あなた達に譲りますわ。
本日二話目です。
声のした方にナバダが目を向けると、そこに浮かんでいたのは。
人間の姿に戻り、異形のままのニールの背に乗った……アーシャが倒した筈の、フェニカだった。
「テメェ、何で生きて……!?」
ウォルフガングが信じられないものを見たように声を上げると、彼女は小さく首を傾げる。
「不思議なことを仰いますわね。条件外で消滅しても復活する不死程度、金化の坊やでも得られるものですわ。であれば、わたくしたちも得ていて当然でしょう? わたくしとニールは魂を共有している、二つで一つの《愛悦の魁》ですの。同時に滅ぼさなければ死にませんわよ」
「……!?」
まるで当たり前のようにそう言われて、ナバダも絶句する。
しかしそうであるのなら、何故倒されたようなフリをして、今まで沈黙していたのか。
ナバダがフェニカにそう問いかける前に、彼女は嬉しそうにこちらを見て、両手をパチンと合わせた。
「そんな事より、ビックリしましたわ。アーシャ様との戦いがつまらない終わりを迎えてしまいましたけれど、まさかその後あんな方法で二人を通じ合わせるなんて、予想外にも程がありましてよ! 陛下による滅びが来るかと思ったら、久しぶりに凄く面白い『戦い』を見せて貰えましたし、ああいうのも見てて楽しいものですわね!」
フェニカの言う『戦い』は、多分ナバダとアーシャの言い合いのことだろう。
何故、そんな事で『楽しく』なれるのか。
彼女自身の言う通り、下手をすれば自分ごと世界が滅んでいただろう事態に遭遇していたというのに。
その精神性の理解し難さが、魔性が魔性たる所以なのだろうけれど。
「何をしに来た?」
どうやらフェニカが生きていることを知っていたらしい皇帝が、特に驚いた様子もなく問いかけるのに、彼女がニッコリと笑う。
「寿ぎに参りましたの。別の用もあるのですけれど、まずは皇帝陛下がついに真の意味で伴侶を得たことを祝福したくて、馳せ参じましたのよ!」
どこかうっとりと、合わせた両手の指を絡めてフェニカが晴れ渡る空を見上げる。
「通じ合う愛は、高め合うライバルの存在同様、多くの者を強くしますのよ……ああ、皇帝陛下が今よりもなお強くなるなんて、とてつもなく喜ばしいことですわ……! アーシャ様にちょっかいを掛けた意味もあったようで、最高ですわね……!」
皇帝は、恍惚とした様子のフェニカに向かって目を細める。
すると唐突に、彼女の両腕が音もなく塵になり無に帰した。
「あら? 痛いですわね……流石は皇帝陛下、ニールを消し飛ばした時同様、何をされたのか全く分かりませんわ……!」
フェニカが楽しそうに腕の断面を見下ろすのに、皇帝は静かに告げる。
「以て、アーシャに同様の痛みを与えたことに対する罰とする。が、アーシャと想いを通ずる一端を担いし恩赦にて、存在することを赦す」
「なんとお優しい……! 感謝致しますわ!」
ーーーやっぱり皇帝って人外かしら。
消滅させられた腕を何事もなかったかのように元に戻すフェニカは、元々魔性なので置いておくとして。
何故、意味の分からない理由で意味の分からない行動を取る相手と、普通に会話出来るのか。
「皇帝。そいつ魔性なのに、滅ぼさなくて良いのかしら? そいつを赦すってことは、南部が魔性に支配されたままになるって事よね?」
ナバダの問いかけに、皇帝は事もなげに答えた。
「元より〝四凶〟の支配地なれば。また、弱き者がさらに害を被るは、アーシャの望むところではない」
「そういうことですわ、ナバダ」
「全然意味が分かんねーぞ! どういうことだ!?」
復讐を果たせなかったウォルフも、ナバダ同様に『理解出来ない』と唸るのに、フェニカは楽しそうに口元に手を当てる。
「ふふ。ヒントを与えているのに、頭が鈍いですわね。ウォルフ、貴方はわたくしの治世になってから南部が荒れたと仰いましたけれど、そもそも南部領が小さな村だった時から、長はずっとわたくしですのよ?」
「何だと!?」
ウォルフガングが、彼女の言葉に目を剥く。
「姿を変えてるだけで、ずーっとそうですの。皇国の傘下に入ったのも、ある程度領民に自由にやらせてるのも、飽きたからですわ」
フェニカが言うには、120年の支配の後、アーシャの祖母である〝紅蓮〟が攻めてきた時。
彼女との一騎討ちを申し出たフェニカに、〝紅蓮〟は『皇国傘下に入るなら戦りあってやっても良い』と告げたのだと。
そして彼女と戦い、満足したから受け渡そうとしたら『治世に興味がない』と蹴られたので、仕方なくそのまま大公になり、為政者を続けているのだと。
「わたくしは南部領で、最低限必要なことはこれでもやっていますのよ。アーシャ様の望みに応えておられる皇帝陛下よりも、さらに最低限ですけれど」
つまり皇帝の言う『弱き者がさらに害を』というのは、先日アーシャが口にしていたような『為政者がいなくなった後の無法の世』が来るという事実を指すのだろう。
「……つまり、皇帝自身がフェニカを倒して南部をこっちに渡す気はない、ってことね」
「是。大公が為政者に相応しくない証拠を我の前に揃えること。アーシャが望まぬ限り、その約定は生きる」
本当に、アーシャに関すること以外で、この男は揺れない。
残念ながら、撤回が出来るアーシャは今気絶しているし、きっと起きていたとしても撤回を望むことはないだろうとナバダは思った。
アーシャは多分、民が皇帝に頼らずに、自らの力で生きることが出来るよう育つことを求めている。
より良き未来の為に、今の苦難を選ぶ……その性格がアーシャがアーシャである所以であり、変わることはないだろうから。
「ふふ。ねぇ、ナバダ。貴女は南部を変えたいかしら?」
「……変える気があるの?」
「いいえ。わたくしにはありませんわ」
そう答えたフェニカは、首を傾げてこちらを見ると、再び語り始めた。
彼女は〝四凶〟と人に呼ばれるよりも前から、ニールと共にこの世に存在していたという、昔話を。
「ただの気まぐれで、南部の中心地に住んでいたわたくしを信仰してた村を助けたら『長になって欲しい』と頼まれましたの。だから『わたくしを退屈させないだけのものを見せてくれるなら良いですわ』と引き受けましたのよ。最初は、弱い者を育てるのも楽しかったのですけれど……」
フェニカはそこで、不満そうに唇を尖らせる。
「育ててもすぐに死んでしまうし、何度も同じこと教えないといけないでしょう? いくら助けても、人間って一部を除いてちっとも強くなりませんし、わたくしに頼るのもやめませんの。だんだんつまらなくなってしまいましたのよ。今聞いてると、あなた達は『弱いままで良い』と思っているみたいですし、わたくしはそういうの、無様だと思いますわ」
「……!」
「まぁでも、あなた達が弱いなりに歯向かったことは評価して差し上げますし、ナバダとアーシャ様の『戦い』は楽しいものでしたので、ご褒美をあげようと思い立ちましたの♪」
と、彼女はにこやかな笑顔に戻って、言葉を重ねた。
「あなた達に譲りますわ、南部領を」
まるで物を渡すかのように、それは軽い物言いだった。
「世界を救った勇者達には、大きなご褒美が相応しいでしょう?」
「本気で意味が分からねぇ……それでテメェに、どんな得がある?」
ウォルフガングはその申し出を疑っているようだが、ナバダには少し理解できた。
フェニカは、人間ではない。
そもそも価値観が人間とは違うのだ。
彼女は、治世にもう興味がない。
そして強い者と、面白いことが好きなのだ。
多分彼女は、弱いことを受け入れながらも命をかけて挑んだウォルフガングと、皇帝とアーシャをある意味でナバダが『降した』一幕を評価したのだろう。
そしておそらく『肉体的な戦いとは違う戦いと、そこで垣間見える強さ』に期待を寄せているのだ。
案の定。
「先ほども言いましたけれど、わたくしは皇帝陛下やアーシャと違って、何の努力もしない弱き者らにすがり付かれるのに飽きましたの。わたくしにとって、南部領の支配にはもう価値がないのですわ。人が弱くてもどうでも良いですけれど、『犠牲になるのは弱いから』という意見は変わりませんし。つまりわたくしが立つ限り、南部はそのままですわね。それでも宜しくて?」
「ぐっ……!」
ウォルフガングの表情が歪む。
今のままフェニカを立たせておく選択をするのなら、最低限の法の保証があるだけの、弱肉強食の領であることを許容することになるのだ。
「だから、南部領をご褒美にあげると申し上げておりますのよ。他者にばかり負担かけず、実際に自分達でどうにかしてみる気はございまして?」
と、フェニカはおかしそうに口元に手を当てた。
「ウォルフガング、貴方も戦ってる時に言っておりましたでしょう? 『南部領を変える』と。武力以外の方法で譲って差し上げますから、貴方の理想とする領地を自分で作ってみたら良いのですわ。勧善懲悪、誰もが平和に暮らせる場所。……そんなものが作れるのなら、ですけれど」
フェニカは小首を傾げて、瞳に浮かべる愉悦を隠さない。
新たな『楽しみ』……お互いの価値観をぶつけ合う行為を、早速実行しているのだろう。
そしてフェニカは、舌戦においても強いようだった。
「ナバダも、皇帝陛下とアーシャにあれだけの啖呵を切った根性が気に入りましたの。わたくしに新しい『強さの形』を見せてくれたのでしょう? アーシャ様が選んだからでも皇帝陛下が赦したからでもなく、あなた達が、自分でどうするか決めなさいな」
彼女は、今までのやり取りを全部見ていたのだろう。
その上で言っている。
ナバダとウォルフガングの逃げ道を塞ぎながら。
それを断ることは、つまり『弱者を見捨てる』のと同義だとちらつかせながら。
「まさか、出来ないなんて言わないと思いますけれど、ね♪」
政治の知識はあれど、やったこともないナバダに。
多少商売の知識があるだけの、ウォルフガングに。
やはり、魔性は魔性だ。
「南部は自由だけど治安が悪い。西部は獣人に憎しみを向けて宗教で縛って、自由はないけど『人』は平等。ふふ、理想というのは、結局はどっちにも偏らない中立で成り立ちますのよ。その中立を維持する人間に多大な負担を強いながら。文句言うだけなら誰でも出来ますの。やる側になれないなら、今の立場に甘んじておきなさいな」
出来るなら、やって欲しいなら。
人に頼るのではなく、自分達がまずやってみせろと。
アーシャのように、心を強く持つ決意をしろと。
酷な話だ。
けれどその申し出は……千載一遇の、好機でもある。
「……その提案に乗れば南部がタダで手に入る、ってことね」
「ええ。条件は貴女かウォルフガングが領王になって、どちらかが補佐になることですわ。それ以外の相手には譲りませんわよ。たとえアーシャ様であっても、ね」
正直荷が重い、とナバダは思う。
煩わしいことばかりが待っていることは、確定しているのだ。
けど、その要求を呑めば……少なくとも、南部の民が戦火に巻き込まれずに済む。
弱く、自らを守る力も持たない人々の住む場所が一時的にでも戦場になることは、なくなるのだ。
アーシャなら、きっと即座に申し出を受けるだろう。
それが、最良だから。
ナバダは溜め息を吐いた。
多分、皇帝やアーシャに、あるいはフェニカに領地運営の教えを乞うことになるだろうけれど。
「あたしは受けるわ。ウォルフ、あんたはどうするの?」
「……最悪だ」
ウォルフガングは、ぐしゃぐしゃと両手で頭を掻く。
仇敵を殺せなかったばかりか、その相手に師事する事になるのを、彼も理解している。
だが。
「自分と同じような思いをする人間を、減らしたいと思うかどうかね」
「……それがあるから、悩んでんだろうが!」
ガッと顔を上げたウォルフガングが、自棄っぱちになったように怒鳴る。
「やってやるよ! クソが!! 全部終わったら、今度こそぶち殺してやるからな!!」
「では、決まりですわ。南部領で待ってますわね♪」
そうしてフェニカがニールと共に去ると、黙って見ていた皇帝が口を開いた。
「アーシャを休ませる為、村へ向かう」
と、視線すら向けずに転がっていた【風輪車】を浮き上がらせた。
壊れたそれの下に魔導陣が浮かび上がると、何事もなかったかのように修復される。
ついでに、レールガンが何処かから飛んできて、アーシャが放り捨てた魔剣銃と共に、彼女の【淑女のバッグ】の中に収まる。
同時に、ウォルフガングの体も浮き上がった。
「おい!?」
「あれが壊れていたらダンヴァロが怒るだろう。そなたも体力を消耗している。運んでやろう」
そうして皇帝は、ドア枠のような『何か』をその場に作り出した。
中を見ると、村の広場が見える。
どうやら空間を繋いだようだが、転移出来る皇帝には不要な筈なのに何故、とナバダが思っていると。
彼がこちらを向き、淡々と言った。
「『門』だ。そなたも疲労しているだろう。距離を詰めた故、使え」
言いながら、アーシャを抱いたまま皇帝は『門』を潜り、ついでに浮き上がったウォルフガングと【風輪車】が連れて行かれる。
ナバダはしばらく絶句した後に、また深く深く、溜め息を吐いた。
「……賢い奴って、理解したら変わるのも早いわよね」
ウォルフガングやナバダやダンヴァロを……アーシャ以外の他人を、こんな分かりやすい形で『気遣う』など。
それまでの皇帝からは、決して考えられないことだったから。




