第3話『|異世界人《かれら》との出会い』
俺は全ての準備を終えて、桜と共に山崎さんの車で件の森へ向かった。
向かう道中、車の中は静寂に包まれていた。
誰も言葉を発さず、あえて口を開く事もないまま俺達は山道を進み、不帰の森へと辿り着いた。
何も口に出来ないまま車を降りた俺は、リュックを背負い隣に座っていた桜が降りる手伝いをしてから、運転席と助手席に座っている山崎さんご夫婦に向き直った。
感謝はここまでに沢山伝えた。
お金も使ってくれと全て渡した。
もう、俺から伝えることは……
「亮! 桜!!」
「っ」
彼らに背を向けて桜と共に歩き出そうとした俺に、後ろから声が掛かる。
俺は、勢いよく振り返って、車の中から出てこようとしている二人に向かって声を張り上げた。
「これ以上は……! 俺も進めなくなってしまう」
「亮……」
「だから、お二人とは、ここでお別れです」
「……」
俺はそれだけ言うと、桜の手を取って歩き出そうとした。
しかし、車のドアが開き、二人が飛び出して来た気配を感じると、俺は振り返って真っすぐに二人を見据えた。
「亮。もはや俺達は止めん。だが、お前たちの家は、俺達が管理してるからな」
「いつでも帰ってきて良いんだからね!」
「……ありがとうございます。では、行ってきます!」
「ありがとう! お父さん! お母さん!」
「桜……!」
「元気でね……!」
二人に頭を下げてから俺は涙をそのまま振り払って桜と共に歩き始めた。
不帰の森は人の出入りが無いからか、歩きにくい状態であった。
俺は桜を抱きかかえながら一歩一歩と奥に進んでいたのだが、果たしてこの森をどこまで進んでゆけば異世界とやらに行けるのか……。
「桜。体調はどうだ?」
「うん。すごく良いよ。空も飛べそうなくらい」
「それは良いな」
朗らかな笑顔で嬉しそうに語る桜に微笑みながら、確かに目的の場所には向かう事が出来ていると安堵する。
しかし、このまま異世界に行くとして、生活する為の場所をどうするかというのは非常に問題だ。
考えてなかったワケではないが、情報が少なすぎる事も確かである。
「このまま、どこにもたどり着けなかったらどうするか」
「そしたら、この森で一緒に暮らそうよ」
「食事には困るだろ」
「サバイバル用の道具はいっぱい持って来たじゃない」
「それは確かにそうだが、勝手に動物を捕まえても良いんだろうか」
「食べちゃえば分からないよ」
「うーん。そういう問題でも無いんだが」
俺は桜の言葉に、どうしたものかなと考え、歩きながら言葉を探していたのだが、不意に桜が獣道の先へと顔を向けて、身を乗り出した。
「危ないぞ」
「……! お兄ちゃん。何か来る」
「分かった」
俺は桜を急いで下ろし、リュックを地面に置いてから刀を取り出して腰に差す。
そして、いつでも抜ける様にと両手を刀に置いて構えたのだが……。
「なんだ、これは……!?」
現れたのは何とも巨大な動物の姿であった。
巨大なイノシシの様に見える。
「お兄ちゃん!」
「任せろ!!」
俺は刀を抜き、正面に構える。
何かあった時に、すぐに斬る事が出来る様に軽く持ち、地面を何度か踏んで足場を確かにした。
しかし、俺の身長よりも大きなイノシシは、とてもじゃないが、普通の刀では斬れそうにないデカさである。
全身に生えている毛も固そうで、そもそも刀が通るのか……。
「おっと」
俺は考え事をしている最中に突っ込んできたイノシシの突進をかわしながら、桜の位置を即座に確認して、走り去ったイノシシが再びこちらを向き直っているのを確認し、桜から離れた位置へと移動した。
「桜。木の陰から動いちゃ駄目だぞ」
「うん。お兄ちゃん、無理しないで」
「ムリじゃないさ。この程度なら例え刀が通らなくてもやりようはある」
俺は反転し、再び俺に向かって走り出して来たイノシシの攻撃を横に避けてかわしてから、走り去るイノシシに向かって走った。
そして、また減速し振り返ろうとしているイノシシに向かって飛び掛かり、まずはイノシシの頬の表面を切り裂いた。
思っていたよりも鋭い刀は容易くイノシシの皮膚を斬り、そこから僅かだが血が溢れる。
「~~~~!!!!」
「痛いか。これ以上やるなら、もっと痛い思いをする事になるぞ」
イノシシは周囲の木々を揺らす様な大きな悲鳴を上げながら暴れまわる。
俺はイノシシから距離を話ながら、冷静に状況を見据えた。
「まだやるか? 退くか、どっちだ」
「お兄ちゃん、その子! もう戦えない!」
「そうか。ならこれ以上は無意味だな」
俺は刀を軽く振るい血や油を軽く払うと刀の状態を見て、目を細めた。
「これは……汚れが付いていない?」
軽く表面を撫でながら血も油も付いていないことに気づき、俺は声を上げる。
どうやら託された物はとんでもない物の様だ。
「さて、こっちは良いとして……お前はどうするかな」
俺は刀を鞘に納めながら、少しずつ大人しくなってゆくイノシシを見つめた。
桜の言う通り、こちらに襲い掛かってくる様な気配はないが、逃げる様なつもりも無いらしい。
「桜。コイツの考えが分かるか?」
「うん。何か怖がってるみたい」
「恐怖か。それだと俺が何かしてやるのは難しいかな」
「なら私がお話するよ!」
「危なくなったらすぐに言うんだぞ」
桜は笑顔で頷いて、森に入る前よりも軽快な足取りで座り込んでいるイノシシに近づいて頬の傷に触れる。
そんな桜の行動に、イノシシは一瞬怯えた様な表情を見せたが、桜の手が淡く光った瞬間、安らいだ顔に変わった。
傷を癒している……という訳では無いようだが、痛みを取り除いているのかもしれない。
「大丈夫か? 桜」
「うん。今ね。水の魔術で傷口を冷やしてるの。落ち着くかなって思って」
「そうか。優しいな桜は」
眠る前の様な穏やかな顔で地面に倒れているイノシシは桜に懐いている様にも見えるし、そこまでの危険は無さそうだ。
俺はそう判断し、少し離れた場所から二人の様子を見ながら、周囲を警戒するのだった。
しかし、イノシシと桜の対話を邪魔する様な存在は現れず周囲は静寂に包まれていた。
「イノシシさん。痛い思いをさせちゃってごめんね」
「うん、うん。私たちは別に森を荒らしに来たんじゃないよ。ちょっと用事があってね。来ただけなんだ」
「そうなの。ごめんね」
「だから、もう痛いことはしないよ。うん。ありがとうね」
どうやら対話は順調なようだ。
イノシシは柔らかい視線を桜に向けており、桜もまた笑顔で話を続けている。
俺は少しだけ気を抜いて、二人の対話を見ている事にした……のだが、どこから、気配が近づいてきている事に気づいた。
「……桜。どうやら次が来たらしい」
「うん。そうみたいだね。イノシシさんも、敵が来たって言ってる」
「イノシシの敵か、どんな奴かな。クマか?」
「ライオンかもしれないよ」
「そりゃ面倒だな。奴らは複数で狩りをするらしいからな」
「逃げる?」
「大丈夫だ。獣に負ける俺じゃないよ」
俺は刀を構え、再びいつでも抜ける様に意識を集中させたのだが、草むらから飛び出して来たのは予想外の存在だった。
「アレク、見つけたぞ……! ジャイアントボアだ。っ!? 人間!?」
「何? 冒険者か?」
「いや、それらしくは見えないな」
二人の人間が槍と銃らしき物を手に持ちながら現れ、警戒する様に俺達を見据え、そしてイノシシに目を向け、槍を向けた。
イノシシの近くには桜が居る。
俺は咄嗟に刀を抜きながら、イノシシと桜の前に移動し現れた人間二人に刃を向けるのだった。
「一応、確認はしておきたいんだが……君たちは『普通の人間』かい?」
「無論、普通の人間ですよ。俺も妹もね」
「なるほど……しかし、どうして普通の人間がこんな森深くに居るのか、その理由は聞きたいな」
「まぁ、色々とあったんですよ。住んでいた場所に居られない事情がね」
「……そうか」
槍を持っていた男は俺の刀を一瞬見た後、俺の後ろに居る桜を見て、小さく息を吐いた。
そして、彼の後ろに居た油断なく銃を構えていた男に向かって口を開く。
「アレク。どうやらヤマトからのお客さんみたいだな」
「みたいだな。家出か?」
「かもな。まぁ、どちらにせよあの国から来た人間なら、そこまで心配は要らないだろ」
二人は何かを納得したように頷くと、それぞれ武器を納めて俺に向き直った。
「武器を向けて悪かったな。俺はヴィルヘルム。こっちはアレクシスだ」
「どうも」
「それで、一応聞きたいんだが、お二人はこのまま森で生活するのか? もしくは国に戻るか?」
「出来ればどちらも避けたいですね」
「なら、セオストへ来るかい?」
「……セオスト?」
「あー、セオストは知らんか。まぁ、何ていうかな。ヤマトみたいな場所さ。大勢の人が住んでる」
「国ですか?」
「いや、セオストは国じゃ無いんだ。都市。自由商業都市って言ってな。まぁ国みたいなモンだと思ってくれればいいよ」
俺はヴィルヘルムと名乗った男の言葉に、一瞬桜と視線を交わし、桜の同意を得てから頷いた。
どうやら異世界にも人間らしい生活を送れる場所があるらしいと心の中で安堵しながら。