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消えたオレリア 2

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 ルクレールは、ボリスからその報告を受けたとき、自分の耳を疑った。


「オレリアが、いない……?」


 自分のその声が、自分のものではないほどにかすれて聞こえる。

 ボリスは毎朝、朝食前に一日の予定を告げに来る。

 それが今日に限ってどういうことか、いつもの時間にボリスが部屋に来なかったのだ。

 だいたい決まった時間に自然と目が覚めるルクレールは、別に起こしに来る人間がいなくとも困らないが、時間に正確なボリスにしては珍しいこともあるものだと思っていた。

 それがこれだ。

 いきなり血相を変えて部屋に飛び込んできたかと思えば、オレリアがいないと言うのである。


「いないとはいったいどういうことだ?」

「私どもにもわかりません……。ジョゼが言うには、起床のお手伝いに部屋に行ったときにはもうどこにもいらっしゃらなかったそうです。報告を受け、使用人総出で邸や庭を探しましたが、どこにもお姿がなく……」

「まさか攫われたとでも?」

「わかりませんが、部屋には荒らされた痕跡はありませんでしたし、窓には鍵がかかったままでした。お部屋も二階ですし、何者かが鍵のかかっている窓から静かに侵入し、奥様を攫って消えたとはどうしても……」

「するとあれか? オレリアが自発的に姿を消したと?」

「…………私共には、その、なんとも」


 ボリスは言葉を濁したが、彼がその可能性を一番に考えていることはその表情からわかった。

 ルクレールは言葉を失い、ぐしゃりと前髪をかきあげる。

 状況に、思考がついていかない。

 脈が速くなり、嫌な汗が背中を伝った。


「……お前たちは引き続き邸の中を探せ。俺はオレリアの部屋に行く」

「わかりました」


 ボリスが、部屋に入ってきたとき同様に慌ただしく部屋を飛び出していった。

 普段静かな使用人たちも、この非常事態にパニックになっているのだろう。

 ルクレールは大きく深呼吸をして、オレリアが使っている部屋へと向かった。

 夫婦になった以上、夫婦が同じ寝室を使うのが自然だとはわかっているが、結婚から二年、いまだに夫婦の寝室は別々だ。

 使用人たちの声が響いている邸の中を、重たく感じる足を引きずるようにして妻の部屋に向かったルクレールは、主のいないがらんとした部屋の中を見渡して思わず奥歯を噛んだ。


(この部屋に入ったのは、あの日以来か……)


 結婚式を終えて、初夜に夫を待つオレリアのもとに向かったあの日。

 部屋に入るなり「君とは結婚したが、俺は君と夫婦になるつもりはない」と一方的に告げて、彼女の表情を確かめることもなく足早に部屋を出た。


(あれから二年か……)


 この二年、ルクレールはオレリアを放置してきた。

 オレリアが本当に自発的に出て行ったのならば、原因はルクレール以外の何者でもないだろう。

 自然とため息がこぼれて、ずっと昔に感じたような絶望が足元から這い上がってくる。

 違うのは、あの日と違って、自分自身の行いが招いたことだとわかっているけれど、全身をからめとる絶望は消えない。


「オレリア…………」


 本人を前にして、一度も呼んだことのない妻の名を口に乗せる。

 あの日――初夜にオレリアにした宣言を後悔したのは、いつ頃のことだっただろうか。

 それは割と早かったと思う。

 そう、父の病状が悪化する前には、ルクレールの胸に後悔が重たく広がっていたのだ。


 オレリアは「あの女」と違う。

 そんな当たり前の事実に気がついたのは、結婚して一か月が過ぎたころだろうか。

 顔を合わせても挨拶もしないルクレールに、オレリアは毎朝朝食の席で笑顔で挨拶をしてくれて、懲りもせずに反応しない夫へ話しかける。

 最初はただの騒音にしか思っていなかったのに、いつの間にか彼女の柔らかい声が心地よく感じられるようになって、朝と夕に彼女の声を聞きながら食事をするのは悪くないと思えるようになっていた。

 かといって、自分の中での女への不信感がそう簡単に消えるわけでもなく、また、初夜の日にオレリアに向かって吐いた暴言を忘れて、何事もなかったように彼女に話しかけられるほど、ルクレールは図太くない。

 けれどもだんだんとルクレールの中でオレリアの存在が大きくなっていって、彼女がこちらを見ていないときには視線で追いかけるようになった。


 最初を間違えてしまったオレリアとの関係を修復したいと望んだのは一度や二度ではない。

 しかしルクレールはオレリアに謝罪する勇気も、改めて夫婦としてやり直してほしいという勇気も、なかなか持てなかった。


 葛藤しているままに時間ばかりが過ぎていき、父が倒れた。

 父が倒れてからはそれまでに輪をかけて忙しくなって、オレリアとの関係修復についてゆっくり考えている暇もなく――気がついたら、結婚から二年がたっていた。

 最近では、オレリアの朝と夕の口数もめっきり減り、笑顔もあまり浮かべなくなった。

 ああ、もう修復できないところまで来てしまったのだと、黙々と食事を続ける彼女の顔を見てルクレールは悟ったのだ。


 ならばせめて、彼女に不自由させないようにしよう。

 自分の代でコデルリエ家が傾くことのないように、仕事に没頭しようと、以前に輪をかけて仕事をするようになって――それがさらに夫婦の溝を広げようとも、それでいいのだと自分に言い聞かせた。

 今更ルクレールに優しくされることを、オレリアだって望んでいないだろう。

 初夜に暴言を吐いて二年も放置したルクレールが、急に夫らしくしはじめたら、オレリアは戸惑うに違いない。


 結局それらは、オレリアに拒絶されることを恐れたルクレールのただの言い訳でしかなかったとわかっているけれど、ルクレールはそう自分に言い聞かせて逃げたのだ。

 彼女と向き合うことから。

 ルクレールはふらつきながらベッドの縁に腰かけてうなだれる。


(…………女性に逃げられるのはこれで二回目だな)


 自嘲めいた笑みが広がり、胸にせりあがってくるものがあって、ルクレールは目元を手のひらで覆った。


(オレリアは、アントワーヌ家に帰ったのかな。……離縁、することになるんだろうか)


 アントワーヌ家から苦情が入っていないので、オレリアはルクレールとの夫婦関係を実家に報告していなかったのだろうが、さすがに家を出て行ったと言うことは離縁を念頭に置いているはずだ。ならばアントワーヌ家に報告し、自分に有利になるように動くに違いない。


(離縁か……)


 そうされても仕方がないと頭ではわかっている。

 でもその前にせめて、少しだけでも話す時間は取れないだろうか。


(――せめて、あの日のことを謝りたい)


 うなだれたルクレールの頭を、まさか透明になってしまった妻が撫でてくれていたことなど気づきもせず、彼はきつく目を閉じた。


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