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奇妙な夫婦関係のはじまり 3

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「奥様、湯加減はどうですか」


 ちゃぷん、と湯が揺れる。

 バスルームに持って来たベルをチリンと鳴らせば、ジョゼが嬉しそうに笑った。

 このベルは、文字が書けない時に簡単な意思疎通ができるように持って来た。

 一回鳴らせば「イエス」、二回鳴らせば「ノー」である。


(透明になってもお風呂が気持ちいいのは変わらないわね)


 ジョゼは、透明になったオレリアに対しても、これまで通りに接すると決め、すぐに続きのバスルームにお風呂の準備をしてくれたのである。

 ルクレールも、自分の部屋に一度戻って入浴しているはずだ。


(それにしてもおかしなことになったものだわ)


 まさかルクレールが、オレリアと同じ部屋で過ごすと言い出すとは思わなかった。

 自分が透明になった事実よりも驚いたほどである。


(いったいどうしちゃったのかしらね)


 不思議で仕方がないが、同時に、今日からこの部屋にルクレールがいるのだと思うと、胸がざわざわと落ち着かない気持ちになった。

 お風呂から上がって夜着に着替える。


 面白いことに、目の前に準備された着替えはジョゼにも見えるのに、オレリアが身に着けると見えなくなるらしい。どういうからくりなのだろう。

 オレリアが触れたものが消えるのだろうかと一瞬思ったが、ベルもペンも消えていないようだったので、衣服だけなのかもしれない。よくわからない。

 寝室へ向かうと、一足早く入浴を終えたらしいルクレールがベッドに上体を起こして本を読んでいた。

 ジョゼと、宙に浮かんでいるベルを見て、ルクレールは顔を上げる。


(この部屋のベッドにルクレール様が寝ているわ……)


 もともとこの部屋は、夫婦で使うように整えられていたものだったそうだ。

 だからベッドも大きいので、二人で眠っても有り余るほどだが、ずっと一人で眠っていたベッドにルクレールがいるのを見ると妙な気分だった。

 オレリアと会話をするためなのだろう、ベッドサイドのテーブルの上には、日記帳とペンが置いてある。


「奥様、何かあればベルでお呼びくださいませ」


 ジョゼが控室に下がると、オレリアはベッドのそばに立って、どうしたものかと悩んだ。

 隣にもぐりこむべきだろうか。

 いやでも、透明な身でも緊張する。


「オレリア?」


 ルクレールの視線が、オレリアを探すように動いた。

 オレリアがまだベッドにもぐりこんでいないことに気がついたのだろうか。


「……大丈夫よね、だって見えないんだもの」


 見えなければ声も聞こえないのだ。だから恥ずかしくない。

 オレリアは覚悟を決めて、ルクレールの隣にそっともぐりこんだ。

 ベッドがわずかにきしんだのを見て、ルクレールはオレリアがそばに来たことを知ったらしい。どこかホッとした顔をして、本を閉じると枕元の邪魔にならないところに置く。


「少し話がしたいんだが、君が透明になったのには、何か原因があるのだろうか?」


 オレリアはドキリとした。

 まさか占い師に今後のことを相談したとは言えないので、オレリアはサイドテーブルから日記帳を取ると、「指輪のせいらしいです」とだけ書き記す。


「指輪?」

 ――昨日、商店街で見つけた占いのお店に置かれていた指輪です。

「何故そんな怪しげなものを買ったんだ?」

 ――きれいだったから……。


 買ったのではなく占いの結果もらったなんて口が裂けても言えない。


「そうか。……まあ、普通は、指輪をはめて透明になるとは思わないよな」

 ――はい。


 まったくその通りである。


「しかしどうして三か月で元に戻るとわかったんだ?」

 ――占い師に訊いたら教えてくれました。

「それはいつ?」

 ――今朝です。


 答えると、ルクレールは少し押し黙った。


「……一人で占い師の店に? その占い師は君の姿が見えたのか?」

 ――はい。

「何故そのような危ないことをしたんだ」

(え?)


 オレリアはぱちぱちと目をしばたたいた。

 見れば、ルクレールは眉間にしわを寄せて難しい顔をしている。


「もしその占い師が悪人ならどうする。攫われていたかもしれないんだぞ。使用人も連れずに一人で出歩くなんて……しかも、透明になっていると言うことは、歩いて行ったんではないのか? あんなに遠くまで……」

(遠くって、歩いて四十分くらいよ?)


 まあ、普段歩かないオレリアにしたら、なかなかハードな運動だったけれど、遠いと言うほどでもないと思う。

 けれど、ルクレールが本気で心配しているのがわかったので、オレリアは素直に謝った。


 ――ごめんなさい。

「君を束縛したいわけじゃない。ただ、心配だから一人歩きは控えてくれ。何かあったら大変だ」

 ――はい。


 オレリアに関心がないはずのルクレールから、「心配」という言葉が出てくるとは思わなかった。

 今日のルクレールは本当にどうしたのだろうか。


(たくさんお話してくれるし、心配してくれるなんて……まるで別人みたい)


 優しい夏空のような色をした瞳が、こちらを向いている。

 オレリアが絵姿を見て一目で恋に落ちた、優しい顔。

 けれどこれまでまともに会話をしたことがなかったから、オレリアが知っているのは彼の外見だけだ。

 彼が何を思い何を考えるのか、その心は、オレリアにはわからない。


 ――お忙しいみたいですけど、体調は大丈夫ですか?


 気がつけば、日記帳にそんな言葉を書き記していた。

 きっと、オレリアが透明になる前だったら「ああ」としか返答がなかったであろう問い。

 ドキドキしながらルクレールの答えを待っていると、彼は驚いたように目を見張って、それから優しく微笑んだ。


「ありがとう。大丈夫だ」

「――っ」


 優しい表情に、優しい声。

 オレリアは息を呑んで、はじめて見たルクレールの微笑みに見入ってしまう。

 しばらくルクレールの顔を見つめていると、彼は時計を確認して、そろそろ休もうかと言った。


「遠くまで歩いたりして疲れているだろう?」


 それほど疲れてはいないけれど、時計の針はいつも寝る時間を指している。

 ルクレールはベッドサイドの灯りを消して、ベッドに横になった。

 オレリアも日記帳をサイドテーブルに置いて横になる。

 しかし、すぐ隣にルクレールが眠っている事実に、オレリアはドキドキして到底寝付けそうもない。

 ちらりと横を見ると、ルクレールがこちらを見つめていて、ドキリと大きく心臓が跳ねた。


(な、なんでこっちを見てるの⁉)


 ルクレールにはオレリアは見えていないはずなのに。


(透明になっていてよかったわ。……たぶん、わたしの顔は真っ赤だと思うもの)


 状況は違うけれど、オレリアがルクレールと結婚する前まで――いや、初夜のあの夜まで想像していた優しい結婚生活が、今目の前にある気がする。

 ルクレールはただ透明になったオレリアを気にしているだけだとわかっているけれど、優しい夫が隣で眠ってくれるなんて、幸せすぎて眩暈がしそうだった。

 ベッドの中でそっと手を伸ばして、ルクレールの腕に触れてみる。

 もちろん彼は何も感じないだろう。

 でも、オレリアの手には確かに彼の腕の感触がして、たまらなく幸せな気持ちになった。


「……おやすみ、オレリア。いい夢を」


 ルクレールのささやきが聞こえる。


「おやすみなさい。ルクレール様にも、素敵な夢が訪れますように」


 声は聞こえないだろうが、オレリアはそう返さずにはいられなかった。

 ルクレールがゆっくりと瞼を下す。

 オレリアはしばらくの間、彼のその綺麗な寝顔を、じっと見つめていた。



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