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身代わり金魚姫が幸せな結婚をするまで〜婚約破棄から始まるあやかし純愛譚〜  作者: 朱宮あめ


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第10話

 灯織が雪野の家に身を寄せて、一週間ほどが経った。


 ふたりは街のなかにある二階建ての洋館にいた。看板には、珈琲茶館と書いてある。慣れた様子で一階を過ぎ、そのまままっすぐ二階に続く階段へ向かう雪野のあとを、灯織はおどおどとしながらついていく。


 店内は、高級感ただようビロードの洋風椅子と木机がいくつか並び、カウンター近くに置かれたレコードからは、しっとりとしたクラシックが流れている。始めて来た灯織でも、ほっとする空間だ。


 入口付近にいた洋装のボーイがふたりに気付き、いらっしゃいませと優雅に微笑む。思わず姿勢を正して挨拶を返そうとした灯織の横で、雪野が言う。


「こんにちは! ふたりなんだけど、いつもの席空いてるかしら?」

「はい。ご案内致します」


 ボーイは雪野と数言会話を交わすと、こちらへどうぞ、と言って歩き出す。


 案内されたのは、窓際のふたりがけの席だった。向かい合うようにして座る。慣れた様子でメニューを取り出す雪野に、灯織はそろそろと訊ねた。


「あの……雪野さんは、よくここへ来られるのですか?」

「仕事帰りに、たまにね。それより灯織さん、なににする?」


 メニューを見せられるが、よく分からない。灯織は雪野に、お任せします、と返した。


 雪野はボーイを呼ぶと、珈琲とアイスクリンをふたつ注文する。


 ボーイがいなくなると、灯織は再び雪野に訊ねた。窓の外を眺めていた雪野が、灯織を見る。


「あの、雪野さん。せっかくのお休みだったのに、気を遣わせてしまってすみません……」


 雪野は、紅月と同じく華族のお嬢さまだ。しかしながら雪野は、礼子の呉服屋で働いている。


 雪野は今日、休日だったのだが、家で塞ぎ込みがちだった灯織を気遣い、外へ連れ出してくれたのだ。


「私の趣味に付き合わせてるのだから、気を遣ってくれてるのはあなたよ」

「……ありがとうございます」


 胸の辺りがじんわりとあたたかくなる。雪野の優しさが、冷え切った心に染み入ってくるようだった。


 灯織は最初、雪野のことが少し苦手だった。


 無邪気で明るくて、とにかく生きることを全力で楽しんでいるような雪野は、どこかかつての親友を想起させるようで、直視することが辛かった。


 そして同時に、羨ましかった。


 はっきりとした物言いや物怖じしない姿がじぶんとあまりにかけ離れていて、当たり前に愛され、なんでも持っているお嬢さまの雪野が、羨ましかった。


 でも、彼女と暮らして灯織は知った。


 雪野は、お嬢さまなんかではなかった。雪野は、性別や家柄に甘えず、怖じけず、しっかりとじぶんの意志を持ち、逆風にも立ち向かう強さを持っていた。


 ――私も、あんなふうになれたら。


 灯織はそう考えたじぶんに気付き、目を伏せる。なれるわけがないのに。


 灯織は雪野を見て、訊ねる。


「あの……雪野さんは、どうして呉服屋で働こうと思ったんですか?」

「あら。どうしたの、いきなり」

 雪野が頬杖をつきながら、灯織を見る。

「女性が……華族のお嬢さまが働くなんて珍しいから、気になって」


 雪野は喉を鳴らすようにして、そうね、と笑った。


「私ね、お着物が大好きなの。ほら、お着物っていろいろな柄があるじゃない? お花とか動物だけじゃなく、お月さまとか蛍とか! こんなふうに季節を感じられる服は、きっと世界中どこを探してもふたつとないわ」


 雪野は無邪気に、心底嬉しそうに自身の姿を見下ろしながら、そう話した。


 着物が好きだという彼女の気持ちがまっすぐに伝わってくるようで、灯織は表情を綻ばせる。


 でも、とその直後、雪野は声を沈ませた。


「最近みんな、外国のお洋服を着るようになってしまって……呉服屋はどんどん減っているの」

「そうだったんですか」


 雪野は困ったような顔をして頷く。


 じぶんがいた京都の街よりも、ずっとたくさんの呉服屋がそろっているから気付かなかった。


 雪野は窓の外を行き交うひとたちを眺めながら、静かに続ける。


「みんな、新しいものが好きなのよね。まあ、それは私もなのだけど」


 でもね、と雪野が灯織を見る。


「この国のお着物には、洋服とはまた違う良さがあると思うの! あ、もちろん洋服がつまらないってことじゃないのよ? 洋服には洋服の良さがある。だからね、私はお洋服とお着物を合わせた新しい服を作りたいと思っているの! だから働いているのよ。いつか、お店を出すために」


 そういえば、以前会ったときも雪野は、外国の洋服を合わせながらも、着物を基調にした格好をしていた。


 ――いつか、店を。


 想像していたよりずっと壮大な内容だったが、彼女ならきっと叶えてしまうのだろう。灯織はそんな気がした。


 いい? 灯織さん、と、雪野がおもむろに灯織の手を握る。


「女性はね、殿方の気を引くためにお洒落をするんじゃない。私たちは私たちを表現するためにお着物を選ぶのよ!」


 初めて彼女の格好を見たときは斬新だと思ったが、今はそうは思わない。彼女らしいと灯織は思う。


 着物にブーツ。ワンピースに帯。どちらも素敵だ。


「私も、そう思います」


 灯織が同意すると、雪野は瞳を輝かせた。

「本当!?」


 はいと頷き、灯織は、

「羨ましいな」

 と呟いた。


「羨ましい?」

 雪野が首を傾げる。


「私にはそんなふうに、はっきりと言い切れることってないから」


 灯織はずっと、家族やちづるに言われるまま生きてきた。虐げられ、いじめられても逃げ出す勇気はなかった。

 きっと雪野が灯織であったなら、彼らに真っ向から立ち向かったのだろう。


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