは許してくれるよね。

この喜びを彼にも伝えたいと思った。でも、私の体は既に限界を迎えていて思うように動かなかった。…だから……せめて、消える前に彼に言いたいことがあった。それが唯一の心残りだったのだ。


私は彼に感謝を伝えたかった。私に本物の優しさを教えてくれてありがとうって言いたかったんだ。私は知らぬ間に泣いていた。滲んだ視界の向こうで、彼が私を見ているのが分かった。声は出なかったが、「ありがとう」と言ったつもりだった。



遠のく意識の中、脳内を走馬灯が駆け巡った。

殴られて痛かったこと、怒鳴られて怖かったこと、空腹で辛かったこと……

真っ黒な私の人生の中に、彼といた記憶だけがやさしく輝いていた。


もう会うことはなくても、彼がくれた記憶があるだけで…………それだけで、胸がいっぱいになる気がした。






そうして少女はゆっくりと、穏やかで幸福な死の海へ沈んで行った。


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