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第9話

 夫婦のお試し期間が終了する前日の夜、灯織は紅月から話があると切り出された。


 これからの話をされることは分かっていたため、驚きはない。お試し期間が終わるということは、取り決めも今日までということ。つまり、明日からふたりは同じ寝室で過ごすことになるという話だろう。


 けれど、不思議といやではなかった。灯織はもう紅月に心を寄せているのだ。


 しかし、紅月が灯織に言ったのは予想もしない言葉だった。


「婚約は、破棄にしよう」

「――え?」


 灯織は困惑気味に紅月を見つめる。


「婚約は、やめよう」


 紅月はもう一度、ゆっくりと言った。


 ――婚約破棄。


 つまり、灯織と紅月は他人になるということだ。


「……どうしてですか」


 灯織が問うと、紅月は申し訳なさそうに目を伏せた。


「君とは合わない。きっと君も、俺じゃないべつのだれかといっしょになったほうが幸せになれる」

 灯織は言葉が見つからなかった。

「……ごめんね、灯織さん」

 灯織は俯いた。視線を落とした灯織の視界に映ったのは、紅月がくれた月柄の着物だった。



 ***



 紅月の話のあと、荷支度を終えた灯織は早々にトランクケースを持って本堂邸を出た。


 紅月からは、しばらくは家にいてもらってかまわないと言われたが、なんとなくいづらさを感じたこともあって、灯織は早々に支度を済ませた。


「今までありがとうございました」

「……うん、元気で」


 あまりにあっさりとした紅月の挨拶に、灯織は追いすがる余地もない現実を知る。

 灯織は、紅月と本堂家の使用人たちに挨拶をしてから、本堂邸を出た。とりあえず駅に向かう。


 紅月には、実家に帰ると伝えた。しかし、千家家へ帰るつもりはなかった。本堂家から暇を出されたなんて言ったら、帰ったところで居場所などない。いたぶられ、最後には殺される未来がやすやすと目に浮かぶ。とても帰る気にはなれない。


 とはいえ、灯織に行くあてなどない。

 紅月のとなりで生きていく。この一ヶ月少しづつ決めてきた覚悟は、紅月のひとことにより泡となって消えてしまった。


「これからどうしよう……」


 灯織は途方に暮れた。

 駅に着いたものの、列車に乗ることはせず、そのまま線路脇をしばらく歩いていると、川に出た。


 きらきらと光を反射する水面を見つめて思う。この川に飛び込んだらどうだろう。いつか、海に出るのだろうか。もともと淡水で生きてきたが、陸でも生活できたのだ。海水でも生きていけるだろう。灯織は、あやかしなのだから。


 そう考えたときだった。


「あら? あなた、灯織さんじゃなくって?」

 どこか聞き覚えのある声に振り向くと、そこにいたのは、

「雪野さん……?」

 紅月の従姉妹、雪野だった。


 雪野はやはり華やかな格好をしていた。

 白地に流水柄の着物、それから光沢のある白袴。流水柄は桃色で、黄色や紫色の丸菊が絢爛と咲いている。


 さらに雪野は、その上から華やかな桃色をした花柄レースの羽織りを合わせ、頭には紫色のベレー帽を乗せていた。


 女性らしさのある可愛らしい格好――まさに大正浪漫だ。


「灯織さんたら、こんなところにおひとりでなにしてるの? 紅月さんは?」


 可愛らしい着物に見惚れていると、雪野が灯織の顔を覗き込んだ。


「いえ……その」


 ――どうしよう。


 雪野はおそらく、まだ灯織と紅月の婚約が破談になったことを知らない。

 けれど、ほかのいいわけを思いつかない。


 灯織が黙り込んでいると、雪野がおもむろに灯織の手を引いた。


「わわっ!?」


 あまりに強く引かれたもので、灯織の身体が不安定に傾く。慌てて脚に力を入れて踏ん張る灯織だったが、雪野はそんなことはおかまいなしといった様子で、

「分かったわ! もしかして喧嘩ね!? 紅月さんと喧嘩したのでしょ!?」

 などと言い出した。


「えっと……」


「いいのよ! いくら養ってもらってるからと言って、女がすべてを我慢するなんて間違ってるものね。さ、いらっしゃい!」

 雪野に手を引かれ、灯織は訊ねる。

「ど、どこへ?」

「私のお家に決まってるでしょ! 家出するのよ!」

「家出……いえあの、私は」


 家出もなにも、灯織と紅月は赤の他人だ。そう灯織が否定しようとするも、雪野は勝手な解釈をしたままひとりで怒り出す。


「まったく、灯織さんを困らせるなんて紅月さんもまだまだね! さ、いらっしゃい! 今日は美味しいものを食べて、あたたかいお風呂に入って寝るのがいちばんよ」


 こうして灯織は、雪野の家に身を寄せることとなった。

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