奇妙な夫婦関係のはじまり 2
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(なんだか、変な気分だわ)
ルクレールが慌てたように部屋を出ていくと、オレリアはペンを置いて、頬に手を当てた。
二年間、会話らしい会話のなかったルクレールと、長い時間ではないが、さっきまで会話が成立していた。
(ルクレール様ときちんとお話したのははじめてね)
ルクレールは透明になったオレリアを探すように視線を動かしていた。
オレリアが透明なので視線が絡むことはなかったが、ルクレールがオレリアを見ようとしたのは、オレリアの記憶にある限りでははじめてのことだ。
朝、透明になった事実に気づいてから不安で不安で仕方がなかったが、はじめて透明になってよかったかもしれないと思う自分がいた。
オレリアが透明にならなければ、ルクレールと会話が成立することもなかっただろうから。
(初夜の日みたいに、もっと冷たい感じだと思っていたけど……普通に話ができたわ)
少なくとも、先ほどのルクレールは、オレリアを拒絶していなかったように見える。
突然姿が透明になってしまったと言う、あまりに荒唐無稽な事実を前に混乱していたせいかもしれないけれど、普通に会話ができたことが何よりも嬉しい。
三か月後に、占い師の言うオレリアの「望んだ未来」がどのようなものとして訪れるのかはわからないけれど、もしルクレールと別れることになっても、ようやくこの先振り返ることのできる思い出ができた気がした。
ライティングデスクの椅子に座って待っていると、ルクレールと、それから血相を変えたボリスとジョゼが部屋に入ってくる。
ジョゼは食事を乗せたワゴンを押していた。
「奥様⁉」
「オレリアは、ええっと、おそらくあの机のところにいると思う。オレリア、食事はそこへ運んでいいのか?」
――お願いします。
オレリアが日記帳にペンを走らせると、ジョゼがびっくりして飛び上がった。
「ほ、本当にペンがひとりでに……。奥様、そこにいらっしゃるんですか⁉」
――ええ。ジョゼ、心配をかけてごめんなさい。
「奥様!」
ジョゼは叫んで、それから大声を上げて泣き出した。
オレリアはおろおろしたが、透明なオレリアではジョゼを抱きしめて慰めることもできない。
「よかったです……! どこに行ってしまわれたのかと……!」
「ジョゼ、泣くのは後にして奥様に食事を」
ボリスも安堵の表情を浮かべて、ジョゼを促す。
ジョゼは袖口で涙をぬぐうと、ライディングデスクの上に食事を運んでくれた。
スープにパン、鴨肉のロースト、サラダ、そしてさらりと飲みやすいテイストの赤ワイン。
急に食事をお願いしたのに、これだけのものをすぐにそろえて持ってきてくれたジョゼとボリス、そして料理長に感謝して、オレリアはカトラリーを手にした。
ルクレールたちの目には、カトラリーが勝手に動いているように見えるだろう。
ルクレールたちが見守る中、占い師の店で食べた朝食以来の食事をお腹の中に入れて、オレリアはほうっと息を吐いた。
勝手にキッチンにもぐりこんで盗み食いをするわけにもいかなかったから、空腹を我慢していたのだ。
食事を終えて、オレリアが日記帳に「ごちそうさま」と書き記すと、ジョゼが食器を片付けてワゴンの上に乗せる。
「オレリア、ボリスとも相談したんだが、我が家の使用人にはオレリアが透明になったことを話そうと思うんだが大丈夫だろうか」
「奥様。コデルリエ家の使用人はみな口が堅く信用できる者たちばかりです。一か月後に大奥様がいらっしゃることを考慮しましても、伝えておいた方が対策が取りやすいかと思われます」
確かにルクレールとボリスの言う通りかもしれない。
みんなを驚かせてしまう結果にはなるが、三か月は長い。いつまでも秘密にしておくことはできないし、教えておいた方が彼らも仕事がしやすいだろう。
――わかりました。大丈夫です。
オレリアが日記帳に書き記すと、ルクレールが大きく頷く。
「ボリス、頼む」
「かしこまりました。ジョゼは今まで通り奥様のお世話をお願いします。……旦那様はどうされますか?」
「そうだな……」
ルクレールは考え込むように顎に手を当てた。
(「どう」って?)
ルクレールは一体何を悩んでいるのだろう。
不思議に思っていると、ルクレールはくっと顔を上げ、言った。
「三か月、俺はこの部屋ですごそう。その方が何かあったときにすぐに気づける」
「ええ⁉」
オレリアは思わず叫び声をあげた。
もちろんオレリアの声は三人には聞こえないが、叫ばずにはいられなかった。
(つまり三か月間ルクレール様とこの部屋で過ごすってこと⁉)
いったい、ルクレールはどうしてしまったのだろう。
二年も無関心だった妻が、透明になった途端に、なんというか――過保護になっていないだろうか。
驚きのあまりあんぐりと口をあけたままパチパチと目をしばたたくオレリアの姿など、もちろん知るはずもないルクレールは、オレリアを探すように宙に視線を彷徨わせて訊ねた。
「いいだろうか、オレリア」
オレリアは、震える文字で「はい」と書き記すのが精一杯だった。





