5.都市伝説
人口十万人。ウルジア国の王都ターランは王族がその一%。貴族が二十%。後は平民が占めている。平民の内でも裕福なのは全体の二十%で半分は中流階級。後は貧民や難民と呼ばれる人たちが狭く薄暗い路地裏に住んでいる。
大都市と言えど、真夜中過ぎともなれば華やかなのは一部だけで、住人の殆どが明け方からの労働のためと灯りの節約のために早めに就寝につく。
それでも所在なさげに彷徨く輩もいる中を、ひとつの影が通りすぎる。
足音を極限まで忍ばせ、そつのないその動きはかなりの訓練を積んだ者だとわかる。
その人物は集合住宅のひとつである長屋の一角の前で足を止めた。
遠くで野良犬が鳴き、どこかの家からは誰かが怒鳴りちらす声が聞こえるが、その扉の向こうは静かだった。
コンコン
扉を叩くが一度では中の住人は起きてこない。
コンコン
「誰?」
もう一度叩くと中から警戒するように少年の声が聞こえた。
「オーブリー?」
「そうだけど」
くぐもった声で訊ねると、少年が短く答える。
「君に手紙を預かってきた。渡したい。開けてくれるか」
「手紙?」
恐る恐る鍵を外して扉が開くと、中から貧しい地域には似つかわしくないくらい美しい翠の瞳をした十歳位の少年が現れた。
少年は黒いフードを頭に巻き付け鼻から下にマスクを着けた人物を警戒して見つめる。
「ぼく……字なんて読めないよ」
目の前に差し出された一通の手紙を受け取りながら、その手紙を運んできた人物を見上げる。
「読めなくていい。それを持って夜が明けたらラズール伯爵の邸へ届けてくれればいい」
「仕事?仕事なら……」
まだ幼いがここでは自分で歩けるようになると働くのが当たり前だ。できることは少ないが、色んな雑用を引き受けたりして生活している。
フードを被った人物は懐を探り、革袋から銀貨を一枚取り出した。
「え、そんなに」
銀貨一枚でオーブリーは一週間は食べていける。ただ手紙を届けるだけでそんなに貰えることにかえって警戒する。
「これは貸しておく。伯爵邸へ行く前にもう少し小綺麗な服を買って行きなさい。余れば好きなものを買って食べたらいい」
オーブリーの手を取ってその掌に銀貨を乗せると、その人物はさっさと立ち去った。
数日後、王都のあちこちでは、ある噂が飛び交った。
「聞きましたか?ラズール伯爵の話」
「ええ、何でも昔に伯爵が手を付けたメイドの子どもが突然現れたとか」
「あら、私は二人は愛し合ってたけれど、身分違いでメイドが追い出されたと聞きました」
「何でもそのメイドが密かに伯爵のお子を生んでいたらしいですわ」
「偽物ではないの?」
「それが、現れた子どもは伯爵の子どもの頃にそっくりで疑いようがないとか。伯爵夫人……現伯爵のお母上がその子を見て泣いたそうです。何でも前伯爵が勝手にそのメイドを追い出したそうで、伯爵が外国に行っている間にいなくなってずっと探していたそうです」
「伯爵もずっと独身でしたものね。それが急にお世継ぎが出来て」
「それでそのメイドだった女性は?」
「それが、少し前に過労で亡くなったそうですわ」
「まあ……でもどうしてその子は突然?」
「何でも『闇の天使』が手紙を渡したそうですわ」
「『闇の天使』?」
「何だお前知らないのか?ある日突然、黒い服を来た人物がやってきて、手紙を持ってくるんだとよ。今回はその子が伯爵の落とし胤だということや、伯爵やそのメイドしか知らない筈のこと、どうやって暮らしてきたかが詳しく書いてあったそうだ。あるときは、突然亡くなった富豪の遺言状の在りかを書いたものが届けられたり、この前は闇組織のアジトの場所が書かれた手紙が騎士団に届けられたそうだ」
「神出鬼没。いつも真夜中に現れて黒尽くめの出で立ちで、騎士団が取り押さえようとしたら、まるで歯が立たなくて取り逃がしたそうだ。腕もかなり立つらしい」
「へえ……そりゃすごい」
街の人たちはその人物を『闇の天使』と呼び、それは一年ほど前から都市伝説として噂されるようになった。