第11話
俯く灯織の手を、雪野が取る。
「私と同じね!」
「えっ? 同じ?」
「ええ! こうは言っているけれど私、灯織さんのことも羨ましいと思ってるのよ!」
「えっ?」
灯織が顔を上げると、雪野は笑って頷いた。
「こういう話をすると、殿方はいつも渋い顔をするの。もっと大人しい女性がいいとか言って、縁談はいっつも流れてしまうし。だからね、私、灯織さんが羨ましい! 旦那さま、ハンサムだし!」
「ハンサム?」
「そうよ! 旦那さまのお顔って重要でしょ?」
雪野は内緒話をするように口元に手を添え、身を乗り出した。
「私だっていい殿方がいたら結婚したいのよ? でも、じぶんの好きも諦めたくない。自立して、好きなときに好きなことをするのも楽しいんだもの!」
雪野は机に手をついて、つんと鼻を上に向けた。
「女性はお淑やかに殿方の言うことを聞いていればいい? そんなの私はいや。私らしく生きて、それを受け入れてくれるひとと生きたい。我慢なんてクソ喰らえですわ!」
雪野のはっきりとした物言いに、灯織は笑う。
いつかじぶんも、雪野のようになれるだろうか。そう考えたときだった。
「お節介かもしれないけど、灯織さんは少し我慢し過ぎじゃないかしら」
顔を上げると、雪野は穏やかな表情で灯織を見ていた。
聞けば雪野は、灯織と紅月が婚約破棄したことをはじめから知っていたという。灯織が家を出た際、紅月から雪野に連絡があり、雪野は慌てて仕事を中断して灯織を保護しに来たのだった。
「紅月さんは、私が実家に戻る気がないことを分かっていたってことですか?」
「あなたの性格が、以前会ったときとずいぶん変わっていたから、調べたらしいわ。それで、あなたがご両親から受けていた仕打ちを知ったって」
実家に帰るとは考えにくい。だが、これ以上じぶんのそばに置くことはできない。だから、雪野に頼みたい。紅月は雪野にそう言って頭を下げたという。
「どうしてそこまで……」
灯織は困惑する。婚約破棄した相手に、どうしてそこまで心配してくれるのだろう。
すると雪野はにっこり笑って「好きだからじゃないかしら?」と言った。
「ここだけの話だけれどね、私、紅月さんはあなたを遠ざけるって分かっていたわ」
灯織は眉を寄せる。
「紅月さんはね、大切なひとを遠ざける癖があるの。じぶんのそばにいる人間は、みんな不幸になってしまうから」
「不幸?」
「そう。紅月さんはね――」
雪野は、本堂家が華族となった経緯を話してくれた。それから、紅月の抱える体質のことも。話を聞いた灯織は、驚いた。
「……じゃあ、紅月さんが婚約を破棄したのは」
「あなたに心から惚れていたからよ。守りたかったのね。あなたのこと」
はっきり言われ、灯織は胸が苦しくなった。紅月は灯織がきらいになったわけではない。灯織を守るために遠ざけた。
灯織は唇を噛み締める。
「……それならそうと言ってくれれば」
灯織はあやかしだ。あやかしと混血であるとはいえ、人間の力の影響を受けるほどひ弱ではない。
けれど、紅月は灯織のことを人間だと思っている。だから遠ざける決断をしたのだ。
きっと、灯織が紅月の立場でもそうしただろう。お互いさまだったのだ。灯織も、紅月も。
紅月の決断の裏にあったあたたかな想いに、涙が出た。
「灯織さん。あなたはとってもいい子だけど、紅月さんの前ではじぶんを出していいのよ? 家族なんだから」
でも、と灯織は俯く。
「私はもう、他人です」
「そうね、このままではね」
灯織は膝の上に置いた手を見つめる。
会いに行くべきだろうか。でも……。
黙り込む灯織を見て、雪野がこれみよがしのため息をつく。
「……あのね、灯織さん。ひとは変えられないものよ」
灯織は顔を上げる。
「変えられるとしたらじぶんだけ。あなたが変わりたいって思えば、もうその瞬間に変われるのよ」
「……でも、私は」
「いい? 灯織さん。これからの時代、女はもっと強くたくましくならなきゃだめ。大正乙女は猪突猛進! 行動あるのみなのよ!」
雪野はそう言って、にっと歯を見せて笑った。
「せっかく生まれてきたのだから、人生は楽しまなくちゃ!」
――行動あるのみ。
「……変われるでしょうか、私」
雪野はにっこりと笑う。
「紅月さんの職場、内緒で教えてあげる」
アイスクリンと珈琲を堪能したあと、喫茶店を出た灯織は、紅月ともう一度話すため帝国陸軍駐屯地へ向かった。
本堂邸を出たあの日、灯織は紅月に本心を言うか迷った。迷って、やめた。怖かったのだ。じぶんのわがままを通して、紅月に拒絶されるのが。
もし紅月に拒絶されたら、灯織は今度こそ絶望してしまう。
でも、今は違う。
たとえ手遅れだとしても、灯織はこれまでの感謝と、じぶんの気持ちを紅月にちゃんと伝えたい。
皇居の東側、桔梗門に差し掛かる。駐屯地までもう少しだ。
そのときだった。
――助けて!
どこかから、声がした。




