アーシャなら、きっと。
「離れなさい、ウォルフ!」
アーシャは魔剣銃に魔力を流し込んで銃剣を生成すると、彼に声をかける。
しかし。
「この女……絶対、今この場でぶち殺してやる……!」
『ふふ……中々やるわね。ちょっと楽しいじゃない』
砂埃が少し晴れると、ウォルフガングは身に纏った【風輪車】ごと、フェニカの長い右腕に巻きつかれて囚われていた。
まるで抱き合うような姿勢のまま、身を起こそうとする彼と魔性の力が拮抗している。
が、【風輪車】の装甲はギシギシと軋んでおり、締め付けられている部分が歪み、今にも砕かれそうだった。
地面に自分ごと叩きつけたウォルフガングの無茶も祟っているのだろう。
その間にも、フェニカの仮面が紫の煙を立てながら修復していく。
視覚を取り戻すのも時間の問題だろう。
『ねぇ、好きよ、その躊躇いのなさ……貴方、わたくしの領地を出奔した特異魔術の子ね?』
「だったら……何だってんだ……!」
全身に力を込めているウォルフガングが、締め付けから抜け出そうとしているのではないことに、アーシャは気付く。
彼は隙間を作って、腕の刃を彼女に突き立てようとしているのだ。
「テメェが立ってから、南部は荒れた……ッ! 全部放置して、貴族どもに好き放題やらせて、テメェ自身は悪趣味な闘技場で遊び呆けてなぁ……ッ! テメェに、人の上に立つ資格はねぇ、化け物が……ッ!」
『人の上に立つ資格? 心外ですわね。わたくしや皇帝陛下以上に、その資格を持っている者はいませんわ』
アーシャは、その間に集中し続けていた。
これは、好機。
ウォルフガングが時間を稼いでいる間に、アーシャは口の中で小さく呟く。
「……その鋒は、全てを貫く矛なれば……」
詠唱。
この奥義は、お師匠様であれば詠唱破棄して発動することが出来る。
けれどアーシャは、魔術の発動には必ず詠唱を必要とする。
それはこの奥義に限らず、全ての魔術において、だ。
「……全てを滅する、冷酷なれば……」
魔術の発動には、詠唱か魔導陣に加えて、魔力を紡ぎ出す媒介となる呪玉が必要だ。
さらに魔力を使う為の『自己魔力容量』と『魔術発動魔力量』が存在する。
詠唱とは、魔導陣の効果を魔力で代替する技法。
そして《詠唱破棄》というのは、イメージ上の『発動したい魔導陣』にさらに魔力を上乗せして、『詠唱を不要とする魔導陣』を重ねる『高位魔術』である。
誰でも修練すれば出来る『高等技術』……例えば魔力そのものを『糸』として紡ぎ出すことなど……とは違う、れっきとした魔術の一つなのだ。
アーシャには、高位魔術は発動出来ない。
まず『魔術発動魔力量』を貯めるだけの『自己魔力容量』が……生得のそれが、常人よりも遥かに小さい。
さらに魔力生成量自体も、生まれつき少なかった。
『体内の魔力の流れが遅い』とナバダが言っていたのは、これに由来する。
『この子は、きちんと体が育つかすら分からない』と、生まれた時には治癒師に言われていたという。
結果的に死ぬことこそ無かったが、やはり同年代の者よりも体は小さく、幼い頃は病気に掛かりやすく、元々は少し運動するだけで息切れしていた。
『魔力を操る術を研ぎ澄ますことで、体は強くなろう』
そう教えてくれたのは、誰だっただろう。
だから、少ない魔力を極力精密に操る術をお師匠様に教えて貰うことで、どうにか人並み程度になれたのである。
以前、ナバダと共に最高位魔術を発動出来たのは、【風輪車】に魔力の貯蔵機能が備わっており、予め溜めておけたからだ。
魔導具は、アーシャに足りない部分を代替してくれる。
発動魔術と詠唱破棄の魔導陣を内蔵することで、必要魔力量に関係なく、誰でも魔術を扱えるようにするもの。
だからアーシャは、強くなりたいと申し出た時に、父に……そしておそらくはその後ろに居た陛下に、魔剣銃を与えられたのである。
魔術が、ほとんどまともに使えないから。
アーシャは、素手では決して強くなれないから。
先日お師匠様に教えて貰った奥義にも、魔力量そのものは必要ない。
重要なのは、その魔力の性質を変化させる精密な『技術』のみ。
そうして、他の誰でもない、魔力が少なく魔術の才覚がないアーシャだからこそ、この奥義は習得出来た。
人の上に立つ資格がフェニカにないのなら、アーシャには『高位魔術』を扱う資格がないけれど……この奥義を扱う資格が、あった。
「フェニカ・チュチェ……テメェに、人の上に立つどんな資格があるってんだ……!?」
徐々に【風輪車】をひび割れさせながらも、ウォルフガングが彼女に刃を突き立てようと、徐々に腕を開いていく。
『強さ、ですわ』
逆にフェニカも、彼に回した蜘蛛の右腕を締め付けて、彼の首に腕の刃を滑らせようとしていた。
『強いから、あなた達凡俗は従うしかないんでしょう? 奪われるのは、弱いのが悪いんですわ。それが許せないなら、貴方が強くなれば良いだけの話でしょう? そうして強い者を打ち倒した、より強い者が人の上に立つ……あら? 今と何も変わりませんわね? 何か別の形がありますの?』
「……!」
そう、矛盾だ。
弱き者が奪われるのが許せないと立つのなら、立つ者は強くならなければならない。
弱き者が生きる為の世を作る為には、『作る側』は弱いままではいられないのだ。
『どれだけ綺麗事を言っても、強い者だけが、その意志を貫き通すことが出来ますのよ。だからわたくしは強者が好きですの。君臨する者の為政が気に入らなくて、どうしようもなくなれば下剋上。……ふふ、世の中、最後は武力以外に物事を解決する手段など存在しませんのよ』
「……!」
フェニカの言葉は、毒のようにウォルフガングに染み込んでいくようだった。
そうして彼女の仮面が完全に元に戻り、視覚を取り戻す。
『結局、上に立つ者の善政に期待するしかないんですもの。貴方のような弱い人間は、ね。……遊びは終わりですわ』
彼女の腕の力が今までに比べて遥かに強くなり、メキッと【風輪車】の装甲がひび割れる。
フェニカは、手加減していたのだ。
その刃が、一気にウォルフガングの首に迫り……。
「言いたいことはよく分かりますけれど、それと弱い者を切り捨てるのは、全然別の話ですわ!」
刃の形成を終えたアーシャは、フェニカに突撃した。
何かを感じ取ったのか、彼女は腕を解いてウォルフガングを蹴り飛ばし、距離を取る。
アーシャの魔剣銃はフェニカに届かず、空を切った。
『何も違わないわよ。言ったでしょ? 弱者は、強者の善政に期待するしかないの。そうするかどうかは、強者の自由なのよ』
「ええ、だからわたくしも言っているでしょう? 言いたいことはよく分かると! その上で」
アーシャは、シャキリと魔剣銃を構えて半身になりながら、フェニカの言葉に反論ではなく異論を唱える。
「貴女のように、他人を虐げる強者が気に入らないから、わたくしが成り代わると言っているのですわ! わたくしが、わたくしの自由の下に、弱き人々を救えば良いんですもの!」
他者より弱い。
他者より強い。
だからどうだと言うのだろう。
弱さを言い訳に誰も立たないのなら、アーシャが立てば良いだけである。
強くなることに臨む、人を救いたいと願う、今は弱い立場に在る者達を従えて。
「誰かが成さねばならないなら、わたくしが成しますわ! 《鉄血の乙女》の名にかけて!」
『良いわね。とても好きな考え方よ! 出来るかどうかは別だけれど!』
「出来る出来ないではなく、やるのですわ! 貴女は選択した。わたくしも選択した。対等の選択をした者同士、利害が一致しないなら雌雄を決するだけでしょう!」
フェニカは、魔剣銃を構えるアーシャに一つ頷いて、しかし隙は見せないまま、今度はウォルフガングに問いかける。
『貴方はどうなの?』
「あぁ……!?」
『貴方の答えは? 恋人を殺されたのは、貴方が弱いせいでしょう。なのに口にするのは、逆恨みも甚だしい、失いたくないならご自分で守れば良かっただけのことに対する、恨み言だけなのかしら?』
どうやら一部を破壊されて飛翔能力を失ったらしい【風輪車】を身に纏ったまま、ウォルフガングは体を起こしていた。
「テメェ……! テメェが、ちゃんと、ゴミみたいな連中をどうにかしてりゃ、こんな事にならなかったも事実だろうがぁ!!」
『これだけ話して分からない? そこでアーシャ様のように『だったら自分でどうにかしていれば良かった』と思わないから、弱者は無様なのですわ。何でもかんでも他者のせいにして、現実に背を向けて、こんな辺境でやさぐれていれば良いのですもの。ふふ、失ったことを原動力に、南部を変えようという気概すらない凡俗は、一周回って面白いですわねぇ』
ーーー何を企んでますの?
一気に仕掛けてくれば良いのに、こちらの隙を窺うでもなく、ウォルフガングを奮い立たせようとするかのような挑発である。
けれど、頭に血が上っているらしい彼は、それが挑発とは気付いていないようだった。
「……だったら、今から変えてやる……!」
ギリ、と奥歯を噛み締めて、ウォルフガングがフェニカを睨み付ける。
「テメェをここでぶち殺して! 南部の腐った貴族どもも皆殺しにして! 二度と俺みたいな思いをする連中が生まれない場所に、南部を変えてやらぁ!!」
「よく言いましたわ、ウォルフ!!」
アーシャは歓喜した。
彼は口にしたのだ……『今から』と。
復讐が何をもたらすかを知ったウォルフガングが、恨みのみで生きてきた彼が、『これから』の答えを出した。
「やりますわよ! まずはここでフェニカに、自身のやったことの報いを受けさせるのですわ!!」
アーシャは、もう一つの仕掛けを打った。
「モルちゃん!」
声を上げた瞬間、アーシャに忠実で可愛いスライムが木立の根元にある藪の中から飛び出して、木の枝を触手で器用に駆け上がってその勢いのまま空へと舞い上がる。
いつもの凧と蝙蝠の合いの子のような体に、さらにクラゲのような複数の触手が尾のあたりから伸びている。
その先が、繋がっていたのは、拓けた場所の周りを囲んだ炸裂符。
ウォルフガングが準備したそれを発動する為に、アーシャはモルちゃんを潜ませていたのだ。
モルちゃんの送り込んだ魔力によって発動した炸裂符が一斉に爆発して、暴風がアーシャらの周りを吹き荒れた。
土と木立が抉れて宙を舞い、砂と細かな木片により一気に視界が狭まる。
さらにもう一つ。
腰の後ろの【淑女のバッグ】から裸の呪玉を一個取り出して、それを思い切り踏み付ける。
べキリと音を立てて水晶体が割れた瞬間、眼帯で感知している周辺の魔力流が歪んだ。
魔術発動の媒体となるその宝玉は、周囲の空間……詠唱による魔導陣を描く際の画布となる大気や土中の魔力と、指向性を持たせた術士の魔力を繋ぐ媒介である。
呪玉は高価であり、割るようなことを普通は考えないから、多くの者は知らない。
アーシャも過去の陛下の論文で知ったことだけれど。
呪玉は『異なる理』を現出する為の媒介故に、何かが起こった時に影響を与えるのも物質ではなく魔力側。
魔術が『暴発』するのも、たまたま不完全な術士の魔導が、呪玉を通して『術士の意図とは違った理』を引き出すからなのだと。
では、呪玉が割れた時にどうなるかと言えば……撒き散らされた破片の影響で、周辺の魔力が歪むのである。
ーーー〝魔力障害〟。
陛下がそう名付けられた呪玉が引き起こす事象は、魔力と視覚を頼りに相手の存在を認識している者には効果絶大だ。
『へぇ……! 面白いわね!』
楽しそうなフェニカの声に、アーシャは地に屈み、聴覚を頼りに彼女の位置を認識する。
元々、隻眼。
アーシャは視力と魔力を塞がれても、死角の情報を得る為に会得した聴覚があるのだ。
そうして、砂埃に紛れて突撃しようとした……ところで。
『隠れても無駄よ。全部吹き飛ばせば、一緒に吹き飛ぶのですもの』
フェニカの声と共に、ザン、と地面に刃が突き立つ音が聞こえた。
同時に、乱れた魔力場にとてつもない瘴気が発生する。
フェニカを中心とした地面から周囲の魔力場が、彼女の魔術の発動に伴って均され、広がっていく。
ーーーッ!
思わず身を引きそうになるが、アーシャはグッと踏みとどまった。
ーーー引けば、負けですわ!
あの時間で、これ以上の仕掛けは出来なかった。
たとえ全身がズタズタになろうと、ここで一撃を叩き込まなければ。
と、アーシャが足を踏み出すと、目の前に細剣のように尖った無数の岩の柱が地面から突き出して、砂埃を蹴散らしながら伸びてくるのが、見える。
『串刺しになりなさい、《鉄の処女》に相応しい末路でしょう?』
そんなフェニカの声と、共に。
「オォオオオオオオオオッ!!」
地面を滑るような形で、残った風の呪玉の推進力を駆使したウォルフガングが、アーシャと岩針の間に身を滑り込ませる。
振るった両腕の刃で岩を薙ぎ、風の防壁と、全身の装甲、その全てでアーシャを狙った岩針を串刺しになりながら防ぎ切り。
「土の魔術はなぁ……! 俺の十八番なんだよぉ!!」
ガン、と彼が刃を地面に叩きつけると、バキバキバキバキと地面から生えた岩針の一部が左右に動き、細い細い道が開かれる。
小柄なアーシャであれば、駆け抜けることが出来る細い道が。
そして、振り向いたウォルフガングと目が合った。
ーーーウォルフ!
ーーー構うな、行け!
視線だけで言葉を交わし、アーシャは駆ける。
ウォルフガングと【風輪車】が、全霊を賭けて切り開いてくれた道を。
※※※
ウォルフガングは、地を這うような低さで横を駆け抜けたアーシャの背中が、砂埃の中に消えるのを見送りながら。
全身を襲う痛みと共に、【風輪車】との融合を解く。
急所はどうにか避けたが、全身を浅く、肩と脇腹を深く貫かれており、それ以上は動けない。
ーーー俺は、弱ぇさ……。
自分の道というものを真剣に考え始めた、アーシャやナバダと話し合ったあの夜から。
ウォルフガングは、マリアフィスと復讐、そして自分の心について、自問し続けた。
どうしたいのか。
どうすれば自分は納得出来るのか。
ーーー考えても考えても、何も出てこなかった……けどな!
ウォルフガングには、力がない。
ロウシュを筆頭に、ナバダ、ベリアのように、とてつもない練度を持つ戦士の領域には、きっと到達出来ない。
知恵もない。
アーシャのように、ありとあらゆる工夫を凝らして、貪欲に勝利を掴みに行くような発想力はない。
心の強さすらない。
シャレイドのような覚悟も、ロウシュのような割り切りも、そして誰よりもアーシャのようなとんでもない根性も、持ち合わせていない。
口では偉そうなことを言ったって、結局強いヤツに発破掛けられて、付いていくしか能がない。
それが『ウォルフガング』という自分で。
マリアフィスの後を追うような、誰かを踏み躙ってでも復讐を成し遂げるような、覚悟もなくて。
ーーーそれでも。
結局、自分と同じ想いをする人間が増えて欲しくないと、思った。
マリアフィスを悼むだけで生きていけるくらい、平和な世の中が欲しいと思った。
だから、自分に出来る全力をこの場で投じた。
ーーー俺はどうせ弱い……この後生き残ったって、きっと弱いまんまだ。
けど、こうしてアーシャの盾くらいには、なれた。
皆が守りたいと思っている、アーシャの。
それで十分だ。
フェニカを殺すという、復讐心じゃなく。
今、ここにいるアーシャを、守るためにウォルフガングは来たのだ。
ーーー俺は、強くはなれない。
弱いから結局、強いヤツに付いていくしかないとしても。
誰も悲しまないように人を率いていくような人間には、なれないとしても。
戦う時に、盾くらいにしかなれないとしても……。
「……それでも……どうせ従うなら、自分がついて行きてぇと思った『強ぇ奴』が、良いんだよ……!」
強大な力を持っているが、人の苦しみを放置するフェニカではなく。
望みに対して、願いに対して、愛とより良き世の中に対して、どこまでも真っ直ぐな覚悟と輝きを持つ、アーシャが良いのだ。
アーシャなら。
こいつならきっと、口にしたことを成し遂げてくれるとーーーウォルフガングは、彼女の心の強さを、信じたのだ。




