ナバダの事情②
「……何の話を、してるのよ」
相変わらず、アーシャは口にする言葉の先が読めない。
「今もって生きているということは、人質に取られた家族の生存に、一縷の望みをかけているのではなくって?」
まるでそれが当然であるかのように、アーシャはキョトンとした顔で小首を傾げる。
「輸送団が去ってわたくしと二人きりになったら、わたくしを殺して西に向かおうとしているから、大人しくしているのではなくて?」
「へぇ……」
ナバダは、アーシャの問いかけに、プツン、と脳裏に音が響くのを確かに聞いた。
それまで自分を支配していた虚無と怒りが、明確な殺意として形を取る。
「殺されてくれるわけ? それはアタシも、良いことを聞いたわね」
このクソ女も、皇帝も。
誰も彼もが、自分の手のひらの上で踊るとでも思っているかのような傲慢さが、一番気に食わないのだ。
一方的にゴチャゴチャとモノを言われることに対する反骨心が、メキメキと湧き上がってくる。
どんな手を使ってもこの首輪と枷を外して、この女を縊り殺してやる。
「慈悲深い化け物令嬢様は、そこまで分かっていて同行を申し出た、ってことで、良いのよね?」
「当然ですわね」
ナバダが歯を剥く笑みと共に告げると、アーシャも腕を組んで頬に指を添え、目を細めながら薄く笑みを浮かべた。
―――この顔だ。
普段は愛想よく振る舞うくせに、時折コイツが覗かせていた、この顔。
半分だけ人形のように整った顔立ち。
もう半分は、目元が爛れて溶けた顔立ち。
それらとこの酷薄な表情が合わさった、地獄の底から他人の悪意を愉しむようなこの姿が、この女の本質だ。
「そうしたいなら、それで良くってよ。お好きになさいな」
それきり、アーシャは黙った。
※※※
そうして、輸送団と別れた後。
「さてと、ナバダ。ここからは本当に二人きりですわね!」
遠く去る一団を満足げに見送りつつ、アーシャはパチン、と指を鳴らした。
その途端、ナバダを押さえつけていた【魔力封じの首輪】の気配があっさりと消滅する。
「!?」
「ついでに、コレも差し上げますわね!」
次いで、まるで些事であるかのようにあっさりと放られたのは、小さな鍵。
【魔力封じの首輪】を外すためのものだ。
「……どういうつもり?」
鍵を受け取ったナバダは、警戒しながらも指先に魔力を込めた。
身体強化して鋭く硬質化した爪で、手枷の鎖を切り裂き、足枷も外す。
その間、アーシャは何もせずに黙ってこちらを見ていた。
―――何が狙いなの?
アーシャは、ナバダが【魔力封じの首輪】を外し終えるまで結局動かず、それを見届けた後に、腰に下げたバッグに手を伸ばす。
そして、どう考えても中には入らなさそうな大きさの……彼女が背負うのと同じ程度の皮袋を取り出すと、ぽん、とナバダの足元に放った。
「貴女が、陛下に負けた時に持っていた幾つもの武器と、最低限の旅支度が入ってますわ。その位は自分でお持ちになって」
「どういうつもりだって聞いてるのよッ!!」
訳が分からなかった。
アーシャの行動は、ナバダを完全に解放する行為に他ならない。
いくら彼女が強いと言ったところで、魔力の卑小さを武具と装備で補っている程度。
暗殺術と併せて武術も魔力の扱いも、文字通り決死の環境で叩き込まれたナバダに、敵うはずもないのだ。
まして今は身を守る護衛もおらず、殺すと宣言しているというのに、意味が分からなかった。
「警戒してますの? 肝っ玉が小さいですわね!」
「……」
ナバダが黙っていると、つまらなそうな顔で、アーシャは肩を竦めた。
「どういうつもりも何も―――貴女とわたくしは対等でしょう?」
あっさりそう言われて、ナバダは思考が追いつかなかった。
「無様な汚点を付けたからといって、別に見下して支配しようなんてつもりはサラサラありませんわよ!」
アーシャは軽く肩をすくめた後、言葉を重ねる。
「陛下のお命を狙った手段は浅慮も浅慮、三下以下の下策な上に万死に値するゴミの所業ですけれど、それも陛下がお許しになられた以上、わたくしが口を出すことでもございませんわ!」
さ、参りますわよ! と無防備な背中を、こちらに向けたアーシャに。
皮袋を持ち上げ、中に入った愛用の短剣を手にしたナバダは……そのまま、足を踏み出した。
心臓を、一突きで狙う。
本気の殺意を込めて突き出した刃は……振り向いたアーシャが手にしていた、魔剣銃によって弾かれた。
「あら、本当に殺り合いますの? 貴女は失敗した上に、わたくしと利害が一致しているのですから、殺して首を土産にするよりも、味方につける方が立ち回りとして賢いですわよ?」
あくまでも余裕の笑みを崩さないアーシャに、飛び退ったナバダは再び刃の先を向ける。
相変わらず、隙のない女だが……手練れの護衛なしなら、やはりこちらの方が上。
ナバダは殺す前に、少しだけ話に付き合ってやることにした。
「利害が一致……? どこで一致してるっていうの?」
「家族を助けるために、西に向かうのでしょう? 違いますの?」
「アンタ、馬鹿じゃないの? もうとっくに殺されてるに決まってるでしょう?」
あれから、どれだけ時間が経っていると思っているのか。
すると、アーシャは本気で不思議そうな顔をした後、不意に侮蔑の表情を浮かべる。
そしてため息を吐くと、気分が削がれたように銃を下ろした。
「―――では何故、貴女は生きているんですの?」
「……っ」
その言葉は、深く、ナバダの胸を抉った。
「家族が生きている望みにかけて生き恥を晒したのではなく、ご自身の命だけが惜しくて生きていましたの? ……そのように低い矜持の持ち主でしたの?」
―――また……知ったような口を……!!
ナバダは、こっちの瞳を、ジッと覗き込んでくる。
この目だ。
一番嫌いなのは、アーシャのこれだ。
夢見るようなことばかり言って。
前向きな希望ばかりを口にして。
他人に、誇り高く在ることが当たり前だと言わんばかりに、問いかけてくる。
お前は、その程度なのかと。
「がっかりですわ、ナバダ。少しでも誇りがあるのでしたら、今からでも遅くはありませんわ。さっさと自害なさいませ」
「皇帝の、雌犬如きがァ……!!」
「馬鹿の一つ覚えですわね。もう少し語彙を磨いたほうがよろしいのではなくて?」
「アンタに……何が分かるのよ……ッ!!」
呻きながら。
ナバダは、分かっていた。
この頭の狂った相手が……恵まれているばかりではないことを。
美しさこそを至上とする女の園で、顔に傷を負っていることがどれほどの不利か。
細く小さい体格で、持って生まれた魔力も少ない彼女が、ナバダの背後からの一撃を弾くほどの技量を身につけるのには、どれほどの修練が必要だったか。
だから、ムカつくのだ。
「アンタに、私みたいな人間の、何が……ッ!!」
その精神性が、誰よりも強靭だから。
その努力の総量が、誰よりも重ねられているから。
―――誰よりも誇り高いからこそ、アーシャは皇帝のお気に入りなのだと。
見せつけられるから、気に入らないのだ。
分かっている。
分かっていた。
ナバダは―――アーシャに、憧れてしまったから。
誰よりも、力強い彼女に、自分では敵わないと……もうとっくに、認めてしまっていたから。
だから、皇帝を襲った。
どう足掻いても、アーシャに勝てないから。
せめて、皇帝を襲って殺されれば、もしかしたら、イオだけでも助けて貰えるかもしれないと。
じわり、と目尻に涙が滲む。
彼女の言う通りだ。
彼女の言う通りだったから、死ぬことが出来なかった。
アーシャを出し抜き、西に向かって、イオを救えるかもしれないと、儚い望みに縋ったから。
「何一つ、上手くいかない……あんたのせいで! 何一つ!! どうせ無様よ! それでも、弟が生きてるって、信じたくて、何が悪いのよ!!」
口から出てくるのは、そんな言葉ばかり。
他人を蹴落とすことばかりを、教えられて来た自分では、アーシャのようには決してなれない。
しかしナバダの吐露に、彼女は笑みを浮かべる。
「今まで上手くいかなかったとしても、これからは上手くいきますわよ! だって、わたくしが居ますもの!」
あまりにも堂々と胸に手を当てて、不遜な笑みで宣言するアーシャに、ナバダは呆気に取られる。
「……そんな訳、ないでしょうが」
「上手くいきますわ。だって、陛下も居ますもの」
ナバダの言葉を遮って、アーシャは力強く重ねる。
「ねぇ、ナバダ。お分かりにならなくて? ……貴女のことに、わたくしは気が付いたのですわよ?わたくしが気付く程度のことに、陛下が、お気付きにならないと、思いまして?」
問われて、ナバダは固まった。