第12話
その日、あやかし庁本部に警報音が鳴り響いた。警報音が鳴るとほぼ同時に、書類整理をしていた紅月と稔が弾かれたように立ち上がる。
「――本堂少尉、通報です!」
部屋に駆け込んで来た部下が叫ぶ。
「場所は」
「皇居の桔梗濠で、あやかしがひとを襲っていると」
紅月と稔は顔を見合わせる。
「桔梗濠って、すぐそこじゃないか」
ふたりは急いで現場に向かった。
現場につくと、大勢のひとが濠のふちに集まっていた。ふたりはひとびとを掻き分けるように前に出ると、濠を覗き込む。濠の前方にあやかしのような影が見えた。その影に、紅月は目を見張る。
「あれは……」
濠にいるあやかしは、紅月がかつて恋した少女、人魚の一華に見えたのだ。
呆然とする紅月の横から、民衆のひとりが叫ぶ。
「子どもだ! 人魚が子どもを襲ってるんだ!」
「少尉さま、早く助けてあげて!」
「いやしかし、助けるったってこんな深い濠じゃ……」
稔が唸る。
「違うわ!」
紅月は声のしたほうを見て、再び驚愕する。
「彼女は濠に落ちた子どもを助けてるだけよ! 勝手なことを言わないで!」
「雪野さん……!?」
叫んでいたのは、雪野だった。
「雪野さん、どういうことですか!」
紅月が雪野のほうへ近付こうとしたとき、雪野のそばにいた男性が怒鳴った。
「なんだ、おまえ! 女のくせに出しゃばってくるんじゃねえ!」
「そうだ! 女は黙ってろ! 変な格好しやがって」
雪野は怒鳴った男性を睨みつけた。
「黙るのはあなたのほうよ! 男だからといって偉そうに! 私は彼女の親友よ! 彼女は溺れていた子どもに気付いて濠に飛び込んだの。それを、あやかしがひとを襲っていると勘違いして通報するなんて信じられない!」
「なんだと!? あやかしと親友ってことは、おまえもあやかしなんじゃないか!」
民衆の目が一斉に雪野に向く。雪野は狼狽えた。
「わ、私は違うわ!」
「うそをつくな!」
「あやかしは幽世へ帰れ! 帝国から出ていけ!」
とうとう男性が雪野に掴みかかった。
「おいこら、落ち着け!」
稔が騒ぎ出す民衆を止めに入る。一方で、紅月は濠のなかへ目を凝らしていた。遠くてよく見えないが、あやかしはゆっくりとふちへ泳いでいるように見える。
「紅月さんっ!」
民衆のなかから、雪野が叫んだ。
「紅月さん、あれは灯織さんなのよ!」
紅月ははっとした。
「なに……!?」
――一華が、灯織だと!?
「駐屯地に向かってる途中で、濠に落ちた子どもがいたの! 灯織さんはそれを助けようとして飛び込んだのよ!」
雪野が叫ぶと、外野がさらに騒ぎ出す。
「うそをつくな! このバケモノめ!」
「痛いわ! やめて!」
騒ぎはどんどん加速する。いよいよ雪野が男数人に押し倒されそうになったとき、紅月が叫んだ。
「やめないか!」
紅月の一声で、すべての音が一斉に鳴り止んだ。
「彼女を離せ。今やるべきことは、言い合いではなくあの子どもの救出だ!」
紅月の低い声に、民衆は我に返ったように濠を見た。
「そうだ、なにか引き上げる道具を!」
「急げ!」
口々に叫びながら、それぞれ動き出す。濠に落ちた子どもの救出作業は、数時間にも及んだ。




