死人の戦。
「カカカ。来るな……!」
ナバダが消えてしばらく。
瘴気の気配が遠くから迫ってくるのを察して、村の西端にある原っぱにあぐらを座っていたロウシュは、のそりと立ち上がった。
村人達は広場を中心とした場所に集めて、男連が守っている。
この場にいるのは、瞼を腫らしたベリアとイオ、そしてシャレイドだけである。
「強ぇヤツと死合えるのは僥倖よなぁ! まぁ来たのは片割れの弱ぇ方だが、贅沢言うのは良くねぇよな!」
「……お前、それが狙いでナバダを焚き付けたな? 柄にもねぇことしたと思ったら、ふざけやがって!」
「間違ったことは言っちゃいねぇよな! それが〝獣の民〟の生き方よな!」
何処か不機嫌そうなシャレイドに、ロウシュはニィ、と笑みを浮かべる。
「雑魚弟子に、二匹いるなら一匹寄越せと言ったんだがな! バッサリ断りやがったからな! こうするのがワシにとっての最良よな!」
「わざわざ危ねぇやり方しやがって、後で覚えとけよ!」
と、シャレイドが得物を構えるのに、ロウシュは首を横に振る。
「危ねぇことなど何もねぇな! 村にゃあ一歩も入れねぇから安心しな! ワシは本気でやる。それに死合いは、タイマンが相場よな!」
その言葉に、シャレイドが片目を大きく見開いた。
「いくらお前でも、一人で戦れんのか!? 相手は〝六悪〟の相方だろ!?」
「関係ねぇな! テメェらも、手ぇ出すのはナシよな! 邪魔だからな!」
その言葉に、魔獣を何匹か従えるイオが眉をひそめ、シロフィーナの手綱を握っているベリアが柳眉を吊り上げる。
「邪魔……?」
「私は、アーシャ様から村をお守りするよう命じられているのだ! いかにアーシャ様のお師匠様といえども……」
「ーーー諸共に叩き斬られて良いなら、好きにしな?」
ロウシュは、瞬歩でベリアの真後ろに移動して、その耳元に囁く。
「!?」
「ワシが動くのが見えたか? コイツが、今からの死合いに必要な速さよな。目すら追いつかねぇなら、邪魔よな! 分を弁えな!」
するりと横をすり抜けたロウシュは、イオにも声を掛ける。
「小僧は少し目では追えたようだが、影しか見えてなかったな。テメェも足りねぇな!」
新たに村に来た奴らを死合いでただ肉にするなど、簡単なこと。
成長すればナバダを含め、どいつもこいつも弟子を越えるだろうが、あれに比べたら必死さが足りない。
求める心の強さこそ、人が人の域を超えるに重要なことだ。
そして自分の求める死合いの相手は、ロウシュと同じように人の域を超えた者でなければ務まらない。
皇帝のような生得の才覚もない凡俗では、適度な努力程度でロウシュやアーシャの父マグナムスの領域に到達することはないのだ。
努力しても人の領域を超えられない弟子は論外だが、それでもロウシュの弟子足りうるのはあれ一人である。
ロウシュは元の位置に戻り、刀をスラリと抜く。
ーーーなあ、皇帝よ。
心の中で、そう問いかける。
ーーーコイツは、テメェの言う『守り』の戦いよな!?
かつて、ロウシュは皇帝に腕を落とされた。
それは、東部での『処刑』……皇帝が東部反乱軍をほぼ皆殺しにした『一日平定』の際だ。
あの日は、ロウシュも一ヶ所に集まった東部軍を皆殺しにしようと、その場に向かっている最中だった。
『よう、そこの黒髪よ。ワシの獲物を横取りするたぁ、随分なことをしてくれたな!』
カカカ、と嗤いながら屍の山の中心に立っていた皇帝に、ロウシュは話しかけたのだ。
皇帝はゆらりとこちらを見やり、興味がなさそうに話に応じた。
『そなた、東部で暴れているという罪人か。見処があるが、既に終わっているな』
『応よ!』
皇帝は、一瞥でロウシュの本質を見抜いたようだった。
求める相手に出会えたことに、歓喜する。
『コイツらはワシのモンを奪いやがったからな! 遺った生は礼として、コイツらを残らず屍と化して血の海に沈める為に使わなけりゃな!』
ロウシュは、極東で生まれた。
そして剣の腕を磨いていたが、ある日、自分の村が山での狩りをしている間に焼かれたのだ。
勢力を広げようと東征してきた、皇国東部軍の仕業だった。
皇国東部に人が増えすぎて、食い物が足りなくなったことが最初の理由。
東部はいつだって、本来豊かな土地であるのに、虫害と飢えとの戦いに苦しんでいた。
しかし連中は、村から生きる為に食糧を略奪するに飽き足らず、女を犯し、子を嬲り、憂さを晴らして最後に火を放った。
ロウシュの女房も子どもも、例外ではなかった。
自分がいれば、そんな事にはならなかったのだが。
自らが生きるは略奪の理由になるだろうが、嬲り殺すも過剰とせぬのなら、同じ救いを与えて行幸だろう。
ロウシュはその時に、自らの魂も妻子と共に屠った。
怒りも悲しみも全て捨て、ただ殺戮の悟りを歩むことを選んだのだ。
『人は、死ねばただの肉よな! 下手に生きず、生ける苦しみに囚われることなく召されたのなら、行幸よな! 奪わなければ生きられぬ連中に、死の安らぎを与え、飢えの苦しみから解き放ち、そうならぬよう間引くは、これ即ち行幸よな!」
強さこそ、生きるに必要な全てであるのなら。
その強さを極め、強者を上から順に屠り尽くし、己を超える強者に屠られること。
それが、全てを失ったロウシュの定めた道だった。
カカカ、と嗤うと、皇帝もうっすらと笑みを浮かべる。
『人に害なすモノを討つを是とするか。義に狂いし修羅よ』
『死は救いよな! 強き者と相対し、苦しまずに死ぬは最良よな!』
『是。我は皇帝アウゴ・ミドラ=バルア。そなたの望む強者にして、アーシャの望み故に、皇国の安寧と罪の全てを担う者』
皇帝は、そうして剣を抜いた。
『そなた、我に侍るに相応しき故、腕1本にて赦す』
そうして、本当に剣のみでロウシュの全てを防ぎ切った皇帝は、約束通りに腕1本を断ち落とし、こう告げた。
『そなたに弟子を与える。殺さぬよう育てよ。後に南西『魔性の平原』へと向かい、住まうことを赦す』
『何処かな、そこは? カカカ、負けて修羅から死人に堕したワシに、まだ生を強要するか!』
『民の健やかなるが、アーシャの望みなれば。守る縁を失いしそなたに、縁を与える』
皇帝は剣を鞘に仕舞った後、断ち落としたロウシュの腕を拾いながら、姿を消した。
『守れずに狂いし修羅に、守る喜びを下賜する。右腕を以て命の対価とし、縁を与えるを報奨とする。……そして』
後に続いた最後の一言を聞いたロウシュは、その後に弟子を得た。
雑魚ですぐに死にかけるが、根性だけは一人前の弟子を。
ロウシュは守る者らを得た。
自分同様に、様々なものを奪われ、なお生きようと足掻く〝獣の民〟らを。
「今一時、返すが約定よな、皇帝! 雑魚弟子の願いを叶える為、我が右腕を寄越すことよな!」
そうして、あの時の皇帝の言葉を反芻する。
「『守る戦のみ、修羅の右腕を赦せ!』」
ロウシュの呼び掛けに、右腕の重さが戻る。
一緒に断ち落とされ奪われた、愛刀の片割れと共に。
ーーー弟子を助け、己も全力で死合える、これぞ一石二鳥よな!
かつて守れなかった村と共に、ロウシュの人の魂は失われた。
故に、ロウシュは修羅。
皇帝に負けて、強者ではなくなり、生かされた。
故に、ロウシュは死人。
代わりに与えられた、決して代わりにはならないが、未だ体にこびりついた魂の残滓には、必要な縁。
故に、ロウシュは守護者。
その為にのみ、右の刃を振るう者となった。
「カカカカカッ! ワシは【双刀・人斬リ】のロウシュ! 右手に<大義ノ太刀>、左手に<慈悲ノ太刀>を握る守護者よ!」
そうして、影に潜んだまま、こちらを無視して村の中に向かおうとしていた魔性に、ロウシュは右手の刃を突き立てた。




