これまでも、この先も。
本日三話目です。
それから。
ロウシュ達を含む村人全員が集まっていた広場に、突然現れた『門』と皇帝に一時騒然となったものの、彼自身が事情を説明してすぐに収まった。
あまりの変わりように目眩すら覚えたナバダだったが、皇帝のふざけた所業はそれに留まらなかった。
例えば、家。
彼はアーシャを休ませる為に、ナバダやベリアと共に住んでいる家に向かうと、そこに【淑女のバッグ】や《異空結界》に類する魔術を行使し、外観をそのままに中をとんでもない豪邸に変えた。
三人の私室どころか、ベリアの連れてきた兵らも全員寄宿できる程の屋敷で、中庭を囲むコの字型の建物だ。
粗末な柵に囲まれた、【風輪車】を置くと手狭だった庭も、外見はそのままに、中に入ればシロフィーナ用の竜舎や多様な果樹、肉食用の家畜まで完備した徹底ぶりである。
そして『門』。
『南部を運営しながら西を相手にするのなら、必要だろう』と、まず南部大公宮の執務室に、屋敷の中心にある中庭から『門』を繋いだ。
さらに一番広く豪華なアーシャの私室には、あろうことか皇帝執務室と皇后私室……いわゆる褥を共にする『夫婦の寝室』の片側にある部屋……に繋がる二つの『門』を開いた。
さらに、書物。
屋敷の西側にある一辺が宿舎や食堂、手洗い。
北側の一辺が女三人の私室と円卓会議室や執務室。
そこに続く東の一辺は、全て蔵書庫となっている。
魔術で複製した書写で、所蔵されているのは帝国における経済や為政の報告書や論文、学術書、歴史書等々である。
『アーシャが、為政について今までに学んだものの全てだ』と言われて、ナバダは意識が遠くなりそうだった。
学校の勉強に加えて、帝王学や皇后教育をしていたというのは薄々気付いていたが、どう考えてもやり過ぎである。
環境に恵まれている、などという範囲を明らかに超えている。
そして皇帝もやり過ぎなので、思わず抗議したが。
『為政者にとって必要なものだろう。無知のまま領を預かるか』と問われれば、ぐうの音も出なかった。
しかし、一番問題なのは、その後だった。
「何で皇帝がここにいるのよ!? 仕事は!?」
アーシャの私室に、『必要最低限』と渡された膨大な資料の分からないところを質問しに来たところ。
私室の椅子で、皇帝がアーシャを膝の上に座らせて歓談していたのである。
ナバダの質問に、皇帝は当たり前のように答える。
「弱きこと、己が心に従うことを是としたのは、そなた。故に心のままに会いに来た」
「陛下がいらっしゃるのに仕事をするなど、不敬極まりないですわ!」
アーシャはアーシャで、村の仕事や西の資料読み込みなどを放り出して、皇帝の相手をしていたらしい。
「ふざけんじゃないわよ! イチャついてないで仕事しろ!! 南部領を預かることになるのよ!? やることは今以上に、腐るほど増えるのよ!?」
しかしそんな叫びに、二人は同時に首を傾げる。
「預かるのはそなたとウォルフであろう」
「その通りですわ。わたくし、自分の分の仕事は陛下がお戻りになられた後にきちんと致しますわよ!」
ーーーこのバカップルは本当に……!!
一瞬、仲介したことを心の底から後悔する。
多少考え方が変わったところで、この二人が人並外れた思考力を持ち、膨大な仕事を鼻歌交じりでこなす人外なのは変わらないのだ。
ナバダがアーシャに勝ってるのは、正直に言えば腕力などの肉体的な部分だけだ。
皇帝に勝ってるところなど、考えるのも馬鹿馬鹿しい。
それを『他の人間も努力すれば当たり前に出来る』と思う辺りも、そうそうすぐには変わらないのだろう。
しかも、免罪符を得たことでこっちの発言を逆手に取って、自分達を正当化するおまけ付き。
始末に負えないとは、正にこの状況である。
しかしナバダはへこたれなかった。
「良いから、仕事をしろ! 皇帝はアーシャの望み通りに皇国を平和にするんでしょ!? アーシャは皇帝の為に南部だけじゃなくて西部を平定するんでしょ!? 約束を反故にしてサボる人間がお互いに相応しい、って思ってるのかしら!? 弱くて良いのとはまた別の話よね!?」
「む」
「言われてみれば、そうですわね……!! 陛下に相応しく在る努力は怠ってはなりませんわ……!!」
ナバダの強引な屁理屈に、二人は名残惜しそうに体を離した。
そして皇帝がアーシャの頬をそっと撫でつつ、彼女の手を逆の手で取る。
「では、明日」
「はい……いつでもお待ちしておりますわ……!」
アーシャが頬を桃色に染めてうっとりと答えると、まるで桃色の空気が部屋の中に漂っているような錯覚を感じる。
そんな二人の様子に頭痛を覚えて、ナバダはこみかみに指を当てた。
ーーーもしかして、毎日この部屋に来るたびに、これを見せつけられるのかしら?
勘弁して欲しい。
ナバダは、心の底からそう思った。
しかし立ち上がった皇帝は『門』を潜る前に、ふとこちらに目を向ける。
「一つ、伝えるのを忘れていた」
「……何?」
ナバダが警戒すると、皇帝は驚いたことに微笑みを浮かべ、告げる。
「感謝する、ナバダ・トリジーニ。言葉にせねば伝わらぬことを、我は学んだ。そなたから学んだことは、これまでの如何なる学びよりも、価値のある学びだった」
まさかそんな真正面から感謝を伝えられると思わず、ナバダは目を逸らす。
ーーー変わり過ぎなのよ!
そんな風に思いながら、ボソボソと悪態をつく。
「……何で誰も、あんたにそんな程度のことを教えてなかったのよ……」
「まぁ、ナバダ! 陛下に物を教えられる者なんてそうそう存在する訳が無いですわ!」
アーシャが口を挟んできて、彼女もニコニコと口にする。
「ですけれど、わたくしも貴女に深く感謝しておりましてよ!! まさか陛下の御心が既に満たされていたなんて! そんな己の不明を、気付かせていただいたのですもの!」
むず痒さに耐え切れなくなったナバダは、ダン! と床を踏みつけて強引に話題を変える。
「そう思うなら、二人とも黙ってさっさと仕事に戻りなさいよ! それが一番助かるんだから!」
※※※
そうして皇都執務室に戻ったアウゴは、こちらもナバダ同様に頭痛を覚えているような顔をして入室してきた宰相に語りかける。
今もって、唯一の友である男に。
「リケロス」
「は」
「楽にせよ」
過分な言葉を口にするのは、煩わしいと今までは思っていた。
何故そこまで聞かねば分からぬのかと思っていた故に。
しかし今はそう、想いを伝えるというのは必要であり、かつ『楽しい』ことなのだと、アウゴは感じていた。
「我は、そなたを好んでいる」
「……いきなり、何だ。悪い物でも食ったのか?」
「極めて正常だ。思うことは、言葉にせねば伝わらぬということを気づかせて貰ったゆえ、口にした」
するとリケロスは、明らかに目の色を変えた。
「誰だその傑物は。お前に物を教えられる逸材がいるなら、今すぐ名を教えろ。私の部下にする」
「ナバダ・トリジーニだ。部下にするのは不可能だな」
「…………どういう経緯だ。いや本当にどういう経緯だ、それは」
そもそもナバダは、暗殺を目論んで南部追放となった。
以前金化卿の件で罪を赦したとはいえ、流石に皇帝暗殺を目論んだ彼女を宰相補佐にするのは不可能である。
が。
「フェニカが、南部をあれとウォルフガングに預けると口にした。側近とするのは無理筋にせよ、間接的には将来、皇国を共に預かる者となろう。南部領王があれらになれば、真に傘下に入るに否はない」
「理解が全く追いつかんのだが。ウォルフガングというのは何者だ? そして何がどうしてそうなったかを、それこそ口にして一から説明しろ!」
それは煩わしい。
しかしリケロスは全知の瞳を持たぬ故に仕方なきことと、アウゴが説明すると。
「……あの時、また『魔性の平原』に行っていたのか……! いきなり執務室に現れたあの扉が、平原に……いや、良い。言いたいことは無数にあるが、とりあえず置いておこう。何よりまず、それなら何故リボルヴァ公爵令嬢を連れ帰ってこない!」
その主張の意味が分からず、アウゴは淡々と答える。
「必要なき故に。我が逢いに行けばよい。またその『門』からアーシャもこちらに容易く来れる」
「そ・れ・が・問題だと言っているんだろうが! お前に奇襲など意味がないから警備的にはともかく、リボルヴァ公爵令嬢は危険な地に居るままなのだろう!?」
「人は、心のままに振る舞うが重畳。そう学んだ。アーシャは帰還を望まず、我も一応の自重はしていたが、もう必要なかろう」
「余計なことも学んでやがる……!」
リケロスは、一気に疲労を覚えたような顔でがっくりと肩を落とし、珍しく姿勢を崩したまま眉根を揉む。
「で、お前の頭の中でどういう理屈があって、私に好意を伝える話になった?」
「弱き者を解せよ、とナバダは告げた。なるほど確かに、我が1を口にして10を解するアーシャやそなたですら、我が内心を真の意味で知ることは出来ぬのであれば、我もそなたらを解し言葉を交わさねばならぬという、その言は正であろう」
解すというのが、どういう事象を指すのか。
想いを識る、互いに言葉にて伝えるだけが解すことではないだろう。
自分が何を成せば、弱き者は満足するのか。
物言わず与えるだけでは不満なのなら、それを識ることもまた必要なのだろうと思った。
故に。
「我は、どれ程に知を得ようと、アーシャすらも真に理解しきってはおらぬことを自覚した。それでは興味なき弱き者には、さらに沿わぬであろう」
「本当に饒舌だな……アウゴをここまで変えるとは……惜しい、惜しいぞ、ナバダ・トリジーニ……!!」
「話を続けるが?」
「ああ、話せ話せ。今までまるで足りなかった分までな!」
「うむ。故に我は、アーシャのみならず、身近に好ましき者から解することを考えた。そこで、そなたに問うてみる」
アウゴが笑みを向けると、リケロスは気持ち悪そうな顔をする。
「本気で中身が入れ替わったとしか思えなくなって来たんだが……お前が? 私の意見を聞くと?」
「是。アーシャは世の平穏を望むが、それはアーシャの望み。我が我として、我の意思で弱き者の世を助くなら、そこには我の答えが必須。故に問うのだ。ーーー弱き者に優しき世とは、如何なるものかと」
リケロスは真剣な表情になり、しばらく難しい顔をして考えた後に、慎重に答えを口にした。
「一言で表すなら。『力なくとも、信念なくとも、口にするものに困らず、お互いの手助けのみで平穏を得られる世』だろうな」
「なるほど。それは、強者の庇護を得ることと何が違う?」
「違いは分からん。しかし例えば、必要な手助けを勝ち取る為に必要なのが『力』ではなく、言葉や想いを口にすることで実現出来る『対話』の場であればどうだ? 強者となる事を求められぬ世となれば、自ずと今よりは弱者に優しき世となるだろうな。力に依らずに望みが願える世、とも呼べるのではないか?」
「武に依らぬ、望みを実現する手段。なるほど」
それはナバダが成さしめたことである故に、理解は容易。
つまり、あれと同様のことを広く行うことが出来れば良い、ということだ。
そんな事であればすぐにでも、とアウゴはリケロスに告げる。
「では、勅命を下す。民の声を見聞きする者をまず見繕い、一人でも多く雇い入れよ。その後、その者らに民の声を聞かせ、口にした言葉を文字として起こさせ、我が下に書を届けさせよ。その為の筋道を作れ」
「……それについても、詳しくご説明をいただけますか?」
リケロスは勅命と聞いて、口調と姿勢を改める。
律儀なことだ。
しかしそれには触れず、アウゴは言葉を重ねる。
「民に必要なことは何か。知るには、まずその声を直に聞き届ければ、最も手早く済む。貴族ばかりならず、平民、貧民、身体に不自由ある者に至るまで、ありとあらゆる声を我が下へと届けよ」
アーシャは世の平穏が望み。
リケロスは、弱者が言葉によって世を変えることが出来る手段が必要、と口にした。
ならば、それらを成せば。
ーーーすなわち、アーシャが喜び、アーシャ自身が救われる世となろう。
アーシャが弱き者であることを、赦したのであれば。
弱き者が弱きままに赦される世を作ることを、自身の望みとする。
アウゴは、そう決めた。
※※※
夜、アーシャは陛下に会えた幸せな気持ちのままベッドに入り、夢を見た。
それは自分が忘れていた……陛下との、交流の記憶。
『そなたは今も、我が悲しそうに見えるか』
密やかな交流は、デビュタントを迎えるまでに一度終わった。
その頃に問われた言葉に、アーシャはこう答えたのだ。
『見えますけれど、最近のアウゴはそうでもないことが多いですわ!』
時折見せるふとした笑み。
アーシャが一生懸命魔力を集中する練習を見守っている目。
硬質だった彼が、柔らかな印象の眼差しや表情を見せるようになったことが、アーシャは嬉しかった。
そんな顔を、もっともっとして欲しいと思って。
『そなたは体が弱いが、それを補う方法がある』と、アウゴが教えてくれたことを、一生懸命頑張ったのだ。
本当に、根気強く教えてくれた彼のお陰で、アーシャは徐々に体が強くなった。
だから。
『アウゴ! こうして少しずつ強くなったら、もしかしたらアウゴのように何でも出来るようになりますの!?』
そう、問いかけたアーシャに。
『そなたなら、成せるやも知れぬ』
と、アウゴは答えたのだ。
だから、強くなろうと思った。
アウゴみたいに強く賢くなれば、いつもアーシャを心配していたお父様やお母様も、きっと安心すると思った。
彼も、強くなっていくアーシャを見て喜んでくれていた。
アウゴは、『病に負けぬ体になった。良いことだ』と、そう褒めてくれる時が、一番表情が柔らかかったから。
ーーー今なら分かりますわ。陛下のお気持ちが。
陛下は、アーシャが強くなることを喜んでいたのではなかった。
アーシャの体を心配していただけで、丈夫になったことを喜んでくれていただけで、アーシャに強くなって欲しいと、そう望んでおられた訳ではなかったのだ。
そこを、アーシャは勘違いしていた。
記憶を失っていても、きっと、魂の奥底にその勘違いが残っていたのだろう。
そして陛下もまた、勘違いをしておられた。
強くなりたいというアーシャの望みを『アーシャ自身の望みである』と考えておられたのだ。
知ってみれば、なんと愚かなすれ違いだっただろう。
『ーーーそなたは、美しいな』
そう告げられた時。
あれ程嬉しかったのは、交流の記憶を忘れていても、きっとそれが、陛下の御言葉だったから。
『我がアーシャの健やかなるを望んでいないと……貴様は、そう口にするか』
『弱くままに在ることを赦す。ーーーそなたは、そなたのままで在れ』
陛下は、アーシャに何も望んでいなかった。
ただ健やかであればそれで良いのだと。
アーシャは、アーシャのままで在れば良いと。
そう望んでくれていたのだということに、己の愚かさを恥じた。
ーーー陛下。
『愛している、アーシャ。そなた唯一人を。これまでも、この先も』
陛下にそう仰って貰えた時。
アーシャは、自分の全てが陛下の御言葉で作られているのだと知った。
この喜びは、もう、この先、陛下と共に在る限り薄れることはないのだろう。
ーーー陛下。わたくしもお慕い申し上げております。これまでも、この先も。
そう、内心で告げながら、アーシャは深い眠りに落ちた。
褪せることのない幸せに、包まれながら。
第二章完結となります。次回更新は数ヵ月後を予定しております。ご了承ください。




