一度は死を選んだゴミに、そんな発言をする資格はございませんわ。
ーーー時間は少し遡り、アーシャがフェニカを滅ぼした直後。
アーシャは大きく息を吐いて、転がっているウォルフガングに声を掛けた。
「ウォルフ、生きていまして?」
「どうにかな……テメェ、嘘つきやがって……」
「何がですの?」
「レールガンが鍵だとかどうとか言ってただろ! 結局突っ込んでんじゃねーか!」
「レールガンで視界を奪って地面に叩き落としたから、刃が届いたのですわ。嘘は言っていませんわよ」
アーシャはレールガンが『トドメ』だとウォルフガングに勘違いさせただけで、実際に鍵だったのは事実である。
「……腕、どうすんだよ。お前は、ロウシュじゃねぇんだぞ……」
「そんな悲壮な顔しなくても、どうにでもなりますわよ。それに、ああでもしなければ倒せなかったでしょう? そう思ったから貴方も、道を切り拓いてくれたのでは?」
感謝していますわ、アーシャがニッコリと続けると、ウォルフガングは唇を震わせた後、言葉を飲み込んだようだった。
そして、右肩と左脇の傷口を庇いながら身を起こす。
「いってて……しかし、奥義の中身を聞いてなきゃ、どう足掻いたって勝てねぇと思ったわ。〝六悪〟ってのはマジでとんでもねぇ連中だよ。こんな短期間に2体も関わることになるとも思わなかったしな」
「そうですわね」
「お前が来てから、ロクなことがねぇ」
「あら、でも、貴方の復讐は果たされましたわよ! それで満足なさっては?」
相変わらず恨みがましいけれど、アーシャが『囮』であるせいで彼らを巻き込んでしまったのは事実なので、そこは否定しない。
するとウォルフガングは、以前ナバダに諭された時のように、目を伏せた。
「……ありがとうよ」
「ふふ、どう致しまして!」
そうアーシャが答えたところで、視界がぐらっと揺れる。
「あら? ……流石に、ちょっと、しんどいですわね?」
「あんま無理すんな。ちょっと休んだら、なんとかまた鎧作って村に……」
と、自分も満身創痍のウォルフガングが答えたところで。
「アーシャ!」
と、ナバダの声が聞こえた。
※※※
「あんた、腕……! ウォルフもヤバいじゃない!」
「どうってことありませんわ」
「とりあえず、死にゃしねぇよ。来てくれて助かったぜ」
ナバダは、思わず顔を引き攣らせた。
疲れた様子のウォルフガングはまだしも、こんな状況でも笑っているアーシャは、それより、と話を変えようとする。
「村はどうなりまして? ニールがいなかったのは貴女が来たせいでですわね。《異空結界》を砕いてくれたのは助かりましたけれど、何してくれてますの?」
「ロウシュがいればそうそう負けないわよ! それに、何をしてるはこっちのセリフよ! あんたこそ何してんのよ!」
「死なずに勝つには、他に方法がなかったのですもの。それに、金化卿に比べればフェアな相手でしたわ」
ナバダは、あくまでも自分のことに頓着しようとしないアーシャに、ギリ、と歯を噛み締める。
「皇帝なら、その腕を治せるでしょう! さっさと呼びなさい!」
「何でですの? わたくしは陛下のお力を借りずに生き残りましたわ。そもそも、陛下に何かを要求するなんて不敬ですわよ!」
「……だったら、あたしがやるわ!」
ナバダは、プツン、とキレた。
もう無理だ。
無理なのだから、自分がどうにかするしかない。
ナバダは自分が見つけた答えと信念の下に、『それ』をやる決意を固める。
出来るだろうか。
もし出来なければ、ナバダは殺されるだろう。
ーーーそれでも。
アーシャ・リボルヴァを失わないまま、全てが上手くいくようにする為には……これ以外の方法が、思いつかなかった。
ナバダは、一度目を閉じて……見開くと同時に、アーシャの喉元にダガーを突き付ける。
「……どういうおつもりでして?」
「おい、ナバダ……!」
怪訝そうなアーシャと、狼狽えるウォルフガングのどちらも無視して、ナバダは虚空に向かって叫ぶ。
「出てこい、皇帝ッ! ーーー来ないなら、ここであたしがアーシャを殺すわ!」
※※※
ーーー同時刻、皇都・謁見の間。
絨毯に膝をつき、怯えを隠すことすら出来ずに陳情をする愚物を見下ろしながら、アウゴは頬杖をついた右手の指に力を込めた。
『陛下……このままでは、わたくしの成すことは全て、おままごとのまま、ですわ』
メキリ、と小さく指が立てた音が、思いの外大きく響いたのだろう。
横に立つリケロスがこちらに視線を寄越し、目の前の愚物がビクリと肩を震わせる。
「……陛下」
「続けよ」
別に、愚物に苛立った訳ではない。
洪水対策の護岸工事などという、己の先見と努力次第でどうとでもなることを、わざわざこちらに押しつけようという態度は気に入らないが、そもそも世に在るほぼ全ての人間がこんな連中ばかりである。
今更、その程度の愚行に感情を乱したりはしない。
謁見の日は、このような陳情に来る連中の相手で日が暮れる。
煩わしくはあるが、全てアーシャの為であると思えばさほどの手間でもない。
しかし、そうして二人、三人と相手をしている間に。
『ーーー差し上げますわ、腕一本』
フェニカに対するアーシャの選択を聞いて、アウゴはさらに指に力を込めた。
握り締めた指が掌の皮膚を突き破り、つぅ、と血が手首に向かって伝う。
漏れ出たアウゴの『圧』によって、ざわざわと絨毯の毛が波打ち始めた。
それを見て、リケロスがひれ伏す愚物に告げる。
「そなたの陳情は検証する。疾く退出せよ」
愚物が慌てて出て行くと、それ以降の入室を控えさせて、リケロスが問いかけてくる。
アウゴに護衛など必要ないので、部屋には彼と自分しかいない。
「陛下。どうなさいまし……」
たか、と続ける前に、リケロスが驚愕に目を見開いた。
「血……!? 陛下、一体どうなさったのです!?」
「少し、力を入れ過ぎただけだ」
即座に傷を癒すが、血のついた袖口から彼は目を離さない。
その様子すら、今は煩わしかった。
「それのみが用件であれば、下がれ」
「……何か、よほど気に食わぬことがありましたか。もしや、リボルヴァ公爵令嬢に何か……?」
そんなリケロスの問いかけと同時に、アーシャの瞳を通した視界の向こうで、ナバダ・トリジーニがアーシャの首筋にダガーを突き付けた。
即座に立ち上がったアウゴは、彼の問いかけに応えずに告げる。
「出る。この後の謁見は中止とする」
同時に、耳朶をナバダ・トリジーニの声が叩く。
「出てこい、皇帝ッ! ーーー来ないなら、ここであたしがアーシャを殺すわ!」
その瞬間、リケロスがさらに何かを言うよりも先に、アウゴは空間を歪めて跳んだ。
アーシャの元へと。
※※※
ナバダが、そう告げると同時に。
アーシャの体から、とんでもない魔力の気配が溢れ出て……ダガーの感触が手の中から消滅する。
そして、背後に禍々しい気配が現出した。
「陛下……!」
「ナバダ・トリジーニ。……何を以て、アーシャの望みを曲げようと考える。返答次第では、彼岸へ旅立つと心せよ」
アーシャが驚いた表情に変わるのと、皇帝の声が降ってくるのは同時だった。
ナバダが振り向くと、そこに皇帝が浮かんでいる。
ーーー来るわよね。そう、あんたはそういう奴だわ。
全てを見下すような……いや、アーシャ以外のほぼ全てに関心がなく、いつもは木石を見るかのようにナバダに向けられる視線の中に、今日は冷たい怒りが浮かんでいる。
そこに存在するだけで人を圧する化け物に……ナバダは逆に、侮蔑の視線を向けてやった。
「アーシャが傷ついてるのに、出てこないからでしょう。皇帝、アウゴ・ミドラ=バルア。あんたの想いがその程度だったなんて、見損なったわ」
「……」
「腕を失ったのよ、アーシャが! 死んでないだけで、下手すれば死ぬわ! 何で助けたいと思わないの!?」
皇帝は、チラリとアーシャを見てから、こちらに視線を戻す。
「我の力を望まぬと、そう選んだのはアーシャ自身。先ほど、我が呼び掛けに否を口にした」
「だから、これだけの怪我をして救わないと!?」
「自らの望みを果たすため、己の力のみで事を成すと定めしは、アーシャ自身なれば」
「アーシャがアーシャがと、まるでバカの一つ覚えね……! 自分で何かを決められないの!? あたしは、あんたがアーシャを助けたくないのかって聞いてるのよ!!」
それはそのまま、ロウシュにナバダが言われたことだった。
ナバダの激昂に、皇帝の気配が一瞬静かになる。
……その直後に、今までとは比にならない魔力が、皇帝の体から吹き出した。
「我に、アーシャを救わんとする意志が有るか否か。ーーー我に意志が無いと、そう思うのか? ナバダ・トリジーニ」
皇帝が、身動きすら取れなくなったナバダの前にゆっくりと降りてきて、こちらの首を掴む。
力など全く入れていないのに、表情も微塵も動いていないのに、その眼光が、放つ激昂が、それだけで世界を滅ぼすかのごとき威武をもって全てを圧していく。
皇帝の魔力に呼応して、大地が鳴動を始め、空に黒雲が渦を巻き始めた。
「我が、アーシャの健やかなるを望んでいないと……貴様は、そう口にするか」
人の姿をした化け物は、その荒ぶる気配とは対照的に、ただ静かに問いかけてくる。
冷や汗すら浮かばない根源的な恐怖が腹の底から湧いてくるが、ナバダはそれを必死に押さえつけた。
ーーー落ち着け。
ーーーコイツは化け物だけど、魔性じゃない。
『人』だ。
どれ程人並外れていようが、まだ、『人』なのだ。
不老不死でもない、ただの人間。
感情のある人間なのだ。
それが証拠に。
ーーーその袖口の血は、何?
こいつが誰かに傷つけられたり、襲ってきた奴の返り血を浴びたりする筈がない。
全く乾いてもいない鮮血は、何で袖を汚したのか。
コイツが自分で自分に傷をつけるとしたら、そこまでの感情を押さえつけるとしたら、アーシャに関わること以外あり得ない。
ーーーアーシャの腕が斬り飛ばされたのを、見てたんでしょう?
だからナバダが呼んだ時に、こんなに早く来た。
アーシャの右目に繋いだ魔力の糸を辿って、全てを見ていたから。
ーーー心配してんじゃないのよ。
アーシャが力を借りないと言ったから。
だから、何だと言うのだろう。
「望んでる、なら、何で実際に、助けて、ない、のよ……!」
ナバダは体を圧する圧に抗いながら、言葉を紡ぎ出す。
ただ喋るだけで、精神力が根こそぎ削られていくようだった。
でも、やらなければ。
「アーシャは、死にかけてるのよ……! 前みたいに、助け、なさいよ……あんたの、意思で……!」
「貴様に、アーシャと我の何が分かる?」
ナバダは、激怒の魔力によって、皇帝の全身が黒く染まったような錯覚を覚えていた。
間近にあるその瞳だけが、煌々と輝くように浮かんで見える。
「アーシャがそうと望む以上、我はアーシャに、死以外の全てを赦す。その意志を曲げることは、何人であっても赦されぬ」
「赦さ、れる、わ……!」
「……?」
ナバダが即座に反論を口にすると、皇帝の圧が、僅かだけ緩んだ。
疑問を覚えている。
何をもって反論しているのか理解出来ないのなら……理解させなければならない。
でないと、いつまで経っても何も変わらないから。
「人間なら、助けたい時だけは……他人の意思も自分の意志も、曲げることが、赦されるのよ……! アーシャ、みたいに……!」
選択は認める。
その上で拒絶する。
ベリアに対してアーシャがやったことを、何故皇帝がしてはいけないと思うのか。
相手がやって良いなら、自分もやって良いのだ。
そう、アーシャ自身が認めているのだから。
「皇帝。人間は……そういう強さを、そして弱さを、赦して良いのよ……!」
「弱さ……?」
圧が、さらに緩む。
呼吸が出来る。
体が動く。
良い兆候だ。
ーーーこいつは。
本当に、何も分かっていないのだろう。
何一つとして、理解していないのだろう。
アーシャの行動を見ていながら。
アーシャ以外が、何も目に入っていないからだ。
だから、アーシャだけが『人』だと思っている。
アーシャの行動と選択が、この〝恋する狂気〟が思ったように生きることだけが、『人』の想い方として正しいのだと、定めている。
それは、間違っている。
アーシャの在り方は正しいが、『人』の正解は、アーシャ自身が口にするように一つではないのだ。
皇帝もまた、アーシャではない『誰か』なのに。
他人のことばかり大事にするアーシャが、自分を蔑ろにしたら、皇帝は怒るのだ。
なのに、皇帝はそんなアーシャを赦す。
蔑ろにすることで、彼女に大切にされた他人が、彼女自身を大切に想う人々が、悲しむことになるのに。
皇帝も、その一人であるのに。
そんな自分自身の人であるが故の弱さすら、皇帝はアーシャの為なら忘れようとするのだ。
『死だけは赦さぬ』と、そう言った弱さを。
「分からない? ……いいえ、あんたは自覚していないだけで、分かっている筈だわ」
ナバダは、牙を剥く。
アーシャとは違う形で、決して届かぬ存在である皇帝に挑む。
自分の、在りようを賭けて。
「一つ面白いことを教えてあげる。アーシャとあんたのことに関して、ある一点においては、あたしはあんた達よりよっぽど、あんた達のことを理解してるわ。それを示してあげるから、少し黙って見てなさい……!」
「……ほう」
「烏滸がましいことを仰いますわね、ナバダ……」
背後で、いつの間にか立ち上がったらしいアーシャが、チャキリと音を立ててナバダの後頭部に銃口を突きつけてくる。
「陛下にそれ程の暴言を吐いて……陛下が赦しても、わたくしが赦しませんわ。全て撤回なさい。万死に値しますわ」
「ッ!」
ナバダは首に掛かった皇帝の指先から抜け、即座に振り向いて、その銃口を振り払う。
そして、不穏な目をしている彼女を怒鳴りつけた。
「そもそもあんたがそんなだから、こんなことになってんのよ! いい加減にしなさいよ!」
「こんなこと……?」
「自分の状態見て分からないの!? あんたは弱いのよ! どんだけ努力したって、皇帝に届くわけがないでしょう!」
皇帝が無傷で、まるで赤子の手を捻るように退けた〝六悪〟を倒すのに、満身創痍な上に、腕一本。
それだってウォルフガングの手を借りて、相手がタイマンを望むような脳筋だったから、あれ程苦労して得た搦手で辛勝しただけ。
それ自体は、英傑の偉業。
だとしても、アーシャが皇帝の手を借りずに生き残ったのは、ただ運が良かっただけだ。
「皇帝に、並び立つ? ーーーあんたじゃ出来ないわ!」
ナバダは突き付ける。
彼女に、残酷な事実を。
誰かがそれをやらなければ、いつまで経ってもアーシャは止まらない。
そして、死ぬのだ。
身の丈に合わない速度で駆け抜ける、無謀な、不可能な、決して成功しない挑戦の果てに。
体は、皇帝が守るかもしれない。
けれど折れてしまった時に、その精神が死んだら、それはもうアーシャ・リボルヴァではない。
皇帝の望んだ、アーシャではなくなるのだ。
自らを失った彼女の抜け殻を抱いて、皇帝が満足するとは思えない。
アーシャが皇帝を、ひいては皇国を……世界を守りたいという想いを失ってしまえば。
やがて世界は滅ぶ。
皇帝にとっては、世界などどうでも良いのだから。
こいつも皇帝と一緒で、何も分かっていない。
自分が、本当に今一番すべき事が。
『成すべきこと』とやらの順番を、こいつらはずっと間違い続けている。
「貴女は本当に失礼ですわね! 出来る出来ないではなく、やるんですわ!」
「ッ……やんなくて良いのよ! だから、いい加減にしろって言ってるのよ!」
ナバダは、理解しようとしないアーシャの肩を掴む。
「あんたがやらなきゃいけないのは! 皇帝みたいに強くなることじゃなくて、皇帝に、あんたの弱さを分からせることなのよ! 何でそれが分からないの!?」
何故、並び立たないといけないのか。
皇帝は、アーシャに執着している。
こいつの願いなら何でも叶えようとする程、アーシャだけをただ見つめているのに。
今のままのアーシャで良いと、そう思っているのに。
「そんな体になってまで、皇帝に並び立つ必要がどこにあるの!? あんたはもう、とっくにこいつに愛されてるのよ!? 『いなくなるな』と言われるくらいに、皇帝の中で唯一の人間であるあんたが! 人間であることを切り捨てるみたいに生きて、どうするのよ!」
アーシャは強い。
力とか、魔力とかじゃなくて、その心の在りようが。
同時に弱い。
その心に、決意に、目指す先に、努力だけでは届かない程に。
「体も小さい、魔力も少ない! その上、貴族令嬢としては致命的な顔の怪我もしてて、片腕まで失って! 一人で何もかも全部背負える程の絶対的な強さは、あんたにはないのよ! 弱くたって良いのよ! そこまで自分を蔑ろにしなくも、あんたが一番欲しいものは、陛下の御心とやらは手に入ってるのに、何でそれを、あんただけが分かってないのよ!!」
アーシャには、あえて苦しむその理由がないのに。
周りが見えていないのに、人並み外れたことを成し遂げられてしまうから、それ故にすれ違っている。
アーシャという少女を、大事に想う人々がいるのに。
戦う力が足りなくても、その志に、彼女の背中について行きたいと、彼女に感謝してそう望む者たちもいるのに。
皇帝だって、アーシャを何よりも大切に思っている。
むしろ彼女しか大切に思っていない。
だから、アーシャが問題なのだ。
人に頼っても良いのに。
弱さを認めたって、何も変わらないのに。
アーシャ・リボルヴァという彼女自身だけが、自らの弱さを頑なに認めようとしない。
六悪を倒す偉業を成し遂げてしまう程の、多くの者が称賛する高みに到達してなお、届かない強さを持つのが皇帝だという事実を、認めないのだ。
でも、アーシャの耳にはまだ、ナバダの言葉は届かないようだった。
「お黙りなさい。陛下の横に並び立つことを諦め、一度は死を選んだゴミに、そんな発言をする資格はございませんわ」
もしかしたら、ここから連続更新になるかもです。




