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第7話


 結納の席で久しぶりに灯織と再会した紅月は、驚いた。

 記憶のなかの灯織と、ずいぶん印象が違っていたからだ。


 紅月は灯織と、過去に一度だけ会ったことがあった。許嫁の取り決めを交わすために、彼女の実家へ赴いたときだ。親同士の話し合いが長引いていて退屈になっていたとき、灯織に誘われてこっそり神社へ遊びに行ったのである。


 当時の灯織は、今とはまるで別人のように明るい子どもだった。彼女のちぐはぐな印象が、ずっと紅月のなかで引っかかっていた。


 とはいえ、あれからずいぶんときが経った。お互い大人になったのだし、変わっていてもおかしくはない。


 ――だけど……。


 紅月にはもうひとつ、気になっていることがあった。


 ――今の彼女は、灯織というより〝あの子〟のようだ。


 神社に行ったとき、灯織が仲良しなのだと言って紹介してくれたあやかしの女の子――一華だ。


 金色の髪に、赤い瞳をした少女。


 会ったのは後にも先にもあのとき一度だけだったが、紅月は彼女のことが未だに忘れられずにいた。


 色白で儚げで、太陽のような灯織と対照的に月のように控えめな女の子だった。

 今の灯織は、どこかかつての一華と重なる部分があるような気がする。


 一華は、紅月の初恋の女の子である。


 しかし、紅月の許嫁は灯織だ。華族の長男として、というよりは、本堂家の人間である限り、ひとを好きになっても報われないということは幼心に理解していた。だから、忘れなければならない。そうじぶんに言い聞かせてきた。


 けれど――。


「……紅月、おい。紅月」


 仕事中、窓の外をぼんやりと眺めながら考えごとをしていた紅月に、軍服を着た屈強な体格の男が声をかけた。


 彼は安住(やすずみ)(みのる)。稔は今年で二十四歳になる紅月よりも三つ上の同僚だ。大柄で大酒飲み。飲みに行かないか、が口癖の男だ。


「どうしたんだ、ぼけっとして。大丈夫か?」

「あ……あぁ、すまない」


 紅月は我に返り、目の前の書類に目を落とした。


 気を取り直して仕事に集中していると、部屋の扉が叩かれた。陸軍の制服を着た青年が顔を出す。部下である。


「本堂少尉。こちら、本日京都支部から新たに上がってきた報告書です。確認をお願いします」

「分かりました。ありがとう」


 紅月は部下から、茶封筒を受け取る。


「失礼いたします」


 部下は、律儀に礼をしてから部屋を出ていく。稔は部屋の扉が閉まったことを確認してから、ぽろりと零した。


「……あいつ、やっぱり軍服似合わないな。少し鍛えさせないとだめかな」


 紅月は書類に目を落としたまま苦笑する。


「彼はあやかし庁に推薦枠で入ってるから、そもそも入隊すらしてないんだよ。少しくらい大目に見てやれ」

「あぁ。そういえばそうだっけ」


 紅月は、帝国陸軍の少尉である。


 しかしそれは表向きの肩書きで、実際はあやかし庁の官吏というのが、紅月の肩書きだった。


 ここは、帝国陸軍駐屯地のなかに密かに存在するあやかし庁の東京本部だ。あやかし庁の所在は、一般には知られていない。その性質上、あやかしからの襲撃を受ける可能性があるからである。


 本部職員は先程の部下含め、紅月と稔の三人だけ。


 先程顔を出した部下が、全国各地に派遣されている調査員たちからの報告書を取りまとめ、現世に害を及ぼす可能性のあるあやかしかどうかの仕分けをする。紅月と稔はそれを最終審査、決定し、その報告書を元に紅月と稔ふたりであやかしを取り締まりに行くのだ。


 それが、あやかし庁に勤める紅月の本来の仕事であった。


 六年前、陸軍大学校へ入隊した紅月はその後実力を見出され、四年前に政府が秘密裏に設立したあやかしを取り締まる機関、あやかし庁への異動を命ぜられた。以来、紅月は帝国陸軍所属のままあやかし庁勤務をしていた。


「で、おまえはなんだ。例の花嫁と喧嘩でもしたか?」


 若干揶揄うような声音で問いかけてくる稔。紅月が睨みつけると、稔は楽しげに歯を見せて笑った。紅月はため息をつく。


「べつに、そうじゃない。そもそも俺と灯織さんは政略結婚だ。喧嘩するほどの仲ですらないよ」

「相変わらず冷めてるなぁ……そんなんで夜とか大丈夫なのかよ」

「寝室はべつだ」

「はっ?」


 稔が気の抜けた声を漏らす。


「いやいや、なんで!? おまえら新婚だろ?」

「まだ結婚したわけではないし……彼女があまりに怯えた調子だから、同棲期間中は寝室をべつにするって決めたんだよ。そのほかにも、まあいろいろな」


 稔が驚愕の表情を紅月に向ける。


「今はとにかく、彼女の機嫌を取るしかないんだよ。おまえなら分かるだろ」

「……まあ、そうだけど」


 稔がため息混じりに頷いた。


「俺もおまえも、ふつうじゃないからな。離縁だなんてことになったら大変なことだ」

「そんなことにはならない。灯織さんは少しづつだけど、徐々に俺に心を開き始めてる」


 灯織と同棲を始めて三週間。

 最初こそどうなるかと思った関係だが、街に行った辺りから、灯織の緊張は徐々に解れているようだった。


 この調子なら、同棲期間を終えたあとも、問題なく夫婦生活を送れるだろう。


「へえ。ずいぶん強気だな」

 稔がにやりと口角を上げる。

「強気もなにも、彼女をじぶんのものにしなければ、俺の身が滅ぶんだ。死ぬ気で気も引くさ」

「おまえの花嫁も可哀想にな。日々、おまえに生気を吸われているとは知らずに」

 紅月は眉をひそめる。

「だからせめて好かれようと努力してるんだろ」


 可哀想だが、灯織がどんなに拒絶したとしても、紅月は灯織を手放すわけにはいかない。


「まったく、最悪な旦那に捕まっちまったもんだな、その花嫁さん」

「それはおまえもだ。それから、彼女はまだ婚約者だから」


 稔もまた、紅月と似た事情で政略結婚をしている。稔にだけは責められるいわれはない。


「はいはい。そうだったね」


 時計が十五時を知らせる。紅月と稔はほぼ同時に席を立った。


 深緑色の帝国陸軍の軍服の上から、臙脂色の裏地がついたケープを羽織る。軍服にケープがあやかし庁の正装だ。さらに、ケープの襟には蓮の花をモチーフにしたバッジがついている。蓮はあやかし庁の紋章である。


「さて、そろそろ取り締まりに行きますか」

「今日は早く帰れるといいけど」

「早く帰れたら、飲みに行くか?」


 稔がいたずらな笑みを浮かべながら紅月を誘う。紅月は笑った。


「婚約者の機嫌を取らなきゃいけないから、やめておくよ」

「それは残念だな」


 冗談交じりに言いながらも紅月は、このところ家に帰るのが楽しみになっているじぶん自身を自覚していた。


 灯織の気をこちらに向けるために提案した一日一度の抱擁。思いのほか、紅月の気持ちのほうが灯織に傾いていた。


 ――帰りに団子でも買っていったら、灯織さんは喜んでくれるだろうか……。


 紅月は、街へ出たときに見た彼女のきらきらとした眼差しが忘れられなかった。


 できることなら、またあの顔が見たい。

 彼女はなにが好きなのだろう。

 なにに心を動かすのだろう。

 灯織のことを、もっと知りたい……。


 紅月の心は既に、灯織のほうへ傾いていた。

 だが、灯織を愛おしいと思えば思うほど紅月のなかでうしろめたさが増幅していくのだった。

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