女公が現れましたわ!
「カカカ! まぁ、雑魚弟子よりはマシかな!」
肩に刀を担いで大笑いするロウシュを前にして、ナバダとベリアは肩で息をしていた。
「嘘だろう……? 一撃すら入れられないなど……」
「あんた、本当に人間なの……?」
この立ち合いが始まる前に、『一人だと歯応えがないだろうから、二人で掛かってこい』と言われたのだ。
村にいる中では、おそらくナバダとベリアが『まとも』な戦い方をしたらトップクラス。
シャレイドでも、自分達二人を相手にしたら荷が重いだろう。
なのにロウシュは、ほぼその場から動きもせずに連携攻撃をいなした挙げ句に、息ひとつ乱していない。
しかも彼は、利き腕を皇帝に落とされて隻腕な上に、ナバダらより遥かに高齢なのだ。
ーーー全盛期は、一体どんだけ強かったのよ……!?
金化卿との戦いも、もしかしたらロウシュがいれば、あんな結末は迎えなかったかもしれない。
アーシャが『皇帝の次に強い』と評するはずである。
それを魔術すら使わずに圧倒した、という皇帝の強さなんて、正直考えたくもなかった。
何せロウシュは、この立ち合いで一度も刀を振っていないのだ。
全ての攻撃を避け、蹴りと体の動きだけでナバダらの体を引っ掛けて投げ飛ばしていただけである。
これだけの強さを持つからこそ、皇帝はロウシュを村に遣わしたのだろう。
全て、アーシャを死なせない為に。
ーーー過保護野郎め。
あの狙撃魔導具といい、ベリアに与えれた試作の防御魔導具といい、そこまで死なせたくないなら、最初から皇都にアーシャを閉じ込めておけば良いのに。
それはしないせいで、こんな状況になっている……とナバダはちょっと恨めしい気分になった。
イオの件を含めると、逆恨みに近い自覚もあるので口にはしないが。
「まぁ終わりかな! 斬ってりゃ50回は斬れたな!」
こんな、ロウシュにとってはお遊びでしかなさそうな立ち合いでもそれなりに満足したのか、一方的に告げて何処かへ向かって歩き出す。
アーシャに輪をかけて自由奔放なジジイである。
「流石はアーシャ様のお師匠様……だな。世界は広い……」
「あいつの性格って、半分くらいロウシュのせいじゃないの……?」
ナバダもベリアも、それなりに強い筈である。
自分がハルシャに選ばれたのは、顔立ちや生来の魔力の強さなどもあるだろうけれど、西の領地内で、将軍クラスでもなければ殺せる程度の腕があったからだ。
西の意思を反映する傀儡妃、いざという時は暗殺手段として、ナバダは送り込まれたのだから。
ーーーハルシャは、何を考えてるのかしら。
あの冷酷で自分の利益しか考えていない男は、今にして思うと不思議な行動をしている。
何をどうやったって皇帝に勝てないことくらい、あの男なら既に分かりきっていそうなものだ。
なのに皇帝に仕掛けていく理由は、権力欲の為なのだろうか。
その欲の強さのせいで見る目が曇っている……という可能性もなくはないけれど。
ーーーいえ、考えても分かんないことより、今は目先のことね。
ロウシュと自分達の実力差が、圧倒的過ぎる。
彼は〝獣の民〟の守護者であり、アーシャの師匠だけれど、同時に虐殺の大罪人でもあると聞いている。
しかもあの性格なので、どこまで信用して良いかをナバダは測りかねていた。
もし西や南に同じような強さの奴がいて、その時にロウシュが裏切ったり征伐に参加しなかったりしたら、全滅させられる可能性があるのだ。
どうするか、と考えた時、選択肢は一つしかなかった。
強くなるにも一人では限界があるし、一緒に強くなるにしても西や南を降すことに熱心ではない相手と切磋琢磨しても仕方がない。
その上で。
都合が良いのか悪いのか、とりあえず何があってもアーシャを裏切ること『だけ』はしないだろう相手、さらにナバダと実力にもさほど差のない相手が、真横にいる。
「……ねぇ、ベリア。提案があるんだけど」
「奇遇だな。私もだ」
ナバダが息を整えてベリアに視線を移すと、彼女もこちらを向いていた。
どうやら気持ちは同じようだが、こういうのはきちんと伝えるのが大事だ。
「今のまま、あんな人外がもし出てきたら生き残れないわ。せめて得意を伸ばしましょう」
「ああ。日に一度、手合わせを。アーシャ様を雑に扱う貴様は気に入らないが、四の五の言っていられん」
「ロクでもない無駄口叩かなくていいのよ。気に入らないのはあたしも一緒なんだから、おあいこでしょ」
ベリアと、普段の仕事に加えて鍛錬を日課にすることを約束し、こなすこようになると。
後日、アーシャや、【風輪車】を身に纏ったウォルフガング、シャレイドにイオまで混ざって来たけど、それ自体は悪いことじゃなかった。
悪いことが起こったのは、そうして、一ヶ月が経った後のことである。
※※※
「来客、ですの?」
今日の見張り番が鍛錬の場に訪れて告げた言葉に、アーシャは首を傾げた。
「ああ。『アーシャ・リボルヴァに用がある』って、赤毛でドレスの貴族女と、執事服の黒髪男が」
そう言われて、思わず眉根を寄せてしまう。
「心当たりがあるの?」
「ええ。……わざわざ危険を冒して村まで訪ねてくる、その特徴を持つ知り合いといえば、フェニカ・チュチェしか考えられないですわね」
「フェニカだと!?」
ウォルフガングが目の色を変える。
他の面々も、一気に緊張した様子を見せた。
そして、表情を引き締めたベリアが見張り番に問いかける。
「南の大公が、軍を引き連れて来たのか!?」
「いや、二人だけだよ」
「二人……?」
「あり得ますわ、ベリア。フェニカはご自身の腕に自信をお持ちの様子ですし、実際、かなり手練の魔導士……前にお会いした時も、〝影〟を連れていただけですもの」
が、執事服の男というのが分からない。
彼女の夫であるニールは、陛下に『処刑』されたのだ。
別の人物だろうか。
アーシャの口調から何かを感じ取ったのか、ナバダが厳しい顔で問いかけて来る。
「アーシャ。あんた、皇都に帰った時になんかしたの?」
「ええ。ちょっと一戦やり合いましたの」
「はぁ!? 南の大公と!?」
「ええ」
とりあえず事情を簡潔に説明してから、アーシャは腰に手を当てる。
「困りましたわね。先に西を相手にしようと思ってましたのに……」
以前に会った時も思ったけれど、フェニカの方が、西の大公ハルシャよりも好戦的なのではないだろうか。
「チャンスじゃねぇか……」
そこでウォルフガングが、呻くように言葉を絞り出す。
「直接来たってんなら、丁度良いだろ。先にぶち殺してやる……! 俺の狙いは、そもそもアイツなんだからな!」
「多分、そう簡単にはいかないと思いますわよ? あの方、実力の底が見えませんの」
陛下がお越しになられて有耶無耶になってしまったけれど、フェニカはあの時、全く動いていない。
にも拘らずアーシャは、明らかに彼女よりも実力下位にあるニールに組み伏せられて、下手をすれば負けていた。
「それでもやりますの?」
「関係ねぇ。別に皇帝より強ぇ訳じゃねーんだろ」
「それはそうですけれど。とりあえず、何の用か聞きに行きましょうか」
アーシャは、その場の面々と共に村の入り口に走った。
「雑魚弟子、南の大公は強ぇのかな!」
「ええ。少なくともわたくしよりは強いですわね!」
「そいつは良いな!」
お師匠様のウキウキとした声に、とりあえず釘を刺しておく。
「いきなり仕掛けるのはなしですわよ! まずは話ですわ!」
そうして入り口に着くと、予想通り、そこにいたのはフェニカ。
そしてもう一人は……陛下に『処刑』された筈の、ニールだった。
見張り番の言葉通り、部下は連れていない。
ただ二人で、彼らはそこに立っていた。
「待ちくたびれましたわよ、アーシャ様」
扇を広げてニッコリと笑うフェニカに、今にも飛びかかりそうなウォルフガングを制して、アーシャは笑みを返す。
「もっとごゆるりと、南の領地でお待ちいただいても良かったのですけれど。先触れもなしに訪れるのは、礼儀が足りないとは思いませんの?」
「あら、これは失礼致しましたわ。楽しみで気が急いてしまっていたようですわね」
フェニカはゆっくりと扇を閉じると、その先を口元に当てる。
「けれど、皇帝陛下の御許可はいただいておりますの。それで問題はございませんでしょう?」
「何だと……!?」
「あら、陛下が?」
ウォルフガングの言葉はとりあえず置いておいて、アーシャは目を細める。
ーーーなるほど。
陛下がお赦しになったというのなら、確かにそれについてはアーシャが異論を唱えることではない。
その意図も、考えれば理解出来た。
ーーーわたくしの為、ということですわね。
陛下は、多分……アーシャが南を攻めることで無辜の民が被害に遭うことを、憂いておられるのだろう。
アーシャは、ウォルフガングに『幼な子が立ち塞がった時に撃ち抜けるか』と問いかけた。
自分にその覚悟がある、と告げた言葉も、決して嘘ではない。
嘘ではないけれど……やりたくはなかった。
本当なら、守るべき民を秤にかけることなど、アーシャは一切したくないのだ。
けれど、誰かがやらねばならないなら自分が、とも思っていた。
その心情を、きっと陛下は汲んで下さったのだ。
ーーー感謝致します、陛下……。
フェニカのみを降せるのであれば、それに越したことはない。
南部は、西とは違う意味での『武の国』だ。
精強で統制された軍隊による強さを誇る西と違い、『個人の武』を重視する領地であり、その頂点に立つフェニカが、おそらく南の領地では最も強い存在。
故に、アーシャが彼女を降せば、南に住まう者の大半はアーシャに従うようになる。
領地を荒らすことなく、南を丸々手にすることが出来る……そういう話なのだろう。
「この場を訪れたフェニカ様のお望みは、以前と同じく一騎討ち、ということでよろしくて?」
「ええ、話が早くて助かりますわ。わたくしは強さを好みますの。それも、対等な条件で戦うことが何よりも好きですのよ」
「その割には、以前は不意打ちでしたわね」
「単なる腕試しですもの。殺すつもりはございませんでしたわ」
そこでアーシャは、チラリと無表情にフェニカの横に立つ青年に目を向ける。
「ニール様は、陛下に処罰された筈ですけれど、何故生きておられますの?」
「死んでないから、ですわ。そのように探りを入れなくても、わたくし達のことは今からお見せ致しますわよ。正々堂々と申し上げましたでしょう?」
ふふ、と笑ったフェニカは、ビッと横に扇を伸ばす。
そうして、体からゆらりと魔力を立ち上らせた。
「ーーーわたくし達の本当の姿を、どうぞご覧になって?」
その言葉と共に、フェニカと……そして、ニールの姿が変化していく。
ベキベキベキ、と音を立てて、異形へと。
まずフェニカの両腕が、身長以上の長さに伸びた。
右腕はまるで蜘蛛の足先に金属の刃を伸ばしたような形状に。
左腕は、前腕部が膨れ上がって盾のような形に。
そして顔が、鳥を象ったような白い仮面に覆われて、体を覆っていたドレスが体にキツく巻き付き、翼のような模様を持つ鎧に変質する。
ニールも、その間に体躯を肥大化させていた。
執事服が破れ散り、首が伸びて顔が巨大な蜘蛛のように変化していく。
上半身は逞しい人間の男性のまま下半身が馬のように変化し、蛇の姿をした尾が生えた後、三対六つに別れた蜘蛛の足が地面を踏み締めて立ち上がる。
さらに、真っ赤な翼が背から生えた。
その姿はまるでそう、人馬族の合成獣。
禍々しい瘴気がその二人から溢れ出し、フェニカが変質した異形が、ニールの上半身に抱きつくようにひらりとその背に乗った。
異形の女騎士……そうとしか形容しようのない姿となったフェニカとニールに、周りの面々が絶句している中、アーシャは口を開いた。
この気配は、覚えがある。
そう、全く同じではなく、むしろさらに危険な瘴気を纏っている『それ』は。
「あらあら……まさか、皇国の領地を預かる方が〝六悪〟であったなんて、流石に予想外ですわね」
『そう? ちゃんと『領王会議』の時に、ヒントはあげてたつもりだったんだけど』
フェニカの声音は、元よりもひび割れた、耳障りなものに変わっていた。
『改めて名乗りましょう。わたくしは〝四凶〟が一……《愛悦の魁》フェニカ・チュチェですわ。短い間ですけれど、お見知りおきを』




