愛されない妻 1
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オレリア・アントワーヌがルクレール・コデルリエ伯爵――当時はまだ伯爵子息だったが――と結婚し、オレリア・アントワーヌ=コデルリエになったのは、彼女が十八歳のときだった。
特別な美人ではなかったが、まっすぐな黒髪に神秘的な紫色の瞳をした心優しいオレリアは、社交界ではちょっとだけ人気だった。
本人はまったく気づいていなかったが、いつも優しい笑みをたたえて穏やかに挨拶をするオレリアに対し、密かに恋心を募らせていた男性は多かったのだ。
けれどもその心優しいオレリアは、社交界で熱烈な求婚を受けるでもなく、また、電撃的に恋に落ちるわけでもなく、ルクレールの父――当時のコデルリエ伯爵経由で申し込まれたルクレールの縁談によって、一年の婚約期間を経て十八歳で嫁いだのである。
政略的な意味合いがまったくないわけではない結婚だったが、アントワーヌ伯爵は娘の幸せを切に望んでいたし、姿絵で見たルクレールは、オレリアよりも五つ年上だったが優しそうな青年で、オレリアは幸せな花嫁になることを夢見ながら嫁いだ。
温かい家庭を築ければと、心の底から願い、信じながら。
けれどもその願いは、結婚初夜で打ち砕かれることになる――
☆
(はあ、もう二年もたったのね。早いのか遅いのかわからないけど……二年だわ)
オレリアは王都にあるコデルリエ伯爵家のタウンハウスの二階の自室から窓の外を見下ろして、侍女のジョゼが気づかない程度の小さな小さなため息をこぼした。
窓から見下ろす庭は庭師が綺麗に整えていて、今は春の花が咲いている。
とりわけフリージアが見ごろを迎えていて、黄色や白、オレリアの瞳のような紫色の花が、花の絨毯のようにまとまって咲き乱れていた。
十八歳で嫁いで二年。
オレリアは二十歳になった。
この二年、ルクレールとは毎日の朝食の席と、それから夕食の席にしか顔を合わせていない。
――君とは結婚したが、俺は君と夫婦になるつもりはない。
結婚式を終えて、初夜のとこで新婚の夫はオレリアに対してそう宣った。
衝撃に驚き凍り付くオレリアを残し、言いたいことだけ告げるとそそくさと寝室を出て行ったルクレールの冷たい顔は、今でも覚えている。
一年間の婚約期間のときにも、当時の、ルクレールの父コデルリエ伯爵の体調が思わしくないと言う理由で一度も会うことはかなわなかった。
オレリアは月に一度ほどルクレールに手紙を書いたが、その返信があったことは一度もない。
けれども生来の気丈さで、きっと忙しいのだと好意的に解釈したオレリアは、そんな忙しいルクレールと夫婦になれるその日を心待ちにしていた。
何を隠そう、ルクレールの姿絵を見たオレリアは、彼の優しそうな外見に一目で心奪われてしまっていたのだ。
ルクレールは社交界にも滅多に顔を出さない人だったので、オレリアは実際に彼に会ったことはない。
オレリアは人の噂話に興味を示すタイプではなかったので、社交界の中でのルクレールの噂を集めることもしなかった。
姿絵の中で優しそうに微笑む青年。それだけがオレリアにとってのルクレールのすべてだった。
(今思えば、どうして結婚前にきちんと調べなかったのかと思うわ……)
ルクレールはきっと優しい青年だ。
そんな風に思い込んでしまったのは、オレリアが当時十七歳の多感な頃だったからかもしれない。
十代半ばの夢見る少女だったオレリアは、ルクレールが絵姿通りの――想像通りの素敵な男性だと信じていたし、素敵な結婚ができると思い込んでいた。
(まさか、ふたを開けてみたら二年も放置される結果になるとはね)
朝食や夕食の席で顔を合わせても、ルクレールはほとんど何も言わない。
オレリアは必死に話しかけるのだが、彼からは「ああ」とか「そうか」などという生返事しか返ってこなかった。
何とかしてルクレールとの距離を縮めようと頑張ったこともあるが、結婚して半年も経たずに義父コデルリエ伯爵の病気が悪化し、闘病の末にその半年後に他界。ルクレールは伯爵家を継いでから輪をかけて忙しくなり、距離が縮まるどころか余計に開いてしまったのだ。
「奥様、今日の午後はどうされますか?」
「え? そうね……」
ぼーっと窓外を眺めていたオレリアは、ジョゼに話しかけられてハッと顔を上げた。
ジョゼはオレリアより一つ年下の十九歳で、オレリアが嫁いだときから側に仕えてくれている。
ジョゼをはじめ、この邸で働く使用人たちは、オレリアとルクレールの関係にいつもヤキモキしていて、そしてオレリアにひどく同情的だ。
そのおかげで、この二年間はとてもすごしやすかったことだけが幸いだった。
「今日はいい天気ですし、久しぶりにお買い物に行かれては?」
「そういえば、しばらく出かけていなかったわね」
買いたいものがあっても呼べばいつでも商人が邸に来てくれるのでわざわざ出かける必要はないのだが、外で商店街を見て回るのは気晴らしになる。
それに、ルクレールが忙しそうに仕事をしている邸に商人を呼びつけて呑気に買い物をするのは気が引けた。
ルクレールはオレリアに無関心なだけで、口うるさくもなければ怒ることもないが、能天気な話し声がすれば気が散るし思うところもあるだろう。
「じゃあ、午後からは買い物に行きましょう」
ついでに、ルクレールの好きなブレンドティーを買って帰ろう。
先月買い物に行った際に買って来たブレンドティーが気に入ったようだと、執事のボリスが言っていたからだ。
(……って、こんなことをしても虚しくなるだけなんだけど)
なんとか夫の気を引こうとしている自分に、オレリアは情けなさを覚えてくる。
何をしたところでルクレールはオレリアに無関心で、ただ同じ邸に住んでいる他人程度にしか思っていないのだ。
嫁ぐ前は「オレリアの長所はその明るいところだな。何があっても笑っている」なんて父に揶揄い半分で言われたこともあるが、その持ち前の明るさも、この二年で半減してしまった。
頑張ればルクレールが振り向いてくれる日が来るなんて、二年もたった今ではどう楽観的に見ても思うことはできない。
(考えたくはないけど……この前聞いたあの噂は本当だったのかしら)
オレリアは噂話に興味はないが、わざと聞かされたものを聞かないふりはできない。
先日、同じくらいの年齢の既婚者たちが集めて開かれたティーパーティーで、アビットソン子爵夫人のマルジョリーから聞かされた話だ。
――ねえ知っている? コデルリエ伯爵には、結婚を考えていた恋人がいたんですって! でも身分が釣り合わなくて、反対されて泣く泣く別れたそうよ。
「……はあ」
「奥様、どうされました?」
「あ、なんでもないのよ」
マルジョリーから聞かされたその話を思い出すたびに、胸に重たいものがつっかえる。
ルクレールに好きな人がいたなんて知らなかった。
もちろんただの噂である可能性も否めないけれど、ここまでオレリアを拒絶すると言うことは、その噂が真実で、彼がまだその恋人を想っていると考える方が自然だ。
ルクレールの噂の元恋人が、どこの誰で今どうしているのかはわからないけれど、彼はもしかしてその女性との関係の修復を望んでいるのだろうか。
身分が釣り合わなくて反対されたとマルジョリーは言ったが、反対したのはおそらくルクレールの父だろう。
その父親もすでに他界し、伯爵家を継いだルクレールにとって、彼女との恋を成就させるのに障害はない。
貴族の結婚は国王の承認が必要なので、そこで承認が降りない可能性もゼロではないが、公的に結婚することを望まなければ、ずっと一緒にいる方法はいくらでもある。
(そうなったらわたしは邪魔ものね)
仮にそうなった場合、ルクレールはオレリアとの離縁を望むだろうか。
いや、離縁しないとしても、彼が恋人と仲良くしている邸で一緒に暮らしたくない。
二年間一度も顧みられずに来たけれど、オレリアの彼に対する恋心は、まだ胸の奥にくすぶっているのだ。
そうなると――おのずと結論は一つしかなくなる。
(わたしから、身を引いた方がいい……のよね)
彼がほかの女性と仲良くしているのは絶対に見たくない。
けれども彼から別れを切り出されれば、傷ついて泣いてしまうだろう。
ならば自分から別れを切り出すのだ。そうすれば幾分かは自分の心を守ることができる。
ずるい考えかもしれないが、絶望のどん底に叩き落されるよりはましだ。
――オレリアはここ数日、こんなことばかり考えていた。